アホっしいに任せると何を仕出かすか分からない、と天が説明を始めた。
彼女が語ったのは、ギムレットとメアリーの恋物語だった。クラウディアこと押立宇宙は、その辺りを知らないから天の説明は有難かった。
お互いが惹かれ合っているにも関わらず、彼女の立場と婚約者の存在がそれを阻むっていう内容だった。彼女が語る度にクロは顔を真っ赤にし、藍さんは瞳を輝かせていた。
最後はギムレットが、竜探しの果ての無い旅に出て、この話は終わり。
ギムレットの中で終わっているってだけで、戦士ギルドが解体されるわけではない。彼の代わりに部隊長になったボルドシエルが、共痛覚という呪いを掛けられるという続きがある。
けれども今は、それは言う必要は無い。アオさんに関係しているのは、ギムレットとメアリーの話だけなのだ。
「そのメアリーが藍なの?」とアオさんが問うと、藍さんは小さく頷いた。
「はい、アオさんの妹さんがメアリーで、前世のお兄さんの想い人……。なのに……」
そこまで言ってから、天は俺の膝を思い切り叩いた。
「なのに、アホっしい。さっきから、藍さんにデレデレしすぎ!」
何故かは知らないが、いきなり矛先が俺へと変わった。訳も分からず混乱していると、追撃するように天が俺の膝をペシペシと叩いた。
最初は痛くはなかったけれど。同じ個所を叩くもんだから、だんだんヒリヒリしてきた。こういう時、共痛覚が一方的なのが少し悔しく思えてきた。
「おっしい、前世クレアでしょ! 女の子でしょ! なんで、女の子なのに分からないのさ⁉」
「それ言ったら、お前だって前世男だろ! メアリーに見とれちゃうのは分かるだろ!」
「分かんない! アオさんには見とれてないのに、藍さんにはそうなるのも全然分かんない! おんなじ顔じゃん!」
「それ言ったら、お前は俺と梨花がおんなじ顔だったら、どうなんだよ!」
俺はそうとは思わないが、よく梨花と似てるって言われるのがお前の彼氏だ。
同じ顔なのに、一方だけに違う気持ちを持つのがオカシイって話になるのなら。彼女は梨花でもいいって話になる。俺の膝をペシペシ叩いていた天の手がピタリと止まる。
「……いや、あたしが好きになったのは、宇宙の顔じゃないし」
顔を赤くして、天は俺から目を背けた。俺の彼女は素直なのか、そうでないのか全く分からないって思った。
「俺も前世思い出す前から好きだったし!」
するとパチンといった感じで、一本締めのように手を叩いた音がした。音源の方を見ると、きのみさんが両手を合わせていた。俺と天が驚きで言葉に詰まっていると、魔導士は苦笑いで顔を上げた。
「天ちゃんって、穴沢神奈ちゃんの妹だ!」
俺の彼女が目をぱちくりさせた後、戸惑いがちに頷いた。まるで何故、きのみさんがそれを知っているのか、不思議に思っているみたいだ。
「やっぱかぁ……。いや、神奈ちゃんも同じような理由で、彼氏振ったって話聞いたからね。こりゃ、まずいって思ったんだよね」
きのみさんの台詞に、天が呆気に取られたような顔になる。初耳だっていうのを、表情全体で表している様子だ。
俺の恋人って、本当に思ったことが顔に出やすいタイプなんだな。って、改めて思わずにはいられない。根本的に嘘をつけない性格が、身体にしみこまれているのかもしれない。
「……え、お姉が?」
「そっ、わたしも後輩づてに聴いたんだけどね。神奈ちゃんって、ヤキモチ焼きでワガママだったんだって」
一体、何の話をしているのだろうか。内容は分かるけれど、ここで天に言う件じゃないんじゃないか、って思った。クロを見ると、困った顔をしているし。アオさんと藍さんに至っては、頭にハテナマークが浮かんでいた。
「あ、あたしは宇宙にワガママなんて言ってません!」
「前世が女の子だから、今は女の子の自分の気持ちを分かって! ……っていうのは、ワガママとは違うの?」
天は言葉を詰まらせた。言いたかった台詞を喉に詰まらせて、クシャミを我慢しているかのような顔つきになった。
けれど確かにきのみさんの言うことも、的を射ているように思えた。鳥ならば射られる側なのに、犬を射るとは中々凄い魔導士だ。
「天ちゃんも、神奈ちゃんの妹なんだね……」
きのみさんは聖母のような瞳を彼女に向けた後、その表情のまま藍さんへと視線を変える。藍さんは驚いたようだけれど、まるで鳥みたいな動きが、きのみさんに合い過ぎて笑いそうになってしまった。
「というわけで、メアリー」
「……え、はい?」
「御覧の通り。ボルドシエルはこの世界じゃ、ちょっとヤキモチ焼きの可愛い女の子なんだよね」
きのみさんの言葉に、藍さんの視線が天に行く。俺の恋人は言葉に詰まらせたまま、真っ赤な顔をそっぽ向けてしまった。確かに前世を顧みると、今の天は可愛すぎる女の子だ。
「だからギムレットであるクロくんも、君が思っているような男の子とは違うかもしれない」
何か後ろめたいものでもあるのだろうか、クロは困った顔で俯いてしまった。藍さんも少しだけ、困惑の表情を浮かべた。
「前世の約束も、大事なのかもしれないけど。……何より大事なのは、今の自分の気持ちだと思うから」
きのみさんが太陽のように眩しい笑顔を浮かべた後、その表情のまま俺の方を向いた。
「どうやら、美味しいハンバーグが作れるようになったみたいだね」
全く意味の分からない台詞。って思った瞬間に、いつかの出来事が頭を過ぎった。
俺が天の気持ちを理解しようともせずに、きのみさんに泣きついた帰り道。コーヒーを入れたミルクのような曇天の中、同じ色の心を吐き出した日のこと。あの時は意味が分からなかったけれど、今は何となく分かったような気がした。
自分の思っているのと、違う事を言われるのは怖い。皆結希さんの言葉を借りるとしたら、ここに居る全員が、自分の思っている言葉を待ち望んでいたのかもしれない。
けれど必ずしも、誰もが怖さに立ち向かえる訳がないんだ。全員が前世に囚われてしまっているのならば、現世と前世を混ぜてしまえばいい。
そして、ほたるさんみたく、昔と今をどっちも踏まえた上で焼き直す。全てを受け入れた上で、足を一歩踏み出す。顔を上げたらカーニバルが始まるから、準備を完璧に済ませておく必要があるんだって。
泣いて、悩んで、遠回りしても。最後に自分が居れば、何もかもが上手くいくんだって。俺がいつでも空を飛べるように、遠くまで響く声を上げて今日だって踊れるように。心の中に咲いた花を、もっと大きく咲かせられるように。きっと掛け替えの無いものへと、変わる宝物だ。
最初は秘密を抱いて、いつだか過去も肯定して。だけれど自分を信じてあげられなくて、何も全然分からなくって。それでも顔を上げて、流した涙にサヨナラをして。そこから新しい物語が始まって、自分の世界が始まった。
未来がどこまでもずっと輝いて続くように、君の歩くリズムにこの鼓動は歌い出す。前世と過去も、現世と今も。全てが見えたこの時、俺は初めて未来という言葉を認識したような気がした。
悲しみなんて、乗り越えたから。
