澄んだ水を湛える美しい湖。その湖畔をひと際大きな馬車が一両、ゆっくりと走っていた。
フロインヴェールの西の国境近く、メルヴィル湖という名の湖である。
風光明媚なその湖畔には、王家が避暑に利用する白亜の離宮が佇んでいる。
夏も終わりに近づき秋の気配。もはや、そこには誰の姿も見当たらない。
そんな離宮のエントランスで馬車を停めて、御者台から銀髪のメイドが飛び降りる。
彼女はキャビンに歩み寄ると、そっと扉を開けて中へと声を掛けた。
「……ついた」
「うむ……ご苦労じゃったの」
メイドが差し出した手を取って降りてきたのは、白い夜着を纏ったヴェルヌイユ姫である。
足に包帯は巻かれておらず、彼女は自分の足で静かに地に降りた。
「私は流星になりたい、か……」
彼女は周囲を見回し、愛した男がこの地で謡じた想い出の詩の一節をそっと舌先にのせた。
◇ ◇ ◇
「それは、一体……ど、どういうことだ? 姫殿下が生きておられるだと!?」
手枷が邪魔でうまく起き上がることができないのだろう。
ヴァレリィはリュカの胸に頬を寄せたまま身を捩って彼の顔を覗き込む。
彼が何を言っているのか理解できなかったのだ。
だが、彼女が顔を上げるのとほぼ同時に御者台でミリィが切羽詰まった声を上げた。
「いちゃいちゃすんのは後にしてくれへんか!」
見れば、オリガの乗る大型馬車が荷馬車の前へ出て、左右に蛇行しながら道を塞いでいる。
森の一本道、曲がってやり過ごせるような脇道もない。
ヴァレリィを取り戻せばもはやオリガに用は無い。
当初の予定では彼女を救い出したら、ぶっちぎってそのまま逃げてしまうつもりだったのだが、計算が狂った。
本来であれば、荷馬車の方が脚は速いのだが、ヴァレリィを受け止めるために速度を落とした一瞬のタイミングで、大型馬車に前へ出られてしまったのだ。
「停めてくれ、ミリィ」
「ええんか?」
「ああ、ここでケリをつけるさ」
リュカはヴァレリィの肩を抱いて身を起こし、ミリィが手綱を引いて荷馬車を停車させる。 少し先の方でオリガを乗せた大型馬車も速度を落とし、やがて停まった。
車輪の音が消え去ってしまうと、朝靄の立ち込める森の中に、静寂が舞い降りた。ぶるると馬の嘶きが聞こえて、その直後にタッと短い着地音が響く。
リュカの目に大型馬車から飛び降りるオリガの姿が映った。
彼女のその手には抜きはらわれた剣が握られている。
その切っ先をリュカたちの方へと向けて、彼女は怒声を張り上げた。
「貴様ァ! 自分が何をしているのかわかっているのか! その女に関われば貴様も同罪! 姫殿下殺しの罪に連座して死にたいのか!」
リュカは荷台から飛び降りると、挑むようにオリガを見据えた。
「いつ姫殿下が死んだ? 大した演技だったよ、オリガ。もしこれが団長だったら二秒でバレてるところだ」
「わ、私を引き合いに出すな!」
「褒めてるんですってば。人を騙して平然としてるような腹黒女は、俺の好みじゃないし」
「そ、そうか……私はお前の好みか、そうか……」
デレデレと嬉しそうに身を捩るヴァレリィの姿に、御者台のへりに肘をついたミリィが、ヒラリィへと呆れ声を漏らした。
「隙あらばイチャイチャしようとしよんなぁ……腹立つわぁ」
「ほんまやで」
二人の呟きが聞こえた訳ではないだろうが、ヴァレリィは思い出したかのように目を見開いた。
「し、しかし、旦那さまよ。我々は実際に姫殿下の死体を見たではないか!」
「本当に姫殿下の首でしたか?」
「な、なにを言っているのかわからん。あれを姫殿下以外の誰かだと言い張るのは、さすがに無理がありすぎるだろう。扉を閉じる際、姫殿下がベットに腰かけておられるのを見た。お前も確かに見たはずだ。直前までお話されていた声も聞いている。確かに姫殿下はあの部屋の中におられた。そこから私はずっと部屋の前に居たのだ。誓って部屋に出入りした者はいない! 他の誰かに入れ替わることなど、どう考えても出来はしないではないか!」
「ま、そう思いますよね。俺も少し前まではそう思ってましたよ、まんまとね」
「……ち、違うのか?」
戸惑いの表情を浮かべるヴァレリィに、リュカはニッと笑いかける。
