「糸口が見つからねぇな……」
キルフェ城砦地下の独房で、リュカは独りそう呟いた。
天井近くに開いた小窓が唯一の光源である、昼なお暗いジメジメとした場所。壁の隙間から染み出した雨水が水たまりに跳ねる音が響き、ときおり鉄格子の向こう側の通路をオリガの配下の騎士が独り行き来しながら、独房の中を恐ろしく冷たい目で覗き込む。
ヴァレリィもどこかに監禁されているのだとは思うが、リュカには彼女の居所は知らされていない。
リュカは壁にもたれ掛かって、膝の間に顔を埋める。
ゆっくり考えるにはむしろ良い機会だと、彼は昨日のあの不可解な出来事を最初から振り返ってみることにした。
事の始まり、この不可解な出来事の起点を思い起こすとすれば、それは捕虜が一名逃げ出したと聞かされたあの時だろう。
同僚のユーディンは、この居なくなった捕虜のことをテルノワールの人間らしい大柄な若い男だったと、そう言っていた。
だが騎士たちが総出で探したにもかかわらず、そいつは一向に見つからなかった。
ここまでくれば、この捕虜は嵐に紛れて遠くへ逃げてしまったと考えるのが妥当だろう。
その次は、吊られた三人の騎士たち。
ヴァレリィの言う通りなら、彼らの身体から血が抜き取られていることになるのだが、その抜き取られた血は見つかっていない。
目的は何だ? なんで血を抜き取った?
普通に考えれば、その逃げ出した捕虜の仕業と考えるのが自然なのだろうが、目的が全くわからない。
何より不可解なのは騎士たちが吊られていた場所だ。
あの辺りは姫殿下の子飼いの騎士たちが警護していたはずなのだが、餌食になったのは金鷹騎士団の同僚たち。
つまりは、エルネストたちをわざわざあそこまで運んできて吊しあげたということだ。
そこまでするからには、それにも何か意味があるはずだ。
(たとえば、姫殿下を怖がらせるため……とか?)
もしそうなら効果は覿面だったと言わざるを得ない。
壁を隔てたすぐ隣で血抜き、つまり人間を食べるための加工が行われていたという事実は、姫殿下を震え上がらせ、喰人鬼の存在を知る彼女を盛大に怯えさせた。
(……待てよ? 仮に怯えさせることが目的だったとすれば、姫殿下が『喰人鬼』を調べていることを知っている人間の仕業ってことになるのか?)
もしそうだとしたら、疑わしい者の数はかなり絞られる。
確実に犯人じゃないヴァレリィと当の姫殿下を除外すれば、最も怪しいのは、オリガと銀髪のメイドということになる……のか?
だが、この二人を怪しんでみても、結局姫殿下が殺されたあの部屋に入ることが出来なかったという時点で、犯人から除外するしかない。
姫殿下が『安全な場所に移りたい』、そう言いだしてから部屋を移るまではわずか一刻ほど。
リュカたち以外にもあの部屋の存在を知っていた者がいて、しかも都合よく鍵がもう一本あって、そいつが自由に出入りできた。
今度はあえて、そういう前提で思考を巡らせてみる。
だが、やはりそれはどうにも無理がある。
当然だ。あそこでリュカとヴァレリィがあの秘密の部屋のことを姫殿下に伝えるかどうかなど、誰にもわかる訳が無いのだから。
そしてあの部屋に入った時点で、姫殿下には誰も手出しは出来なかったはずだ。
リュカはそこで一旦思考を切り替える。
彼は昨日の出来事を順に思い起こし始めた。
記憶は鮮明。姫殿下の着ていたドレスの皺の形まで鮮明に思い出せる。
やはり強く違和感を抱くのは、隠し部屋へと移動する際、姫殿下がヴェールで顔を覆っていたことだ。
『化粧していない顔を見られたくない』
女というのはそういうものだと言われてしまえば、そうですねとしか言いようがないのだが、顔を隠していたのは事実だ。
実はあれが姫殿下では無く、別人だったという可能性は……無いな。
リュカ自身、移動中に彼女とは何度も言葉を交わしている。
あれは間違いなく姫殿下だった。
それに姫殿下であろうがなかろうが、扉を閉じた後は、誰も出入り出来なかったはずなのだ。
問題はそこなのだ。
(扉を閉じた後は不可能……か? じゃあ、その前なら……)
思い起こしてみれば、ほんの数分だがリュカとヴァレリィが姫殿下から目を離したタイミングがある。姫殿下が部屋に入った後、着替えをする時だ。
あの時は確かヴァレリィが扉を閉め、リュカとヴァレリィは扉の前で通路の方を警戒していた。
この間ならオリガとメイドが姫殿下を殺すことも……いや、やはり無理か。
この間にも部屋の中からは引っ切り無しに姫殿下の話し声は聞こえていたし、オリガが外に出た後は部屋の奥へと声をかけ、姫殿下がそれに返事をするのも聞いている。
なによりリュカ自身、閉まっていく扉の隙間から、自分自身の目で、ベッドに腰かける姫殿下の姿を目にしているのだ。
思いっきり穿った見方をして、この時点で姫殿下はすでに殺されていて、死体を座っているように見せかけたのだとしても、今度は、その死体の首以外の部分はどこへ消えたという疑問に、とって代わられるだけだ。
(やっぱり糸口が見つからねぇ)
いくら知恵を絞ってみても、現時点では、『ヴァレリィが姫殿下を喰った』なんていう荒唐無稽な話が最も辻褄があってしまうのだから、それは舌打ちの一つもしたくなる。
(団長……落ち込んでんだろうな)
珍しくもリュカはヴァレリィに会いたいと、本心からそう思った。
キルフェ城砦地下の独房で、リュカは独りそう呟いた。
天井近くに開いた小窓が唯一の光源である、昼なお暗いジメジメとした場所。壁の隙間から染み出した雨水が水たまりに跳ねる音が響き、ときおり鉄格子の向こう側の通路をオリガの配下の騎士が独り行き来しながら、独房の中を恐ろしく冷たい目で覗き込む。
ヴァレリィもどこかに監禁されているのだとは思うが、リュカには彼女の居所は知らされていない。
リュカは壁にもたれ掛かって、膝の間に顔を埋める。
ゆっくり考えるにはむしろ良い機会だと、彼は昨日のあの不可解な出来事を最初から振り返ってみることにした。
事の始まり、この不可解な出来事の起点を思い起こすとすれば、それは捕虜が一名逃げ出したと聞かされたあの時だろう。
同僚のユーディンは、この居なくなった捕虜のことをテルノワールの人間らしい大柄な若い男だったと、そう言っていた。
だが騎士たちが総出で探したにもかかわらず、そいつは一向に見つからなかった。
ここまでくれば、この捕虜は嵐に紛れて遠くへ逃げてしまったと考えるのが妥当だろう。
その次は、吊られた三人の騎士たち。
ヴァレリィの言う通りなら、彼らの身体から血が抜き取られていることになるのだが、その抜き取られた血は見つかっていない。
目的は何だ? なんで血を抜き取った?
