6月に入り、夏もまだだというのに暑い日が続く。もうすぐ梅雨の季節にはいるだろう。

雨の日は結構好きだったりする。
だって雨の日は体育の授業の時、運動場でしなくてすむから。とは言っても、体育だけはサボり癖がついてしまっているけど。

どうして学科の授業は真面目にしない人が多いのに、実技である体育だけはみんな真面目にするんだろう?




「長閑」


ぼんやりと考えている時、低いけど穏やかな声が耳に入った。

前を向けば岡田が笑いながら「飯食おうぜ」と、屋上への誘い。


「もうお昼?」


いつのまに?
さっき授業が始まったと思ったのに。



「そうだけど。珍しい、長閑でもボーッとする事あるんだな」

「…うん、海翔は購買?」

「ん、さっき買ってきた。長閑と一緒に食おうと思って」

「そっか」


屋上で、丁度影になる所へ座り、壁にもたれかけた。髪がなびくような優しい風が当たりとても気持ちがいい。

ぽかぽかと、日向ぼっことは違うけれど、なんだか安心する感覚。


瞳を閉じて視界をシャットダウンすれば、その安心する感覚は大きくなった。


と、その時、
唇に柔らかい感触。


そっと、ゆっくりと目を開ければ、岡田の顔が近くにあり、長い睫毛が視界の中に入ってきた。



「また。なに考えてんだよ」


ちゅっと、唇から頬へと移動する。


「ん、くすぐったい」

「動くなよ」



そう言う岡田は、私の指と自分の指をからませるように繋いできた。
岡田の手は今日も暖かい。


「ご飯食べないの?」

「食べるけど、こっちが優先」


もう片方の手を服の中へ侵入させ、私の背中を撫でる岡田の手。



「海翔…」


「ん?」




「海翔ってキス好きだよね」

「まあ、そうかも」

首筋から鎖骨へ。
岡田の唇は私の体から離れることはない。


部分によってはこそばくて、たまに吐息が出そうになる。


「長閑しかしねぇけどな、こんなの」



また唇に戻った岡田は、噛みつくように私の唇をうばった。角度を変えたり、舌を挿入させたり。撫でられている背中がゾクゾクと震える。



「ん…っ…」


吐息を漏らせば、キスはもっと深くなる。だけど優しい岡田は私が息が出来るように間を空けては、キスを繰り返す。



「…学校終わったら家来いよ」


「…うん、でも夜か朝に家まで送ってね」


「ん、分かった」


その後は、ずっと岡田が私の体を抱きしめながらキスをするだけだった。
チャイムがなってもその行為は続き、結局昼ご飯を食べれたのは5時間目終了のチャイムが鳴ってからだった。


岡田は分かってそうしてるのだと思う。今日の5時間目は体育だったから、私がサボるのを分かっててこうしたんだと思う。



「長閑って唇腫れやすいよな」


「海翔が離してくれないから」


腫れやすいのを分かっててキスをしてくるのは常習犯だ。


「教室戻るか?」


「うん」


だって次は数学だから。


屋上から教室へ行く階段を数歩先に降りる岡田の背中が視界にはいる。

広い肩幅、
しっかりとついた筋肉。

鈴宮とは違う、鈴宮は見ただけで分かるぐらい細い。肌も白いし。




「ねえ、海翔」

「ん?」


私に呼ばれた事により、岡田は足を止めてこっちを見てきた。



「なんで鈴宮をいじめてるの?」



この2年間の疑問、

興味もなかったのに、なぜ聞いてしまったのか。自分でも分からなかった。


「なんで?」


と、岡田が口を開く。

なんでと言われても、私自身が何故聞いたか分からないのに、どう返事をしたらいいか分からない。



「...別に、なんとなくだけど」

「気になんの?」


なに、なんだろう。

いつも通りに優しい口調で聞かれてるはずなのに、なんだか棘があるような...。


「まあ...」

「...」

「誰だってあんなにされてたら、なんで虐められてんだろって気になるよ」

「...もしかして喋った?あいつと」

「あいつって?」

「鈴宮」

「...別に...」


私が質問してるのに、質問でかえされる。


「長閑、なに話した?」


喋った、とは言ってないのに、岡田の中では会話をしたと思ってしまっている。


「ほんと、気になっただけ...。鈴宮なんかあるの?」

「何もねぇよ。つーか、なに?ずっと気になんなかったじゃん、何でいきなり気になんの?」



岡田は怒ってるわけじゃない。
だけど、やっぱり、いつもと違う。


「海翔...」

「カジか?」

「カジ?」


なんでそこに梶山が出てくるの?


