「どうして大地が謝るの」

「気づかなかった・・・。俺、梶山に謝んねぇと」

「・・・梶山は怒ってないと思うよ。多分だけど」

「いや、それでも謝んねぇとな。────で、飯田だっけ・・・。長閑の物捨てたやつ」

「・・・うん。でももう何もしてこないと思う。そんな感じがしたし・・・。彼女、大地のこと好きだから、仕方ないよ。女の子ってそういう生き物だし」

「もう気にしてないのかよ?」

「うん」

「・・・だとしても、もう飯田と喋んねぇ。つーか、女と喋らないようにする」

え?


「ど、どうして?」


大地は誰とでも話すのに。


「女って・・・、群れる生き物だから。長閑のこと、飯田みたいに思ってる奴いると思う。そんな奴らと仲良くしたいとか思わねぇよ」


あの大地がそんなことを言うなんて。

いつもいつも、周りには誰かがいるのに。



「長閑?」

「ん?」

「なんか、キスしたくなった」

「はあ?」


呆然としていると、
大地がとんでもないことを言ってきた。

驚いた顔をしている私に、軽くキスをしてきた大地は・・・



「あいつ、友達いねぇの?」

と、キスの合間に言ってくる。



「さあ・・・、本人はそう言ってたけど」

「ふぅん」

「ってか大地、体は?痛くないの?」

「余裕」


私の頬に手をあて、キスをしてくる。


お互いのファーストキスから、何度もしているせいか、最初のぎこちなさは無くなり、すっかり慣れたようにキスをしてくる大地。


「長閑?」

「ん?」

「これからは・・・俺が長閑を守るよ」

「・・・うん」


まだ12歳。
誕生日が来れば、13歳になる。


世間から見れば、
まだまだ子供だと思われるかもしれない。


でも誰だって、物心ついた時から
感情っていうのは深くなる。

私達はその感情が人よりも高いだけ・・・。




────そう、高かっただけなんだ・・・。


「こらー!! 梶山!! 田嶋!! 高橋!!」


・・────あの日から、約2週間。



「やっべ、見つかった!」

と、やけに楽しそうな大地。


「だからここじゃ見つかるって言っただろ!」

梶山は怒っている口調なのに、顔は全然怒ってなくて。


「ちょっ、2人とも待ってよ!」

そんな2人を笑顔で追いかける私。



後ろからは学年主任の先生が、鬼の血相をして「やっと見つけたぞ!3人!」と追いかけてくる。



あの出来事から次の日、大地は「ちょっといい?」と梶山を呼び出した。1時間分授業をサボった2人は、教室に帰ってきた頃には何故だかわからない。

仲良くなっていた。


もともと友達作りが上手な大地。



梶山は「大地」と呼び、
大地は梶山を「カジ」と呼ぶようになっていた。

かじやまの、「かじ」の部分をとったらしい。

私はまだどういう経緯で
2人が仲良くなったのか分からない。


でもこの2人が仲良くなったのは嬉しかった。


仲良くなった日から、2人でサボっていた体育は、いつのまに3人になっていて。
体育以外でも授業を抜け出すようになった私達は、先生達に目を付けられるようになっていた。



「長閑、足おせぇ」

「2人と一緒にしないでよっ」


男と女は体力違うし。
第一身長が違いすぎる。
二人共、背が高すぎ・・・。

遠くから、「どこいった!」と、学年主任の怒っている声が聞こえる。


「どうする?」

「今戻ったら面倒くさそう」

「確かに」

「あー、じゃあ、俺んち来る?」

「カジの?」


まだ私がぜーハーと呼吸を整えているのに、平然と会話をする2人に少しだけイラッとした。

「長閑、カジの家行こうぜ」

なにやら私が呼吸を整えている間に次のいく所が決まったらしい。

っていうか、まだ上履きのまま・・・。


「家ちけぇの?」

「そこのマンション」

「マジかよ。近すぎ」

「高橋、行くぞー」



私を「高橋」と呼ぶ梶山。


「え、待ってよ。大地もカジも早すぎっ」


私が「カジ」と呼んでも、梶山は何も言わなかった。

ただ呆れたように笑うだけ。



夏休みも
二学期も
冬休みも
三学期も、

私達3人の関係は変わらなかった。


変わったのは、2年生になって、一ヶ月がたったころだった。


問題児らしい私達3人は、同じクラスになり、厳しいと噂される先生が担任のクラスになった。


「なあ、高橋」

いくら担任が厳しくても、その目を盗んで授業を抜け出すのが私達。
今は体育館の裏にいるけど、いるのは私と梶山だけ。
今朝、携帯には「風邪ひいたから休む」と大地から連絡がきていた。



