高3の梅雨の季節が近づいてく今。

もう付き合って約二年になる岡田は、私を1度たりとも手放したりはしなかった。


「・・・ん・・・」


過去の事を思い出している時、
眠っている岡田の眉にシワがよった。


ゆっくりと開いていく瞼。まだ寝ぼけているのか虚ろな瞳をこちらに向けて、ベットに座り込んでいる私と目があって、暫くするとまた瞼を閉じた。


…また寝たかもしれない。


けれども岡田の手が動き、私の手を捕まえると強く握った。そんな岡田は「…わりぃ、寝ちまった」と声を出した。


岡田が気にする事じゃないのに。

私は来てくれただけで、嬉しかった。


「ううん、眠いなら寝ていいよ」

「…目ぇ腫れてんな」


今度は虚ろの目ではなく、しっかりと私の顔をとらえた岡田の目。けれど寝起きのせいか、いつもの教室で見せる鋭い瞳じゃない。

私にしか見せない、穏やかな瞳…。



「朝からサカってんじゃねぇよ」

ベットに寝転ぶ岡田を下に、私は自分の髪を手でおさえながら岡田を見下ろして触れるぐらいのキスをした。


「…だめ?」

珍しい、私からの誘い。


「…蓮は?」


ぐるりと、視界が反転した。

岡田の腕によって位置が逆転した私たち。
私を見下ろす岡田は蓮の名前を出した。


「いないよ」

さっき、玄関の音か聞こえたし。
あれから家の中は物音はしない。


休日で、朝から起きていたし、もしかしたら悠人と約束でもあったのかもしれない。




「お前が誘ったんだからな」


さっきの虚ろの目はどこへやら。

噛み付くように唇を重ねてきた岡田の首に、答えるように腕をまわした。


「…海翔…」


もうすっかり慣れてしまった快感。
初めて岡田に抱かれた時の痛みは、いつの間にか忘れてしまった。


甘い声を出す私の口を、キスをするのが好きな岡田によって塞がれる。







────ねぇ、岡田。

岡田はどうして私を離さないの?


