南タマキさんがコクコクと必死に頷く度に、瞳から涙が零れ落ちていく。

 膝に落ちる涙の数が、彼女の優しさの表れみたいに思えた。ありがとうの気持ちが、こっちまで伝わってくるようだった。何カラットの宝石なんかより、その雫は綺麗で美しく見えた。気づけば、俺まで涙を流していた。

「……これからも、皆結希をよろしくね」

 そう言って、ほたるさんが暖かい笑みを浮かべた。母親が子供に見せる種類の、慈悲に満ちた高貴な微笑みだった。

 俯いた南タマキさんは、瞳を閉じて静かに泣いていた。膝の上で拳を固く握っていた。やりきれない想いを抱えているのは、誰から見ても明白だった。

 言っていいのか、迷っているのかもしれない。ほたるさんと、南タマキさん。お互いの瞳に映る星が、眩しさの裏に忍び込んだものに気づいてあげたい、と言っているみたいだった。

 人はきっと、それぞれのバランスで、どうしようもない今日も歩くしか無くて。俺を後押ししてくれたのは、前向きにしてくれたのは、誰でもない彼女達の従兄だった。

 どうしようもないっていうのが、どうしようもなく伝わってくる。

 だから、俺はその従兄の、わかば先輩の言葉を借りることにした。

「……怖い、ですよね。自分の思っているのと、違う事……言われるの」

 俺の言葉に南タマキさんは、目を開いてゆっくりと顔を上げた。涙まみれの顔をほたるさんに向けて、真っ直ぐに向き合った。

 ほたるさんは相手の言葉を待っていた。落ち着いた表情を南タマキさんに向けて、一字一句聞き漏らさないような姿勢を保っていた。

 心臓の音が聴こえそうな静寂だったけれど。意を決したのか、南タマキさんが口を開いた。吹雪の中で、凍えているような声だった。

「や、やっぱり……。み、み、皆結希さんに……。ああ、あ、逢えないのって……」

 嗚咽交じりの言葉を並べてから、息を呑む音が聞こえる。

 こういう時、クロだったら魔法を使って、南タマキさんがどういう状態なのかが分かるのに。何か手助けが出来るに違いないのに、不甲斐なさに俺も奥歯を噛みしめてしまう。

「逢えないのは、……皆人さんが。……皆結希さんのお父さんが、再婚したからですか?」

 南タマキさんの問いに、ほたるさんが小さく頷いた。思ってもみなかった台詞に、俺は言葉を失った。

 わかば先輩の父親は、再婚していた。新しい情報を手に入れた瞬間、オレの頭がグルグルと回る。馬鹿な俺は、ここでようやく。ほたるさんが、わかば先輩に会えない理由を理解した。

 もし、自分がほたるさんと同じ立場だったら。もし前世の嫁が現世に居て、再婚していたとしたら。彼女だけでなく、その子供にだって逢いづらいに決まっているんだ。

 今日、本当にわかば先輩が来なくって良かった。一歩間違えば、俺は彼らの家族関係にヒビを入れてしまっていたのかもしれない。なにが、野となれ山となれだ。そうなった時に何も出来ない奴が、余計な真似をすべきでは無かったんだ。

「皆人さんを……、再婚した旦那さんを……その」

 瞳に涙を浮かべたまま、南タマキさんが申し訳なさそうな目をに向けた。例えそうだとしても、南タマキさんがそんな顔をする必要がないんじゃないかって思った。何故か分からないけれど、俺も申し訳ない気分になった。

 多分、彼女も同じことを思ったのかもしれない。ほたるさんは静かに首を左右に振った。

「今のわたしは南結希でも、若葉田ユキでもない。若葉田ほたる。皆人さんに何も言う気も無いし、それに……」

 ほたるさんは胸に手を置いて、詩を朗読するかのように落ち着いた言葉を並べた。

「わたしは、アイドル。……ホイップの、ほたっち」

 テレビや雑誌で見せる種類の、満面の笑みをこちらへと向けた。ほたるさんの周りの輝きが増したような気がした。

「世界最強のアイドルは、皆を笑顔にする為に居るんだから!」

 その瞬間、ほたるさんを纏う雰囲気が変わった。梨花も持っているけれど、あれは芸能人特有のオーラみたいなものだ。そのオンとオフを彼女たちは自在に切り替えられるみたいだけれど、ここまで大きく雰囲気を変えるのは姉でも無理なんじゃないかって思った。

「ほたるさん!」

 今度は南タマキさんの方から、ほたるさんへと抱き着いた。ボロボロに泣いているんだけれど、その表情は笑顔だった。

 ほたるさんはそんな彼女をあやすように、聖母の表情で背中をゆっくりと撫でていた。俺も少しだけ、涙が零れてしまったのは何故だろうか。

 扉開け指を鳴らせば、この世界は魔法に掛かる。十二時を過ぎたとしても、きっと続くようなそんな魔法だって思った。