街へ出てまず驚いたのは、道路の幅の広さや建物の高さ、人間のとんでもない大きさだった。馬車なんてゾウが突進してくるように見えた。
アトス様のお屋敷は私に……というよりは猫に、暮らしやすくなっていたのだと初めて気づく。アトス様も執事もメイドも皆優しくて、すぐ腰を屈めてくれるから怖くもなかった。
おまけに歩道をフラフラ歩く酔ったオッサンや、私の姿を見るなり顔をしかめるオバサンがいて、時には蹴っ飛ばされそうになって焦った。
うわーんっ! 怖いよう!! 動物愛護精神はないのか!!!
馬車の停留所はまだまだ先だ。私は表通りが危険だと判断して、裏通りを行くことにした。
ますます行動が猫っぽくなってきた気がするけど、もうここまで来たら気にしないことにしよう……。
裏通りはひっそりとしていて人通りはほとんどない。陽の光が差し込まないからか、湿った石畳やレンガのにおいがした。時々裏口の前に置かれている布袋はゴミだろう。
人間も馬車もほとんどやってこないみたいだし、これなら楽勝だわと意気揚々と歩いていたその時だった。
「おい、いたぞ。猫だ」
「よし、メスならこれで十匹目だぞ! 捕まえろ!!」
頭上から男二人の声が聞こえたので、何事かと驚いて顔を上げると、なんと大きな網が降ってきたのである。
「ニャァァアアアッッ!?」
体に絡まってパニックになり暴れる。だけど、網目が裂けないように細かくなっていて。暴れれば暴れるほど動けなくなった。
どうしてこんなところで網なの!? まさか豊洲の魚市場に出荷されるわけ!?
「おっ、メスだ。よし、これで依頼達成だな」
うまいこと網でラッピングされた私を、建物の影から現れた男が抱き上げる。
「ニャーッ!! フーッ!!」
「威勢のいいやつだな。こいつも可哀そうに」
もう一人の男が威嚇する私の顔を覗き込んで溜息を吐いた。
「しっかし、あの伯爵夫人とやらも頭おかしいよなあ。メス猫の肝臓を乾燥させて磨り潰して飲むと若さが保てるとか言ってんだろ」
な、な、な、なんだってー!!
ホラーな情報に体がすくみ上がり、絶句する私に追い打ちが掛けられる。
「いや、それがな。今貴族の奥方の間の口コミで評判になっているらしいんだよ。そんで、これだけ猫狩りの依頼が多いってわけ。そこまでして年取りたくないもんかねえ」
「まあ、俺たちにゃ関係ないことさ」
ひょいと背中に担ぎ上げられながら、私は世の中の恐ろしさに震えるしかなかった。
まさか今世が漢方ならぬカレリア方薬になって終わるとは思わなかった。
ううう、アトス様ごめんなさい! あなたの言った通り外は危険でした!
私が連れて行かれたのは石造りの地下倉庫らしい。壁際にはワインの樽や穀物の麻袋が並べられている。薄暗くてカビ臭くて今すぐにでも掃除したくなった。
奥にはいくつもの小さな檻が置かれていて、中には私と同じ境遇のラッピング猫が転がっていた。黒猫、三毛猫、キジトラ猫に長毛種とバリエーション豊かだ。
「ニャー!! ミギャァァアア!!」
「ウォオオオオゥウウ。ウウウー」
皆怒って怯えているのがわかる。不安がビリビリと空気で伝わってくる。
「じゃ、五時んなったら運び出すぞ」
「了解。もう一人連れてくるわ」
男二人が姿を消しても猫たちは唸ったままだ。私はもう一度網を解こうと格闘したけど無理で、三十分もするとすっかり疲れてひげを後ろに向けた。
こんなことになるなんて思わなかった。社畜でも奴隷でもいいからアトス様の膝の上に戻りたい。でも、死んでしまったらもう会えないんだろうな。またこの世界に生まれ変われるとは限らない。そう思うと胸がズキズキと痛んだ。「いい子ですよ」って撫でてほしかったな……。
観念して辞世の句を読もうとしたものの、いざとなるとこれが結構難しい。
退職金・結局もらって・いなかった。どうせなら・来世も奴隷で・酒池肉林。社畜社畜・ああ社畜社畜・社畜社畜。
うーん、どれもいまいちでしっくりこない。
簀巻き状態のまま推敲を重ねていると、猫たちの唸り声が不意に止んだ。男たちが戻ってきたのだろうか。いよいよカレリア方薬に加工されるのか。享年十七歳ってちょっと短すぎやしませんか……。
ところが、倉庫にやって来たのは猫さらいどもではなかった。すらりとした体に濃い金の毛並み、同じ色の瞳のオス猫だったのだ。アビシニアンに近いだろうか。頬に十字の傷跡があって、首には黒いバンダナを巻いている。
私は目を見開いてこれはチャンスと助けを求めた。
「ニャ、ニャ、ニャー!!」
ちょっとそこのお兄さん、助けてくださいな!
