バーベキューから帰ってくると、クロは既に帰宅していた。
多分仕事なんだろう、姉は居なかった。エアコンの利いたリビングで、テーブルの上に宿題を広げていた。俺は終わっているのにも関わらず、従兄自身が終わっていないのに驚いた。
もしかして、中学より高校の方が量が多いのか、あるいは難しいから苦戦しているのか。
それでもノートを書き進める従兄の顔からは、何の苦痛の色を感じ取れなかった。クロって、意外と勉強は嫌いじゃないのかもしれない。
「おかえり、ソラ」
俺の存在に気付いたクロは、顔を上げてそう言った。ただいま、と返事をする。
何処に行っていたのかと聞かれたので、普通にデートだと答える。羨ましいなぁ、とクロは虚空を見つめてしまう。
従兄には女友達は沢山居ても、デートをする相手は居ないのか。見た所、引く手数多って感じなんだけれど。きのみさんでしょ、アオさんでしょ。梨花。
いや、肉親は流石に嫌か。南タマキさん。彼女もきっと駄目か、ほたるさんに知られたら御終いだ。指折り数えてみると、全然そうじゃなかったな。
俺は冷蔵庫から、乳酸菌飲料のペットボトルを取り出して、グラスに注いだ。
梨花がCMに出ているので、家には貰った試供品が一杯ある。夏休みに入ってから、こればっかり飲んでいるけれど。飽きが来ないのが、不思議だった。牛乳しかり、ヨーグルトしかり。乳製品って、そういうものなんだろうか。
グラスを片手に、俺は従兄の向かいに座る。時刻は五時で、そろそろクロのお母さんがパートから帰ってくる時間だった。
「彼女とはどうだ?」とクロはグラスを口にして言った。中身は俺のと同じ乳酸菌飲料だった。
「そりゃもちろん、前世から良い感じ」
記憶が無いけれど、敢えてそう言ってみた。クロは呆れたように笑っていた。
「記憶か。……どうやったら、取り戻せるんだろ」
呟くように従兄は言った。そんなの一番知りたいのは俺だし。前世の記憶があるクロやきのみさんが分からないんだから、もう誰に聞けばいいのか手詰まりの状態だ。
以前聞いた話によると、クロもきのみさんも、思い出した切っ掛けは夢だという。手がかりが曖昧過ぎて、何も出来ることが無い。そもそも従兄だって最初はただの夢だって、思っていたくらいなんだから。
「そいや、クロさぁ……」
「なに?」
普段、あまり二人でこうして前世の話になるのは少ない。おそらく、従兄が記憶の無い俺に気を遣っているんだろう。ぜっかくなので、前々から疑問に思っていたことをぶつけてみる。
「アオさんにも、記憶が戻って欲しいって思ってるよね?」
大丸アオさん。クロと梨花の共通の友達である彼女は、前世の従兄の想い人と瓜二つらしい。天も最初はそうだった。前世の嫁と俺の顔が似ているから、そこに可能性を持った結果が現在である。
「そりゃ、もちろん」
「じゃあさ。記憶が戻ったら、どうすんの?」
「……はい?」
俺の質問の意図が分からなかったのか、クロが何を言っているんだって顔をした。本当に、この男は鈍ちんだな。そんなんだから、きのみさんの好意にも気づかないんだ。
「だから俺と天みたく、付き合いたいのかって聞いてんの。アオさんと」
そんなに変な質問をした覚えはないけれど、クロは呆気に取られた顔をした。俺からそんな問いが来たのが、そんなに意外だったのか。ここまで前世に関わらせておいて、それは無いだろう兄弟。
「……そ、それは」
珍しく動揺しているのか、急に歯切れが悪くなる。クロは分かり易く考え事をするように、腕を組んで目を瞑った。
でも、思い悩む気持ちは分からなくない。天も前世を利用して、俺を好きになったのだと思い込んでいたくらいだ。あの時の彼女の立ち位置がクロなんだとしたら、自分の気持ちを相手にどう伝わるかが怖いに決まっている。
「……向こう次第、かな」とクロが言った。
「じゃあ、向こうが良ければ?」
「……うん。まぁ、その……」
従兄のハッキリしない態度に、俺は段々腹が立ってきた。前から思っていたけれど、天と違ってクロは前世にとらわれ過ぎているような気がする。
俺の記憶が無いのもあって、彼女とは前世の話は殆どしない。けれど従兄は、きのみさんと居るときは、ヴァネットシドルのことばかり。そっちの世界がどれだけ良い場所だったのか知らないけれどさ、だったら転生でもすればいいんだ。
「クロはさ、アオさんのこと、好き?」
たっぷり時間を掛けて、クロは小さく頷いた。
よし、オッケー。それなら、それでいいんだよ。前世がどうとか、どうでも良い。大事なのは、今の自分の気持ちなんだって。俺はほたるさんと南タマキさんを見て、本当に心からそう思うようになったんだ。未来を手招くもう一つの自分になれたら、これからを祝福しよう。