小学6年 夏



「俺、田嶋 大地」




第一印象は、




大っ嫌い




「これ、なんて読むんだよ」

小学1年生から、5年生まで一緒のクラスになる事は無かった。廊下でチラチラ何度か見かけたことはあったけど、特に関わることもなくて。


クラスでも飛び抜けて背が高いそいつは、私のノートを見ながら言った。隣の席になり、初めて会話したのがそれだった。


「・・・たかはし」


高橋も知らないの?と思った。


「ちげぇよ、下の名前。ちょう・・・なんて読むんだ?」

眉間にシワをよせて、
私のノートをトントンと指で叩いてくる。


「・・・長閑」

「のどか?変な名前だな」



第一印象は、嫌い────。



隣の席は問題の答え合わせをするのに、プリントを交換しなくてはいけないとか。
「隣の席の子と話し合いましょう」とか、何かと“隣の席”
と関わらなければならなかった。



「長閑、教科書忘れた。見せて」


しょっちゅう教科書を家に忘れてくる彼に、隣の席の私は机をくっつけて見せなくちゃいけない。
じゃないと先生に「見せてあげなさい」と注意されるから。


またあ?
と思いながらも、教科書を机の真ん中に置くと、彼は目を細めて「ごめんな」と言う。


謝るくらいなら、ちゃんと持ってくればいいのに。







身長が高いせいかして、彼は目立つ存在だった。


「田嶋ってかっこいいよね」っていうセリフも何度も聞いた。


「長閑ちゃん、田嶋と最近仲いいよね。いいなあ」っていうセリフも沢山言われた。


隣の席なだけなのにと、言い返そうとしたけど、我慢した。だってそんな事を言っちゃうと苛められるって思ってたから。


「長閑、教科書見せて」

「またあ?」


心の中で呟いてた言葉も、いつの間にか口にして出すようになっていた。
それでも彼は、目を細めて「ごめんな」って言う。




もうすぐ夏休みに入る頃には田嶋からは何も言わず、もう私から見せるようになっていた。机をくっつけて、真ん中に教科書を置くことが“普通”になっていた。



何かと忘れっぽい彼の名前は、田嶋大地。


時には体操服を忘れたり。
宿題を忘れたり。

先生に何度か注意されてたけど、忘れっぽさは全く直らなかった。


けれども背が高くて、人見知りもなくて、かっこいいらしい田嶋には友達は沢山いた。女の子からも好意を寄せられていた。


だから「いいなぁ長閑ちゃん。私も隣の席になりたい」と言われるのはしょっちゅうで。





「長閑」

変な名前。そう言った田嶋は、私を下の名前で呼ぶ。


授業中も仲が良さそうに“見える”私達に対して、



「長閑ちゃん、あんまり田嶋と仲良くしないで」



そう言われることに、時間はかからなかった。


隣の席なだけなのに。
田嶋が一方的に話しかけてくるだけなのに。

けれども「分かった」と言った私は、苛められたくないから。友達の輪を外れたくなかったから。



────田嶋、なんで教科書持ってこないの?


