私は夢の中でふわふわで温かい、雲の中に包まれていた。天国があるのだとすれば、きっとこんなところなのだろう。
「君は困った子ですね。それに、不思議な子だ」
私の背を誰かの手が優しく撫でる。
「初めて会った時、私は目を疑いましたよ。猫族の君がくるくると働いているのだから。猫族は、獣人でもことさら労働を嫌う種族のはずなのに」
ああ、そう言えばお父さんはしょっちゅう仕事をサボって、「このろくでなしが!」とお母さんに笑顔でしばかれていたわ。とにかく家でゴロゴロするのと昼寝が好きで、夜目が利くことから深夜の町の城壁の衛兵をやっていた。これは猫族の血を引いているのは間違いなくお父さんの方だわ……。
夢の中で冷や汗を流す私に、声はさらに優しく語り掛ける。
「本能に逆らってまでなぜ働くのかと不思議でした。私たちが出会った日のことを覚えていますか。君は、思わず声を掛けた私の誘いを吹っ切って、ハエ叩き二本を両手にどこかへすっ飛んで行ってしまったのです。……女性に見向きもされなかったことは初めてでした。しかも、仕事に負けたのも初めてでした」
ああ、そういえばそんなことがあったような。
図書館の掃除をせっせとしている時に、後ろから声を掛けられたのよね。
『君……まさか……。名前は?』
書物を抱えた絶世の眼鏡イケメンが、目を見開いて立っていたから、私も何事かとぎょっとしたものだ。魔術師のローブを着ていたところから、魔術師なのだとはすぐに判明したけど、当時は顔を合わせる機会が少なかったから、誰が誰なのかまではわからなかった。
『はあ、アイラ・アーリラでございますが、何用でしょうか?』
『出身は?』
『ここから馬車で二時間ほどのミッケリですが……』
『……。君、これから時間を取れないだろうか。確かめたいことがあって……』
ところが、次の瞬間廊下に悲鳴が響き渡ったかと思うと、同僚のメイドが半泣きで図書館に飛び込んできたのだ。
『アイラ、アイラ、大変! 食糧庫にゴキブリが出たわ!』
『な、な、な、なんだってー!』
ゴキブリは一匹出ると背後に百匹はいると言われている。放っておけばさらに百倍の数に増えてしまい、穀物も、チーズも、干し肉も、イモ・マメ類も全滅だ。
ゴキブリが苦手だとか言っている場合ではない。私はこれは天下の一大事だと、退治のためのハエ叩き二本を両手に、一も二もなく図書館から飛び出した。二本いるのは二刀流だからである。ゴキブリの前にはイケメンのことなんて、頭から綺麗にすっ飛んでいた。
『ありがとう。アイラが一番ゴキブリ退治がうまいから。あなた、すばしっこいじゃない』
『どの倉庫? 一番? 二番?』
『二番よ』
『あ、あの……アイラ、話が……』
後ろから慌てて肩を掴まれたけれども、それどころではないと振り返りもせずに、廊下を一目散に駆け出した。
『すいませーん! 後でお願いしまーす!!』
まさか、それがアトス様だとは思わず、後から聞いてヤバいと青ざめたものだ。アトス様が全然怒っていなくて、「いえいえ、仕方がないですから」と、笑って許してくれたからよかった……。
「それから、私は君の観察を始めたんです。君は、私が知る猫族とはあまりに違う。君自身はどのような女性なのかとどうしても知りたくなりました――」
「君は困った子ですね。それに、不思議な子だ」
私の背を誰かの手が優しく撫でる。
「初めて会った時、私は目を疑いましたよ。猫族の君がくるくると働いているのだから。猫族は、獣人でもことさら労働を嫌う種族のはずなのに」
ああ、そう言えばお父さんはしょっちゅう仕事をサボって、「このろくでなしが!」とお母さんに笑顔でしばかれていたわ。とにかく家でゴロゴロするのと昼寝が好きで、夜目が利くことから深夜の町の城壁の衛兵をやっていた。これは猫族の血を引いているのは間違いなくお父さんの方だわ……。
夢の中で冷や汗を流す私に、声はさらに優しく語り掛ける。
「本能に逆らってまでなぜ働くのかと不思議でした。私たちが出会った日のことを覚えていますか。君は、思わず声を掛けた私の誘いを吹っ切って、ハエ叩き二本を両手にどこかへすっ飛んで行ってしまったのです。……女性に見向きもされなかったことは初めてでした。しかも、仕事に負けたのも初めてでした」
ああ、そういえばそんなことがあったような。
図書館の掃除をせっせとしている時に、後ろから声を掛けられたのよね。
『君……まさか……。名前は?』
書物を抱えた絶世の眼鏡イケメンが、目を見開いて立っていたから、私も何事かとぎょっとしたものだ。魔術師のローブを着ていたところから、魔術師なのだとはすぐに判明したけど、当時は顔を合わせる機会が少なかったから、誰が誰なのかまではわからなかった。
『はあ、アイラ・アーリラでございますが、何用でしょうか?』
『出身は?』
『ここから馬車で二時間ほどのミッケリですが……』
『……。君、これから時間を取れないだろうか。確かめたいことがあって……』
ところが、次の瞬間廊下に悲鳴が響き渡ったかと思うと、同僚のメイドが半泣きで図書館に飛び込んできたのだ。
『アイラ、アイラ、大変! 食糧庫にゴキブリが出たわ!』
『な、な、な、なんだってー!』
ゴキブリは一匹出ると背後に百匹はいると言われている。放っておけばさらに百倍の数に増えてしまい、穀物も、チーズも、干し肉も、イモ・マメ類も全滅だ。
ゴキブリが苦手だとか言っている場合ではない。私はこれは天下の一大事だと、退治のためのハエ叩き二本を両手に、一も二もなく図書館から飛び出した。二本いるのは二刀流だからである。ゴキブリの前にはイケメンのことなんて、頭から綺麗にすっ飛んでいた。
『ありがとう。アイラが一番ゴキブリ退治がうまいから。あなた、すばしっこいじゃない』
『どの倉庫? 一番? 二番?』
『二番よ』
『あ、あの……アイラ、話が……』
後ろから慌てて肩を掴まれたけれども、それどころではないと振り返りもせずに、廊下を一目散に駆け出した。
『すいませーん! 後でお願いしまーす!!』
まさか、それがアトス様だとは思わず、後から聞いてヤバいと青ざめたものだ。アトス様が全然怒っていなくて、「いえいえ、仕方がないですから」と、笑って許してくれたからよかった……。
「それから、私は君の観察を始めたんです。君は、私が知る猫族とはあまりに違う。君自身はどのような女性なのかとどうしても知りたくなりました――」