「この前話したんだろ?カジと」


どうして鈴宮をいじめているのか

この質問はもしかしたら、岡田にしてはいけなかったのかもしれない。



「この前って...、弟のことだよ」

「他は?」


他...他って...


ってかなんで私、尋問みたいにされてるの?

別にやましいことなんてしていないのに。それに梶山と話した時だって、梶山は岡田から許可がでてるって言っていたのに。



「意味分かんない...海翔変だよ、何にもないって言ってんのに。気になっただけって言ってるじゃん」

「だから何で気になったのか聞いてんだろ」

「さっきも言ったでしょっ、あんなの見てたら誰でも気になるって」

「長閑は興味なかっただろうが!」




私が声があげたからか、
岡田は怒鳴るように声を出して。


びっくりする私に、岡田はハッとした様子で小さく「...わりぃ」と呟いた。


初めての事だった、いつも私にだけ優しくて甘い岡田が、私に向かって怒鳴り声を出すなんて。


「...私、悪い事言った?」


少し戸惑いながら、私は口を開いて。


「長閑」

「...ほんと、なんなの?」

「悪かった、でけぇ声出して...、ごめん」

「私、もう帰る」

「長閑っ」


岡田の横を通り過ぎようとしたけれど、簡単に岡田の手に捕まってしまう。


「離してよっ」と、無理矢理解こうとしたけど簡単には離れてくれない。



「長閑っ」

「もう知らないっ、やだ」

「待てって!」

「帰るから離してってば!」

「なんでだよ!悪かったって言ってるだろ!」



岡田と鈴宮がどういう関係か分からない。
梶山も、きっと何か知っている。



「も、やだぁ...」

「長閑」

「なんで信じてくれないの、何にも知らないのに...」

「...悪い」

「帰るから...離して」

「送る」

「いらない」

「長閑」

「いらないってば!!」

「長閑っ」

無理矢理岡田の方へと引き寄せられ、ぎゅっと痛いほど抱きしめられる。


「ごめん、マジ悪かった...」


岡田の声は弱々しくて


「気になっただけだけなの...」

「うん」


抱きしめられたせいか、
岡田の小さな声を聴いたせいか
私は少しずつ理性を取り戻してきて。


「それ以外は何でもない...」

「うん」

「海翔が嫌なら、いじめの理由聞かない」

「...」

「今日は家に帰る」

「...分かった」


岡田は私を離すと、私の手をとりゆっくり階段をおりていく。




岡田との初めての喧嘩。
喧嘩と言っていいのか分からないけど、こうやって言い合ったのは初めての事。


理由は私が鈴宮の事を聞いたから。



ねえ。

どうして鈴宮にそんなに拘るの。






私は嘘をついた。


岡田に。



今まで興味がなかったいじめの理由。
被害者と加害者の関係性。




知ろうともしなかった事、
私は今、知りたくなった。



だから岡田には聞かない。私が、この理由を探してみせる。



探してみると言っても、私が知っているのは岡田と鈴宮と梶山がなんらかの関係性がある事だけ。

梶山は私と同じ中学校出身で、岡田と鈴宮は違う中学。



梶山は岡田と仲がいい。
それはいつから?
高校から?

いや、でも岡田が私に告白してきた時、一緒にいたのを覚えてる。
1年の夏から鈴宮のいじめは始まっていて、梶山は鈴宮をいじめてはいなかったけど、岡田のそばにいたのは確か。


だとしたら前からの知り合いって事。


前から...


どこで?いつから?




