スターゲイザー 少女の残骸と流星の詩

 ヒラリィが溜め息を漏らした次の瞬間、突然オリガの全身から冷気が噴き上がった。

 降り注ぐ雨粒が凍り付き、音を立てて地面へと転げ落ちる。

 事ここに至っては自分が『首狩り(ヘツドハント)』だということを隠そうという気も失ったらしい。

 彼女は刀身に冷気を纏わせてリュカを睨みつけると、静かに足を踏み出した。

 斜めにカットされた特徴的な前髪。

 その下で、黒い目が爛々と光っていた。

 彼女は獰猛な獣のような目つきでリュカを見据えて、一歩、また一歩と近づいてくる。

「下がっててください、団長」

「い、いや、しかし、お前の腕では……」

 リュカは戸惑うヴァレリィを背後に(かば)うと、オリガを見据えたまま剣を引き抜いた。

「貴様ごときが、私に敵うとでも思っているのか?」

「当たり前だ。オリガ。お前はまだ俺の質問に答えちゃいない、簡単に死んでくれるなよ」

「ハッ! 挑発しているつもりか? 滑稽としか言いようがないな。何を企んでいるのかは知らんが、貴様ごとき三下に何が出来るというのだ」

 彼女は小馬鹿にするように頬を緩めると、わずかに腰を落とす。

 それはゆっくりとした挙動。

 落としたものを拾おうとするような、ごく自然な動き。

 リュカが無意識に彼女のことを目で追ったその瞬間――オリガは唐突にその身体を宙に躍らせた。

 しなる全身のバネ。

 襲い掛かる肉食獣のごとき素早さ。

 蹴りつけた地面で泥が跳ねあがり、凍り付いた飛沫(しぶき)が宙に弧を描く。

 目線を下へと誘導されたせいで、上段からの攻撃に対して一拍の遅れが生じた。

 充分にあったはずの間合いが、一瞬にして危険極まりない距離へと変わり、リュカは頬を引き()らせる。

(くっ! 速ぇ!)

「旦那さまっ!」

「死ねぇぇえええええッ!」

 ヴァレリィの悲鳴じみた声が背後で響き、オリガが雄叫びとともに力任せに剣を振り上げた。

 甲高い風斬り音を立てながら冷たい(やいば)が迫ってくる。

 いかにも騎士らしい真っ直ぐな剣筋。

 刀身に纏わりついた冷気が空気を凍てつかせて、青白い弧を描いた。

 リュカは手にした剣を掲げて、それを迎え撃つ。

 その姿を目にして、オリガの顔には獰猛な笑みが浮かんだ。

 彼女の脳裏には、剣ごと真っ二つになるリュカの姿が描きだされているに違いなかった。

 だが、そうはならなかった。

「なっ、なにぃ!?」

 剣と剣がぶつかり合ったその瞬間、あまりの手ごたえの無さにオリガが驚愕の声を上げた。

 風に流れる落ち葉のごとくに、リュカが斜めに掲げた剣、その刀身をオリガの斬撃がただ滑り落ちていく。

 衝撃は完全に殺され、まるで導かれるかのように剣先がなすすべもなく地面を穿(うが)った。

 凍り付く泥水。

 砕けた氷の粒が、宙空へと跳ね上がる。

 その白い飛沫(しぶき)の向こう側でオリガの頬が引き()って歪むのを見た。

 だがそれで終わりではない。

 今度はリュカの剣がオリガの剣、その(やいば)をなぞるように彼女の方へと迫っていく。

 これが、これこそがリュカが父親から盗み取った秘剣――『()(ほたる)

 いかな剛剣であろうと自在に受け流し、そのまま反撃へと繋げる攻防一体の剣技。

 暗闇ならば、刃と刃がこすれ合って火花が散り、まるで蛍が落ちるかのような軌跡を描くことからその名が付いた。

 だが、

「くっ! このっ! ()めるなぁああ!」

 驚きはしたものの、オリガとて凡百の騎士ではない。

 彼女は獣のように声を上げると、躊躇(ちゆうちよ)なく剣を投げ捨てリュカの喉元めがけて手を伸ばす。

 剣がダメなら組手。

 首の骨をへし折ってそれで終わり。

 そのはずだった。

 だが、リュカは彼女の手首を掴むと、いとも簡単にそれを()じり上げ、彼女は抵抗する(いとま)もなくあっさりと地面に引き倒された。

 慌てて手を振り払い、飛びのくオリガ。

 彼女は自らの手を不思議そうに眺めた後、リュカに向かって声を荒げた。

「なんだ、貴様は! 一体何者なのだ!」

 その問いかけに、乱れた襟元を整えながら、リュカはスッと目を細める。

()()()()

 その一言にヴァレリィは息を呑み、オリガは片眉を吊り上げた。

 もちろん二人ともその名を知らぬ訳ではない。

 だが実在するなどとは考えたことも無かった。

 いわば、おとぎ話の登場人物が目の前に現れたようなものだ。

 王家に仇なす者を断罪する恐ろしい暗殺者。

 狙われたら最後、逃げ延びられる可能性は万に一つも無いと聞く。

 貴族の子女なら一度は親に『良い子にしないと暗殺貴族がやってくるぞ』などと脅かされた経験があるはずだ。

「バカな! ハッタリもそこまでいけば滑稽としか言いようがないわ! 貴様のようなナヨナヨした男が暗殺貴族だと! バカも休み休みに言え!」

「滑稽なのはアンタの方だと思うがね。今ので格の違いもわからないようじゃ、話にもならねぇな」

「うるさい、黙れ!」

 猛々しい物言いとは裏腹に、彼女の瞳は戸惑いを宿して不安げに揺らいでいた。

「さぁて……洗いざらい喋ってもらうぞ、首狩り(ヘツドハント)!」