オリガはじっと彼を睨んだまま。
ここで小馬鹿にしてこない時点でオリガは認めてしまったも同然だ。と、彼は胸の内で苦笑した。
「団長、死体を見つけた時に、部屋の中に転がってたものを思い出してみてください」
「転がっていたもの? ベッドの上に姫殿下の御首、あとは……そうだな。お召しになっていた夜着が大量の血にまみれていたぐらいだと……」
「足の添え木はどこに行きました?」
ヴァレリィは「はっ!?」と息を呑む。
「扉が閉じる時、姫殿下はベッドに座っておられましたけど、その足に添え木は付いていませんでした。足を折った人間が寝るときにいちいち添え木を外すと思います? 外しませんよね。寝てる間に骨がズレたらくっつくものもくっつきませんから。部屋から出て来た時にメイドやオリガ、誰も添え木なんて持ってませんでしたし。じゃあ添え木はどこへ行ったと思います?」
「な……わ、わからん、どういうことだ?」
「決まってます。姫殿下の足についたままですよ。つまりあれは姫殿下じゃないってことです」
「バカな! どこで入れ替わったというのだ。隠し部屋への道すがら、私は姫殿下といくらか言葉を交わしたぞ。お前も話をしていたではないか! あれは断じて他の誰でも無い、確かに姫殿下だった!」
「そりゃそうです。あれは本物の姫殿下ですから」
その一言に、ヴァレリィの頭上に大きな疑問符が浮かぶ。
彼女はぐぬぬぬと呻いたかと思うと、喚くように声を上げた。
「わからん! 全然わからん! 旦那さまよ。意地悪しないでわかるように言ってくれ!」
「じゃあ聞きますけど、隠し部屋に移ったあの時、姫殿下の車椅子を押してたのは誰でしたか?」
「誰って……関係あるのか、そんなことが?」
「もちろん」
「……覚えてはいないが、あの銀髪のメイドではないのか?」
「違います。押していたのはオリガですよ。おかしいと思いませんか? エルネストたちが殺られて、姫殿下は喰人鬼に襲われるー! なーんて怯えてたのに、率先して周囲を警戒しなきゃいけないはずのオリガが車椅子を押してたんです。そうしなきゃならない理由があったんだよな。な! オリガ!」
リュカはオリガの方へ向き直り、挑発するような笑みを浮かべる。
彼女は身じろぎ一つせず、じっとリュカを睨みつけていた。
「思い出してみてくださいよ、団長。姫殿下がエロい下着を持ち出した時、あのメイドは衣装箱が重くて持てないって言ってたじゃありませんか。あのメイドは非力なんです。つまりあの時、メイドの力じゃ押せないぐらい車椅子が重かったってこと。そりゃそうですよね。姫殿下の体重に加えて、もう一人分の重さが加わってるんだから」
「なっ!?」
「それが、あの車椅子がバカみたいにデカい理由です。中は空洞であの時、そこには姫殿下の身代わりが入ってたって訳です。まったく馬鹿にされたもんですね。言い換えれば、あの車椅子は最初から姫殿下が自分の死を演出するための大道具だったって訳ですよ」
「最初から……? つまりそれは、ひ、姫殿下が私を陥れたと……そういうことか?」
「残念ながら、そういうことです」
ヴァレリィは目を見開いたまま固まっている。
頭が理解するのを拒んでいる、リュカの目にはそう見えた。
無理もない。自分を陥れようとしたのが敬愛する王家の人間――姫殿下だというのだから。
「着替えと称して俺らを隠し部屋の外に出した後、車椅子の中から身代わりを引っ張り出してベッドに座らせ、姫殿下自身は車椅子の中に隠れる。自分が部屋の中にいると思い込ませるために、必要以上に声高に喋って、最後には僕らに身代わりの姿を目撃させた。僕らはまんまと部屋の中に姫殿下がいると思い込んだまま、本物の姫殿下はメイドが押す車椅子に隠れて脱出した、そうだよな? オリガ」
「ふっ、バカバカしい……。では聞くが、その身代わりというのは一体、誰だ?」
「さあな。全くそっくりの人間ってのはさすがに無理がある。だが、ヴェールで顔を隠しちまえば、よく似た輪郭の人間もいるだろうよ。どうせ最後は首だけになっちまうんだ」
「いや、だが……それでは」
ヴァレリィが唇を震わせたその瞬間、オリガのけたたましい笑い声が響き渡った。
