翌日の正午、おっさんは昨日の広場に私を連れて行ってくれた。噴水の前にそっと下ろして辺りを見回す。

「さあ、君の飼い主はどこだろうね?」

 私もアトス様の姿を探した。このリボンがちゃんと機能しているのなら、もうこの街にいることはわかっているはずだけど……。

 すると、道行く人の中から覚えのあるにおいがした。この日なたみたいなにおいは、間違いなく私の旦那様だ!

「ニャァァァアアアアン!」

 うわーん、アトス様、会いたかった!

 私は通行人の一人の足に飛び付いた。しかし、数秒後にそんなカバなとなってかたまる。

 ゆるふわ金髪ロングにタンザナイト色の瞳の、やたらと色っぽい美女が私を見下ろしていたからだ! 

 マスカラいらずの長く濃い睫毛が切れ長の目を縁取って、滑らかな頬はほのかな桃色に染まっている。形のいい鼻の下にある薄い唇には、身に纏ったコートと同じ、深い赤の口紅が塗られていた……って、メイクはしているけどアトス様じゃないの! 道理で女の人にしては背が高いはずだ。

「ニャニャニャ……」

 な、な、な、なんで女装なんかしているのか!? 

 男の娘を軽く超えるレベルの化けっぷりに慄く。アトス様は石化した私をひょいと抱き上げ、更に胸にぎゅっと抱き締めてきた。

 リアルなおっぱいの感触に目玉が飛び出そうになる。本物だとしか思えない絶妙な弾力だった。

 アトス様はいつの間にFカップになったのか!?

「まああ、アイラ、こんなところにいたの! 探していたのよ!」

 アトス様はどこから出たのかという高い声で私を呼ぶと、今度はおっさんに見えないよう耳打ちをしてきた。

「アイラ、ここは私は君の飼い主ということで、話を合わせてください」

 三段低くなったその声はアトス様のもので、私はまだおっぱいにドキマギしつつも頷く。アトス様の胸に顔を擦り付け、思い切り甘えてゴロゴロと喉を鳴らした。

 おっさんがこちらに「よかったよかった」と言いながらやって来る。

「あなたがその子の飼い主さんでしょうか? 昨日ここで迷っていたので、一晩家に泊めたんですよ」

 そして、アトス様を目にした途端、凍り付いたようにその場に立ち尽くした。

「ミルヤ……?」

 聞こえるか、聞こえないかというほど小さな声だった。人間より聴覚のある私ですらそう感じたのだから、アトス様には唇が動いたようにしか見えなかっただろう。

 私はアトス様の胸の中で首を傾げる。

 ミルヤはアトス様のお母さんの名前ではなかっただろうか? でも、確かにそう言ったのかは確信できないし、ミルヤはカレリアにもリンナにもある、そんなに珍しくもない名前だ。

 アトス様は笑って頭を下げた。

「この子を保護してくださったんですか。ありがとうございます。探していたのでほっとしました」

 懐から金貨を取り出し、おっさんに握らせる。

「こちらはお礼です」

 おっさんはその輝きに我に返ったらしく、「いや、結構です」と慌ててアトス様に押し返した。

「金には困っておりません。それに、私も一晩ではありますが、思う存分モフモフできたり、ニャンモナイトを見られたりして楽しかったですから……。お礼はそれで十分です」

 アトス様も無理強いするつもりはないらしく、「そうですか」と頷いて手を引っ込める。

「では、私たちはこれで……」

 身を翻した次の瞬間、「あの!」とおっさんが叫んだ。アトス様が「なんでしょうか」と振り返ると、額を押さえて大きな溜め息を吐く。

「馬鹿な。そんなはずがない……」

 最後に何かを振り切るように、首を二度振って謝った。

「失礼した。知人に似ていたのでつい……どうぞ気を付けて」

 中年の独り身の哀愁を漂わせつつ、風に吹かれる落ち葉とともに姿を消す。

 やがて、アトス様が胸の中の私を見下ろし、こつんと私のオデコにオデコを当ててきた。

「まったく、心配しましたよ。それにしても君は悪運が強いですね」

 いや、私の悪運よりもアトス様の女装のほうがすごい。

 アトス様は私の心を読んだらしく、笑いながら理由を説明してくれた。

「私はリンナでも一応有名人らしいですからね。面が割れていることを考えて変装をしたのですよ」

 ああ、そうか。カレリアとリンナは最近敵国状態だもの。リンナは当然カレリアを守る軍隊や魔術師団について、抜け目なく情報を収集しているだろう。

 てっきり女装癖があるのかと慌てたわよ。

 それにしてもイケメンは美女になるのね。真正の女の私よりずっと綺麗で落ち込むわ……。このFカップも偽物だなんて思えないし。

 私が何気なくおっぱいをフミフミしていると、アトス様は「見事でしょう」と微笑んだ。

「私の部下が長年の研究の末に開発したものです。魔術を使って手触りから形まで完璧に仕上げたと胸を張っていましたね」

 いや、なんのためにそんな研究をしているの!? 才能の無駄遣いどころではない。と言うか、魔術師よりオリ○ント工業が向いているのでは……

 魔術師団の明後日を方向を向いた研究の意義を問い掛けていると、アトス様が「そんなことよりも」と私を持ち上げ目線の高さを合わせる。

「ひとまず宿を取ってありますから、そこへ行きましょうか。今後について話し合わなければならない。しかし……」

 タンザナイト色の瞳が妖しく煌めいた。美女にしか見えないのに心臓がドキンと鳴る。

「君は相変わらず誰にでもホイホイついていきますね。しかも、今回はよりによって男だ」

 男と言っても猫好きのおっさんだし、あの通り若干変態は入っているけど、親切だ。アトス様は何が言いたいのだろうか。

 アトス様はきょとんとする私を見つめながら、「そういうとこではありません」と苦笑した。

「前にも言ったでしょう。私は嫉妬深い男です。やむを得なかったとは理解していても、君に触れただけではなく、寝顔まで見たと聞いて胸が焼け焦げそうだ」

 いやいや、それは飽くまで私を猫だと思っていたからであって、私がただの人間の女子だったら、あのおっさんはまったく興味がなかったと思う。世間一般のおっさんとは逆だけど、何せ変態なのだし間違いない。

 アトス様は「やっぱりわかっていない」と溜め息を吐いた。

「私は人の姿の君も猫の姿の君も独り占めしたいんだ」

 甘く、熱の込もった声と眼差しにまた心臓が鳴る。アトス様は私を再び抱き締めて笑った。

「仕方がない。今夜はわかってくれるまでお仕置きだ」

 えっ!? お仕置きって!?

「男心を理解しようとしない罰だ」

 そ、そんなこと言われても……!

 こうして私は「ニャ~レ~」と叫びつつ、街の宿へと連れ込まれ、猫じゃらし責めのご褒美……いや、責め苦を受けることになったのだった……。