重苦しい静寂がただでさえ静かな森に舞い降りた。

 同時に一雫(ひとしずく)の水滴が空から落ちてきて、リュカの顎をなぞって滑り落ちる。

 どうにも雲行きが良くない。

 薄曇りの空が暗さを増している。

 このまま雨になりそうな気配である。

 (うつむ)いたままだったオリガが静かに顔を上げた。

 そこに浮かんでいたのは呆れ混じりの(さげす)みの表情。

 彼女は一つため息をつくと、肩をすくめてこう言った。

「……頭の病気かなにかを患ってるんじゃないのか? 妄想もそこまでいけば立派なものだ」

「本当に肝が据わってるよな。演技派だよ、アンタ」

「仮に、私がその首狩り(ヘツドハント)とやらだったとして、どうだというのだ!」

「ん? どうもしないな。誰が首狩り(ヘツドハント)かなんてのは実際どうでも良いんだ」

「「どうでも良いのか!?」」

 オリガとヴァレリィが思わずユニゾンで声を上げる。

 さすがはかつての友というべきか。息ピッタリの見事なツッコミである。

 リュカは、思わず吹き出しそうになりながら頷いた。

「ああ、どうでもいい。そういうヤツがこの場にいたっていう前提で話ができればそれでいいんだ。で、本題に話を戻すけど」

「……もはや、どこが本題なのかわからないぞ、旦那さま」

「姫殿下、いや、姫殿下もどきの身体がどこに消えたかって話ですけど……ね。結論から言えば、どこにも消えちゃいないんです」

「はい?」

 思わず首を傾げるヴァレリィ、その鼻先をリュカがピンと指で弾いた。

「あたっ!」

「団長が言ったんじゃありませんか。誓って誰も入っていないし、出てもいないって。つまり、あの部屋から無くなったものは何も無い。そうでしょう?」

「それは、理屈ではそうだが……」

「いいですか? あの部屋にあったものと言えば、姫殿下もどきの首と血まみれの夜着、それと大量の血。ってことはです、逆に考えていけば首は首、夜着は夜着。だとすれば無くなった身体ってのは、その大量の血って考えるのが自然じゃありませんか」

「いや、どう考えても不自然だろ……」

 これにはオリガも真顔で突っ込む。

 話があまりにも飛躍している。

 敵味方の関係を忘れて、ヴァレリィもコクコクと頷いた。

「そ、そうだぞ! 旦那さま。肉は、骨は、どこへ行ったのだ」

「だ! か! ら! さっきから言ってるじゃありませんか、無くなったものは何も無いって。最初から無かったんですってば肉も骨も。団長は御存じないでしょうけれど、首狩り(ヘツドハント)はある特殊なモノを持っています。王家の宝物庫から消えた宝玉の一つ『氷河の結晶』ってヤツなんですけどね。そいつは、どんなものでも凍りつかせる宝玉です。そんなモノを持ったヤツがいて、そこにあったものが首と血だけだとしたら、答えはあっさり見えてくるでしょ? 凍らせた血の上に首が乗ってたってだけの話ですよ」

「な、なるほ…………いや、いや、いや! おかしいだろ!」

 ヴァレリィは一瞬納得しそうになった後、ブンブンと首を振った。

「それはさすがにありえない! 最後に私が見た姫殿下はちゃんと人の形をしていたぞ。ほとんどシルエットではあったが、指先までちゃんと人の形をしていた。凍らせた血を削って人の形にしたとでもいうのか? それこそ無理な話ではないか! オリガは幼年学校時代でも手入れのために剣から(つか)をはずしたら、自分で元に戻せぬほどの不器用者なのだぞ! 夜営訓練では食材を問わず謎の黒い塊を作り出した空前絶後の粗忽者(そこつもの)なのだぞ!」

「そういうことをバラすなっ!」

 オリガが予想外の流れ弾で被弾し、思わず素に戻って顔を覆う。

 リュカは、あわあわと指で宙を掻くヴァレリィを見据えて肩をすくめた。

「別に器用じゃなくても何の問題もないでしょ? (かた)に流し込めば済む話ですから」

(かた)?」

「そうですよ。あるじゃありませんか、完璧な(かた)が。首から下、手の指先から足のつま先まで完全密閉。ピッタリとフィットして完全に覆いつくす優れモノで、水も漏らさぬ密閉度。そんな姫殿下の身体の形そのものの型が」

「っ!? 拘束着か!」

「そうです。あの黒革の拘束着を(かた)にして、中に流し込んだ血を凍らせ、姫殿下の身体を形作る。そこに夜着を着せ首を乗せて、はい、姫殿下もどきの出来上がりって訳です。おそらく首は凍らせて持ち込んだんでしょうね。断面の白い骨がはっきりわかるぐらいですから殺されたのは随分前だと思いますけど」

 呆然とするヴァレリィに、リュカは口元を歪めて見せる。

「で、あの部屋にぶちまけられていたのは、エルネストたちから抜き取った血。あいつらが姫殿下の部屋の隣に吊られてたのも、単純にそこが作業しやすかったからでしょう。自前の騎士たちの護衛区域ですからね。作業中にウチの連中が近寄ってくる心配もありません。今にして思えば、姫殿下がわざわざあの拘束着を見せびらかしたのは、変態的な用途を印象づけるためだったのかも。万一見つかることがあっても、他の用途を想像させないようにね」

 リュカは芝居がかった調子で両手を広げ空を仰いだ。

 徐々に雨脚は強まりつつある。

「部屋の鍵を掛けたのはオリガ。当然かけたフリをしただけでしょう。時間が経てば血は溶けます。いや、溶け残ったものが無かったところをみると、凍結状態を解除できるのかもしれません。そして、ベッドの上に落ちた首が音を立てて血の匂いが漂えば、団長は当然確認しようとするはずです。団長が足を滑らせて気を失ったのは、まあ……計算外だったんだと思います。慌てて扉の外へ出てくる想定だったんでしょうが。外の扉の前にオリガ、そしてそこに俺を引き留めたのは、団長の他に姫殿下を殺せる人間がいなかったことを俺に証言させるためでしょうよ」

 オリガは俯いたままその場に佇んでいた。

 雨脚は刻一刻と強くなって、彼女の甲冑から水の雫が滴り落ち、地面には水たまりができ始めている。

「オリガ、俺がアンタに聞きたかったのは、姫殿下はなんでこんなことをしたのかってことさ。随分な手間暇をかけて。どうしてそこまでして団長を(おとしい)れようとした! アンベールの仇のつもりなのかもしれないが、腹だち混じりに九族まるごとやっちまえって話なら、八つ当たりだとしても度が過ぎるだろ!」

 オリガはゆっくりと顔を上げると、静かに口を開いた。

「正直予想外だったぞ。貴様がこれほど頭が切れるとは思ってもみなかった」

「俺が普段、どれだけ頭を使ってサボってると思ってやがる!」

 雨が降っていた。静寂の中に全てを押し込めるような、しとしとと重苦しい降り方をしていた。

 呆気にとられたような沈黙の中で、

「なんで、自慢げやねん……」

 ヒラリィが思わずツッコみを入れた。