屋敷に辿り着くと、玄関前の庭先には使用人たちがずらりと並んで、二人を待ち受けていた。
そしてその中央には、一組の男女の姿がある。
男性の方は先日、顔を合わせたヴァレリィの父親。
女性の方はその奥方だろう。
多少年齢を感じさせるものの、目じりに優しげな皺の浮かぶ上品な女性であった。
「父上、母上、ただいま戻りました」
「うむ、待ち侘びたぞ!」
そして父親は、リュカに向かって破顔する。
「ははは! 婿殿! よく参られた。それにしてもあらためて顔を合わせると、婿殿はやはり頼りないな!」
「父上……最初からそう申しておるではありませんか」
「アナタ、ヴァレリィ、失礼ですわよ」
誰がどう見たって、ヴァレリィに釣り合う男ではないのだ。リュカとしては苦笑するしかない。
「いえいえ奥方さま、公爵さまの仰る通りですから。実際俺ってば、ほんとに頼りないんですよね。今からでも遅くありません。どうか『私の目は節穴だった。やはりこんな軟弱者との婚姻などなかったことにしよう』とかなんとか言ってやってください」
「な! 貴様! 父上の目を節穴だと! この無礼者!」
途端にヴァレリィが声を荒げ、奥方はぽかんとした顔をして首を傾げる。だがその途端、父親の大きな笑い声が響き渡った。
「うわはははははははっ! 面白い! 実に面白い男だな、君は。我が娘よ、まさにお前の申しておった通りの男ではないか。面の皮が厚いし、碌に空気を読む気も無い。こいつは大物に化けるやもしれんぞ。見てくれはどうしようもないが、それもまた良し。碌でもない女に言い寄られて、浮気に走る恐れも無かろうて」
「アナタ、先ほどよりも、もっと失礼なことをおっしゃってますわよ」
奥方が呆れ混じりにそう窘めると、ヴァレリィが大きく頷いて声を上げる。
「そうです、父上! ワタクシはこの男がクズだ、無能だ、役立たずだと散々申して参りましたが、見た目については、そこまで酷いとは……」
「ほう、お前はこういう見てくれが好みか?」
「な、ち、違います! 人の容姿をあげつらうのは、貴族の嗜みとしてそぐわぬと思っただけです! こやつの中身は大嫌いですが、見た目がそれほど嫌いという訳では……。一応、その、妻としての覚悟を決めた訳ですから、その、夫への謂われのない中傷は……」
話の途中からしどろもどろになったかと思うと、最後には顔を真っ赤にして俯いてしまった娘の姿に、両親は一瞬ぽかんとした表情になる。
だがそのすぐ後、リュカの目に映ったのは、ヴァレリィの両親がなにか微笑ましいものでも見たかのような顔で、温かな視線を絡み合わせる姿であった。
◇ ◇ ◇
「うわはははははははっ!」
「ち、父上、なにもそんなに笑わなくとも良いではありませんか!」
ヴァレリィがぷぅっと頬を膨らませると、父親がにんまりと揶揄うような顔をした。
リュカたちは今、大広間に通されて、両親とともに豪勢な料理の並べられたテーブルを囲んでいる。
なんとも騒がしい父娘のやりとり。それをよそにリュカは身を縮めて、おずおずと手近な料理へと手を伸ばしている。
そっと視線を上げて観察してみれば、心底楽しげな父親の笑い顔。そのすぐ隣に寄り添って、口元を手で隠しながら上品に笑う奥方。父親に揶揄われてはヴァレリィが慌てふためいて声を上げている。
どうやら家族の仲はすこぶる良好らしい。
