「申し訳ございませッんんんっ!」
顔を上げかけたリュカの頭を、ヴァレリィが力ずくで押さえつける。
城砦一階の貴賓室。車椅子のヴェルヌイユ姫の足下、そこに拝跪する二人の姿があった。
車椅子でふんぞり返る姫殿下の脇には、無表情な銀髪のメイドの姿。
額を床に擦りつけるヴァレリィと、無理やり頭を抑えつけられてもがくリュカ。姫殿下はその姿を見下ろして苦笑した。
「二人とも面を上げるが良いのじゃ。アレはまあ、どう考えても妾が連れて参ったアホどもが元凶じゃからの。お主らに罪を問うたりはせぬ」
「か、寛大なるご処置、深く、深く感謝いたします!」
ヴァレリィは心底憔悴しきった顔に、わずかながらに安堵の表情を浮かべる。
王家への忠誠心を徹底的に叩き込まれてきた人間であるがゆえに、姫殿下がブチ切れた後の彼女の狼狽は相当なものがあった。
とりあえずこれで一安心というところだが、リュカにはまだ気になっていることがある。
「あのぉ……姫殿下、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「どうして、あの、ウチのアホメイドどもが、姫殿下の御一行にいるのでしょう?」
「ほう、あやつらはお主の家の者か。我が甥バスティアンに、髪結いの得意なメイドがおるから連れていけと、押し付けられたのじゃがな」
「王太子殿下が?」
リュカは思わず眉根を寄せる。
王太子が絡んでいるということは、あの騒がしい双子になんらかの仕事をさせるつもりなのだろう。
何やら考え込んでしまったリュカを横目に、ヴァレリィがおずおずと口を開いた。
「で、では、後ほど夕餉をお持ちいたします。必要なものがございましたら、何なりとお申し付けください。あ、あと、明日の出発は何時ごろにいたしましょうか?」
「出発? どこへじゃ?」
「はい、テルノワールの王都に向かって侵攻しております、本隊にご案内させていただきます。ここからならば二日あまりの行程になりますが、案内役として土地勘のある者を二名、同行させていただければと存じます。姫殿下に激励していただければ、戦地の兵たちも更に奮戦すること間違いございません」
するとリュカの目に、姫殿下が隣に控えている銀髪のメイドと、なにやら意味ありげな視線を交わすのが見えた。
「あー……それなんじゃがな。もう必要ない。そもそも慰問というのもただの口実じゃからの」
「口実? それは一体……」
「妾は、お主に会いに来たのじゃよ」
「はっ!? わ、私に、で、ございますか!?」
「そうじゃ、ごまかしには何の意味も無いからの。単刀直入に聞こう。アンベールを喰った女に心当たりはないか?」
その瞬間、リュカの目つきが鋭いものに変わる。
だがそれとは対照的に、ヴァレリィは戸惑いながら首を傾げた。
「申し訳ございません。どうお答えしたものかと逡巡しております。アンベール卿の事件に関しては、確かに我々金鷹騎士団が護衛の任についておりましたが……」
「ふむ、韜晦しておる……という訳では無いようじゃの」
「はぁ……申し訳ございません」
「ならば、教えてやるのじゃ。アンベールの情婦は犯人の姿を見ておった。それが二十歳前の美しい女であったとな。じゃが、お主から上がってきた報告書を読んでみても、そんな話は出てこぬ。一言たりともな」
「お、お待ちくださいっ! は、犯人の姿を見たですって!?」
ヴァレリィは戸惑いながら、リュカの方へと目を向ける。
(こっちを見られたって困る。っていうか姉上ぇ、そんなこと一言も言ってなかったじゃないか!)
「その状況であれば、お主が隠蔽したのだと、そう捉えるのが筋じゃろうが」
「お、お待ちください! そ、そんな話は初耳です。私が聞き取りを行った際には何も……」
「それはそうじゃろうな。殺害した本人から、『何か見たか』と問われればのう」
「そんな!?」
ヴァレリィは眦も裂けんばかりに目を見開いた。
「この状況で疑うなという方が、無理というものじゃろ」
「わ、私ではございません!」
必死に声を上げるヴァレリィに姫殿下は苦笑するような素振りを見せ、リュカは足下の紅い絨毯に視線を落としながら静かに思考を巡らせる。
もしこのままヴァレリィが犯人として捕らえられるのならば、書類上の話でしかないとはいえ、夫である自分にも累が及びかねない。
いや、自分だけならともかく、ヴァンデール子爵家そのものにまで及ぶかもしれない。
それはどうあっても避けねばならない。
暗殺貴族は王家の走狗。守るべきは王家と、その守護者たる子爵家自身である。
とはいえ、王家の人間ならば、無条件に従わなければならない訳ではない。
守るべきはあくまで王家であって王家に属する個人ではないのだ。
過去には王に王たる資格無しと断じ、子爵家の者が第三王子と共に、国王を弑したこともある。
ましてやこの姫殿下は王家の一員ではあるが、彼女が死んで王家の血筋が絶える訳ではない。
子爵家の安泰と彼女の命、それを天秤に載せれば、あっさりと天秤は片側に振れる。
姫殿下を始末し、次にオリガと銀髪のメイドを始末する。そうなればヴァレリィも黙ってはいないだろう。
その場合、彼女も始末した後、敵の兵士が潜んでいて皆を殺したのだと泣き喚けば良い。
リュカが疑われることなど万に一つもない。
普通に考えれば、リュカがヴァレリィに勝てるはずなど無いのだから。
