「田嶋大地のこと」




その名前を言った岡田に、私は目を見開いた。

何年かぶりに聞いたフルネームのその名前。


やっぱり、岡田は大地のことを知っていた。



「長閑」


どうして知ってるの?
どうして岡田が大地のことを?


「ずっと言わなくてごめん」


どうして私に黙ってたの。


ずっと黙り込む私に、岡田は「長閑?」と再度名前を呼んでくる。その声に顔を上げると、岡田は初めて見るような困っている顔をしている。

どうして岡田がそんな顔してんの。


困ってんのは、私の方なのに。



「長閑?お前、マジでどうしたんだ?」


どうって···


「なんでそんな泣きそうな顔して···」


戸惑いなくのびてきた岡田の手。
それは私の頬をとらえ、「長閑?」と名前を呼ぶ。


「···別に、なんでも···。それよりどうして海翔が···」

大地のことを知ってるの?
そう聞こうとした時だった。


岡田の視線が、私の手首の方へと向かっていて。
ハッとした私は“ソレ”を隠そうとカーディガンを掌まで引っ張ろうとした時、


「なんだよこれ!!」


岡田は大声をあげ、隠そうとした私の腕を掴んだ。

やばい…
どうしよう
見られた

梶山に縛られて出来た痣。


それを見た岡田の顔色が、どんどん怖い顔に変わっていく。

喧嘩が得意な岡田だ。
手首の痣がどうやったら出来るかぐらい、すぐに分かるはずで。


「誰にやられた?」

「こ、転んだだけだから…!」

「そんなんでなるワケねぇだろ!!」

「海翔痛いよっ」


岡田が痛いくらい、私の腕を掴む。
梶山に犯された時に縛られたロープのような跡。


「…さっきまでどこにいた?」


梶山のマンション…。
岡田の親友の、梶山のマンションだよ。

彼氏である岡田に言わなくちゃいけないって分かってるのに、言えない…。


梶山は私にとって、特別な友達だから────



「誰と会ってた?」

黙り込む私に、岡田の声がどんどん低くなっていく。



「ほ、ほんとに何でもないからっ、っていうか海翔こそ、大地とどういう関係…」

「誰と会ったか聞いてんだろ!!」


岡田の大きな声に、体がビクッと反応した。



「もっかい聞くぞ、誰にやられた?」

「……っ」

「長閑」

「……海翔…っ」

「何された?」

「……っ」

「…やられたのか?」

「ご、めん…、ごめん…海翔…」

私が謝ったことに、肯定と判断したのか、岡田の顔つきがますます怒った表情にかわり…。


「誰だ」

もし、岡田に言ったら?


「俺の知ってるやつか?」

梶山はどうなる?


「長閑!!」

縛られた手首が痛い…。


「答えろ!!」

「…っ」


私に対しては、甘い岡田。
その面影がないぐらい、どう見ても岡田はキレていて。

私の事を好きだと言った梶山。
岡田の親友の梶山…。

私にとって特別な友達で、
岡田はずっと私と一緒にいてくれた彼氏。


「……ジ…」

「あ?なに?」

「…カジと、会ってた……」


私の言葉を聞いた途端、岡田の顔色が変わった。


「は?」


意味が分からない…と、言うふうに呟いた岡田は、


「カジって…、あのカジか?尚登?」


私はそれに、小さく頷いた。
頷いた拍子にいつの間にか泣いていたらしい涙の粒が、ポタリとこぼれた。



「…ちょっと待てよ…」


特別な友達だった。
中学時代、ずっと大地と3人で遊んでて。
大地が死んだあとも、梶山はずっとそばにいてくれた。


高校に入ってからは、岡田という彼氏が出来てからは些細なことしか話さなかったけれど、やっぱり梶山は特別で。

なのに、

どうしてなの、梶山……


私は梶山の「男」の部分なんて、見たくなかった…。

裏切られたっていうのが、辛すぎて……。


「ふざけんなよ……」


岡田は聞いたこともないぐらい怖い声を出すと、私の腕を離し、立ち上がった。


そのままどこかへ行くのか、扉の方へ向かって。


「海翔っ、どこ行くの!?」


まさか、梶山のところ?
ううん、そうに決まってる。
ビシビシと伝わってくる岡田の怒り。


「ついてくんな!!!」


岡田は怒鳴り声をあげると、私の手を振りほどき玄関の方へと向かう。玄関に向かう途中、蓮が「ど、どうしたの?」と不思議そうな顔をしていたけれど、それどころじゃなくて。