そもそも岡田の中学は2つ市が離れている、鈴宮は....、どこの中学かも分からない。


鈴宮がどこの中学なのか、どうやって調べればいいんだろう。
梶山は知っていそうだけど、ウラで岡田と繋がっているはず、梶山には鈴宮関係は聞けない。


どうしよう、勉強をするのは好きだけど、こういう探偵とか自分には似合わない。


頭がごちゃごちゃになるだけ。






知りたいのは



鈴宮を虐める理由

そして何故それを私に隠すのか

岡田、梶山、鈴宮の関係性とは。


おもにこの3つ。


どうやって調べればいいんだろう、誰に聞けばいい?







「姉ちゃん」

岡田に家まで送ってもらい、シャワーを済ませ、暗くなる部屋のベットの中で考え込んでいると、コンコンと部屋をノックされて、弟の蓮が顔を出した。



蓮の顔は不機嫌で、少し声が低い。



「...なに?」

「呼んでる」


イライラしている蓮で、誰が私を呼んでいるのかすぐに理解できた。いや、どちらかの間違いだ。



「帰ってきたの?」

「うん、女の方」

「分かった」




母さんが帰ってきた。
いつ?
今さっき?


玄関の音が分からないほど、考え込んでしまってたのか。


「蓮は部屋にいていいよ」と言い残し、リビングにいけば、ソファに座りながらタバコを吸い、ちらりと私の方をみた母さん。


きつい香水の匂い。


「これ、置いとくから」


キラキラと光る長い爪をする手で、机の上に札を置いた。


「なに、その顔」


私は今どんな顔をしているのか。


「いっとっけど、あんたが卒業したらもうここに金入れないから。蓮はあんたが面倒みんのよ?」

「...」

「高校入って、遊んでんじゃないでしょうね?」

「...」

「ほんと、なんであんな高校はいったのかしら...、母親として恥ずかしい」



私も、あんたの子供で恥ずかしいよ。


「就職はするつもり、蓮も私がみる。わざわざそんな事言うために呼び出したの?」


自分でもわかるぐらい低い声。


「分かってるならいいのよ」


母さんは携帯灰皿でタバコの火を消した。そして立ち上がると「邪魔よ」とリビングの扉の前でつったっている私に言う。


くそばばぁ...



