三年前の話だ。俺が十の歳の時で、従兄は中学に上がりたてだった。

 ゴールデンウィークだったので、俺は母親とクロの家に遊びに来ていた。梨花はこの時、駆け出しのアイドルだったから、何かよく分からないが仕事をしていた。

 久しぶりに二人で遊べるとなったので、俺は感極まって従兄を街中引きずり回した。そして、事件は秘密基地で起こった。

 山の下。駅から少し離れた所に、小さいときに秘密基地にしていた廃ビルがあった。俺は従兄と水鉄砲を持って、そこで撃ち合いをしていた。

 存分に遊びつくして、もう帰ろうかとなった時、嗅ぎ慣れない嫌な臭いが鼻先を突いた。

 俺たちは三階に居て、階段を上ってここに来た。もともと、何のビルだったかは分からない。けれど、いま思うと何かのオフィスビルだったのだろう。部屋が二つあって、廊下にはエレベーターと階段。勿論、エレベーターなんて動いているわけがない。

 何かあったのか。俺達は廊下に出て、階段の方へとそっと目をやる。踊り場の先が真っ赤に染まっていた。

 反射的に俺は身を引いたけれど、クロが階段をゆっくりと降りて見てくれた。何も出来ない自分と違って、すごく頼りになる存在だって思ったんだ。

 暫くすると、階段を駆けのぼる音が響いた。もと居た廊下へと、従兄が戻ってきてくた。クロは大声で「火事だ!」と叫んだ。俺も仰天して大声で、悲鳴をあげてしまった。

 どうしよう、どうしよう。って、俺らは交互に言いながら、奥の部屋へと逃げ込んだ。俺はずっと、クロにしがみついて泣いていた。従兄だって、どうしていいか分からなかっただろうに。

 ひとしきり泣いて、喚いて叫んだ頃、従兄が先に落ち着きを取り戻した。

「大丈夫だ、ソラ」

 クロは俺の両肩を掴み、炎より熱い瞳でこちらを見据えた。

「オレの親父は消防士だ。つまり、この街を守るヒーローだ。ソラはいい子だから、絶対ヒーローが助けに来てくれるんだ」

 そう言って、従兄はずっと俺を励まし続けてくれていた。今思うと、クロだって恐いものは恐いに決まっていたんだ。でも子供だから何も出来ない、この街のヒーローを待つことだけだったんだ。

 そして、祈りは通じた。外から大きなサイレンが鳴り響いた。

「ヒーローがやってきたぞ!」

 もう安心だ、と従兄はその場で叫ぶように言った。安心したせいで、俺も腰が抜けたようにその場でへたり込んだ。

 それが従兄の親父さんを、殺す原因となってしまった。

「……うっ」

 ここまで話してしまったら、後は俺の目の前でクロの親父さんが消えるシーンとなる。その光景は、言葉にしたく無いくらいに、くっきりと頭に浮かんでしまった。眩暈がした。頭の中で何かが、グルグルと回っているような気がする。

 俺は携帯電話を取り出し、メッセージ機能を開く。何かが出てきそうな喉に、必死に唾を流し入れる。

「吐きそう、喋れない、ビニール袋を取ってくれ」

 グルグルと回る視界の中で、文章を打ち込み、画面を天へと差し向けた。

 あらかじめ用意して貰って大正解だった。彼女からビニール袋を受け取ると、思い切り開いたそれに込み上げたものをぶちまける。顔面を突っ込むように、袋の中を汚していく。一滴でも彼女の部屋に、形跡を残してたまるか。

 頭の中は真っ白で、涙に鼻水にアレ。顔面から出るものを、全て出してしまっている。その間、天はずっと俺の頭を撫でていてくれた。それだけで、不意に優しさが舞い降りていくようだった。

 一通りコトを済ませると、俺は彼女から受け取ったティッシュで、涙も鼻水も汚れた口も必死に拭った。他の物は止まったけれど、涙だけは一向に止まる気配を見せなかった。

「……宇宙」

 天の顔を見上げた。向けられた微笑みに、すがってしまいそうになる。ぐちゃぐちゃな顔と心をこれ以上見られたく無くて、俺は再び俯いた。

 それでも彼女は俺の手を引いて、そっと抱きしめてくれた。俺の嗚咽じゃない音が耳に入った。顔を上げると、天も涙を流していた。今日は数えきれないくらいの笑顔を見ると決めたっていうのに、本当に今日は失敗続きだ。

「ひどいよね。……共痛覚って、一方的で。あたしも、そらの、痛みを分かってあげたら良かったのに……」

 愛する人の痛みが分かり合える。恋人と痛じ合っている、最高の彼氏。先日、俺が思った言葉だ。

 けれども彼女を見て、傷ついていたのに気づいた。天からしたら、それって真逆だ。もし彼女が、痛みを一方的に押し付ける最低の恋人って、思っていたら俺もやりきれない。前世の天は、それが原因で自ら命を絶っている。心の底に、あんなに苦手だったにも関わらず、小さな火が灯ったような気がした。

「……だから、俺は命って大事だって思っている!」

 言葉にしてみると、何て当たり前すぎる陳腐な台詞だって思った。それでも俺は消防士じゃないので、火の沈め方は分からなかった。

「俺は愛する者を失った悲しみを知っていて、きっとそれは前世の俺もそうだったと思う!」

 記憶が無いから、分からないけれど。そんなのは、前世だろうが、現世だろうが。あの世も、この世も、米国も、英国も。空だって、天だって、宇宙だって。まったく、おんなじな筈なんだ。

「俺の痛みが分からないんっていうんなら、責任持って悲しみを共有してくれ!」

 涙は相変わらず収まる気配は無かったけれど、それでも言葉はあふれ続けていた。

「お前が前世で愛した俺に会えたように、わかば先輩にもそのチャンスはあっていいと思うんだ! だから……」

 抱きしめていた彼女の腕から抜けて、俺は天に手を差し出した。

「俺に協力してくれ。ボルドシエル・グレイグース!」