次こそ言ってやろうと思った。

ちゃんと持ってきてよ
私が色々言われるんだからって。


けど、
「ごめんな」って、目を細めて、悲しそうに言うから。



「・・・次は、持ってきてよね」


そんなふうにしか言えなかった。


「関わらないでって言ったのにっ。もう長閑ちゃんとは友達やめるから」



2年間友達だった彼女からの、絶交宣言。


それでも言い返さなかったのは、田嶋の「ごめんな」のせい。




田嶋は絶対に、プールは入らなかった。
雨の日の体育館でする体育は、体操服を忘れなければしていたけど、ほとんどが見学で。



「田嶋、それさ、暑くないの?」

「俺、寒がりなんだよ」



7月だというのに、田嶋はずっと長袖に、長ズボンだった。たまに半袖を着てくる時もあったけど、殆どが長袖だった。


────寒がりといった田嶋のセリフは、ウソだと思った。


真ん中に置いた教科書を捲ろうとした時、長袖を着た田嶋の腕と接触して、「ごめん」と言おうと田嶋の方見た時に、そのウソは、確信に分かった。


目をつぶり、眉間にシワをよせて、頭から頬にかけて汗が流れていたから。


「先生、田嶋が調子悪いようなので、保健室に行ってきます」



────見間違えかとおもった。


「これ、なんて読むんだよ」と言った時、トントンと指を叩いた時見えた、手首のアザを。



先生の返事も聞かず、私は田嶋を連れて教室を飛び出していた。


保健室に行くって言ったのに、気が動転していた私は保健室になんか行けるわけなくて。


「な、なんだよ、いきなりどうしたよ?」


車椅子用のトイレ。
普通のトイレよりも大きいトイレに、田嶋を連れてきた私。ここのトイレは滅多に使われていないし、授業中だから先生も生徒も誰も来ないと思ったから。


「見せて」

「は?何を」

「服、めくってよ」

「はあ?なんで」


田嶋はわかってるはずなのに・・・。
私にバレたんだって。

わかってる筈なのに、隠そうとする。


「怪我、してるんでしょ・・・」

「はあ?何言ってんだよ。こんな所まで連れてきて」

戻るぞって、そんな事をいう田嶋。


「まってよっ」

私は必死に田嶋の腕を掴んだ。

まだ小学生だからか、男女の力の差はあまりなく、容易に田嶋の腕を掴むことができて。


「いつから?」

田嶋は口を開こうとしない。


「・・・誰にされてるの」

ねぇ、田嶋。


「いじめられてるの?」

教科書も忘れたって言うのも、いじめられて、本当は誰かに取られたんじゃないの?


「体育をしないのは半袖だから?プールも・・・」

ううん、ちがう。
田嶋は友達は沢山いる。
いじめられているわけない。

女の子からも、
私が絶交されるほど、好かれているのに。



「・・・・・・家族?」


すんなりと「家族」という言葉が出たのは、私の家族も、可笑しかったからなのかもしれない。

父親と、母親。
いつも喧嘩をしている姿を見ていたから。




「・・・頼むから、言わないで」



田嶋の大きな体が少しずつ震えてきて、
田嶋の腕を掴んでいる私の手に自分の手を重ねて、強く握りしめた。




「保健室に行く途中で腹痛くなってトイレに行ってました。すみません」

「そう、もう大丈夫なの?」

「はい」


結局、あれから保健室に行かなくて。
先生にウソの事情を言っても、全く疑わなかった。









放課後、田嶋は私の家にいた。


田嶋は私の部屋に入るなり、「長閑に知られるとは思わなかった」と、目を細めた。

「見てもいい・・・?」

「・・・」

カーペットに座る私たち。


「嫌なら、見ないけど。私誰にも言わないよ」

「違うそうじゃない・・・。ちょっと、いや結構酷いから。長閑がひくかも」

「ひかないよ」

「・・・」

「田嶋・・・」

「大地でいいよ」

「え?」

「俺、本当は田嶋って呼ばれんの、好きじゃないから」


田嶋・・・、大地はそう言って、自分の服に手をかけた。


長袖の服が、めくれ上がる。
お腹から、胸。
そして肩や、腕・・・。


息をのむのを必死で堪えた。
ひかないと言った私が、目を背けちゃいけない。




「・・・痛い?」

体中にある青黒いアザや、赤紫色のアザ。

酷い・・・。

肌色が無いぐらい、肌の色が変色していた。



「うん」

「当たり前だよね・・・こんなの」

「・・・」

「どうして言わないの?先生に・・・、なんとかしてくれるかもしれないのに」

「言えない」

「ど、して」

「・・・父さんには、俺しかいないから」



父さん・・・。

「大地は、お父さんに虐待されてるの?」

「・・・うん」


自分の子供なのに、殴る神経が分からなかった。私の両親も仲は悪いけど、いっぱい悪口を言われるけど、暴力は絶対にしなかった。




「俺んち、離婚しててさ。弟は母親んとこで。俺が父親。まあ長男やしそれは仕方ないけど」

「・・・」

「父さんが暴力してくるようになったのは一年ぐらい前。会社のストレスで酒ばっか頼るようになって・・・、俺が「酒やめて」って言ったら殴られた。そっからこんな感じ」

「・・・そんな感じって・・・。大地しかいないって、そういう問題じゃないと思う。誰かに言うべきだよ」

「無理だよ」

「どうして」

「弟に、知られたくない」


弟・・・?
離婚して、別々で暮らしてる弟?


