「ほう、そんな都合の良い部屋が! いや待て、落ち着け妾。それは都合が良すぎやせぬか……? ま、まさか何者かが妾をそこに誘いこもうとしておるとか……。い、いや、実はお主らは国家転覆を狙う反乱分子で、皆で結託して妾をそこに監禁しようとしている可能性も……」
これには、さすがにリュカも呆れた。
隠し部屋の話をした途端、姫殿下は勝手に想像を膨らませて、怖がりはじめたのだ。
「では、部屋はこのまま移らず、警護だけは厳重に……」
ヴァレリィがそう口にすると、姫殿下は慌てて身を跳ねさせる。
「い、いやじゃ! わ、わかった! わかったのじゃ、この部屋におるぐらいなら、その隠し部屋とやらに移る!」
結局、姫殿下は例の隠し部屋に移ることとなった。
彼女が身支度をする間に、ヴァレリィとリュカは全ての騎士たちを集め、それぞれに割り当てられた部屋に戻らせる。
自分がその部屋に入るところを見られないように、彼らは明日の朝まで部屋から出ぬようにさせよ。というのが、姫殿下の指示である。
窓の外は既に真っ暗、体感では暮れ八つ(二十時)ぐらいの時刻だろうか。窓の外の雨風は更に激しさを増していた。
騎士たちに一通りの指示を与え終え、リュカとヴァレリィが姫殿下の部屋の扉をノックすると、銀髪のメイドが顔を覗かせる。
彼女がカンテラを手に廊下へ歩み出ると、その後ろから姫殿下を乗せた車椅子を押して、オリガが歩み出てきた。
相変わらず頭がおかしいとしか思えない大袈裟な車椅子である。
部屋で停止している分にはさほど違和感はないが、車輪付きの高級ソファーが移動している様子は珍妙としか言いようがない。
姫殿下は既に就寝の準備を済ませているらしく、羽織った紫のローブ、その胸元からは夜着らしき薄い布地が覗いている。
だが、それ以上に目を引いたのは、黒のヴェールで顔を覆っていることだ。
「なぜヴェールなど?」
リュカが怪訝そうにそう尋ねると、姫殿下は煩わしげに鼻を鳴らした。
「ふっ、化粧を落としておるからの。お主とて男には違いないのじゃ。まさか化粧もせぬ顔を見せる訳にはいかんじゃろが」
「……はあ」
「なにが、『はぁ』じゃ。乙女心の分からん男じゃの、お主は。お主の愛するヴァレリィも、四十を越える頃には皺だらけの染みだらけかもしれんぞ。その時になれば妾の言わんとすることがわかるじゃろうよ」
「そんなもんですかねぇ……」
やがて階段の脇、空の木箱を押し退けて大きな扉の前まで来ると、姫殿下は感心したような声を上げた。
「なるほど、まさに隠し扉じゃの! この扉のことを知っておるのは、お主らだけなのじゃな?」
「おそらく。もしかしたら扉の存在に気づいているものはおるやもしれませんが、鍵がかかっておりますので、中にまで入ったものはおりませぬ」
「ふむ、で、鍵は?」
「見つかっているのは、この一本だけでございます」
ヴァレリィが鍵束から一番大きな鍵をつまみ上げると、姫殿下は顎に手をやって考え込むような素振りを見せた。
「他にも鍵がある可能性もある……ということじゃの。ふむ、オリガ、妾が部屋に入った後はお主がここを見張るのじゃ、扉の外をな」
「……かしこまりました」
オリガはどこか気が進まなさそうに頷いた。
だが、姫殿下は、そんな彼女をよそに鍵を開けよと促す。
ヴァレリィが閂を外して扉を開けると、やはり黴臭い空気が漏れ出してきた。
リュカとヴァレリィを先頭に、そのあとを姫殿下の車椅子を押してオリガ、最後尾を銀髪のメイドがついてくる。
やがて一行は奥の扉へと辿り着き、ヴァレリィが「コチラでございます」と姫殿下を招き入れる。
部屋の中は暗い。メイドにカンテラを掲げさせ、姫殿下はぐるりと周囲を見回して口を開いた。
「ふむ、思ったよりはまともじゃの」
掃除自体は姫殿下が城砦に到着する以前に終えている。
王族が滞在する部屋としてはどうかと思うが、寝具も全て新しいものに変えてあるし、一夜を明かす程度ならば問題はないはずだ。
「確かに窓が無いのは安心じゃが……。ヴァレリィ、済まぬがどこかに隠し通路があったりせぬか、確かめてくれんかの。念入りにの」
「かしこまりました!」
ヴァレリィは言われるままに、壁を叩いたり押したりしながら確認していく。