「海翔!!」


家を出て、私は岡田の跡をついて行くことしか出来なかった。


ついた場所はやっぱり、梶山のマンションで。
梶山と1番仲がいい岡田が、梶山の家を知っているのは当然の事だった。


岡田は部屋の前につくと、インターホンを鳴らすことなく、玄関の扉を勢いよく蹴りつけた。


「おいコラ!!出てこい!!」

ドンドンと、扉がこわれるんじゃないかってほど、岡田は蹴りつけていく。


「カジ!!!」


何度も何度も蹴りつけるけど、中からは出てくる気配なくて。

いない?

留守?


さっきまで、この部屋で私を抱いていたのに……


イライラしている岡田は、自身のポケットから携帯を取り出した。

「海翔っ…!」


私は岡田の腕を掴んだ。
岡田は「離せ!!」と怒鳴り散らし。


「私が悪かったの!カジの部屋に行ったから…っ、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい…」

「っ、そういう問題じゃねぇだろ!!」

「でも、私がっ……」

「ふざけんじゃねぇよ!!」


どうやら梶山に電話してるらしいけど、梶山は電話に出ないのか怒りを隠せていない岡田はもう一度玄関の扉を蹴って。

私が梶山の家に行ったのが悪かった。
だからこんな事態になってしまった。


「なんでだよ…、ふざけんなよマジで」

「海翔…」

「意味わかんねぇし…」

「……」

「お前、しょっちゅう会ってたわけ?あいつと」


しょっちゅう?
そんなわけない。
高校に入ってからは関わること自体、少なかった。


「…会ってない、今日たまたま…」

「なんで会った?」

「……」

「カジに何の用があったんだよ」


それは大地のことが……。

鈴宮が大地の私物を持っていたから。

なんて他の男の事を、相当キレている岡田に言ったら、余計に怒らせるに決まっているから。


「……あれ、海翔くん?何してるの?」


その時、エレベーターの方から梶山とよく似た声が聞こえた。その声に驚いて声のした方へと顔を向けると、そこには梶山とよく似た男の子がいて。


「…悠翔」

岡田も梶山によく似た声に反応して、梶山の弟である悠人の方へと顔を向けていて。



「ってか、蓮のねーちゃん?兄貴に用事でもあった?」


悠人を見るのは久しぶりだった。

最後に会ったのは、私が中学生の頃だったから。


キョトンとしている悠人は、「兄貴ならさっき公園で空君と一緒のとこ見かけたけど…」と、私にとっては意味の分からない発言をして。


空君…?
空君って?


────鈴宮空?


ちょっと待って、どうして梶山が鈴宮と?



「…んだよ、それ」


悠人の台詞に、ぽつんと呟いた岡田は……。


「……馬鹿みてぇだな、俺」


乾いた笑いをだした。


「海翔…?」

あからさまに態度が急変した岡田。
怒っている…、
ううん、そんな言葉じゃ言い表せないぐらい岡田は…。



「長閑」


乾いた笑を消し、私の名前を呼んできて。



「もう無理だ」


何が?


「海翔?」


何が無理なの?


「別れようぜ」


え………?


なに、いま、なんて言った?

別れよう?

それって今、私に言ったの?


「な、なんでっ、どうして?」

「どうしてって、長閑が1番分かってるだろ?」

「分かんないし!」


梶山とエッチをしたから?
梶山を庇ったから?


