すると、私は平日の日中だけではなく、土日祝日の夕方以降すら働いていたので、「猫族とは、人とはなんぞや」と哲学的な深い悩みに捕らわれたらしい。

 いや、それって私の根深い社畜としての魂が、猫族のDNAによる本能に勝利したってだけなんですが……。というか、私の社畜魂ってどれだけ徹底してんねん!

 大阪弁でみずから突っ込む私にその人は語り続ける。

「知っていましたか。君は、王宮の召使や、貴族や、私の部下の魔術師の男どもに人気だったんですよ。とことん働き者で可愛らしく、どの男にも媚びず見向きもしない、身持ちのかたい女性だと口説かれていた」

 いや、嘘でしょとアハハと笑ったものの、そういえばと王宮勤めの日々を思い出した。

 ある時厨房でキャベツをひたすらみじん切りにしている最中に、俺がやってあげるからと声を掛けてきた料理人がいた。コイツ、私の夜勤手当を奪うつもりなのかと腹が立ち、「結構です! 自分でやります!」と断った。

 また、ある時はどこぞの伯爵家の嫡男のボンボンに、「君の目の色にそっくりだから……」と、エメラルド入りのネックレスを渡されたことがあった。しかし、買収やコンプライアンス違反でクビになってはたまらない。転職する場合にも紹介状を出してもらえなくなる。結局、「こんなことをしてはいけません」と即座に突っ返した。犯罪や厄介ごとに関わらないに越したことはないし、おのれの保身が第一だからだ。

 二ヶ月前には隣国から好待遇で引き抜かれた、有能だけどナルシストな長髪魔術師に、「俺は君が知りたい。君は俺が知りたくない?」――と薔薇を片手に囁かれた。私はそいつが誰なのかはとっくに知っていたけど、そいつが私を知らないなら仕方がないと、「はあ、アイラ・アーリラです。これでよろしいでしょうか?」と自己紹介をして、男子トイレの掃除の続きを始めたのである。後ろでなんかメソメソ泣いていたけど、とにかく時間がないので放っておいた。こう言ってはなんだけど邪魔で鬱陶しかった。

「……焦りました。猫族だとは知らなくとも、すでに皆が君の魅力を知っている。このままでは奪われてしまうと恐ろしくなった」

 早く話を決めなければと記入済みの婚姻届け、プロポーズ用のチキンジャーキーの準備を進める中で、唯一私へのアプローチを諦めない輩がいた。最後のリンナ出身のナルシスト長髪魔術師である。

「奴は、君に振られても諦めない唯一の男でした。女性に断られたのが初めてだと、君にますます熱を上げていた」

 ところが、そいつにはとんでもない欠点があった。メイドから貴族の女に至るまで、二股どころか十股をかけていたのだ。

 声に心なしか殺る気が混じった。

「私が奴に問い質してみると、奴は君を妻にするつもりだと抗弁しました。ですが、愛人を手放すつもりもないと……僕の使命はあらゆる女性を幸せにすることだと……魔術師であればそれが許されるはずだと。冗談ではないし、神の定めた掟に逆らう愚行です。人間は猫族に生涯の貞操と忠誠を誓い、全身全霊をもって仕える以外に、そう、下僕になる以外に道はないのです。それこそが人間の正しい在り方なのです」

 へえ、人間が猫の下僕になるって神の定めた掟だったんだ……って、ちょっと認知の歪みがなくないですか?

 この人ちょっとヤバいと引き攣った笑いを浮かべながら、私はそうか、人並みにモテていたんだ。喪女じゃなかったんだとびっくりした。

 でも、それだけのことでしかない。嫌なわけではないけど嬉しくもない。だって、大勢の誰かに好かれるよりも、たった一人の大好きな人に可愛がられたいもの。そう、飼い主はアトス様だけでいいの。

 ゴロゴロと喉を鳴らして改めて膝の上で丸まる。

「アトス様、だぁい好きです」

 夢の中だからか素直に気持ちを打ち明けられた。

 私はアトス様が好きになっていたんだな。いつからだったのかはもう思い出せない。ご飯をもらって、遊んでくれて、優しく撫でてもらううちに……って、これって飼い猫の発想そのものじゃありませんか!? でも、仕方がなくないですか!? だって、アトス様のマッサージって天下一品なんだもの!

 人間としてそろそろマズいと焦る私に、聞き慣れた声が「それは誠ですね?」と尋ねた。

「本当ですよぅ。好きですぅ……」

 眠くて、なのに気持ちがよくて、でもちょっと寒い気がする。

「う、う~ん」

 私はごろりと寝転がってはっと目を覚ました。

「……!?」

 裸なんだから寒いはずだ……! というか、いつ人間に戻ったの!? そ、それにこの膝には見覚えが……。

「おや、アイラ、起きましたか?」

 長い睫毛に縁取られ少し影の差した、タンザナイト色の切れ長の目が私を見下ろす。

「あ、アトス様……!?」

 これって夢じゃなかったの!?