「問題は無いようです。姫殿下」
ヴァレリィがそう報告すると、姫殿下は「ほっ」と安堵の息を吐いた。
「ではオリガ、妾を抱えてベッドに下ろすのじゃ。そーっとじゃぞ。まだ折れた足に響くからの。リュカ、ヴァレリィ! お主らは閨の支度が終わるまで部屋の外を見張るのじゃ」
「「かしこまりました」」
リュカとヴァレリィは部屋の外に出て、元来た通路の方へと目を向ける。
部屋の扉は開けっ放しだったのだが、「では、ステラノーヴァ、下着を脱がせてくれ」という姫殿下の声が聞こえた途端、ヴァレリィが慌てて扉を閉じた。
周囲が静かなだけに、壁一枚隔てただけの部屋の中の会話は明瞭に聞こえてくる。
姫殿下がメイドに明日持ってくる下着の色を指定した後、オリガが、どうしてもそばで護衛させて欲しいと、そう訴える声が聞こえてきた。
だが、姫殿下は「聞き分けよ、オリガ。そばに誰かがおると思うと安心して眠れんのじゃ」と、そうすげなく拒否した。
しばらくして、オリガは憮然とした表情で部屋から出てくると、リュカとヴァレリィの視線に気づいて一つ咳払いをする。
そして彼女は背後を振り返って部屋の中へと声を掛けた。
「では、姫殿下。明朝お迎えに参りますので」
「うむ、よろしく頼むのじゃ。お主らも気をつけるのじゃぞ」
姫殿下の返事が聞こえて、リュカが部屋の中を覗き込むと、丁度メイドが誰も座っていない車椅子を押して出てくるところ。
車椅子の座面には姫殿下の羽織っていた紫のローブが綺麗にたたまれて置かれている。
メイドの肩越しにベッドに腰かけて佇む姫殿下の姿が見えた。
カンテラの薄明かりの中ではシルエットしかわからなかったが、彼女は顔をヴェールで覆ったまま、白い夜着を纏っている。
乳房の緩やかな曲線、すらりと細い脚のシルエットが見えた。
「では、おやすみなさいませ」
オリガはそう言って扉を閉じると、憮然とした顔のままにヴァレリィの方へと手を差し出す。
「鍵を貸せ」
オリガは鍵をがちゃがちゃと回した後、何度も押したり引いたりして頷き、今度はリュカの方へと鍵を投げ渡した。
「姫殿下のご指示だ。ヴァレリィはこの扉の前で、私は外の扉の前で警備、鍵は貴様に渡しておけと、そう仰せだ」
オリガは不機嫌そうにそう言い放った途端、唐突に肩を落とす。
「どうしたのだ?」
ヴァレリィが首を傾げると、オリガは情けなげに眉を下げた。
「……すまん。状況は理解しておるのだがな。直属の騎士は私だというのに、姫殿下が私よりもお前を信頼されているという事実が堪らぬのだ」
「そうか……その、すまん」
「いや、こちらこそすまん。それではヴァレリィ、姫殿下を頼む。私は外の扉の前におるゆえ、なにかあれば中から扉を叩いてくれ」
「うむ……お互い、長い夜になりそうだな」
「そうだな」
二人は静かに微笑み合う。そしてヴァレリィは、リュカへと視線を向けて小さく頷いた。
「では、また明日の朝……な」
「ええ、また明日」
リュカは素っ気なくそう返事をすると、彼女に背を向けた。
ヴァレリィをその場に残して、リュカとオリガ、車椅子を押した銀髪のメイドの三人は、扉の外へと歩み出る。
扉の外へ出てみれば、階段脇から見える窓。その外の天候は未だに酷く荒れたままだ。
「じゃあ、オリガ……ステラも部屋に戻る」
「ああ、オマエも気をつけるのだぞ、ステラノーヴァ」
「うん」
銀髪のメイドは一つ頷くと、空の車椅子を押して廊下の向こうへと遠ざかっていった。
その背が見えなくなって、リュカが「じゃ……俺も部屋に戻ろうかな」と、あくび混じりに歩みだそうとした途端、オリガが彼の襟首をむんずと掴んだ。
「貴様はここにいろ。私は姫殿下からこの扉の前で護衛するように指示を受けている」
「ええ、聞いてましたよ。でも、俺は別に何の指示も受けてませんから……」
「貴様はそうかもしれん。だが、私は貴様から目を離すなとも言われているのだ」
「は?」
「貴様が喰人鬼ではないと保証できるものは何もない。その上、姫殿下がここにおわすことを知る者の一人ではないか。私がここから動く訳にはいかないのだからな。貴様にも朝までここにいてもらうぞ。まあ、貴様のような弱々しい男に何が出来るとも思わんがな」