普通に考えれば、その逃げ出した捕虜の仕業と考えるのが自然なのだろうが、目的が全くわからない。
何より不可解なのは騎士たちが吊られていた場所だ。
あの辺りは姫殿下の子飼いの騎士たちが警護していたはずなのだが、餌食になったのは金鷹騎士団の同僚たち。
つまりは、エルネストたちをわざわざあそこまで運んできて吊しあげたということだ。
そこまでするからには、それにも何か意味があるはずだ。
(たとえば、姫殿下を怖がらせるため……とか?)
もしそうなら効果は覿面だったと言わざるを得ない。
壁を隔てたすぐ隣で血抜き、つまり人間を食べるための加工が行われていたという事実は、姫殿下を震え上がらせ、喰人鬼の存在を知る彼女を盛大に怯えさせた。
(……待てよ? 仮に怯えさせることが目的だったとすれば、姫殿下が『喰人鬼』を調べていることを知っている人間の仕業ってことになるのか?)
もしそうだとしたら、疑わしい者の数はかなり絞られる。
確実に犯人じゃないヴァレリィと当の姫殿下を除外すれば、最も怪しいのは、オリガと銀髪のメイドということになる……のか?
だが、この二人を怪しんでみても、結局姫殿下が殺されたあの部屋に入ることが出来なかったという時点で、犯人から除外するしかない。
姫殿下が『安全な場所に移りたい』、そう言いだしてから部屋を移るまではわずか一刻ほど。
リュカたち以外にもあの部屋の存在を知っていた者がいて、しかも都合よく鍵がもう一本あって、そいつが自由に出入りできた。
今度はあえて、そういう前提で思考を巡らせてみる。
だが、やはりそれはどうにも無理がある。
当然だ。あそこでリュカとヴァレリィがあの秘密の部屋のことを姫殿下に伝えるかどうかなど、誰にもわかる訳が無いのだから。
そしてあの部屋に入った時点で、姫殿下には誰も手出しは出来なかったはずだ。
リュカはそこで一旦思考を切り替える。
彼は昨日の出来事を順に思い起こし始めた。
記憶は鮮明。姫殿下の着ていたドレスの皺の形まで鮮明に思い出せる。
やはり強く違和感を抱くのは、隠し部屋へと移動する際、姫殿下がヴェールで顔を覆っていたことだ。
『化粧していない顔を見られたくない』
女というのはそういうものだと言われてしまえば、そうですねとしか言いようがないのだが、顔を隠していたのは事実だ。
実はあれが姫殿下では無く、別人だったという可能性は……無いな。
リュカ自身、移動中に彼女とは何度も言葉を交わしている。
あれは間違いなく姫殿下だった。
それに姫殿下であろうがなかろうが、扉を閉じた後は、誰も出入り出来なかったはずなのだ。
問題はそこなのだ。
(扉を閉じた後は不可能……か? じゃあ、その前なら……)
思い起こしてみれば、ほんの数分だがリュカとヴァレリィが姫殿下から目を離したタイミングがある。姫殿下が部屋に入った後、着替えをする時だ。
あの時は確かヴァレリィが扉を閉め、リュカとヴァレリィは扉の前で通路の方を警戒していた。
この間ならオリガとメイドが姫殿下を殺すことも……いや、やはり無理か。
この間にも部屋の中からは引っ切り無しに姫殿下の話し声は聞こえていたし、オリガが外に出た後は部屋の奥へと声をかけ、姫殿下がそれに返事をするのも聞いている。
なによりリュカ自身、閉まっていく扉の隙間から、自分自身の目で、ベッドに腰かける姫殿下の姿を目にしているのだ。
思いっきり穿った見方をして、この時点で姫殿下はすでに殺されていて、死体を座っているように見せかけたのだとしても、今度は、その死体の首以外の部分はどこへ消えたという疑問に、とって代わられるだけだ。
(やっぱり糸口が見つからねぇ)
いくら知恵を絞ってみても、現時点では、『ヴァレリィが姫殿下を喰った』なんていう荒唐無稽な話が最も辻褄があってしまうのだから、それは舌打ちの一つもしたくなる。
(団長……落ち込んでんだろうな)
珍しくもリュカはヴァレリィに会いたいと、本心からそう思った。