「なに?」


梶山は地面にあった石を手に持つと、ポーンと壁へと軽く投げつけた。


「最近さあ、大地のやつ、変だと思わねぇ?」

「────え?」

「俺の勘違いかもしんねぇけど・・・、今日だって休みだし」


「風邪だって聞いてるけど」

「そうだけどさ、なんつーの?帰り別れる時、変な顔するんだよ」

「変な顔?」

「なんだろうな、家に帰りたくないって顔────・・・」


どくんと、胸が高鳴った。

私の教科書の時もそうだった。

周りのことをよく見ていて、観察力がすごくて、何かと鋭い梶山。


大地の体のことに気づくのは、時間の問題だと思った。

「親と喧嘩でもしてるのかな」

私の作り笑いは、梶山に通じているだろうか。


「さあ、あいつの親って厳しいの?」


大地の親・・・。
会ったこともないし、見たこともない。
けれど、自分の子供に暴力をする親ってのは確か。


「・・・分かんない」


大地はきっと、梶山に心を開いてるはず。
じゃなきゃ、“体育”の時間を3人でサボるはずがない。


梶山に相談しても良さそうなのに。
口は硬いと思うし、絶対に誰にも言わないはず。

だけど大地がまだ梶山に内緒にしているのは・・・


大地が梶山に言わない限り、私も梶山に言うわけにはいかない。大地との約束は、守らなくちゃならない・・・。


「私、今日、聞いてみるよ」

「あーうん」

「さ、そろそろ教室戻ろうか。チャイム鳴ったし」


立ち上がり、パンパンとスカートのお尻側を叩く。
これ以上一緒にいれば、言わないと決めた意志が鈍りそうだった。



「なあ」


けれど、梶山は立ち上がらず、
私に呼びかけてくる。


「うん?」

「あいつがいつも長袖なのと、絶対体育を休む理由って、なんかあんの?」

「え?」

「半袖になれない理由。高橋は知ってんの?」


────違う。

梶山は遠まわしに言っているだけで、
きっと、分かってる。


どうして大地が・・・、半袖にはなれない理由を。


私に大地の家族の事を聞いてきたワケも・・・。


だから、私は・・・


「どこまで知ってるの?」

と、直球で聞いた。
梶山みたいに遠まわしに聞くのは苦手だった。

梶山は、きっと頭がいい。



「やっぱ知ってんじゃん」

と、梶山は呆れながら笑った。




「───大地が俺んちに遊びに来た時、あいつ寝ちまって・・・。あいつが寝返りをうった時、服がめくれあがって見えたんだよ。でけぇアザ・・・、腰に」

「───」


「初めはどっかで打ったのか?って思ったけど、後々思えばあんな場所、寝てる時に蹴られたぐらいしかねぇし」

「・・・」

「学校でそんなの無いだろ。喧嘩とか」

「・・・」

「だったら学校の外・・・。どっかで絡まれたか」

「・・・」

「家で何かあったか」

「・・・」

「違う?」

「・・・」

「高橋って、本当分かりやすいな」


梶山は感が良すぎる。
鋭すぎる・・・。


「あいつ・・・、家で殴れてんの?」


ヒュウ────っと、風が吹いた。

校舎からは、授業の鳴るチャイムが聞こえる。


「私の・・・口からは言えない」


もう梶山は分かってる。

けど全部を知ってるわけじゃない。


暴力行為をしているのが父親ってことも、離婚して弟に絶対バレたくないってことも。



「・・・分かった」


そう言った梶山は立ち上がり、「俺、帰るわ」と、ぺしゃんこの鞄を持つと、校門の方へ歩いていく。


私は何も言うこともできず、ただ梶山の背中を見ることしか出来なかった。



風邪のせいで学校へ来なかった大地。
毎日私を家まで送ってくれていた大地がいないからか、1人の帰宅はとても寂しく感じた。

部屋につき、携帯電話を開き、コール音を鳴らす。



コール音が10秒程続いた後、『・・・もしもし』という声が聞こえた。1日しか離れてないというのに、とても久しく思った。


「体調どう?」

『・・・平気、熱そんなないし』

電話越しだからか、大地の声が低く感じる。


「そっか。明日も休み?」

『あーうん、多分休む』


熱、そんなにないのに?