(面倒くさいことになったな)
胸の内でそう愚痴りながら、リュカは大きな鉄の扉、そこにもたれ掛かって座り込んだ。
これには、さすがにリュカも呆れた。
隠し部屋の話をした途端、姫殿下は勝手に想像を膨らませて、怖がりはじめたのだ。
「では、部屋はこのまま移らず、警護だけは厳重に……」
ヴァレリィがそう口にすると、姫殿下は慌てて身を跳ねさせる。
「い、いやじゃ! わ、わかった! わかったのじゃ、この部屋におるぐらいなら、その隠し部屋とやらに移る!」
結局、姫殿下は例の隠し部屋に移ることとなった。
彼女が身支度をする間に、ヴァレリィとリュカは全ての騎士たちを集め、それぞれに割り当てられた部屋に戻らせる。
自分がその部屋に入るところを見られないように、彼らは明日の朝まで部屋から出ぬようにさせよ。というのが、姫殿下の指示である。
窓の外は既に真っ暗、体感では暮れ八つ(二十時)ぐらいの時刻だろうか。窓の外の雨風は更に激しさを増していた。
騎士たちに一通りの指示を与え終え、リュカとヴァレリィが姫殿下の部屋の扉をノックすると、銀髪のメイドが顔を覗かせる。
彼女がカンテラを手に廊下へ歩み出ると、その後ろから姫殿下を乗せた車椅子を押して、オリガが歩み出てきた。
相変わらず頭がおかしいとしか思えない大袈裟な車椅子である。
部屋で停止している分にはさほど違和感はないが、車輪付きの高級ソファーが移動している様子は珍妙としか言いようがない。
姫殿下は既に就寝の準備を済ませているらしく、羽織った紫のローブ、その胸元からは夜着らしき薄い布地が覗いている。
だが、それ以上に目を引いたのは、黒のヴェールで顔を覆っていることだ。
「なぜヴェールなど?」
リュカが怪訝そうにそう尋ねると、姫殿下は煩わしげに鼻を鳴らした。
「ふっ、化粧を落としておるからの。お主とて男には違いないのじゃ。まさか化粧もせぬ顔を見せる訳にはいかんじゃろが」
「……はあ」
「なにが、『はぁ』じゃ。乙女心の分からん男じゃの、お主は。お主の愛するヴァレリィも、四十を越える頃には皺だらけの染みだらけかもしれんぞ。その時になれば妾の言わんとすることがわかるじゃろうよ」
「そんなもんですかねぇ……」
やがて階段の脇、空の木箱を押し退けて大きな扉の前まで来ると、姫殿下は感心したような声を上げた。
「なるほど、まさに隠し扉じゃの! この扉のことを知っておるのは、お主らだけなのじゃな?」
「おそらく。もしかしたら扉の存在に気づいているものはおるやもしれませんが、鍵がかかっておりますので、中にまで入ったものはおりませぬ」
「ふむ、で、鍵は?」
「見つかっているのは、この一本だけでございます」
ヴァレリィが鍵束から一番大きな鍵をつまみ上げると、姫殿下は顎に手をやって考え込むような素振りを見せた。
「他にも鍵がある可能性もある……ということじゃの。ふむ、オリガ、妾が部屋に入った後はお主がここを見張るのじゃ、扉の外をな」
「……かしこまりました」
オリガはどこか気が進まなさそうに頷いた。
だが、姫殿下は、そんな彼女をよそに鍵を開けよと促す。
ヴァレリィが閂を外して扉を開けると、やはり黴臭い空気が漏れ出してきた。
リュカとヴァレリィを先頭に、そのあとを姫殿下の車椅子を押してオリガ、最後尾を銀髪のメイドがついてくる。
やがて一行は奥の扉へと辿り着き、ヴァレリィが「コチラでございます」と姫殿下を招き入れる。
部屋の中は暗い。メイドにカンテラを掲げさせ、姫殿下はぐるりと周囲を見回して口を開いた。
「ふむ、思ったよりはまともじゃの」
掃除自体は姫殿下が城砦に到着する以前に終えている。
王族が滞在する部屋としてはどうかと思うが、寝具も全て新しいものに変えてあるし、一夜を明かす程度ならば問題はないはずだ。
「確かに窓が無いのは安心じゃが……。ヴァレリィ、済まぬがどこかに隠し通路があったりせぬか、確かめてくれんかの。念入りにの」
「かしこまりました!」
ヴァレリィは言われるままに、壁を叩いたり押したりしながら確認していく。
「問題は無いようです。姫殿下」
ヴァレリィがそう報告すると、姫殿下は「ほっ」と安堵の息を吐いた。