私は授業が好きだ。

それに集中していれば、
何も考えずにすむから。


中学の途中から好きにった授業は、
高校になった今でも変わらない。




机の上にある消しゴムの消しカスを捨てようと席をたち、教室のはしに置いてあるゴミ箱に足をむけた。



いつもと変わらない教室の騒がしさ。

岡田は何かの雑誌を読んでいて。
梶山は携帯を片手に誰かと電話している。

そして岡田率いる怖そうなグループが、鈴宮を教室の端へと追いやっていた。黒のはずのズボン、そのズボンは洗っても落ちないぐらい汚れていた。


女の子たちは、化粧をしたり、携帯をさわったり、彼氏であろう男の子といちゃいちゃしている。


いつもと変わらない光景。



「お前、ケータイとか持ってたのかよ」

その時だった。
鈴宮の…、多分、ズボンのポケットから携帯が落ちた。腰元を蹴られて、どうやら落ちてしまったらしい。


鈴宮を虐める1人が、その携帯を蹴った。



その携帯は黒板に当たり、
鈍い音がして床へと落ちた。

画面が割る音。


私から見て1メートルほどの距離に落ちた携帯は、端の方が欠けていて、携帯に付けている長めのストラップが壊れていないのが不思議なくらいで…。


「長閑の方に蹴ってんじゃねぇよ」


先程まで雑誌を読んでいた海翔が、不機嫌な声を出した。それに対しては携帯を蹴った男は、「わりぃ海翔」と本当に反省しているかのように小さい声を出した。



梶山は一瞬こっちを見てきたけど、すぐに視線を外し通話中であろう電話の相手に声をかけていた。



パッパっと、ゴミ箱を消しカスを捨て、別に見なくてもいい鈴宮の携帯が視界の中へ入ってきて…。


その携帯に違和感を覚えた私は、自然にしゃがみこみ携帯を手にしていた。
いや、携帯というよりも、ストラップの方に。



ここに、あるはずのない、ストラップ。



「鈴宮」



私はいつの間にか、無意識に鈴宮の名前を出していて。


その事に驚いたのか
一気に静まりかえった教室内。


私はこの時、携帯を壊してしまいそうなぐらい、握りしめてたと思う。


ドクン────と、胸が鳴るのが分かった。

ありえない。
落ち着け、私。と。


「な、んで…」



そう思っているのに



「なんで鈴宮が持ってんの!!」


私の叫び声が、教室に響いた。




驚いているのは鈴宮だけじゃない。


海翔も。

電話をしていた梶山も。

化粧をしていた綾も。

他の生徒達も。


みんな驚いた表情をして、私の方を見ていた。


それもそうだろう。


いつも静かな人間が、大声をあげているんだから。


自分の体が、震えるのが分かった。
思い出なろうとしていた記憶が、どんどん甦ってくる。


もう岡田がいるから、と。
過去になろうとしていた記憶なのに。



「鈴宮!!」

「長閑!!」


私が鈴宮に掴みかかろうとしたよりも先に、強い力で私の腕をとらえたれた。
とらえてきたのは、もちろん岡田で。



「離してよ!!」

「どうしたんだよっ、落ち着けよ」


落ち着いてなんかいられない。

沢山の視線が見つめる中、必死に岡田から離れようと体を動かした。けれども力の違いすぎる男女の差では私の抵抗は虚しく終わる。


梶山は私の手の中にある携帯を見て、一瞬、ハッとしたような顔をした。


覚えてるんだ、梶山も・・・。


「海翔っ、離してよ!」




岡田によって教室から連れ出された私は、まだ震える体を抑えることができなかった。



この日、私の何が、変わろうとしていた。


様子がおかしい私を使われていない空き教室まで連れてきたくれた岡田は、「いきなりどうしたんだよ」と、問いかけてくる。


頭上からはチャイムがなり、私が好きな授業が始まるというのに、体が震えてどうする事もできない。


「長閑」

「…っ」

「鈴宮が、どうかしたのか?」


優しい声で聞いてくる岡田。


「ストラップ…」

「ストラップ?」


小さい声で話す私の言葉を、岡田は、繰り返して言ってきて。


「その鈴宮の携帯についてるやつ?それがどうかしたのか?」


鈴宮の携帯についている事自体、ありえないのに。
だって、鈴宮の名前は空でしょ?
だったら「S」のはずでしょ。



「だってこれ…私が作ったのに」


「D」の文字が埋め込まれているストラップ。






一瞬、岡田の目の奥が揺れた気がした。




その目を見逃さなかった。
一瞬だっけど、岡田の瞳が揺れた。



もしかしたらって思った。
でも、そんなはずないって…。



「海翔…」


梶山と、1番仲良くて。
このストラップを持つ鈴宮を、やけに執着する岡田。


「もしかして、“あの事”、知ってるの…?」


私の問いに、岡田の瞳はもう揺れていなかった。



「知らねぇよ」


けれど、岡田が嘘をついたのが分かった。




知ってる?と聞かれて、
知らないと答えるのは、
それを知っているって事。

何を聞かれているか知ってる。


だって、本当に知らないなら、

「何の話?」とか


言ってくるはずなのに。



どうして岡田が知ってるの?
梶山から聞いた?

どうして鈴宮が、大地のストラップを・・・?



こんがらがる頭を必死に整理しようとする自分がいるのに、次々とでてくる謎のせいで追いついてくれない。

「あたし・・・、帰る」

「おいっ、長閑!」


岡田はどこまで知ってるの?


