(団長を庇うのは妻だからとか、好きだからだとか、そういうことじゃない。王族殺しの罪に連座させられたら堪らないからだ。仕方なく、あくまで仕方無くだ)
リュカが自分自身へと言い訳を始めるのとほぼ同時に、ヴァレリィは静かに立ち上がり、オリガをじっと見据える。
そしてこう言い放った。
「オリガ! お前の怒りはもっともだ。良かろう。私を斬るがいい!」
「ちょ!? おま! な、何言ってんの!?」
これにはさすがに、リュカも驚愕の声を上げた。
(人の気も知らないで! 勝手に覚悟を決めるのはやめろ!)
リュカが胸の内で地団駄を踏むのをよそに、ヴァレリィは手甲を外して血まみれの顔を袖で拭い、武人らしい凛とした雰囲気を漂わせる。
「姫殿下をお守りできなかったのは事実だからな。だが、騎士の誇りに掛けて誓おう。姫殿下を弑したのは、断じて私ではない」
「人喰いの化け物が騎士を語るな!」
「……やはり、信じてはもらえぬのだな」
ヴァレリィは寂しげに微笑み、オリガは静かに目を閉じて一つ息を吸う。そして、彼女は再び剣を高く振り上げた。
「良いだろう。私とて貴様を苦しませたいとは思わん。一撃で首を落としてやろうではないか」
一瞬にして蚊帳の外へと追いやられたリュカは、思わず胸の内で喚き散らす。
(待て! 待て! 待て! お前らはそれでいいかもしれないけど、巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃないぞ!)
もはや手段を選んではいられない。リュカは必死の形相でオリガの方へと詰め寄った。
「ちょっと待てよ! ここで団長を殺したら、次はアンタが疑われることになるぞ!」
リュカのその言葉に、オリガはピタリと動きを止めた。
「……どういう意味だ」
してやったり。
不愉快げに目を細めるオリガに、リュカはあえて揶揄うような口調でこう言い放つ。
「俺がそう証言するからだよ。俺が寝ている間に姫殿下とヴァレリィが殺されていた! 犯人はオリガ、アンタだってな!」
「なっ! 貴様! そんな無茶苦茶な話があるか! そんな偽証を信じる者などいる訳がない!」
(ああ、そうだ。無理筋なのはわかってる)
だが、リュカは余裕たっぷりに笑みを浮かべた。
「信じる者? いるさ! 信じるって言っても俺のことをじゃないぞ。団長のことをだ。団長って人間のバカみたいな真っ直ぐさは、騎士なら誰だって知ってる。国王陛下や王太子殿下だってご存じのはずだ。俺とアンタ、どちらの言葉が信じられるかは言うまでもないだろ!」
「言わせておけば、調子に乗りおって!」
オリガは怒りに顔を歪めながらリュカを睨みつける。
今にも剣を振るって彼へと襲い掛かってきそうな気配すらある。だが、それならそれでかまわない。
真実などどうでもいいのだ。そんなものは犬にでも喰わしてしまえばいい。
今必要なのは、ヴァレリィが姫殿下殺害の犯人だというこの状況から抜け出すこと。
いっそのことオリガをブッ殺して犯人に仕立て上げてしまえば、全てが丸く収まるのだ。
だが次の瞬間、睨みあうリュカとオリガの間に、ヴァレリィがその身を差し入れる。そして彼を抱きしめると、その耳元に囁きかけた。
「旦那さま……もういい、もういいんだ。お前が私のためにこれほどに一生懸命になってくれたというその事実だけで、私は笑って死んで行ける。お前の妻であることを誇りに思うぞ」
今にも泣き出しそうな顔のままに微笑むヴァレリィ。
だがそれとは裏腹に、リュカはあきれ果てたとでもいうような仏頂面になって、彼女の額を指先でピンと弾いた。
「勘違いしないでくれません? 俺まで巻き込まれちゃかなわないってだけですから」
「あ、え、その、なんだ……すまん」
ヴァレリィは困惑するような表情のままに固まって、オリガはその瞳に軽蔑の色を宿す。
何とも居心地の悪い沈黙が狭い部屋の中に居座って、転がったままの姫殿下の首ですら、ため息を吐いたかのような錯覚を覚えた。
「……なんという見下げ果てたヤツだ、貴様は。クズだ。やっぱりクズだ!」
「自分がクズなことを否定したことなんてないぞ、俺は」
リュカがそう言い放つと、オリガは毒気を抜かれたような顔で肩をすくめた。
「いいだろう。貴様の口車に乗ってやる。ヴァレリィを王都へ移送し、公正なる裁きを受けさせてやろうではないか。それなら文句はあるまい!」
「ああ、それでかまわない」
とりあえずは時間を稼げただけでも良しとせねばなるまい。