しかし、何度か鳴いたところではっとする。
獣の猫にはどうも言葉がないみたいで、鳴き声で感情を伝え合うことはできても、それ以上のやり取りはどうにもならない。この辺がなんだかんだで人間の獣人との差なのだろう。
第一、なんとか話が通じたとしても、猫がどうやって網を解けるというのだろう。詰んだ。完全詰んだと絶望したその時だった。アビシニアンもどきが確かにこう呟いたのだ。
「まさか、カレリアでお仲間と……それもメスに会えるとはな……」
えっ、今の人間の言葉じゃなかった!?
目を剥く私の間でアビシニアンもどきの影が歪む。そして、たちまち人の姿を取って私を見下ろした。
ラフに散らばった濃い金髪に純金のような瞳、すらりと高い背のイケメンだった。まだ男の子といった感じのやんちゃな表情からして、人間では十代後半から二十歳、つまり同年代だろうか。やっぱり頬にはくっきりした十字傷がある。全裸ではなく忍者に似た黒服を着ていた。
金髪忍者は私の閉じ込められた檻の前にしゃがみ込む。
「よう。あんた猫族なんだろ? 名前はなんてんだ?」
アトス様のお屋敷は私に……というよりは猫に、暮らしやすくなっていたのだと初めて気づく。アトス様も執事もメイドも皆優しくて、すぐ腰を屈めてくれるから怖くもなかった。
おまけに歩道をフラフラ歩く酔ったオッサンや、私の姿を見るなり顔をしかめるオバサンがいて、時には蹴っ飛ばされそうになって焦った。
うわーんっ! 怖いよう!! 動物愛護精神はないのか!!!
馬車の停留所はまだまだ先だ。私は表通りが危険だと判断して、裏通りを行くことにした。
ますます行動が猫っぽくなってきた気がするけど、もうここまで来たら気にしないことにしよう……。
裏通りはひっそりとしていて人通りはほとんどない。陽の光が差し込まないからか、湿った石畳やレンガのにおいがした。時々裏口の前に置かれている布袋はゴミだろう。
人間も馬車もほとんどやってこないみたいだし、これなら楽勝だわと意気揚々と歩いていたその時だった。
「おい、いたぞ。猫だ」
「よし、メスならこれで十匹目だぞ! 捕まえろ!!」
頭上から男二人の声が聞こえたので、何事かと驚いて顔を上げると、なんと大きな網が降ってきたのである。
「ニャァァアアアッッ!?」
体に絡まってパニックになり暴れる。だけど、網目が裂けないように細かくなっていて。暴れれば暴れるほど動けなくなった。
どうしてこんなところで網なの!? まさか豊洲の魚市場に出荷されるわけ!?
「おっ、メスだ。よし、これで依頼達成だな」
うまいこと網でラッピングされた私を、建物の影から現れた男が抱き上げる。
「ニャーッ!! フーッ!!」
「威勢のいいやつだな。こいつも可哀そうに」
もう一人の男が威嚇する私の顔を覗き込んで溜息を吐いた。
「しっかし、あの伯爵夫人とやらも頭おかしいよなあ。メス猫の肝臓を乾燥させて磨り潰して飲むと若さが保てるとか言ってんだろ」
な、な、な、なんだってー!!