(殺るなら、今すぐに……か)
顔を上げかけたリュカの頭を、ヴァレリィが力ずくで押さえつける。
城砦一階の貴賓室。車椅子のヴェルヌイユ姫の足下、そこに拝跪する二人の姿があった。
車椅子でふんぞり返る姫殿下の脇には、無表情な銀髪のメイドの姿。
額を床に擦りつけるヴァレリィと、無理やり頭を抑えつけられてもがくリュカ。姫殿下はその姿を見下ろして苦笑した。
「二人とも面を上げるが良いのじゃ。アレはまあ、どう考えても妾が連れて参ったアホどもが元凶じゃからの。お主らに罪を問うたりはせぬ」
「か、寛大なるご処置、深く、深く感謝いたします!」
ヴァレリィは心底憔悴しきった顔に、わずかながらに安堵の表情を浮かべる。
王家への忠誠心を徹底的に叩き込まれてきた人間であるがゆえに、姫殿下がブチ切れた後の彼女の狼狽は相当なものがあった。
とりあえずこれで一安心というところだが、リュカにはまだ気になっていることがある。
「あのぉ……姫殿下、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「どうして、あの、ウチのアホメイドどもが、姫殿下の御一行にいるのでしょう?」
「ほう、あやつらはお主の家の者か。我が甥バスティアンに、髪結いの得意なメイドがおるから連れていけと、押し付けられたのじゃがな」
「王太子殿下が?」
リュカは思わず眉根を寄せる。
王太子が絡んでいるということは、あの騒がしい双子になんらかの仕事をさせるつもりなのだろう。
何やら考え込んでしまったリュカを横目に、ヴァレリィがおずおずと口を開いた。
「で、では、後ほど夕餉をお持ちいたします。必要なものがございましたら、何なりとお申し付けください。あ、あと、明日の出発は何時ごろにいたしましょうか?」
「出発? どこへじゃ?」
「はい、テルノワールの王都に向かって侵攻しております、本隊にご案内させていただきます。ここからならば二日あまりの行程になりますが、案内役として土地勘のある者を二名、同行させていただければと存じます。姫殿下に激励していただければ、戦地の兵たちも更に奮戦すること間違いございません」
するとリュカの目に、姫殿下が隣に控えている銀髪のメイドと、なにやら意味ありげな視線を交わすのが見えた。
「あー……それなんじゃがな。もう必要ない。そもそも慰問というのもただの口実じゃからの」
「口実? それは一体……」
「妾は、お主に会いに来たのじゃよ」
「はっ!? わ、私に、で、ございますか!?」
「そうじゃ、ごまかしには何の意味も無いからの。単刀直入に聞こう。アンベールを喰った女に心当たりはないか?」
その瞬間、リュカの目つきが鋭いものに変わる。
だがそれとは対照的に、ヴァレリィは戸惑いながら首を傾げた。
「申し訳ございません。どうお答えしたものかと逡巡しております。アンベール卿の事件に関しては、確かに我々金鷹騎士団が護衛の任についておりましたが……」
「ふむ、韜晦しておる……という訳では無いようじゃの」
「はぁ……申し訳ございません」
「ならば、教えてやるのじゃ。アンベールの情婦は犯人の姿を見ておった。それが二十歳前の美しい女であったとな。じゃが、お主から上がってきた報告書を読んでみても、そんな話は出てこぬ。一言たりともな」
「お、お待ちくださいっ! は、犯人の姿を見たですって!?」
ヴァレリィは戸惑いながら、リュカの方へと目を向ける。
(こっちを見られたって困る。っていうか姉上ぇ、そんなこと一言も言ってなかったじゃないか!)
「その状況であれば、お主が隠蔽したのだと、そう捉えるのが筋じゃろうが」
「お、お待ちください! そ、そんな話は初耳です。私が聞き取りを行った際には何も……」
「それはそうじゃろうな。殺害した本人から、『何か見たか』と問われればのう」
「そんな!?」
ヴァレリィは眦も裂けんばかりに目を見開いた。
「この状況で疑うなという方が、無理というものじゃろ」
「わ、私ではございません!」
必死に声を上げるヴァレリィに姫殿下は苦笑するような素振りを見せ、リュカは足下の紅い絨毯に視線を落としながら静かに思考を巡らせる。
もしこのままヴァレリィが犯人として捕らえられるのならば、書類上の話でしかないとはいえ、夫である自分にも累が及びかねない。
いや、自分だけならともかく、ヴァンデール子爵家そのものにまで及ぶかもしれない。
それはどうあっても避けねばならない。
暗殺貴族は王家の走狗。守るべきは王家と、その守護者たる子爵家自身である。
とはいえ、王家の人間ならば、無条件に従わなければならない訳ではない。
守るべきはあくまで王家であって王家に属する個人ではないのだ。
過去には王に王たる資格無しと断じ、子爵家の者が第三王子と共に、国王を弑したこともある。
ましてやこの姫殿下は王家の一員ではあるが、彼女が死んで王家の血筋が絶える訳ではない。
子爵家の安泰と彼女の命、それを天秤に載せれば、あっさりと天秤は片側に振れる。
姫殿下を始末し、次にオリガと銀髪のメイドを始末する。そうなればヴァレリィも黙ってはいないだろう。
その場合、彼女も始末した後、敵の兵士が潜んでいて皆を殺したのだと泣き喚けば良い。
リュカが疑われることなど万に一つもない。
普通に考えれば、リュカがヴァレリィに勝てるはずなど無いのだから。
(殺るなら、今すぐに……か)