「どうして知られたくないの」

「・・・」


口を閉ざすってことは、
その理由は言えないってこと。


「分かった・・・。さっきも言った通り誰にも言わない」

「・・・うん」

「でももし大地が限界だと思ったら、言うからね」

「・・・うん、ありがとう長閑」



誰にも言えない秘密。

もしこの時、誰かにこの事を言っておけば、何かが変わったのかな。

ねぇ、大地。


あなたは今、どこにいるの?





────父さんも虐待してるって事は認識してるんだよ。バレるかもしれない顔には殴ってこないし。酔いが醒めたら「悪かった」って謝ってくるんだ。

酔いがひどい時に教科書とかもぐちゃぐちゃにされて・・・。「もっとレベルの高い勉強しろ」って怒られる。


すげぇ痛いけど
我慢するしかない。

父さんには俺しかいないし、弟には絶対に知られたくない。だから内緒にしなくちゃなんない。

今の状況を壊したくないから。


壊したくないけど・・・

なんでだろ。


長閑にバレて、どっかホッとしてる自分がいる。

俺、誰かに相談っていうか、
誰かに聞いて欲しかったのかも・・・。





そう言って、涙を流した大地。

大地の泣く姿を見たのは、これが最初で最後だった。

大地に言われた通り、学校の先生にも、誰にも言わなかった。

大地は本当に体が傷だらけなのかって思うぐらい、友達同士で笑っていて。女の子からも好奇の目で見られてる。



あの日、保健室に連れて行くといった次の日から、「大地」と呼ぶ私に男子達は「お前ら付き合ったのかよ」って言ってくるようになった。

そして女子からは嫉妬の目で私を見てくる。




大地は男子達に「違う」とか「付き合ってない」
って言わなかった。だから私も否定しなかった。




「何してんだよ」

「体操服、忘れた」


体育の時間、私服を着たまま、私は見学している体操服を忘れた大地の横に座り込んだ。

「はあ?何言ってんだよ。机にあったんじゃん、長閑の・・・」


そう言って、
大地は何かを思ったのか、一瞬考えるようにして。


「・・・馬鹿じゃねぇの」

小さく呟いた大地。


「大地が忘れたなら、私も忘れる」

「・・・くだらねぇ事してんじゃねぇよ」


大地が体操服を忘れて来る日は、
私も体操服を“忘れる”。

だから一緒に先生に怒られる。

大地は「もういい」って言ったけど、私は“忘れた”を貫き通した。


本当は、体育をしたくてたまらないのだろう。
プールに入ってる友達見たり、体操服を着てバスケをやっている生徒達をずっと見てるから。

大地もきっと、仲に入りたいって思ってるはずで。



ずっと一人ぼっちで見学している大地を見ていられなかった。1人で見学するのと、誰かがいる見学は、全く違うから。



「長閑」

「うん?」

「・・・ありがとう」

「うん」




こうやって少しずつ、大地との距離が縮まっていった。


小学校を卒業する間際になっても、何度も席替えをして別々の席になっても、私達の関係は変わらなかった。


体育は一緒に見学して。



大地のお父さんは、少しずつ暴力行為が麻痺してきているのか、大地の体のアザの数が多くなっていった。


朝から大地の体調が悪そうな時は、私は大地からそばを離れなかった。


「田嶋、教科書見る?」


大地の席の隣同士になった、私に「絶交宣言」をした彼女は大地にそんな事を言う。

けど大地は「いらない」と言って、教科書を見ようともしなかった。その事に対して、大地ではなくなぜか私を睨みつけてくる彼女。



「男好き」


そういうレッテルを貼られた私は、中学にあがった頃にはもう、女の子の友達はいなくなっていた。


お互いブレザーを着た中学校の制服。

大地が私の家に遊びに来るのは、もう当たり前のようになっていた。両親も帰りが遅いから、大地と会うことはなくて。大地が家の中で会うって言ったら、弟の蓮くらい。




「クラス、別れたな」

「うん、でも体育は男女別だけど1組2組合同で同じ時間だし」

「見学だって男女別だろ。お前そろそろ体育出ろよ。中学って、内申とかあるし」

「やだよ、出ない」


ブレザーをぬぎ、ハンガーへとかける。


「その時間になったら、一緒にどこかいってサボろうよ」

「どこかってどこだよ」

「しらない」

「お前なあ・・・」


呆れたように笑う大地。

私も笑ってた。


「つーか、俺ら、付き合ってるってウワサ流れてんな」