「ではオリガ、妾を抱えてベッドに下ろすのじゃ。そーっとじゃぞ。まだ折れた足に響くからの。リュカ、ヴァレリィ! お主らは閨の支度が終わるまで部屋の外を見張るのじゃ」
「「かしこまりました」」
リュカとヴァレリィは部屋の外に出て、元来た通路の方へと目を向ける。
部屋の扉は開けっ放しだったのだが、「では、ステラノーヴァ、下着を脱がせてくれ」という姫殿下の声が聞こえた途端、ヴァレリィが慌てて扉を閉じた。
周囲が静かなだけに、壁一枚隔てただけの部屋の中の会話は明瞭に聞こえてくる。
姫殿下がメイドに明日持ってくる下着の色を指定した後、オリガが、どうしてもそばで護衛させて欲しいと、そう訴える声が聞こえてきた。
だが、姫殿下は「聞き分けよ、オリガ。そばに誰かがおると思うと安心して眠れんのじゃ」と、そうすげなく拒否した。
しばらくして、オリガは憮然とした表情で部屋から出てくると、リュカとヴァレリィの視線に気づいて一つ咳払いをする。
そして彼女は背後を振り返って部屋の中へと声を掛けた。
「では、姫殿下。明朝お迎えに参りますので」
「うむ、よろしく頼むのじゃ。お主らも気をつけるのじゃぞ」
姫殿下の返事が聞こえて、リュカが部屋の中を覗き込むと、丁度メイドが誰も座っていない車椅子を押して出てくるところ。
車椅子の座面には姫殿下の羽織っていた紫のローブが綺麗にたたまれて置かれている。
メイドの肩越しにベッドに腰かけて佇む姫殿下の姿が見えた。
カンテラの薄明かりの中ではシルエットしかわからなかったが、彼女は顔をヴェールで覆ったまま、白い夜着を纏っている。
乳房の緩やかな曲線、すらりと細い脚のシルエットが見えた。
「では、おやすみなさいませ」
オリガはそう言って扉を閉じると、憮然とした顔のままにヴァレリィの方へと手を差し出す。
「鍵を貸せ」
オリガは鍵をがちゃがちゃと回した後、何度も押したり引いたりして頷き、今度はリュカの方へと鍵を投げ渡した。
「姫殿下のご指示だ。ヴァレリィはこの扉の前で、私は外の扉の前で警備、鍵は貴様に渡しておけと、そう仰せだ」
オリガは不機嫌そうにそう言い放った途端、唐突に肩を落とす。
「どうしたのだ?」
ヴァレリィが首を傾げると、オリガは情けなげに眉を下げた。
「……すまん。状況は理解しておるのだがな。直属の騎士は私だというのに、姫殿下が私よりもお前を信頼されているという事実が堪らぬのだ」
「そうか……その、すまん」
「いや、こちらこそすまん。それではヴァレリィ、姫殿下を頼む。私は外の扉の前におるゆえ、なにかあれば中から扉を叩いてくれ」
「うむ……お互い、長い夜になりそうだな」
「そうだな」
二人は静かに微笑み合う。そしてヴァレリィは、リュカへと視線を向けて小さく頷いた。
「では、また明日の朝……な」
「ええ、また明日」
リュカは素っ気なくそう返事をすると、彼女に背を向けた。
ヴァレリィをその場に残して、リュカとオリガ、車椅子を押した銀髪のメイドの三人は、扉の外へと歩み出る。
扉の外へ出てみれば、階段脇から見える窓。その外の天候は未だに酷く荒れたままだ。
「じゃあ、オリガ……ステラも部屋に戻る」
「ああ、オマエも気をつけるのだぞ、ステラノーヴァ」
「うん」
銀髪のメイドは一つ頷くと、空の車椅子を押して廊下の向こうへと遠ざかっていった。
その背が見えなくなって、リュカが「じゃ……俺も部屋に戻ろうかな」と、あくび混じりに歩みだそうとした途端、オリガが彼の襟首をむんずと掴んだ。
「貴様はここにいろ。私は姫殿下からこの扉の前で護衛するように指示を受けている」
「ええ、聞いてましたよ。でも、俺は別に何の指示も受けてませんから……」
「貴様はそうかもしれん。だが、私は貴様から目を離すなとも言われているのだ」
「は?」
「貴様が喰人鬼ではないと保証できるものは何もない。その上、姫殿下がここにおわすことを知る者の一人ではないか。私がここから動く訳にはいかないのだからな。貴様にも朝までここにいてもらうぞ。まあ、貴様のような弱々しい男に何が出来るとも思わんがな」
(面倒くさいことになったな)
胸の内でそう愚痴りながら、リュカは大きな鉄の扉、そこにもたれ掛かって座り込んだ。