「はははははははは! まったく何を言い出すかと聞いていれば、バカバカしい。貴様が想像力豊かなのはよくわかった。騎士ではなく劇作家にでもなった方が大成したかもしれんぞ? では、なぜ首だけを残して身体が消えた? それこそ、その女が喰人鬼である証拠ではないか!」
途端に、リュカは悔しげに唇を噛み締めて項垂れる。
「そこなんだよな……そこがわからなかったんだ」
「それみたことか! 貴様の浅知恵などそんなものだ。こじつけで姫殿下を貶めた罪は決して許されるものではないぞ!」
勝ち誇ったように胸を張るオリガ。だが、リュカは静かに顔を上げると、
「確かにわからなかったよ。城砦を出るあたりまでは、な」
と、犬歯をむき出しにして、獲物を見つけた肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。
「なんだと!?」
思わず目を見開くオリガ。そんな彼女をほったらかして、リュカはヴァレリィの肩を抱く。
「団長、『首狩り』ってのを覚えてますか?」
「無論だ。そ、それがどうした? なにか関係があるのか?」
「鈍いなぁ……まあそこもかわいいとは思いますけど」
「か、かわいい……そ、そうか、かわいいの……か、え、えへへ」
ヴァレリィが恥じらうように身を捩ると、背後で双子がジトっとした目をする。
「絶対わざと惚気てるで、あれ」
「言うたったら可哀そうやろ。女出来て、舞上がっとんねんて」
そんな双子の呟きなど聞こえないフリをして、リュカはヴァレリィへと問いかけた。
「首を刈る殺人鬼と、首だけになった姫殿下と言えば、わかりますよね?」
「まさか、あの姫さまの御首が首狩りが刈り取った女の首だと……?」
「正確には逆ですけどね。姫殿下の身代わりにするために首を刈ってたのが首狩りってことですから。姫殿下そっくりの輪郭の持ち主を探し出すのに、一体何人殺したことやら」
リュカはあらためてオリガの方へと向き直る。
「もう全部ネタはあがってるんだ、観念したらどうだ?」
そして、彼女の方へと指を突きつけて、こう言い放った。
「オリガ! いや、首狩り!」
フロインヴェールの西の国境近く、メルヴィル湖という名の湖である。
風光明媚なその湖畔には、王家が避暑に利用する白亜の離宮が佇んでいる。
夏も終わりに近づき秋の気配。もはや、そこには誰の姿も見当たらない。
そんな離宮のエントランスで馬車を停めて、御者台から銀髪のメイドが飛び降りる。
彼女はキャビンに歩み寄ると、そっと扉を開けて中へと声を掛けた。
「……ついた」
「うむ……ご苦労じゃったの」
メイドが差し出した手を取って降りてきたのは、白い夜着を纏ったヴェルヌイユ姫である。
足に包帯は巻かれておらず、彼女は自分の足で静かに地に降りた。
「私は流星になりたい、か……」
彼女は周囲を見回し、愛した男がこの地で謡じた想い出の詩の一節をそっと舌先にのせた。
◇ ◇ ◇
「それは、一体……ど、どういうことだ? 姫殿下が生きておられるだと!?」
手枷が邪魔でうまく起き上がることができないのだろう。
ヴァレリィはリュカの胸に頬を寄せたまま身を捩って彼の顔を覗き込む。
彼が何を言っているのか理解できなかったのだ。
だが、彼女が顔を上げるのとほぼ同時に御者台でミリィが切羽詰まった声を上げた。
「いちゃいちゃすんのは後にしてくれへんか!」
見れば、オリガの乗る大型馬車が荷馬車の前へ出て、左右に蛇行しながら道を塞いでいる。
森の一本道、曲がってやり過ごせるような脇道もない。
ヴァレリィを取り戻せばもはやオリガに用は無い。
当初の予定では彼女を救い出したら、ぶっちぎってそのまま逃げてしまうつもりだったのだが、計算が狂った。
本来であれば、荷馬車の方が脚は速いのだが、ヴァレリィを受け止めるために速度を落とした一瞬のタイミングで、大型馬車に前へ出られてしまったのだ。
「停めてくれ、ミリィ」
「ええんか?」
「ああ、ここでケリをつけるさ」
リュカはヴァレリィの肩を抱いて身を起こし、ミリィが手綱を引いて荷馬車を停車させる。 少し先の方でオリガを乗せた大型馬車も速度を落とし、やがて停まった。