本当は殴って文句を言ってやりたい。
でもこの人は言うだけ無駄。
そんなの分かりきったことだ。


「卒業したらこの家出るから、もうあんた達と縁切らせてもらうから」



私の台詞に、母さんは聞こえていたはずなのに、そのまま玄関でヒールを履き外へと出ていった。


いらいらする...。

この置いていったお金も、誰が稼いだか分からない。多分母さんじゃない、母さんの不倫相手。

顔も見たことない。


でも私はこのお金で生活している、お金に関しては文句を言えない。
文句を言えない自分が嫌いだ...。



「...姉ちゃん」

階段の上から蓮が私を呼ぶ。


「なに?」

「俺....、高校やめとく」

「なにいってんの」

「姉ちゃんに迷惑かけんの嫌だし」



母さんとの会話を聞いていたらしい蓮。子供の蓮は私に遠慮するのに、どうして大人のあいつらは自分勝手なのか...。


「バカ、蓮は気にしなくていいの」


くそばばぁの残る匂いが嫌で、窓をあける。



「いや、でもさ」

「行かなかったら蓮とも縁切るからね、絶対許さないからね。分かった?」

「...」

「大丈夫だから」

「...うん」



こうでも言わないと、蓮は本当に高校へ行かなくなってしまう。
そんな事絶対にダメだから。


「私、部屋戻るね。窓空いてるから寒くなったらしめて」

「...うん」



今日、やっぱり岡田の家に泊まりに行かなくてよかった。もし私がいなくて蓮だけで母さんの対応をしていたらどうなっていたか分からない。


1ヶ月に一度、帰ってくるか帰ってこないかの頻度。

文句を言われるのは、私だけでいい。


タイミングがいいのか、部屋に帰って扉を開けた途端、部屋の中で着信音が鳴った。

カバンに入れっぱなしの携帯を取り出すと、それは岡田からの着信。


岡田は今の私を分かっているのか、分かっていないのか。ベットの上に座り、通話ボタンを押した。



『俺だけど...』

岡田の声を聞いた途端、ずっと我慢していたように目から涙が流れきた。
さっきまでは岡田や鈴宮、梶山の事を探ってやるって思ってたのに....。


「....海翔」

私は弱い。
母さんが嫌い、大っ嫌いなのに。
こうやって本人に直接言われると、やっぱりキツイ。
そう思うのは少しだけ好きって言う気持ちがあるからなのか。




『さっき、マジでごめんな』

「...っ」

『長閑』

「....ん」

『長閑?』

「...ん?」

『泣いてんのか?』

「...泣いてないよ...」

『...』


『嘘つけや、今部屋にいんのか?』

「...ん」

『今から行くわ』

カチャリと電話越しで音がする。
多分、机の上に置いた鍵を取ったのだろう。バタンと扉の音も聞こえる。



「...海翔」

『なに?』

「...会いたい」

『...わかった、すぐ行くから』

「...うん」




私は弱い。


こうやって誰かがいないと、消えてしまいそうになる。

ワガママな私の一声で来てくれる、私にだけ優しい岡田。


私は岡田の優しさに甘えているのだ。


自分の枕に向かって顔を押し付け、しばらく我慢すれば涙は収まった。

泣いたせいかぼんやりとする頭。



瞳を閉じて、シャットダウン。


大丈夫、私はまだやれる。
いっぱい勉強して、就職して、蓮の高校生活を見送って。

ああ、その前に新居を探さないと。この家とはおさらばして。


今は六月、もう卒業まで一年もない。

残り少ない日数で、鈴宮の事も探らなくちゃならない。


私、どうすればいいんだろう。


もうずっと眠っていたい。
永遠に眠り続ける眠り姫、ほんと、そんなのあったらいいのに。















ひんやりとしたモノが、頬に触れた。
それは私の頭をゆっくり撫でていて、ゆっくり目を開けると先ほど別れた岡田がいた。


岡田の手つきは優しくて、思わずまた目を閉じたくなる。


どうやら私は眠ってしまったらしい、いつ岡田はこの部屋に来たのだろう。

いつも温かい岡田の手は今は冷たくて、少し髪が濡れていて、石鹸のいい匂いがする。風呂上がりに来てくれたのは一目瞭然だ....。



「ごめん、起こしたな」

「...来てくれたんだ」

「当たり前だろ」



岡田は私に家族に問題がある事は知っている、私が教えたわけではない、気づかれたっていう言い方が正しいかもしれない。

それとも、梶山に聞いたのか。



だから、私がこんな風になってるのも想像つくはず。なのに岡田は私に何も聞いてこない。
なんで泣いてたんだ?とか。
何があった?とか。


「手、冷たいね...」

「わりぃ、冷たかった?」


そういって岡田は私の頭を撫でる手をとめた。
違う、そういう意味じゃない。
やめてほしいっていう意味じゃない。


「ううん、気持ちいい、落ち着く」


岡田は私の言葉に、優しく微笑んで


「そうか」

と、撫でる行為を再開した。

ベットに寝転ぶ私と、床に座る岡田。



「海翔もこっち来て」

「...ん、もうちょいつめろ」


布団の中に入ってくる岡田はやっぱり冷たくて。きっと急いで来てくれたんだ。



「ごめんね」

「なにが?」

「いきなり会いたいとか」

「気にすんじゃねぇよ」

「...ん」

「いつでも呼べばいいから」

「...うん」

「ほら、もう寝ろ」

「うん、...頭撫でてくれる?」

「ああ」

「...ありがとう」


先ほど言い合ったのが嘘みたいで、だんだん暖かくなっていく岡田の手によって、私は眠りについた。




どうしてだろう、知りたいと思っていた岡田と梶山と鈴宮の関係性が、どうでもよくなっていく。


私が関係性を分かってしまい、その事で岡田と私の関係が壊れるなら...、いっそ知らない方がいい。