アトス様は私から三メートルほど離れたところで立ち止まると、ズボンのポケットからさっとふわふわしたものを取り出した。
「……!?」
一体なんなのかと警戒していたものの、その正体を確認してマジかと絶句する。
そ、それは猫じゃらし……!!
この世界の生態系は地球とよく似ていて、猫もいれば猫じゃらしそっくりな草もある。
いや、今はそういう問題ではなくて、なぜアトス様は猫じゃらしを常備しているの!?
ドン引きする私を微笑んで見つめながら、アトス様は華麗かつ洗練された動作で片膝をつき、猫じゃらしをさっと右から左に振った。
いくら王宮のアイドルアトス様でも失敬な! 私の見た目が猫だからってこれは夢に過ぎないし、現実ではれっきとした人間の女子なのだ。そんなものに釣られるわけがあるはず……
って、あああっ!? なぜ、なぜなの!? 目が勝手に猫じゃらしを追ってしまうぅぅぅ!! 伏せてお尻をふりふりしてしまうぅぅぅ!!
「ニャー!!」
私は本能のままに猫じゃらしに飛び掛かった。
アトス様の猫じゃらし捌きは素晴らしく、右に、左に、前に、後ろに、斜めにとワンパターンじゃない。私は夢中になって猫じゃらしを追いかけた。
「やはり、人間が異素材で作ったものよりも、自然の野草のほうが食いつきがいい……」
満足げなアトス様の呟きが興奮に掻き消される。
「ただの猫なら・・・・・・一歳程度でしょうか? まだ擦れておらず遊びたい盛りですね」
そうして五分ほど全力で遊んだだろうか。ところが、六分目に差し掛かったところで、なんの前触れもなく急に飽きてしまった。
「……」
ぴたりと動きを止めて前足を揃えて座る。
「おや? どうしましたか? まだ遊び足りないでしょう?」
もういいやという気分で興味がなくなってしまう。それに、ちょっと疲れた気もするし、もう寮に帰ってまた休もうかな。もう一度寝ればきっと夢が覚めて、いつも通りの一日が待っているだろう。
うん、リアルで楽しかった!
私はくるりと身を翻してもと来た道を戻ろうとした。ところが、初めて聞くアトス様の焦った声と、美味しそうなにおいがまたもや私を引き留めたのだ。
「……っ!! 待ってください!! ほら、こんなものを用意しているんですよ」
振り返った私はその手に釘付けになった。ボロボロになった猫じゃらしに代わって、チキンジャーキーが握られていたからだ。
そ、それは王都で一番人気の肉屋、「俺の肉屋」のチキンジャーキー……!! 味付けが薄いのにすごく美味しいの……!!
私は甘いものよりも辛いものよりも、子どものころから薄味のタンパク質系が好きだった。このチキンジャーキーも大好きだけれども、普通のものよりもずっと高かったので、お給料日にしか口にできなかったものだ。
「君の好物でしょう?」
私はチキンジャーキーの誘惑に抗えず、恐る恐るアトス様に近づいた。くんくんとにおいを嗅いで一口齧る。
「……!!」
その美味しさに歯止めがかからなくなった。アトス様は一つ食べ終えると、もう一つをまた手の上に置いてくれた。
「もっと差し上げたいところですが、間食ばかりでは美容にも健康にも悪いですからね」
あっと言う間に二つ目を平らげてしまい顔を上げる。アトス様はなんとも嬉しそうな、とても優しい目で私を見下ろしていた。
こんな顔もするんだとちょっとドキンとする。
「手から食べてもらえるとは思いませんでした。……これは仲良くなったと思っていいのでしょうか?」
「ニャー」
私は美味しかったですよ、ありがとうとございますとお礼を言ったつもりだった。ところが、アトス様はどうも違った意味に取ったらしい。
「そうですか。それはよかった。ところで、君はこのまま私との話を進めても問題ありませんか?」
「? ニャー」
一体なんの話なんだろうと思いつつ、脳みそまで猫になってしまったのだろうか――私は深く考えずにニャーと答えてしまった。
アトス様はにっこりと笑い私の顎を撫でる。また、その撫で方が天下一品に気持ちよかった。
「ありがとうございます。では、早速陛下にご報告しなければ。マリカ様との縁談は断ったので安心してください。君も心の準備があるでしょうし、しばらくはこうしてデートを続けましょう。私は君をよく知っていますが、君は私をまだよく知らないでしょうから」
とんでもないことをさらっと言われた気がしたけど、私はもうその意味を深く考えられなくなっていた。なぜなら、猫の胃袋は人間ほど大きくないのかもうお腹一杯だ。お腹一杯になるとやる気がなくなって眠くなる。これは猫でも人間でもそう変わりがないらしい。
眠っちゃいけないと思うのに瞼が落ちる。あまりの眠さに座ったまま体がゆらゆらと揺れた。危うく床に転がりそうになる寸前に、大きな手でさっと掬い上げられる。
「……君はどこまで私を煽ってくれるんでしょうね。まったく、我ながらよく耐えていると思いますよ」
アトス様はそう呟きながらテーブル席に向かう。そして、椅子を引いて腰掛けると、私を膝の上にそっと載せてくれた。
「今夜はゆっくり眠りなさい。部屋まで送るので心配ないですよ」
アトス様の膝は大きくて温かくて、お日様に似たにおいがした。一見クールな生徒会長風なのに、実は優しい人なんだなと感じる。背中を何度か撫でられているうちに、私は心からリラックスしながら、また眠りの世界へと落ちていった――
「……!?」
一体なんなのかと警戒していたものの、その正体を確認してマジかと絶句する。
そ、それは猫じゃらし……!!