大地もブレザーをぬいで、「俺のもかけといて。暑い」と、私に差し出してきた。「寒がり」と言った大地は、本当は暑がりって知ったのは、小学生の夏休み中だった。



「小学校の時から言われてたじゃん」

「まあ、そうだけど」

「大地はさ」

「うん?」

「私のこと好き?」

「────それ、今更聞く?」

「・・・だって」

「俺、噂の事を聞かれても、否定しなかったんだけど」

「・・・」

「長閑はどうなんだよ」

「・・・」

「俺にだけ言わせんのかよ」

「私も、否定してない。分かるでしょ」


ハンガーにブレザーをかけていたから、大地の顔は見えなかった。だけど多分、大地は笑っていたような気がする。



「じゃあ今度から聞かれたら、「付き合ってる」って言うわ」




中学1年生の春、

私には田嶋大地という、彼氏が出来た。


彼氏と言っても、何も変わらなかった。

授業も違うクラスのため別々に受けて、帰りは一緒に並んで帰る。大地は私の家に寄ることもあれば、私を家に送り届けてそのまま帰る日もあった。


男子とも仲がよくて、女子からも好かれている大地。


大地の彼女の私は、女子からは好かれず、友達も出来なくて。だけどその事についてはどうでも良かった。男関係で、すぐに崩れる友情なんていらないと思ってたから。







「これ、なんて読むんだ?」


デジャヴ。
私の横の机の上に座って、そう言った彼は、いつの間にか私のノートを手にしていた。

大地が話しかけてきたように、そいつも話しかけてきた。

そいつも背が高かった。
机に座っているのに、足が長くて、背が高いっていうのがすぐに分かった。

ただ違うのは、童顔の大地に対して、そいつは同い年なのに大人っぽかった。
もしかしたら髪が茶色いから、そう見えるのかもしれない。



「・・・長閑」

「ふーん」

彼は、私のノートを差し出してきた。


っていうか、
なんで名前もしらない奴が、私のノートを?


見たこともない。
違う小学校からきた生徒はまだ覚えきてれない。



「ありがとう」と受け取ると、そいつは「いいよ」と、机から立ち上がり、教室から出ていった。


やっぱり、大地ぐらい、身長が高かった。








「絶対なんか言われるぞ」

「知らなーい」

「お前ってほんとに・・・」


大地は顔を歪ませて、笑った。
初めて授業をサボるっていうことに、ちょっと興味があったのも事実。

校舎から聞こえる授業が始まるチャイムを聞きながら、「んで、どこ行く?」なんて、大地もそんな事を言う。
大地のサボる気満々じゃんって笑いながら、先生に見つからないようにコソコソと外を歩く。


今頃先生は、体育の授業の出席確認をしてるんだろう。


校門からは出ず、非常階段の裏の影になっている所に座り込んだ私達。春の季節の風は暖かい。


「なんて誤魔化す?」

「うーん、どうしようか。でもこれからもサボるし、誤魔化しても意味無いよな」

「まあ、そうだよね」




他愛のない話をしながら、時間が過ぎるのを待った。




「長閑」

「うん?」

「俺、長閑がいてくれて嬉しい」

「なによ、今更」

ふふっと、私は笑った。


「ほんとだよな、超今更」

大地は私の顔を見て、他の生徒には見せないような、大人のような顔で微笑んだ。


そのまま近づいてきた大地に、私は目を閉じた。


重なった唇はすぐに離れたけど、私はそれがとても長い時間に感じた。だんだん、自分の顔が赤くなるのが分かる。



「・・・チャイム、鳴ったな」

体育があった3時間目の終わりのチャイムが流れたのが聞こえた。あと10分後には、4時間目の開始のチャイムが流れるだろう。


「どうする?戻る?」

高鳴る鼓動をおさえて、私は大地に問いかけた。



「・・・戻らない」


大地は私の顔の近くでそう呟いて、顔を傾けてきた。



────結局、私達が教室に戻ったのはお昼休みに入るころだった。

教室に戻っても、「どこいってたの?」なんて聞いてくる友達はいない。大地は今頃、友達になんて言っているのだろう。

先生はなんて言ってくるだろう?
怒られるかな?と、考えてしまうけれど、さっきの大地とのキスを思い出していたらそんな事、とうでもよくなっていく。



「高橋、お前どこにいたんだよ」


友達はいないはずなのに。
まだ先生も教室にはいないのに。


私を見つけた途端、そう言ってきたそいつは、パンを食べながら興味無さそうに言ってきた。

確か、私のノートを持っていた・・・。

名前。なんだったけ?