車輪の音が消え去ってしまうと、朝靄の立ち込める森の中に、静寂が舞い降りた。ぶるると馬の嘶きが聞こえて、その直後にタッと短い着地音が響く。
リュカの目に大型馬車から飛び降りるオリガの姿が映った。
彼女のその手には抜きはらわれた剣が握られている。
その切っ先をリュカたちの方へと向けて、彼女は怒声を張り上げた。
「貴様ァ! 自分が何をしているのかわかっているのか! その女に関われば貴様も同罪! 姫殿下殺しの罪に連座して死にたいのか!」
リュカは荷台から飛び降りると、挑むようにオリガを見据えた。
「いつ姫殿下が死んだ? 大した演技だったよ、オリガ。もしこれが団長だったら二秒でバレてるところだ」
「わ、私を引き合いに出すな!」
「褒めてるんですってば。人を騙して平然としてるような腹黒女は、俺の好みじゃないし」
「そ、そうか……私はお前の好みか、そうか……」
デレデレと嬉しそうに身を捩るヴァレリィの姿に、御者台のへりに肘をついたミリィが、ヒラリィへと呆れ声を漏らした。
「隙あらばイチャイチャしようとしよんなぁ……腹立つわぁ」
「ほんまやで」
二人の呟きが聞こえた訳ではないだろうが、ヴァレリィは思い出したかのように目を見開いた。
「し、しかし、旦那さまよ。我々は実際に姫殿下の死体を見たではないか!」
「本当に姫殿下の首でしたか?」
「な、なにを言っているのかわからん。あれを姫殿下以外の誰かだと言い張るのは、さすがに無理がありすぎるだろう。扉を閉じる際、姫殿下がベットに腰かけておられるのを見た。お前も確かに見たはずだ。直前までお話されていた声も聞いている。確かに姫殿下はあの部屋の中におられた。そこから私はずっと部屋の前に居たのだ。誓って部屋に出入りした者はいない! 他の誰かに入れ替わることなど、どう考えても出来はしないではないか!」
「ま、そう思いますよね。俺も少し前まではそう思ってましたよ、まんまとね」
「……ち、違うのか?」
戸惑いの表情を浮かべるヴァレリィに、リュカはニッと笑いかける。
オリガはじっと彼を睨んだまま。
ここで小馬鹿にしてこない時点でオリガは認めてしまったも同然だ。と、彼は胸の内で苦笑した。
「団長、死体を見つけた時に、部屋の中に転がってたものを思い出してみてください」
「転がっていたもの? ベッドの上に姫殿下の御首、あとは……そうだな。お召しになっていた夜着が大量の血にまみれていたぐらいだと……」
「足の添え木はどこに行きました?」
ヴァレリィは「はっ!?」と息を呑む。
「扉が閉じる時、姫殿下はベッドに座っておられましたけど、その足に添え木は付いていませんでした。足を折った人間が寝るときにいちいち添え木を外すと思います? 外しませんよね。寝てる間に骨がズレたらくっつくものもくっつきませんから。部屋から出て来た時にメイドやオリガ、誰も添え木なんて持ってませんでしたし。じゃあ添え木はどこへ行ったと思います?」
「な……わ、わからん、どういうことだ?」
「決まってます。姫殿下の足についたままですよ。つまりあれは姫殿下じゃないってことです」
「バカな! どこで入れ替わったというのだ。隠し部屋への道すがら、私は姫殿下といくらか言葉を交わしたぞ。お前も話をしていたではないか! あれは断じて他の誰でも無い、確かに姫殿下だった!」
「そりゃそうです。あれは本物の姫殿下ですから」
その一言に、ヴァレリィの頭上に大きな疑問符が浮かぶ。
彼女はぐぬぬぬと呻いたかと思うと、喚くように声を上げた。
「わからん! 全然わからん! 旦那さまよ。意地悪しないでわかるように言ってくれ!」
「じゃあ聞きますけど、隠し部屋に移ったあの時、姫殿下の車椅子を押してたのは誰でしたか?」
「誰って……関係あるのか、そんなことが?」
「もちろん」
「……覚えてはいないが、あの銀髪のメイドではないのか?」
「違います。押していたのはオリガですよ。おかしいと思いませんか? エルネストたちが殺られて、姫殿下は喰人鬼に襲われるー! なーんて怯えてたのに、率先して周囲を警戒しなきゃいけないはずのオリガが車椅子を押してたんです。そうしなきゃならない理由があったんだよな。な! オリガ!」
