いざマンションの前に立つと、どこか緊張感を覚えてしまった。
いまさら、何を怖気づく必要があるのだ。いつまでも炎天下に女の子二人を立たせておく訳にはいかないので、エントランスへと入る。
冷房の効いたエントランスは、いつも通る場所なのに。天と一緒だと、何処かにキスの面影を感じて一人で照れてしまった。
俺は気持ちを入れ替えて、エレベーターへと二人を入れた。今の時点では俺と天は、どうでもいいというか。境界線消し去って、次のステージへと立つんだ。
今日から俺達は未来への船に乗り、置いてきた過去も乗り越える。行ける。たった一つの出会いだって、俺らは忘れないと誓えば叶う。ずっと、続きますように。
エレベーターを降りて、押立と書かれたドアの前に立つ。カードキーを刺し、ドアを開ける。
玄関で靴を脱ぎ、廊下に足をつけて、二人へと向き合った。天は緊張した面持ちで、藍さんは期待が表情ににじみ出ていた。
リビングの方からテレビの音がした。おそらく、クロは家に居る。さて、どんな感じの再会になるのだろうか。怖さ半分、期待半分。仮に梨花が居たとしても、もうそんなのどうでもいい。
「あれ?」
藍さんが何やら、玄関を見て素っ頓狂な声をあげた。およそ男爵の娘とは思い難くて、笑ってしまった。天に尻をはたかれた。
「なんで、姉さんの靴があるの?」
俺と天は同時に首を傾げた。メアリーは一人娘で、姉妹なんて居ないんだ。
「なにを言っているんだメアリー、君には……」と天が言った瞬間に、俺はあることに気が付いた。
「あ、違う。ルース!」と俺が天に被せるように言った。
俺達は今の今までヴァネットシドルの話をしていたから、彼女をメアリーとして扱っていた。しかし現世のメアリーは藍さんで、彼女の姉を指す人は一人しか思い浮かばなかった。
背中から引き戸の開く音が聴こえた。家の廊下の先は、リビングとなっている。振り返ると、目を丸くしたクロとアオさんときのみさんの姿があった。
やばい。って思ったのは、きのみさんは兎も角、アオさんも一緒に居ることだった。
むしろ何故、一緒だって想定していなかったのか。前持ってクロに確認をするなり、何なり出来たのだろう。
それが思いつかなかったのは、多分クラウディアの記憶が蘇ってしまっていたせいだ。脳に次々と浮かぶ思い出と、目の前に起こる出来事の処理に追われていたせいだ。
「ギムレット!」
俺と天の間を抜け、藍さんはクロに向かって走り出す。まずい、と思った。けれど何がまずいのか、ちゃんと理解が出来ない。藍さんは両手を広げて、飛び掛かるようにギムレットへと抱き着いた。
ように見えたけど、セーフだった。クロをかばうように、きのみさんが前に立ってくれた。感極まったメアリーが抱きしめたのは、人間の姿のブロッサムだったのだ。抱き着いた相手は知らない女性だったからか、顔を上げたメアリーは可愛く首を傾げた。
「メアリー……なの?」
困惑の声できのみさんが問うと、藍さんは満面の笑みで頷いた。
「はいっ、メアリー・ボンベイサファイアです! お姉さんは?」
きのみさんから、何かのスイッチが入ったような音が聴こえた気がした。俺はクラウディアの記憶が過ぎり、嫌な予感が頭を貫いた。もしかしたら、ブロッサムのときのアレが出るんじゃないかって思った。
「……美少女こそ、国の宝。そうは思わない、ギムレット?」
俺は藍さんの両肩を掴んで、きのみさんからメアリーを引き剥がした。抱きしめようとしたブロッサムの両手は空を切り、すこしよろめいてしまった。
「自重しなさい、ブロッサム。それでも魔導士ギルドの隊長ですかって、何度言わせるおつもり?」
きのみさんの前世、ブロッサム・ブルームズバリ―には妙な悪癖がある。それは小さな美少女を、思いっきり抱きしめては愛でるといったものだ。メアリーは甘んじて受け入れてはいたけれど、魔導士ギルドの隊長としては威厳も何もあったもんじゃない。って、そんなのは散々、クラウディアの時に言ってきたし。現世になって治ったと思っていたら、これだ。
「……え、クレア?」
瞳を丸くするきのみさんを見て、俺は出来るだけクラウディアだった時の表情を出してみる。
「そう、お久しぶりね。ブロッサム・ブルームズバリー」
「記憶が……もどったの?」
きのみさんの問いに、俺は小さく頷いた。俺の目の前に居る少女も、驚いた顔をしていた。
「……ブロッサム、なの?」
「……そうか。君がメアリーだったのか」
きのみさんは藍さんに目を向けた後、周囲を見回して困った顔を浮かべた。
「さて、どうしようか。この状況」
驚きのあまり、ぽかりと口を開けたままのアオさん。衝撃のあまり、目を点にしたままの従兄。天の方を見てみると、彼女もまた居心地の悪そうにしていた。けれども、やることは一つだけしかないって俺は思った。
「まずはアオさんに状況を説明しないと」
アオさんが先月の俺と同じ立場なんだってしたら、この中で一番混乱しているのは、間違いなく前世の記憶を持たない人間だ。それは、この俺が一番わかっているんだ。