必死に海翔の腕元の服を掴む。

高校生になってからずっと彼氏で、一緒にいてくれた岡田。私を手放す気は無いと言ったのに。なのにどうして突然別れを切り出されるの?



「なんかもう疲れた」


疲れた?

それって、私と付き合うこと疲れたったこと?


「あ、あの…海翔君?どうしたの?」

視界の隅に、ハラハラしている悠人が入ってくる。



「疲れたってなに…?本気で言ってるの?」

「他の男を好きなやつを、守る意味あんのかよ」

「え?」

「長閑は誰でも良かったんだろ?」

「…海翔?」

「初めから知ってた、長閑が俺に興味ないことぐらい。誰でも良かったんだよな、そばにいてくれんなら」


岡田は何を言ってるの?

他の男が好き?
守る意味?
知ってた?
誰でも良かった?


「何言ってるの…?」

「あの男から頼まれたから一緒にいたけどもう無理だ」

「…あの男?」

「別れようぜ、長閑」


別れる?岡田と?


「い、いやっ、嫌だよ」

「何で嫌なんだよ」


そんなの


「海翔が好きだからっ…!!」


それしか無いに決まってんのに。


私の台詞に、岡田は小さく笑った後、


「それ、あの男が生きてても同じ事言えんのかよ」


冷たすぎる声でそう言った。



岡田は服を掴む私の手を無理矢理引きはがすと、悠翔の横を通り過ぎてエレベーターの方へと向かって…




呆然する私は海翔を見送る事しか出来なかった。


あの男が生きてても……?

それはまさしく大地のことを言っていて……


頼まれた?


大地に?


私を守るように大地から頼まれてたってこと?



意味が分からなかった。

大地と岡田は知り合いだったの?
どうして大地はそんな事を言ったの?


岡田は大地に頼まれたから、私とずっと一緒にいたってこと…?


つまりは、岡田は私の事、好きじゃなかったってこと?



「ごめん…、俺なんか変なこと言った…?」


オドオドする悠翔は、「な、なんか飲み物でも持ってこようか?」なんて言ってきて。


私はまだ岡田と別れたってことに理解出来なかった。


岡田は優しかった。
不良の頂点に立つ岡田は、私にだけ優しく甘かった。

でもそれは私の事を好きではなく、大地に頼まれたから……?


どうして大地が出てくるの?
大地と岡田は知り合いだった?
仲良かった?
ううん、「あの男」って言ってたから、それほど仲は良くないはずで…。



「長閑ちゃん?大丈夫?兄貴呼ぼうか?」


兄貴…、梶山?



「悠人」

「な、なに?呼んできた方がいい?」

「さっき言ってた空って…、鈴宮空?」


岡田が私に別れを切り出したのは、梶山と空って人名前が出てきてからで…。


「え?あ、うん、そうだったかな。綺麗な名字だなーって思ってたから覚えてる。結構前に3人でよく家に集まってたんだよ」

3人?


「3人って?」


「兄貴と空君と海翔君。長閑ちゃん、海翔君と喧嘩でもしたの?」


梶山と鈴宮と岡田が?会ってた?
何故?
だって学校では、岡田は鈴宮を標的にして……

あんなに暴力をしてるのに。

仲が悪いんじゃなかったの?


「怒ってる海翔君見るの久しぶりだったけど⋯」


怒ってる⋯
岡田が?

私に?


いつも私に大してだけは優しくて甘い⋯、そんな岡田が私に別れを切り出した。


それから、私はいつのまにか家へと帰ってた。

私の部屋には、岡田の上着が置いてあった。




────あの男が生きてても同じ事言えんのかよ



岡田は大地の事を知っていた。
もし、大地が生きていたら、私は岡田と付き合っていなかった?