リュカはオリガの方へ向き直り、挑発するような笑みを浮かべる。
彼女は身じろぎ一つせず、じっとリュカを睨みつけていた。
「思い出してみてくださいよ、団長。姫殿下がエロい下着を持ち出した時、あのメイドは衣装箱が重くて持てないって言ってたじゃありませんか。あのメイドは非力なんです。つまりあの時、メイドの力じゃ押せないぐらい車椅子が重かったってこと。そりゃそうですよね。姫殿下の体重に加えて、もう一人分の重さが加わってるんだから」
「なっ!?」
「それが、あの車椅子がバカみたいにデカい理由です。中は空洞であの時、そこには姫殿下の身代わりが入ってたって訳です。まったく馬鹿にされたもんですね。言い換えれば、あの車椅子は最初から姫殿下が自分の死を演出するための大道具だったって訳ですよ」
「最初から……? つまりそれは、ひ、姫殿下が私を陥れたと……そういうことか?」
「残念ながら、そういうことです」
ヴァレリィは目を見開いたまま固まっている。
頭が理解するのを拒んでいる、リュカの目にはそう見えた。
無理もない。自分を陥れようとしたのが敬愛する王家の人間――姫殿下だというのだから。
「着替えと称して俺らを隠し部屋の外に出した後、車椅子の中から身代わりを引っ張り出してベッドに座らせ、姫殿下自身は車椅子の中に隠れる。自分が部屋の中にいると思い込ませるために、必要以上に声高に喋って、最後には僕らに身代わりの姿を目撃させた。僕らはまんまと部屋の中に姫殿下がいると思い込んだまま、本物の姫殿下はメイドが押す車椅子に隠れて脱出した、そうだよな? オリガ」
「ふっ、バカバカしい……。では聞くが、その身代わりというのは一体、誰だ?」
「さあな。全くそっくりの人間ってのはさすがに無理がある。だが、ヴェールで顔を隠しちまえば、よく似た輪郭の人間もいるだろうよ。どうせ最後は首だけになっちまうんだ」
「いや、だが……それでは」
ヴァレリィが唇を震わせたその瞬間、オリガのけたたましい笑い声が響き渡った。
「はははははははは! まったく何を言い出すかと聞いていれば、バカバカしい。貴様が想像力豊かなのはよくわかった。騎士ではなく劇作家にでもなった方が大成したかもしれんぞ? では、なぜ首だけを残して身体が消えた? それこそ、その女が喰人鬼である証拠ではないか!」
途端に、リュカは悔しげに唇を噛み締めて項垂れる。
「そこなんだよな……そこがわからなかったんだ」
「それみたことか! 貴様の浅知恵などそんなものだ。こじつけで姫殿下を貶めた罪は決して許されるものではないぞ!」
勝ち誇ったように胸を張るオリガ。だが、リュカは静かに顔を上げると、
「確かにわからなかったよ。城砦を出るあたりまでは、な」
と、犬歯をむき出しにして、獲物を見つけた肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。
「なんだと!?」
思わず目を見開くオリガ。そんな彼女をほったらかして、リュカはヴァレリィの肩を抱く。
「団長、『首狩り』ってのを覚えてますか?」
「無論だ。そ、それがどうした? なにか関係があるのか?」
「鈍いなぁ……まあそこもかわいいとは思いますけど」
「か、かわいい……そ、そうか、かわいいの……か、え、えへへ」
ヴァレリィが恥じらうように身を捩ると、背後で双子がジトっとした目をする。
「絶対わざと惚気てるで、あれ」
「言うたったら可哀そうやろ。女出来て、舞上がっとんねんて」
そんな双子の呟きなど聞こえないフリをして、リュカはヴァレリィへと問いかけた。
「首を刈る殺人鬼と、首だけになった姫殿下と言えば、わかりますよね?」
「まさか、あの姫さまの御首が首狩りが刈り取った女の首だと……?」
「正確には逆ですけどね。姫殿下の身代わりにするために首を刈ってたのが首狩りってことですから。姫殿下そっくりの輪郭の持ち主を探し出すのに、一体何人殺したことやら」
リュカはあらためてオリガの方へと向き直る。
「もう全部ネタはあがってるんだ、観念したらどうだ?」
そして、彼女の方へと指を突きつけて、こう言い放った。
「オリガ! いや、首狩り!」