この世界の生態系は地球とよく似ていて、猫もいれば猫じゃらしそっくりな草もある。
いや、今はそういう問題ではなくて、なぜアトス様は猫じゃらしを常備しているの!?
ドン引きする私を微笑んで見つめながら、アトス様は華麗かつ洗練された動作で片膝をつき、猫じゃらしをさっと右から左に振った。
いくら王宮のアイドルアトス様でも失敬な! 私の見た目が猫だからってこれは夢に過ぎないし、現実ではれっきとした人間の女子なのだ。そんなものに釣られるわけがあるはず……
って、あああっ!? なぜ、なぜなの!? 目が勝手に猫じゃらしを追ってしまうぅぅぅ!! 伏せてお尻をふりふりしてしまうぅぅぅ!!
「ニャー!!」
私は本能のままに猫じゃらしに飛び掛かった。
アトス様の猫じゃらし捌きは素晴らしく、右に、左に、前に、後ろに、斜めにとワンパターンじゃない。私は夢中になって猫じゃらしを追いかけた。
「やはり、人間が異素材で作ったものよりも、自然の野草のほうが食いつきがいい……」
満足げなアトス様の呟きが興奮に掻き消される。
「ただの猫なら・・・・・・一歳程度でしょうか? まだ擦れておらず遊びたい盛りですね」
そうして五分ほど全力で遊んだだろうか。ところが、六分目に差し掛かったところで、なんの前触れもなく急に飽きてしまった。
「……」
ぴたりと動きを止めて前足を揃えて座る。
「おや? どうしましたか? まだ遊び足りないでしょう?」
もういいやという気分で興味がなくなってしまう。それに、ちょっと疲れた気もするし、もう寮に帰ってまた休もうかな。もう一度寝ればきっと夢が覚めて、いつも通りの一日が待っているだろう。
うん、リアルで楽しかった!
私はくるりと身を翻してもと来た道を戻ろうとした。ところが、初めて聞くアトス様の焦った声と、美味しそうなにおいがまたもや私を引き留めたのだ。
「……っ!! 待ってください!! ほら、こんなものを用意しているんですよ」
振り返った私はその手に釘付けになった。ボロボロになった猫じゃらしに代わって、チキンジャーキーが握られていたからだ。
そ、それは王都で一番人気の肉屋、「俺の肉屋」のチキンジャーキー……!! 味付けが薄いのにすごく美味しいの……!!
私は甘いものよりも辛いものよりも、子どものころから薄味のタンパク質系が好きだった。このチキンジャーキーも大好きだけれども、普通のものよりもずっと高かったので、お給料日にしか口にできなかったものだ。
「君の好物でしょう?」
私はチキンジャーキーの誘惑に抗えず、恐る恐るアトス様に近づいた。くんくんとにおいを嗅いで一口齧る。
「……!!」
その美味しさに歯止めがかからなくなった。アトス様は一つ食べ終えると、もう一つをまた手の上に置いてくれた。
「もっと差し上げたいところですが、間食ばかりでは美容にも健康にも悪いですからね」
あっと言う間に二つ目を平らげてしまい顔を上げる。アトス様はなんとも嬉しそうな、とても優しい目で私を見下ろしていた。
こんな顔もするんだとちょっとドキンとする。
「手から食べてもらえるとは思いませんでした。……これは仲良くなったと思っていいのでしょうか?」
「ニャー」
私は美味しかったですよ、ありがとうとございますとお礼を言ったつもりだった。ところが、アトス様はどうも違った意味に取ったらしい。
「そうですか。それはよかった。ところで、君はこのまま私との話を進めても問題ありませんか?」
「? ニャー」
一体なんの話なんだろうと思いつつ、脳みそまで猫になってしまったのだろうか――私は深く考えずにニャーと答えてしまった。
アトス様はにっこりと笑い私の顎を撫でる。また、その撫で方が天下一品に気持ちよかった。
「ありがとうございます。では、早速陛下にご報告しなければ。マリカ様との縁談は断ったので安心してください。君も心の準備があるでしょうし、しばらくはこうしてデートを続けましょう。私は君をよく知っていますが、君は私をまだよく知らないでしょうから」
とんでもないことをさらっと言われた気がしたけど、私はもうその意味を深く考えられなくなっていた。なぜなら、猫の胃袋は人間ほど大きくないのかもうお腹一杯だ。お腹一杯になるとやる気がなくなって眠くなる。これは猫でも人間でもそう変わりがないらしい。
眠っちゃいけないと思うのに瞼が落ちる。あまりの眠さに座ったまま体がゆらゆらと揺れた。危うく床に転がりそうになる寸前に、大きな手でさっと掬い上げられる。
「……君はどこまで私を煽ってくれるんでしょうね。まったく、我ながらよく耐えていると思いますよ」
アトス様はそう呟きながらテーブル席に向かう。そして、椅子を引いて腰掛けると、私を膝の上にそっと載せてくれた。
「今夜はゆっくり眠りなさい。部屋まで送るので心配ないですよ」
アトス様の膝は大きくて温かくて、お日様に似たにおいがした。一見クールな生徒会長風なのに、実は優しい人なんだなと感じる。背中を何度か撫でられているうちに、私は心からリラックスしながら、また眠りの世界へと落ちていった――