「どこでもいいでしょ」

「良くねえよ。俺がせんせーに聞かれたんだよさっき。隣の席だからって、なんなんだっつーの」


文句を言っているのに、興味無さそうに言うから、本当に怒っているのか分からない。


「それはごめん」

「次サボんなら俺も連れていけよ」

「はあ?」

俺もつれていけ?


「いやだよ」

「なんで?」

「別に・・・、友達でもないし」

「なればいいじゃん。俺、友達いないし」

友達がいない?
見るからにいそうなのに?

髪の毛そめてるし、
ヤンキーっぽいのに?



「・・・無理だよ」


私がサボるのは、大地がいるから。
大地がいなかったら、元々サボんないし。


「ふーん」


っていうか、第三者が来て、2人の邪魔をされたくない。



こういう風に思ってしまうのは、私の性格が悪いからなのか。

友達にならない。
そう言ったのに、そいつは何かと私に話しかけてきた。


消しゴム貸して
次、なんの授業?
今日なんか、目ぇ、腫れてね?




そいつは本当に友達がいないらしく、ヤンキーと思われているそいつに話しかける人は少なかった。話しかけてたのはクラスでも明るくて目立つグループぐらい。
けれども見た感じでは“仲いい”とは思えなかった。


そいつは1回も笑わず、曖昧に返事をするだけだった。




「最近、クラスのやつと仲がいいんだって?」

体育をサボっている時、大地にそう言われて、すぐに思い浮かんだのは隣の席のあいつだった。

未だに名前も知らないそいつ。


「仲良くないよ。向こうが話しかけてくるの」

「ふーん」


中学になってから、大地は小学校の時よりも背が高くなったような気がする。


「誰に聞いたの?」

「長閑と同じクラスの飯田」


・・・飯田。
ああ、「絶交宣言」をした彼女。

まだあの子、大地の事が好きなんだ。



「大地の思ってるような事じゃないよ。本当に何もない。私、大地の事しか考えられないし」

「うん、分かってる。お前、俺のこと大好きだもんな」

「・・・うざ」

「照れんなよ長閑」


キスをしたあの日から、大地は私になにかと触れるようになっていた。髪の毛をさわってきたり、頬を掴んでからかってきたり。もちろん、キスもしてくる。


「ばーか」

「ばかは長閑だし。・・・っていうか、今日瞼腫れてね?」

大地の手は、私の目元に伸びてくる。
大地の手は瞼をさすり、「泣いた?」と問いかけてきた。



「・・・ちょっとね」

「親?」


大地には親のことを言っていた。
だって大地も私に話してくれてたから。
私も話さないとって思ったから。


「うん、また喧嘩してた。お父さんなんか、ほとんど帰ってこないし」

「そう・・・。なんかあったら、すぐ呼べよ。泣く前に」

「うん・・・」


大地は自分の体が怪我で痛いはずなのに、私を抱きしめてくれる。・・・大地がいなくて、生きていけないのは私の方。


「高橋ってさあ、彼氏いんの?」

六時間目が終わり、HRも終わり、大地が待つ下足場に行こうとした時だった。
突然彼に呼び止められ、そんな事を聞かれる。



「なに、急に」

「別に気になっただけ」

そういうと彼は自分の鞄を持ち上げた。何が入っているのか、そいつの鞄はぺしゃんこだ。


気になっただけ?

友達でもないのに?



「あんたには関係ないでしょ」と言おうとした時、


「長閑」


と、聞きなれた声が耳に入った。

声のした方へ向かなくてもわかる。

私の名を呼んだのは、下足場で待ち合わせている筈の大地だった。

大地はちらりと彼を一瞬見た後、「誰?」と聞いてくる。

だれ?
そいつのこと?


っていうか、なんで大地がここに?



誰と聞かれても、名前知らないし。

「さあ?」と言おうとした時、「梶山だよ」という、そいつの声が聞こえた。

かじやま・・・。
それが名前?



「梶山?」

と、大地がそいつの方へと目を向けた。



「そうなんだ。俺、2組の田嶋。長閑、行こう」

「う、うん」


大地はいつものように梶山という男に笑うと、そのまま私に向かって言ってきた。

・・・大地?