「しかし、見れば見るほどに婿殿は頼りないな」
「アナタ、また……。失礼ですわよ」
話の矛先が唐突に自分の方へと向いたことに気付いて、リュカは思わず身を跳ねさせる。
「何が失礼なものか。娘の婿ともなれば、これから先は我が息子となるのだ。言うべきことは言うとも。まあ、少々頼りなくとも問題ない。私がみっちり鍛えてやれば、たとえ赤子であろうともひと月もあれば素手で熊を縊り殺せるぐらいにはなる。どうだ婿殿? ひと月ぐらいはこちらにおれるのだろう? なんなら長期の休暇をとれるように私から口添えしてやろうではないか」
「え……あ、いや、その」
ヴァレリィのしごきを思い出し、恐らくはそれ以上であろう父親のしごきを想像して、リュカは思わず頬を引き攣らせる。
そんな彼を見かねたという訳ではないのだろうが、ヴァレリィが口を挟んだ。
「父上、我々は数日のうちに戦地に向かわねばなりませぬ。明日には王都に戻らねばならぬのです」
「むう……そうか。そうであったな。ならばそれは戦地から戻った後の楽しみにとっておくとしよう。王家への忠誠を尽くし、その身を粉にして働いてくるがいい」
「無論です。忠誠無比と音に聞こえしサヴィニャック家の娘として、その婿として、恥ずかしくない働きをして参りますとも」
忠誠無比とは大げさなようにも思えるが、それこそがサヴィニャック家の誇りなのだそうだ。
「ところで婿殿、君は我が娘のことをどう思っておるのだ?」
「ど、どう?」
唐突な父親の問いかけに、リュカが思わず引き攣った愛想笑いを浮かべると、ヴァレリィが不貞腐れたような顔をした。
「どうせ、口うるさくて気ばかりが強いメスゴリラとでも思っておるに決まっています。実際、私は数か月前に、こやつが「あのメスゴリラめ」などと愚痴っておるのを耳にしておりますから」
あの時には本当に殺されるかと思った。
振り向けばそこにヴァレリィが立っていたのだ。
「ほう、そうなのか? 婿殿」
「あ、あれは言葉のアヤというか、その……今みたいな恰好だと、その、とってもかわいらしいな、と、その、うん、えーと……好みのタイプです、はい」
(見た目だけは)と胸の内で付け加えながら、リュカはどうにか話を取り繕う。本心ではメスゴリラだと思っていても、さすがにそれを口に出す訳にはいかない。
ところが彼のこの発言に、ヴァレリィは意外な反応を見せた。
「こ、好みのタイプ……き、貴様は、そ、そ、そ、そんな目で私を見ておったのか」
彼女は果実の熟れるがごとくに真っ赤になって、そのまま黙り込んでしまったのだ。
それを目にした父親は益々上機嫌になって、大きな笑い声を上げた。
「うむ、結構! 結構! わはははは!」
娘が婿を連れて帰ってきたのがよほどうれしかったのか、結局、終始大はしゃぎと言ってもよいぐらいのはしゃぎっぷりである。
そして夕食が終わるや否や、父親ははしゃぎっぷりもそのままに、勢い余ったのかとんでもないことを言い出した。
「婿殿、この屋敷はな、風呂が自慢なのだ。夫婦の絆を深める良い機会だ。我が娘とともに入ってくるといい!」
「はいぃ!?」
リュカは思わず椅子の上で身を跳ねさせる。
ヴァレリィの方を盗み見ると、彼女は顔を真っ赤にして、リュカを睨んでいた。
「くっ……こうなったら……」
奥歯をギリリと鳴らす彼女の姿に、リュカは思わず震え上がった。
(こ、殺される!)