ホラーな情報に体がすくみ上がり、絶句する私に追い打ちが掛けられる。
「いや、それがな。今貴族の奥方の間の口コミで評判になっているらしいんだよ。そんで、これだけ猫狩りの依頼が多いってわけ。そこまでして年取りたくないもんかねえ」
「まあ、俺たちにゃ関係ないことさ」
ひょいと背中に担ぎ上げられながら、私は世の中の恐ろしさに震えるしかなかった。
まさか今世が漢方ならぬカレリア方薬になって終わるとは思わなかった。
ううう、アトス様ごめんなさい! あなたの言った通り外は危険でした!
私が連れて行かれたのは石造りの地下倉庫らしい。壁際にはワインの樽や穀物の麻袋が並べられている。薄暗くてカビ臭くて今すぐにでも掃除したくなった。
奥にはいくつもの小さな檻が置かれていて、中には私と同じ境遇のラッピング猫が転がっていた。黒猫、三毛猫、キジトラ猫に長毛種とバリエーション豊かだ。
「ニャー!! ミギャァァアア!!」
「ウォオオオオゥウウ。ウウウー」
皆怒って怯えているのがわかる。不安がビリビリと空気で伝わってくる。
「じゃ、五時んなったら運び出すぞ」
「了解。もう一人連れてくるわ」
男二人が姿を消しても猫たちは唸ったままだ。私はもう一度網を解こうと格闘したけど無理で、三十分もするとすっかり疲れてひげを後ろに向けた。
こんなことになるなんて思わなかった。社畜でも奴隷でもいいからアトス様の膝の上に戻りたい。でも、死んでしまったらもう会えないんだろうな。またこの世界に生まれ変われるとは限らない。そう思うと胸がズキズキと痛んだ。「いい子ですよ」って撫でてほしかったな……。
観念して辞世の句を読もうとしたものの、いざとなるとこれが結構難しい。
退職金・結局もらって・いなかった。どうせなら・来世も奴隷で・酒池肉林。社畜社畜・ああ社畜社畜・社畜社畜。
うーん、どれもいまいちでしっくりこない。
簀巻き状態のまま推敲を重ねていると、猫たちの唸り声が不意に止んだ。男たちが戻ってきたのだろうか。いよいよカレリア方薬に加工されるのか。享年十七歳ってちょっと短すぎやしませんか……。
ところが、倉庫にやって来たのは猫さらいどもではなかった。すらりとした体に濃い金の毛並み、同じ色の瞳のオス猫だったのだ。アビシニアンに近いだろうか。頬に十字の傷跡があって、首には黒いバンダナを巻いている。
私は目を見開いてこれはチャンスと助けを求めた。
「ニャ、ニャ、ニャー!!」
ちょっとそこのお兄さん、助けてくださいな!
しかし、何度か鳴いたところではっとする。
獣の猫にはどうも言葉がないみたいで、鳴き声で感情を伝え合うことはできても、それ以上のやり取りはどうにもならない。この辺がなんだかんだで人間の獣人との差なのだろう。
第一、なんとか話が通じたとしても、猫がどうやって網を解けるというのだろう。詰んだ。完全詰んだと絶望したその時だった。アビシニアンもどきが確かにこう呟いたのだ。
「まさか、カレリアでお仲間と……それもメスに会えるとはな……」
えっ、今の人間の言葉じゃなかった!?
目を剥く私の間でアビシニアンもどきの影が歪む。そして、たちまち人の姿を取って私を見下ろした。
ラフに散らばった濃い金髪に純金のような瞳、すらりと高い背のイケメンだった。まだ男の子といった感じのやんちゃな表情からして、人間では十代後半から二十歳、つまり同年代だろうか。やっぱり頬にはくっきりした十字傷がある。全裸ではなく忍者に似た黒服を着ていた。
金髪忍者は私の閉じ込められた檻の前にしゃがみ込む。
「よう。あんた猫族なんだろ? 名前はなんてんだ?」