「じゃあね、梶山」


初めて梶山の名前を呼んだ。


大地が1組の私のクラスに来るなんて初めての事。
付き合っているけど、大地も私もそれぞれの教室に訪れるってことは無かった。
たいていはどこかで待ち合わせしていたから。体育の授業をサボる時も。


「大地、珍しいね。教室にきたの」

「うん」


帰り道。
今日、大地は私を送ったあと家に帰るらしい。
・・・大地の父親が早くに帰ってくるから。


「何かあった?」

「別に・・・、梶山だっけ?ちょっと見たかっただけ」


梶山?
どうして?

「長閑は何も無いって言ってたけど、やっぱ気になったし」


だからわざわざ見に来たの?


「ヤキモチ?」

私がそう言うと、少し顔を赤くしながら
大地はこっちを向いた。


「うるせぇな」

フイっと顔をそらした大地。

え、
本当に?

冗談で言ったつもりだったのに。



「・・・なに笑ってんだよ」

私が笑っているせいか、大地の口調が悪くなる。でもそれが、大地なりの照れ隠しだってのはすぐに分かった。



「大地でもやくんだね」

「悪ぃかよ。・・・いつも思ってるよ、2組でもお前の話結構出るし」

「私の?」

「んーまあ。高橋ってどう?ってしょっちゅう聞かれる」

「どうして?」


大地の彼女だから?


「長閑ってさ、結構モテんだよ。だからあいつも・・・、長閑と仲良くしようとしたんだろ?」


あいつって、梶山のこと?


もしかして、大地は
俺が彼氏だって見せつけるために、1組に来たの?


・・・馬鹿な大地。

私、本当に大地の事しか見てないのに。




────無い。





きちんと朝、確認したはずだった。



ここ最近私物が無くなっている。

初めにアレ?と思ったのは、体育をサボって教室に戻ってきたあと、少し筆箱が動いてる?と、思ったぐらいだった。


宿題のプリント
キーホルダー
ノート
教科書



プリントが無くなったのは、どこかにしまい込んで無くしたと思った。

鞄についていたキーホルダーも留め具が壊れてどこかで落として。

ノートは先生が返却忘れ?とか思ったりしたけど、先生に聞いても「無い」って言われた。

だから可笑しいなと思い、念のため今日ある授業の教科書が机の中あるか朝一番に見たはずだった。

確認したはずなのに、
現在行われている授業の教科書が無い。


どうして?

そんなの誰かに取られたしか思い浮かばない。


いつ?

4時間目の体育の時?
その時間しか私は教室を出ていないし、
っていうか、教室がもぬけの殻になるのは体育の時間しかない。

その時に取られた?



誰に?





ちらりと、不審がられないように教室内を見渡した。けれどもみんな授業中なのか黒板の方に目を向けている。


「じゃあ、次、高橋。読んでくれ」


この中に取った人が・・・?と考えている最中、黒板の前に立っている先生が私の名前を呼んだ。

え?
次?


読んでくれって、教科書を読むってことだよね。

でも今、行われている授業の教科書がない。
読むなんて不可能・・・。


「高橋、どうした?」


教科書、忘れましたって言わないと・・・。



顔を上げて、言おうとした時、

机の上に何かが置かれた。


誰にもバレないぐらいスムーズな動きで、置かれたそれはどう見ても教科書だった。


「高橋?」

「あ、いえ」


黒板に書かれているページ数を開き、無事教科書を読み終えることが出来た。

教科書の裏には、「梶山」の文字。


スッと梶山の方を見れば、何事も無いように黒板を見ながらノートに文字をうつしていた。


梶山が教科書を貸してくれた。

なぜ?

どうして無い事が分かったの?

先生が黒板に文字を書いて、こっちを見てないうちに梶山の机の上に置いた。梶山はちらりと教科書を見るが、私の方へは見ようとしない。


「・・・ありがとう」


と言った言葉は、梶山に聞こえていたかも分からない。



チャイムが鳴り、休み時間になった時、「梶山」と声をかけた。梶山は無言でこっちを見る。

黙っているからか、
切れ長の2重の目だからか。

それとも茶髪だからか、黙っていると少し怖い。


「さっきはありがとう」

そう言うと、梶山は「別に・・・」と、席から立ち上がった。どこかへ行こうとしているらしく、教室の外へ行こうとする。


ま、まって!