空き教室を飛び出して、
自分の鞄も持たずに廊下を走った。


上履きのまま、外へ飛び出したところで、「長閑っ」と、岡田の手につかまる。


「…送る」

「いらない」

「のどか…」

「お願いだから1人にして」

「……」

「また連絡するから」

「……」




私の彼氏の岡田。
岡田と友達の梶山。
梶山と私は、同じ中学で、過去を知っている人。


そして「何か」を知っている岡田は、鈴宮にたいして何かを思っている。唯一、鈴宮を虐めていない梶山。

そんな鈴宮は、持っていないはずのストラップを、持っていた。私と梶山しかしらないストラップ。



岡田海翔
梶山尚登
鈴宮空


この3人…。
やっぱり何かあるんだ。


私には知らない何かが。





────家の前で待ってる




久しぶりに送り付けたメール。



────分かった



2分後には返事がきて、私は目的地へと向かった。



一室のマンション。
706号室と書かれている扉の横で、待っている人物が来るのを待った。中学生の頃、何度も来たことのある場所。


「来ると思った」


表札の名は、「梶山」。



「入れば?」

ポケットの中から鍵を取り出し、玄関の扉をあけた梶山は、私が何を聞きたいのか分かっている様子だった。


久しぶりに入る梶山の部屋は、少しだけ家具が増えていた。ベットにもたれ掛かるように腰を下ろした梶山は、「座れよ」と言ってくる。


「どうして海翔が知ってるの」


自分でも驚くほどの低い声がでた。
いや、それよりも私の頭の謎がグルグルとまわる。


「何の話だよ」


何の話・・・?


「とぼけないでよ!!」


座り込んでいる梶山の胸ぐらを掴み、ぐいっと自分の方へと引き寄せた。


「俺言ってねぇよ」

「じゃあどうして知ってるの!!」

「知らねぇよ、つーか海翔が何知ってんだよ。あいつに直接聞けばいいじゃん。お前、海翔の女だろ」

「あの事、言ったんじゃないの!?」

「…」

「ねぇ」

「…」

「カジ」

「…」

「黙ってろって言ったのは、カジなのに!!」



「答えてよ」

「・・・」

「な、んで、鈴宮が、大地のストラップ持ってたの」

「知らない」


梶山は知ってる。
何かを知ってるのに。


どうして、教えてくれないの。


ぎゅっと、胸ぐらを掴む手の力が強くなる。
梶山は大きくため息をはくと、信じられないことを口にした。


「高橋、お前海翔の女だろ。なのに他の男の事なんか考えんなよ」

「は?」

「もう終わった事だろ」

「本気で…言ってるの?」

「今更、大地のことなんか」

「カジ!!ふざけないでよ!!」

「ふざけてんのは高橋だろ!」


梶山の胸ぐらを掴む私の手を、梶山の手が掴む。

「な、なんで、大地とは友達だったじゃん」

「ああ」

「今更とか、何言ってんの」

「…」

「忘れるなんて出来ない。カジもそうでしょ!?」

「…」

「ねぇ、教えてよ」

「何を」

「どうして鈴宮が大地のストラップを持ってたの」

「…」

「ねぇ、」

「…」

「カジ…」

「…」

「私の、知ってる人の中に」

「…」

「大地を、殺した人がいるの?」


「くだらねぇ妄想してんじゃねぇよ」

私を睨めつける梶山。

妄想?
どうして妄想と決めつけるの?