「お、俺は団長をた、大切にしたいので、その、そういう色々は戦地から帰ってきてからにしようって心に決めてるんです。そうです! そ、その方が生きて帰ってこようという気になりますから!」
「なるほど、今時珍しいほど禁欲的な男だな、婿殿は。うむ、だが男とはそうでなくてはならん。よし! わかった。ならば今夜はワシと父子の絆を深めることにしようではないか!」
「は?」
リュカが思わずぽかんと口を開けた途端、父親は瞬きする間もなく彼へと歩み寄り、その身体をひょいと小脇に抱え上げた。
「ちょ、ちょま!」
「うわはははは! では婿殿! 男同士の裸の付き合いといこうではないか!」
「だ、団長! な、なんとかしてください!」
「知らん」
「だんちょぉおおおお!」
遠ざかっていくリュカの悲鳴じみた声を聴きながら、ヴァレリィは「ばか……」と小声で呟いた。
彼女は彼女なりに、妻の務めとして一緒に風呂に入る覚悟を決めたというのに、庇ったつもりか、彼がそれをあっさりと断ってしまったのだ。
ホッとしたというのが本心ではあるが、一方では折角決めた覚悟の行き場を持て余して、どうにも腑に落ちない心地でもある。
ぷぅと頬を膨らませる娘の姿に、母親は上品に目を細めた。
そしてその中央には、一組の男女の姿がある。
男性の方は先日、顔を合わせたヴァレリィの父親。
女性の方はその奥方だろう。
多少年齢を感じさせるものの、目じりに優しげな皺の浮かぶ上品な女性であった。
「父上、母上、ただいま戻りました」
「うむ、待ち侘びたぞ!」
そして父親は、リュカに向かって破顔する。
「ははは! 婿殿! よく参られた。それにしてもあらためて顔を合わせると、婿殿はやはり頼りないな!」
「父上……最初からそう申しておるではありませんか」
「アナタ、ヴァレリィ、失礼ですわよ」
誰がどう見たって、ヴァレリィに釣り合う男ではないのだ。リュカとしては苦笑するしかない。
「いえいえ奥方さま、公爵さまの仰る通りですから。実際俺ってば、ほんとに頼りないんですよね。今からでも遅くありません。どうか『私の目は節穴だった。やはりこんな軟弱者との婚姻などなかったことにしよう』とかなんとか言ってやってください」
「な! 貴様! 父上の目を節穴だと! この無礼者!」
途端にヴァレリィが声を荒げ、奥方はぽかんとした顔をして首を傾げる。だがその途端、父親の大きな笑い声が響き渡った。
「うわはははははははっ! 面白い! 実に面白い男だな、君は。我が娘よ、まさにお前の申しておった通りの男ではないか。面の皮が厚いし、碌に空気を読む気も無い。こいつは大物に化けるやもしれんぞ。見てくれはどうしようもないが、それもまた良し。碌でもない女に言い寄られて、浮気に走る恐れも無かろうて」
「アナタ、先ほどよりも、もっと失礼なことをおっしゃってますわよ」
奥方が呆れ混じりにそう窘めると、ヴァレリィが大きく頷いて声を上げる。
「そうです、父上! ワタクシはこの男がクズだ、無能だ、役立たずだと散々申して参りましたが、見た目については、そこまで酷いとは……」
「ほう、お前はこういう見てくれが好みか?」
「な、ち、違います! 人の容姿をあげつらうのは、貴族の嗜みとしてそぐわぬと思っただけです! こやつの中身は大嫌いですが、見た目がそれほど嫌いという訳では……。一応、その、妻としての覚悟を決めた訳ですから、その、夫への謂われのない中傷は……」
話の途中からしどろもどろになったかと思うと、最後には顔を真っ赤にして俯いてしまった娘の姿に、両親は一瞬ぽかんとした表情になる。
だがそのすぐ後、リュカの目に映ったのは、ヴァレリィの両親がなにか微笑ましいものでも見たかのような顔で、温かな視線を絡み合わせる姿であった。
◇ ◇ ◇
「うわはははははははっ!」
「ち、父上、なにもそんなに笑わなくとも良いではありませんか!」
ヴァレリィがぷぅっと頬を膨らませると、父親がにんまりと揶揄うような顔をした。
リュカたちは今、大広間に通されて、両親とともに豪勢な料理の並べられたテーブルを囲んでいる。
なんとも騒がしい父娘のやりとり。それをよそにリュカは身を縮めて、おずおずと手近な料理へと手を伸ばしている。
そっと視線を上げて観察してみれば、心底楽しげな父親の笑い顔。そのすぐ隣に寄り添って、口元を手で隠しながら上品に笑う奥方。父親に揶揄われてはヴァレリィが慌てふためいて声を上げている。
どうやら家族の仲はすこぶる良好らしい。
「しかし、見れば見るほどに婿殿は頼りないな」