「か、梶山!」


廊下で呼び止めるも、梶山は前へと歩く。


「ちょっと待ってよ!」


梶山のブレザーを引っ張ると、
ようやく梶山の足は止まった。



「なんだよ?」

「なにって、どうして分かったの?教科書無いこと」

「別に・・・」

また、別に?


「でも、助かった。ありがとう」

「お前さ?」

「うん?」

「・・・いや、やっぱ、なんでもねぇ。手はなせよ」

「え?気になるじゃん、話してよ」

「なんでもねぇって。つーか離せよ。漏れる」


漏れる?
漏れるって・・・

あ、トイレね!


「バ、バカじゃないの!? 早く行きなよ!!」



梶山のブレザーを離すと、
梶山はようやく私の方を見た。


「せんせーに、梶山は保健室行ったって言っといて」

そう言いながら梶山は笑った。



「サボるの?」

私がこうも予想がついたのは、
自分がしてるわけじゃない。

梶山も「サボりの常習犯」だからだ。
たまに梶山はいなくなる。


「そうだよ。高橋も来る?」

ほら、やっぱりサボるんじゃない。


「まあ、来ねぇか。お前、男いるもんな」

「・・・・・」

そうだよ・・・。私は大地がいるから。


私達はいつも、非常階段の裏に隠れている。
梶山はどこで時間を潰しているんだろう。



まるで、一匹狼の梶山。


けどさっきは私のことを助けてくれた。
・・・その事実は変わらない。



6時間目の先生に「梶山は体調が悪いそうで保健室です」と伝えた。先生は「・・・またか」と呟いた。


「高橋。高橋もサボり癖があるみたいだな。これ以上酷いようだと親にも連絡が行くぞ」

「はい」


親に連絡?
するならすればいい。

あいつらは、私の事をなんとも思ってないのに。

私の家族は弟の蓮だけ・・・。


6時間目が終わり、下足室で待ち合わせの大地。
大地は大地のクラスメイトの男と笑顔で話していた。

大地は私をみつけるなり、
「長閑!」と、声をあげた。


「じゃあな大地」
「おー、また明日」


男に向かって、手を振る大地。


私も靴に履き替えるため、自分のロッカーに手をかけた。その時、教室にある自分の机の横にお弁当を吊るしてあるのを思い出した。


・・・わすれてた。


「大地、忘れ物した。ちょっと待ってて」

「一緒に行こうか?」

「ううん、すぐ戻ってくるよ」


お弁当取ってくるだけだし。と。


小走りでもう1度1年生の教室がある三階まで行き、教室の扉を開けようとした時だった。



「これ、お前だろ」



と、聞き覚えのある声が、教室の中から聞こえてきた。


「何の話よ」

「とぼけんじゃねぇよ」


この声は、梶山・・・?


「私、知らないわよそんなの!」


この声も聞き覚えがある。
私に「絶交宣言」をしてきた女の子・・・、飯田。



「お前さ、この前も高橋のノート、裏庭に捨てただろ」


高橋って私?
っていうか、ノートって・・・。


ノート?

それって、まさか・・・


「俺、裏庭から見てたんだよ。窓からノート捨てるお前を。それでもしらばっくれんのかよ」


梶山が私に初めて話しかけてきた時。
なぜか私のノートを手にしていて。


あれが捨てられてた?
裏庭に?
誰が?

「だとしてもアンタには関係ないでしょ!!」

「逆ギレかよ」

「だってあいつが悪いんだもん!」

「だからって、地味な嫌がらせかよ。教科書、池に捨てやがって」

「うるさいなっ、窓から投げならソコに落ちたのよ!」


・・・そっか。

彼女が取ったんだ。


確認したはずだった教科書が無かったのも・・・、彼女が持って行って捨てたんだ。


「あ、あいつが田嶋君と付き合うから悪いのよ!!」


その時、教室の中から物音が聞こえた。

それが走る音だと気づいた時には、目の前の扉が開いていた。


開かれた扉の前にいるのは、目に涙をためて、怒っているのか顔を真っ赤にした彼女・・・。飯田の姿があった。


「・・・長閑ちゃん」

と、呟く彼女。


教室の中にいる梶山は、私がいたことに驚いたのか、目を見開いていた。そんな梶山の手には、何かの本があった。
濡れているソレは、どうみても私が無いと思っていた教科書・・・。