あとはどうにかしてヴァレリィが姫殿下を殺したのではないという証拠を手に入れるだけだ。最悪、証拠をでっちあげてしまえばいい。
だがオリガは、リュカのそんな考えを見透かしたかのようにニヤリと笑った。
「ではリュカ、貴様には牢に入ってもらおう」
「はぁあ!?」
「当たり前だ、貴様がグルではないという保証はない。この後、何らかの偽装工作でもされてはかなわんからな。ここは姫殿下の御遺体を回収した後、部下たちに徹底的に調べさせる。隠し扉の一つも見つかることを祈るのだな!」
◇ ◇ ◇
「ふわぁ、なんやねん……騒がしなぁ」
ヒラリィが褐色の裸身に白いシーツを巻きつけて、ベッドの上で身を起こすと、
「んぁあ……もー朝ごはんなん?」
白い下着姿のミリィが寝ぼけ眼を擦りながら、ポリポリと首筋を掻いた。
まだ陽も昇りきっていないというのに、外から馬車の音、馬の嘶き、人の声。
実際は、大して騒がしいという訳でもないのだが、気になり始めるとおちおち寝てもいられない。
彼女たちの部屋は別棟の二階。
姫殿下や他の侍女たちの部屋から遠く離れた一画を割り当てられている。
到着初日に大騒ぎしたのが拙かったのか、完全に隔離状態。「姫殿下のお世話を……」と訴えても間に合っていると返されて、真面に近づくことすら出来やしない。
「ほんま、何しに来たんやろな、ウチら」
ヒラリィは満面に不機嫌さをにじませながら窓の傍へと歩み寄り、眼下を覗き込む。
昨晩の激しい雨は既に降りやんでいて、水たまりだらけの門前の広場に、姫殿下専用の、例の大きな馬車が引き出されているのが見えた。
「んん、なんや? まさかもう帰り支度かいな?」
彼女の目に映ったのは、銀髪のメイドが誰も座っていない空の車椅子を、後部から馬車に積み込んでいるところ。数名の騎士たちとオリガがその様子を眺めていた。
「なあ、なあ、ミリィ、なにやってんねやろ、あれ?」
「んー? どーしたん?」
ミリィがベッドを降りて窓の下を覗き込む頃には、車椅子を馬車に積み込み終えたメイドに、オリガが木箱を手渡しながら何やら言い含めているところだった。
窓を開いて耳を欹ててみても、話の内容はさっぱり聞き取れない。
メイドはコクリと頷くと、木箱を胸元に抱えてそのまま御者台の方へと歩き出した。
馬車に同乗する者はなく、彼女は御者台に上って手綱を握る。
「おいおい、まさか独りでどっか行かせんの? 大丈夫かいな」
ヒラリィの心配はもっともである。
なにせ戦争の真っ最中なのだ。
村を焼かれた農夫たちが流民になって山賊紛いのことをしているという話も耳にしている。
ヒラリィが首を傾げているうちに、寝起きの水牛のようにのっそりと馬車が動き出した。
「なんか……怪しいと思わへん?」
どうにもおかしな光景である。
話の筋がまったく見えてこない。
だが、ミリィはその問いかけにあくびで応じた。
「ふわぁあああ、ま、ええんちゃう。ウチらの仕事は、姫さんの護衛なんやし」
「ま、せやな」
二人は、あまりにもあっさりと興味を失った。
「そんなことより朝ご飯や! お腹へったー!」
二人はそれぞれいつものメイド服に着替えると食堂へと向かう。
彼女たちがそこに足を踏み入れた時には、何人かの侍女たちが顔を寄せ合って、なにやら深刻そうな話をしていた。
「なになに、何の話してんの? ウチらもまぜてーや」
「ひぃっ!」
唐突にミリィが背後から話に割り込むと、彼女たちは声を喉に詰まらせて一斉に飛びのいた。
「そないにびっくりせんでもええやんか」
口を挟んできたのがミリィとヒラリィだとわかって、侍女たちは一斉にホッと胸を撫でおろすような素振りを見せた。
「ご、ごめんなさい。ちょ、ちょっと内緒の話をしてたの。気にしないで。あんまり部外者が首を突っ込んでいい話じゃないから」
「えー、のけもんは酷いで! 部外者やなんて、なあ」
「せやせや! 姫殿下に言いつけるで!」
途端に、侍女たちは顔を見合わせる。
彼女たちは困ったと言いたげな顔で互いに目を見合わせ、そして一人がおずおずと口を開いた。
「実は、その姫殿下がね……」
リュカが自分自身へと言い訳を始めるのとほぼ同時に、ヴァレリィは静かに立ち上がり、オリガをじっと見据える。
そしてこう言い放った。
「オリガ! お前の怒りはもっともだ。良かろう。私を斬るがいい!」
「ちょ!? おま! な、何言ってんの!?」
これにはさすがに、リュカも驚愕の声を上げた。
(人の気も知らないで! 勝手に覚悟を決めるのはやめろ!)
