王太子との協議を終えた私たちは、次は王宮の地下牢へやって来た。アトス様のお父さん……ヴァルトを連れ戻すためだ。

 相変わらずカビ臭くて石の壁が冷たい。ヴァルトはその中でも一際頑丈そうな牢に入れられていた。

 鉄格子には御札がベタベタ貼られていて、アトス様いわく魔力の絶縁体なのだそうだ。魔力が一切通じなくなってしまうのだとか。

 そんなものがあるんだと感心しつつ、アトス様と二人で鉄格子の前に立つ。アトス様は左手にキャリーバッグ、右手に牢の鍵を持っていた。

 ヴァルトは据え付けられたベッドに、がっくりと力を落としたまま座り込んでいる。その周りには暗黒オーラが漂っていて、ただでさえ薄暗い牢を真っ暗にしていた。

 ヴァルトが足音に気付いたのか顔を上げる。頬がげっそりとこけていて病人さながらだ。初恋に浮かれるどM王太子によると、食事にほとんど手を付けないんだそうだ。

「失礼します。お迎えに上がりました」

 ヴァルトがゆっくりと顔を上げ、唇の端に歪んだ笑みを浮かべる。

「お前はあの時の若造か。そうか、私の処刑はカレリアで行われるのか」

 小さな低い声からは夢も希望も感じられない。アトス様は「違いますよ」と答えてキャリーバッグを足元に置いた。

「陛下にはあなたを罰するご意思はございません。ただ、どうしても謝罪されたいそうです」

 謝罪の言葉にヴァルトの目が見開かれる。同時に、アトス様が腰を屈めてキャリーバッグの扉を開けた。真っ白な、毛の長い猫が現れ私は驚く。

 あのいかにもアタクシ血統書付ザマスわな長毛種は、まさか実家で飼ってるミーア!? なぜアトス様はミーアを連れて来たの!?

 ヴァルトが首を横に振って「馬鹿な」と呻く。

「ミルヤは死んだはずだ。私は幻を見ているのか……?」

 ミーアはベッドに飛び乗り、ヴァルトの腕に体を擦り付けた。その温かさでミーアは幻ではないのだと実感できたらしい。ヴァルトはミーアを胸に抱き締め涙混じりの声を上げた。

「間違いない。この極上のモフモフはミルヤのものだ……」

 ところで感動の再会なのはわかるけど、私はこの一人と一匹のそれまでを把握していないので、頭の中はハテナマークで一杯だった。ミーアがヴァルトの美猫な元カノだとしか知らない。なぜ百年引き離されていた恋人のような雰囲気なのだろう。

 アトス様が不意に私の肩を叩いた。

「君にしてほしいことがあります。あの猫の、ミルヤの……私の母の通訳をしてくれませんか。この場にいる猫族は君たちだけなのです」

 あー、通訳ね。だから私が呼ばれたわけね。お安い御用ですよ。って、今なんておっしゃいました!? 私の、は、母とか幻聴ですよね!?

 アトス様は腕を組んで溜め息を吐いた。

「私は猫族のおおまかな感情は理解できますが、今となっては言葉まではわからないのです。子どもの頃には私も黒猫に変身でき、猫族との会話も自在だったのですよ。しかし、成長するにつれて人の血が濃くなり、変化するすべも忘れ、この通りごく普通の魔術師となってしまいました」

 いや、待って。ちょっと待って。情報量が多くて耳からこぼれ落ちてしまいそう。とにかくミーアの本名はミルヤで、猫族で、ヴァルトの元カノどころか内縁の奥さんで、アトス様のお母さんだとはわかった。

 私の頭じゃこれが精一杯よ!

 私は脳みそが煮えたぎるまま、役割を果たすべくヴァルトとミルヤに付いた。ミルヤがヴァルトの胸から顔を上げる。アクアマリン色の瞳が私を映し出している。小さな口がゆっくり開かれ牙が見えた。

『アイラちゃん、隠していてごめんなさい。こんな形で姑の私と話すことになるなんて思わなかったでしょう』

 姑……違和感ありまくりだけど、確かに私たち嫁姑って関係ですね!

 私は混乱しつつもヘラヘラと笑った。

「いやいやお構いなく。猫には猫の事情ってもんがありますし」

 ここは前世の人生経験も総動員よ。そう、生きていれば何があってもおかしくない! 私だって転生してこの場にいる。それも人様からすればかなりのトンデモ事情だわ。

 ミルヤが目を細めて私を見上げる。

『あなたも普通の女の子には見えないわね。普通だったらきっとそんなに落ち着けないわ』

「いやいやそんなことは……」

 この鋭さと察しのよさはアトス様と同じだわ。いまだに信じがたいものの、親子なのだと認めるしかなかった。

「それで、私に何を通訳してほしいんですか?」

『ヴァルトに伝えたいの』

 ミルヤ……いや、お義母さんは語り始める。アトス様が生まれる前に、陛下とお義父さん、お義母さんの間に何があったのかを――