彼女が捨てて、池に落ちた教科書・・・。



「・・・大地が好きなら、私じゃなく堂々と本人に言いなさい」


飯田は、「あんたなんか嫌いよ!!」そう言い残し、その場を去っていった。


・・くだらない・・・。

本当に、くだらない・・・。

「・・・何でいるんだよ」

そう呟いた梶山のズボンは、濡れていた。

膝元まで折っているズボン。

手には濡れた教科書。


池に落ちていた教科書・・・。



「6時間目サボったの、コレを見つけるため?」

「・・・」

「私が、物無くなってたの知ってたの?」

「・・・ああ」

「いつから?」


梶山に近づき、問いかける。
梶山は軽くため息をつき、私のものであろう教科書を、梶山の机の上に置いた。


「裏庭でお前の投げられたノート拾った時、イジメかと思った」

「え?」

「ノートの見たら、同じクラスだし、つーか隣の席だったし」

「・・・」


「いじめられてるようには見えなかった。でも、友達はいないっぽかったから・・・。ずっと1人だったし」

「・・・」

「いじめじゃねぇと思ったけど、やっぱ捨てられたのが気になって高橋の見てたら」

「・・・教科書、盗られたんだなって?」

「まあ、そんなところ」

「教科書・・・、探してくれたのは・・・」

「盗ったやつが同じなら同じ場所に捨てるだろうって思って。まあ、今回は池だったけど」

「・・・」

「もうしねぇだろ、あの女がやったことはもう分かってる。次はねぇよ」

「ね、ねぇ」

「・・・なんだよ?」

「どうして私を助けてくれたの?」


「・・・あのさあ、高橋」
「長閑?」


その時、私の後ろから大地の声がした。

後ろを振り向くと、やっぱり大地で。


あれ、
下足室で待っててって言ったのに・・・
どうしてここに?


「何してんだよ」

大地の顔は、少し怒っているようにも見える。



「だ、大地こそ、どうして」

「長閑が遅いから・・・。つーか、二人して何を・・・梶山だっけ?」


大地の視線は、梶山の方へうつった。


「・・・そうだよ」


梶山は、大地を見てそう言う。


「長閑になんか用?」


いつも笑顔の大地なのに、
今はいつもの笑顔は無い。


「大地、何怒ってるの?梶山は・・・落し物拾ってくれただけだよ」

「落し物?」

「う、うん。ほら、この前キーホルダー無くしたって言ったでしょ!アレだよ!」

「・・・ふーん。じゃあソレ見せてよ」

「え」

「あるなら、見せろよ」


口から出た出任せ・・・。
無いものを見せろと言われても、そんなものは無理。


でも、大地には教科書を捨てられてたなんて言いなくなかった。梶山が拾ってくれたのに。私を助けてくれたのに。



「お前────、大地だっけ?」

その時、教室に低い声が響いた。
それはまぎれもなく、梶山の声・・・。


「・・・そうだけど」

「お前さ、何勘違いしてるか知らねぇけど、俺、お前の女とはなんでもねぇよ」

「は?」

「マジで落し物拾っただけ。それだけ」

「・・・」

「隣の席だから話すけど、なんでもねえよ」

「・・・」

「つーか、俺、違う学校に女いるし」

「・・・」

「1人前に嫉妬する暇あったら、自分の女、ちゃんと見とけば?」

「・・・は?」


梶山は自身のぺんちゃんこの鞄を手に取ると、そのまま教室から出ていった。

大地は梶山の消えた方から、
机の上にある教科書に視線を向け、
そして最後に私の方を見た。


「・・・長閑、どういうこと?」

「・・・」


まるで、自分が悪者のように大地に言った梶山。
どうして私を庇うんだろう。


「・・・大地、梶山は・・・、私を助けてくれたの」


隣の席だから?
いじめられていると思ったから?
友達がいなくて、1人だと思ったから?



さっきまでは秘密にしておきたかったのに、もう正直に話そうとしている自分がいる。


「どういう意味?」

「・・・帰りながら、話すよ」


濡れた教科書を持参していた袋にいれて、机の横にかけてある弁当袋をとり、鞄の中へつめた。


話が長くなりすぎたせいか、帰り道だけでは伝えたいことはたりず、私の部屋に入り10分がたったころ、ようやく話は終わった。

大地は笑っていなくて、
深刻な顔をしながら「・・・ごめん」と呟いた。