「お前さ、今が楽しくねぇの?」

「…は?」

「海翔に優しくされて、それでいいじゃん」

「な、に」

「ストラップなんか、見なかった事にしろよ」

「カジ」

「忘れろよ…、長閑」



私を、下の名前で呼んだ梶山。


強く引き寄せられた体。
後頭部に回された梶山の手。


「…ッ、や、やめてよ!!」


重なった唇…。

すぐにハッとして、梶山の体を押したけれど、強い力によって私が体を押し倒されていた。


梶山の部屋で、キスをされ、押し倒されている私は…。


「カジふざけないで」

「ふざけてねぇよ」

「海翔にバレたら、殺されるよ・・・」

「分かってんだろ長閑」

「な、にが」

「俺が昔から、長閑の事が好きだって」

「…カジ」

「なのに」

「…カジってば」

「海翔が好きならそれでいいだろ、他の男に揺れんじゃねぇよ」

「…やめて」

「海翔から、お前を奪いたくなる」

「カジ!」

「中学ん時は…、もうお前の横には大地がいたし。仕方ねぇって身を引いたけど。高校んなって海翔と付き合って…。お前こそ、ふざけんなよ」


顔を動かないように押さえつけられ、近づいてくる梶山の顔。


「なんで海翔と付き合ったんだよ」

「カジっ、やめ」


無理矢理、重ねられた唇。


「カジ、本当やめてっ…」

必死に暴れる私をよそに、梶山はきょろきょろと部屋を見渡し、1点に目をむけた梶山はソレに手を伸ばした。



「男の部屋に入ってきたのは長閑だろ」



友達だと、思っていた…。

梶山は、綾よりも、特別な友達だと思ってた。



いつから?

梶山はいつから、そんな事を思っていたんだう。


私がここに来たのは、梶山に大地の事を聞きたかったから。私が知りたかった事を、知ってると思ったのに。


岡田が知っていたことも、
梶山なら知ってると思ったのに。





「…海翔には、マジで何も言ってねぇ」


────乱れた制服を元の位置に戻していると、聞きたくもない声が耳に入ってきた。




「あのストラップも…。鈴宮が持ってる理由も、知らねぇよ」

「…」

「長閑」

「触らないでよ」


パシン────ッ。
私に触れようとした梶山の手を、払いのけた。


もう、梶山の顔を見たくない。


「海翔に言えば?お前とヤったこと」


だけど私の目は、どうしても梶山を睨んでしまう。

「言わねぇか、お前、何だかんだ俺には優しいし。・・・いや、俺に弱み握られてるからな。バラされたら困るもんな」

「・・・カジが、こんな奴だとは思わなかった」

「そうだよ、俺こんな奴だし。ずっとお前とヤリてぇとか、大地のことも邪魔だなーとか思ってたし」

「・・・」

「明日も来いよ」

「大地を・・・殺したのは、カジ?」

「・・・さあ?。俺かもよ」



梶山の口から、そんな言葉を聞くなんて。


「次は暴れんなよ。大人しく抱かせろよ」




信じていた人に裏切られた気持ちは、こういう気持ちなんだと、トボトボと重い足取りで自分の家へと向かう。



梶山に抱かれた体。

岡田と全然違った。岡田はいつも優しく私を抱いてくれた・・・。なのに、梶山は・・・。
ずっと友達と思っていたのは、私だけ・・・。



「おかえり」


家に帰ると、お風呂に入っていたのか、濡れた髪をタオルでふきながら、蓮はソファに座っていた。


「・・・ただいま」

「上に海翔君来てる」

「・・・海翔が?」

「うん、玄関に靴あっただろ」


そう言われて、玄関に目を向けなかった事に気づく。


どうして岡田が家に?
っていうか、今は会いたくない。


岡田の・・・、1番仲がいい友達に抱かれた。


思い足取りで自分の部屋の扉を開けると、蓮の言った通りに岡田はいた。岡田は目を細めて私の方をみて、「どうした?」なんて言ってくる。


どうした?


それは、こっちのセリフ。


「海翔こそ・・・。どうしたの」

「鞄、忘れてただろ」



・・・かばん?

ああ、そうか。

私、学校を飛び出しちゃったから・・・。


「わざわざ持ってきてくれたの?」

「それもあるけど」

「それも?」

「長閑に話があってきた」



「いつからいたの?部屋に」

「一時間ぐらい前」

「そう・・・」


ねぇ、岡田。
私、その時抱かれてたんだよ。
あんたの友達に・・・。

明日も来いって言われてるんだよ。


海翔に言ってもいいと言ってきた。
でも、言えないのはどうして・・・。



「田嶋大地のこと・・・」



たじま だいち


岡田は、私が大好きだった人の名前を告げた。