「アナタ、また……。失礼ですわよ」
話の矛先が唐突に自分の方へと向いたことに気付いて、リュカは思わず身を跳ねさせる。
「何が失礼なものか。娘の婿ともなれば、これから先は我が息子となるのだ。言うべきことは言うとも。まあ、少々頼りなくとも問題ない。私がみっちり鍛えてやれば、たとえ赤子であろうともひと月もあれば素手で熊を縊り殺せるぐらいにはなる。どうだ婿殿? ひと月ぐらいはこちらにおれるのだろう? なんなら長期の休暇をとれるように私から口添えしてやろうではないか」
「え……あ、いや、その」
ヴァレリィのしごきを思い出し、恐らくはそれ以上であろう父親のしごきを想像して、リュカは思わず頬を引き攣らせる。
そんな彼を見かねたという訳ではないのだろうが、ヴァレリィが口を挟んだ。
「父上、我々は数日のうちに戦地に向かわねばなりませぬ。明日には王都に戻らねばならぬのです」
「むう……そうか。そうであったな。ならばそれは戦地から戻った後の楽しみにとっておくとしよう。王家への忠誠を尽くし、その身を粉にして働いてくるがいい」
「無論です。忠誠無比と音に聞こえしサヴィニャック家の娘として、その婿として、恥ずかしくない働きをして参りますとも」
忠誠無比とは大げさなようにも思えるが、それこそがサヴィニャック家の誇りなのだそうだ。
「ところで婿殿、君は我が娘のことをどう思っておるのだ?」
「ど、どう?」
唐突な父親の問いかけに、リュカが思わず引き攣った愛想笑いを浮かべると、ヴァレリィが不貞腐れたような顔をした。
「どうせ、口うるさくて気ばかりが強いメスゴリラとでも思っておるに決まっています。実際、私は数か月前に、こやつが「あのメスゴリラめ」などと愚痴っておるのを耳にしておりますから」
あの時には本当に殺されるかと思った。
振り向けばそこにヴァレリィが立っていたのだ。
「ほう、そうなのか? 婿殿」
「あ、あれは言葉のアヤというか、その……今みたいな恰好だと、その、とってもかわいらしいな、と、その、うん、えーと……好みのタイプです、はい」
(見た目だけは)と胸の内で付け加えながら、リュカはどうにか話を取り繕う。本心ではメスゴリラだと思っていても、さすがにそれを口に出す訳にはいかない。
ところが彼のこの発言に、ヴァレリィは意外な反応を見せた。
「こ、好みのタイプ……き、貴様は、そ、そ、そ、そんな目で私を見ておったのか」
彼女は果実の熟れるがごとくに真っ赤になって、そのまま黙り込んでしまったのだ。
それを目にした父親は益々上機嫌になって、大きな笑い声を上げた。
「うむ、結構! 結構! わはははは!」
娘が婿を連れて帰ってきたのがよほどうれしかったのか、結局、終始大はしゃぎと言ってもよいぐらいのはしゃぎっぷりである。
そして夕食が終わるや否や、父親ははしゃぎっぷりもそのままに、勢い余ったのかとんでもないことを言い出した。
「婿殿、この屋敷はな、風呂が自慢なのだ。夫婦の絆を深める良い機会だ。我が娘とともに入ってくるといい!」
「はいぃ!?」
リュカは思わず椅子の上で身を跳ねさせる。
ヴァレリィの方を盗み見ると、彼女は顔を真っ赤にして、リュカを睨んでいた。
「くっ……こうなったら……」
奥歯をギリリと鳴らす彼女の姿に、リュカは思わず震え上がった。
(こ、殺される!)
「お、俺は団長をた、大切にしたいので、その、そういう色々は戦地から帰ってきてからにしようって心に決めてるんです。そうです! そ、その方が生きて帰ってこようという気になりますから!」
「なるほど、今時珍しいほど禁欲的な男だな、婿殿は。うむ、だが男とはそうでなくてはならん。よし! わかった。ならば今夜はワシと父子の絆を深めることにしようではないか!」
「は?」
リュカが思わずぽかんと口を開けた途端、父親は瞬きする間もなく彼へと歩み寄り、その身体をひょいと小脇に抱え上げた。
「ちょ、ちょま!」
「うわはははは! では婿殿! 男同士の裸の付き合いといこうではないか!」
「だ、団長! な、なんとかしてください!」
「知らん」
「だんちょぉおおおお!」
遠ざかっていくリュカの悲鳴じみた声を聴きながら、ヴァレリィは「ばか……」と小声で呟いた。
彼女は彼女なりに、妻の務めとして一緒に風呂に入る覚悟を決めたというのに、庇ったつもりか、彼がそれをあっさりと断ってしまったのだ。
ホッとしたというのが本心ではあるが、一方では折角決めた覚悟の行き場を持て余して、どうにも腑に落ちない心地でもある。
ぷぅと頬を膨らませる娘の姿に、母親は上品に目を細めた。