リュカが胸の内で地団駄を踏むのをよそに、ヴァレリィは手甲を外して血まみれの顔を袖で拭い、武人らしい凛とした雰囲気を漂わせる。
「姫殿下をお守りできなかったのは事実だからな。だが、騎士の誇りに掛けて誓おう。姫殿下を弑したのは、断じて私ではない」
「人喰いの化け物が騎士を語るな!」
「……やはり、信じてはもらえぬのだな」
ヴァレリィは寂しげに微笑み、オリガは静かに目を閉じて一つ息を吸う。そして、彼女は再び剣を高く振り上げた。
「良いだろう。私とて貴様を苦しませたいとは思わん。一撃で首を落としてやろうではないか」
一瞬にして蚊帳の外へと追いやられたリュカは、思わず胸の内で喚き散らす。
(待て! 待て! 待て! お前らはそれでいいかもしれないけど、巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃないぞ!)
もはや手段を選んではいられない。リュカは必死の形相でオリガの方へと詰め寄った。
「ちょっと待てよ! ここで団長を殺したら、次はアンタが疑われることになるぞ!」
リュカのその言葉に、オリガはピタリと動きを止めた。
「……どういう意味だ」
してやったり。
不愉快げに目を細めるオリガに、リュカはあえて揶揄うような口調でこう言い放つ。
「俺がそう証言するからだよ。俺が寝ている間に姫殿下とヴァレリィが殺されていた! 犯人はオリガ、アンタだってな!」
「なっ! 貴様! そんな無茶苦茶な話があるか! そんな偽証を信じる者などいる訳がない!」
(ああ、そうだ。無理筋なのはわかってる)
だが、リュカは余裕たっぷりに笑みを浮かべた。
「信じる者? いるさ! 信じるって言っても俺のことをじゃないぞ。団長のことをだ。団長って人間のバカみたいな真っ直ぐさは、騎士なら誰だって知ってる。国王陛下や王太子殿下だってご存じのはずだ。俺とアンタ、どちらの言葉が信じられるかは言うまでもないだろ!」
「言わせておけば、調子に乗りおって!」
オリガは怒りに顔を歪めながらリュカを睨みつける。
今にも剣を振るって彼へと襲い掛かってきそうな気配すらある。だが、それならそれでかまわない。
真実などどうでもいいのだ。そんなものは犬にでも喰わしてしまえばいい。
今必要なのは、ヴァレリィが姫殿下殺害の犯人だというこの状況から抜け出すこと。
いっそのことオリガをブッ殺して犯人に仕立て上げてしまえば、全てが丸く収まるのだ。
だが次の瞬間、睨みあうリュカとオリガの間に、ヴァレリィがその身を差し入れる。そして彼を抱きしめると、その耳元に囁きかけた。
「旦那さま……もういい、もういいんだ。お前が私のためにこれほどに一生懸命になってくれたというその事実だけで、私は笑って死んで行ける。お前の妻であることを誇りに思うぞ」
今にも泣き出しそうな顔のままに微笑むヴァレリィ。
だがそれとは裏腹に、リュカはあきれ果てたとでもいうような仏頂面になって、彼女の額を指先でピンと弾いた。
「勘違いしないでくれません? 俺まで巻き込まれちゃかなわないってだけですから」
「あ、え、その、なんだ……すまん」
ヴァレリィは困惑するような表情のままに固まって、オリガはその瞳に軽蔑の色を宿す。
何とも居心地の悪い沈黙が狭い部屋の中に居座って、転がったままの姫殿下の首ですら、ため息を吐いたかのような錯覚を覚えた。
「……なんという見下げ果てたヤツだ、貴様は。クズだ。やっぱりクズだ!」
「自分がクズなことを否定したことなんてないぞ、俺は」
リュカがそう言い放つと、オリガは毒気を抜かれたような顔で肩をすくめた。
「いいだろう。貴様の口車に乗ってやる。ヴァレリィを王都へ移送し、公正なる裁きを受けさせてやろうではないか。それなら文句はあるまい!」
「ああ、それでかまわない」
とりあえずは時間を稼げただけでも良しとせねばなるまい。
あとはどうにかしてヴァレリィが姫殿下を殺したのではないという証拠を手に入れるだけだ。最悪、証拠をでっちあげてしまえばいい。