その通りだと思った。


大地が死んで、私は1人になった。
大地のことは毎日毎日、忘れることはなかった。
あんなにも大好きだったんだから、忘れること自体出来なくて。


梶山の顔を見る度、ああ、大地がいない⋯って、ずっと思ってた。


梶山の顔を見る度に、3人で沢山遊んだことを思い出してしまうから。
きっと梶山もそれを思っていたんだろう、だから高校に入ってからはあんまり関わることをしなかった。


私は逃げた。
いきなり現れた岡田に。

岡田を見ても大地のことは思い出さないし、この人といれば大地を思い出さない、忘れさせてくれるかもって。

私は⋯⋯岡田を好きじゃなかった。
好きで付き合ったんじゃない。


けど⋯⋯、



「手放す気⋯ないって⋯言ったのに」


私は岡田の上着を抱きしめながら、泣いた。



こんなにも、気づけば岡田を好きになってしまっているというのに。


大地に頼まれたからって言っていた岡田⋯。

岡田と梶山と涼宮が仲が良かった⋯。
その3人は幼なじみ⋯⋯。


この3人の繋がりは⋯⋯⋯。


もう、どうでもいい⋯⋯。


今はそれよりも岡田だった。




落ち着いた頃、何度も何度も岡田に電話をかけた。


だけど岡田は電話に出てくれない。


ずっと受話器からプルルルっていうコール音が鳴っていたけど、岡田の携帯の電源が切れたのか、もうコール音もしなくなってしまった。

意図的に切ったのか、
充電が無くなってしまったのか⋯⋯。


真夜中に岡田の家に行っても、岡田はいなくて。

家の前で岡田を待っている間、寒いとか、そんなの感じる暇もなかった。別れたくない⋯、ずっとそばにいて欲しい⋯。もう、二度と好きな人を失いたくないから。




────明け方になっても、岡田は自分の家に帰ってこなかった。




岡田は私の事好きじゃなかったの?
大地に頼まれたから付き合ってたの?

梶山に抱かれたから?






「⋯⋯高橋さん」

寒さを感じないというのに、もう手足は冷たくなっていて。いろいろ考え事をしていると、ふいに名前を呼ばれた。


その呼び方は岡田じゃない。
岡田は「高橋さん」なんて呼ばない。


私を呼んだのは⋯⋯。


「涼宮⋯」

痛いしい顔にアザがある男。
彼の名前を呼べば、涼宮は困ったように笑い、「探したよ」と呟いた。



探した?
涼宮があたしを?
どうして⋯



「海翔は?」


私は乾いた声で涼宮に聞いた。
もう涼宮が岡田と親しいのは知ってる。幼なじみなんでしょ?何か理由があって、岡田が涼宮を虐めてるんでしょ?


「分からない、俺も探してるから」


涼宮も探してる?
ああ、だから岡田の家に来たの?
でもさっきは私の事を探してるって⋯⋯。


「俺、いろいろ考えたんだよ」


考えた?何を?


「内緒にしなくちゃって思った、高橋さんには」

「⋯⋯え?」

「でも、やっぱり、こういうのは間違ってると思ったから」

「涼宮?」


涼宮の言っていることが全く分からない。


「海翔と別れたって聞いた」


どうして涼宮がそれを?
私は言ってない。
ということは岡田が涼宮に言ったってことになる。

いつ?
私と別れたあと?



「高橋さんは海翔の事どう思ってる?」

「どうって⋯」

「カジの事は?」

「⋯⋯⋯」

「カジのした事も⋯どう思ってる?」


涼宮は⋯、私と梶山と何があったのかも知っている⋯。



「さっきから何?意味分かんないことばっかり。何が言いたいの」


涼宮は困って笑う顔をやめて、初めて見る真剣な顔つきになった。


「今から全部、俺の知っていることを伝える。それを聞いてどうするか、高橋さん次第だよ」


岡田の家の前で、ありえないことを口にしていく涼宮。

涼宮の言葉にきっと嘘は無い。


涼宮の話を聞いていくうちに、戸惑いを隠せなくなってしまうのは仕方の無いことで。






「じゃあね、高橋さん、また学校で」




全ては、私のせいだったんだ────⋯。