だがオリガは、リュカのそんな考えを見透かしたかのようにニヤリと笑った。
「ではリュカ、貴様には牢に入ってもらおう」
「はぁあ!?」
「当たり前だ、貴様がグルではないという保証はない。この後、何らかの偽装工作でもされてはかなわんからな。ここは姫殿下の御遺体を回収した後、部下たちに徹底的に調べさせる。隠し扉の一つも見つかることを祈るのだな!」
◇ ◇ ◇
「ふわぁ、なんやねん……騒がしなぁ」
ヒラリィが褐色の裸身に白いシーツを巻きつけて、ベッドの上で身を起こすと、
「んぁあ……もー朝ごはんなん?」
白い下着姿のミリィが寝ぼけ眼を擦りながら、ポリポリと首筋を掻いた。
まだ陽も昇りきっていないというのに、外から馬車の音、馬の嘶き、人の声。
実際は、大して騒がしいという訳でもないのだが、気になり始めるとおちおち寝てもいられない。
彼女たちの部屋は別棟の二階。
姫殿下や他の侍女たちの部屋から遠く離れた一画を割り当てられている。
到着初日に大騒ぎしたのが拙かったのか、完全に隔離状態。「姫殿下のお世話を……」と訴えても間に合っていると返されて、真面に近づくことすら出来やしない。
「ほんま、何しに来たんやろな、ウチら」
ヒラリィは満面に不機嫌さをにじませながら窓の傍へと歩み寄り、眼下を覗き込む。
昨晩の激しい雨は既に降りやんでいて、水たまりだらけの門前の広場に、姫殿下専用の、例の大きな馬車が引き出されているのが見えた。
「んん、なんや? まさかもう帰り支度かいな?」
彼女の目に映ったのは、銀髪のメイドが誰も座っていない空の車椅子を、後部から馬車に積み込んでいるところ。数名の騎士たちとオリガがその様子を眺めていた。
「なあ、なあ、ミリィ、なにやってんねやろ、あれ?」
「んー? どーしたん?」
ミリィがベッドを降りて窓の下を覗き込む頃には、車椅子を馬車に積み込み終えたメイドに、オリガが木箱を手渡しながら何やら言い含めているところだった。
窓を開いて耳を欹ててみても、話の内容はさっぱり聞き取れない。
メイドはコクリと頷くと、木箱を胸元に抱えてそのまま御者台の方へと歩き出した。
馬車に同乗する者はなく、彼女は御者台に上って手綱を握る。
「おいおい、まさか独りでどっか行かせんの? 大丈夫かいな」
ヒラリィの心配はもっともである。
なにせ戦争の真っ最中なのだ。
村を焼かれた農夫たちが流民になって山賊紛いのことをしているという話も耳にしている。
ヒラリィが首を傾げているうちに、寝起きの水牛のようにのっそりと馬車が動き出した。
「なんか……怪しいと思わへん?」
どうにもおかしな光景である。
話の筋がまったく見えてこない。
だが、ミリィはその問いかけにあくびで応じた。
「ふわぁあああ、ま、ええんちゃう。ウチらの仕事は、姫さんの護衛なんやし」
「ま、せやな」
二人は、あまりにもあっさりと興味を失った。
「そんなことより朝ご飯や! お腹へったー!」
二人はそれぞれいつものメイド服に着替えると食堂へと向かう。
彼女たちがそこに足を踏み入れた時には、何人かの侍女たちが顔を寄せ合って、なにやら深刻そうな話をしていた。
「なになに、何の話してんの? ウチらもまぜてーや」
「ひぃっ!」
唐突にミリィが背後から話に割り込むと、彼女たちは声を喉に詰まらせて一斉に飛びのいた。
「そないにびっくりせんでもええやんか」
口を挟んできたのがミリィとヒラリィだとわかって、侍女たちは一斉にホッと胸を撫でおろすような素振りを見せた。
「ご、ごめんなさい。ちょ、ちょっと内緒の話をしてたの。気にしないで。あんまり部外者が首を突っ込んでいい話じゃないから」
「えー、のけもんは酷いで! 部外者やなんて、なあ」
「せやせや! 姫殿下に言いつけるで!」
途端に、侍女たちは顔を見合わせる。
彼女たちは困ったと言いたげな顔で互いに目を見合わせ、そして一人がおずおずと口を開いた。
「実は、その姫殿下がね……」