「・・・大丈夫なの?看病とか、見てくれる人いるの?」


大地と一緒にすんでいるのは、暴力をする父親だけ。
離婚している母親と弟はいない。


『大丈夫だって。熱、そんなにないって言っただろ』

「・・・」

『週末明け・・・、月曜日には行けんじゃねぇかな』

「大地?」

『・・・なんだよ?』

「本当に────、風邪ひいてるの?」

大地がウソをついているって思いたく無かった。
私には隠さず、言ってくれると思ったから。


『・・・風邪だって』

「ウソ・・・」

『・・・』

「私には、本当の事言ってよ」


私は大地の友達じゃないでしょ?
彼女でしょ?

私がいつも思ってる大地・・・。


『長閑には適わねぇなあ・・・』

小さい大地の声。


『昨日、結構激しくて・・・、足が動かねぇんだよ』


動かない・・・。


『・・・トイレも這って行ってる』

「それ、全然大丈夫じゃないよ」

『痛いのにはなれてるから大丈夫だって』


大地は笑っていた。
でも、動けないほど痛いはずなのに・・・。

無理をしてるってのが電話越しで分かる。


「カジが・・・感づいてる」

『カジが?』

「ねぇ、言おうよ。本当のこと。もう暴力されて3年だよっ、他の人にバレるのも時間の問題だよ」

『・・・長閑』

「私が大地のお父さんに言ってもいい、もうするなって。警察に言うって」

『駄目だ!!』

「な、なんでっ」

『最近マジで手に負えねぇから・・・。長閑にまで暴力するかもしんねぇ』

「でも!」

『大丈夫だって。俺、長閑がこうやって言ってきてくれるだけで嬉しいから』

「・・・大地」

『そっか、カジに気づかれてるかもか。まあ、そんな気はしてたけど・・・』

「気づいてたの?」

『うん、少しな。今から電話するわ、カジに。また明日連絡する』

「・・・うん」

『またな、長閑』


────またな。長閑


大地はこの言葉をどんな気持ちで言ってたんだろう。






週末明けの月曜日。
来ると言っていたはずの大地は、学校には来なかった。




「骨、折れてたって?」

あの日、電話で“全て”を聞いたらしい梶山。

誰も来ない場所。
気が動転している私を部屋に連れてきてくれた部屋の持ち主の張本人は、眉間にシワをよせて聞いてくる。


「・・・うん」

動かないと言っていた足は、折れていたらしい。
酔いが冷めて、理性を取り戻した父親は、病院へ連れて行ったらしい。
怪我をさした張本人が病院に連れて行くなんて、本当に笑える。



「・・・大地、なんて?」


病院に連れていったら、大地の体の事が病院関係者にバレる。これでもう、父親は捕まる。そう思っていたのに・・・。


「高校生に目をつけられて、会う度に何度か殴られたって言ったみたい。父親にされたって、言わなかったって」

「・・・そうか」

「ほんとバカ、正直に言ったら良かったのに」


父親には俺しかいない?
弟に知られたくない


────そう言って、あの日、泣いた大地。


「しばらく入院するみたいだし、まあ、これはこれで良かったんじゃねぇか?」

「・・・うん」


その期間は、暴力されないから。
でも、納得はいかない。


「遠足・・・、行けないね」


あと1週間後に控えた遠足。
3人で色々見て回ろうって約束してたのに。
退院は早くても2週間後。
だけどそれ以上長引くだろうと思った。
足の骨折以外にも、大地にはたくさんの傷があるから。


「お土産買えばいいじゃん。それ持って見舞い行こうぜ」

「うん」

「来年は修学旅行だし、それに期待しとけよ」

「うん」


遠足先で、カジと一緒にお土産コーナーに行った。
けれども大地がほしいのが分からなくて、カジに「これは?」と言われ見つけたのが手づくりで作れるストラップだった。

名前をいれることができる、
世界に一つだけしかないストラップ。


「大地って“D”だよね?」

「当たり前のこと聞くなよ」

「カジは作んないの?大地に」

「なんで俺が高橋と一緒の作んだよ。こんなんでいいんだよ」


梶山が持っているのは、
どこにでも売ってそうなクッキー。

まあ、梶山といえば、梶山らしい。



お土産といっても、
初めて大地にプレゼントするモノだった。


・・・喜んでくれるといいな・・・。


大地が入院して、1週間。
面会の時間は14時から20時までの間。


「お前ら、毎日来んなよ」

ケラケラと笑う大地。
来んなよって言ってるわりには、そういう風には見えない。暇で暇で仕方ないって顔してる。

面会の時間、私は授業をサボってもほとんどの時間は大地の病室で過ごしていた。

それは梶山も同じで、“全て”を聞いたらしい梶山は、すごく大地の体を心配するようになった。


「おおー、さんきゅっ、ストラップじゃん。“D”って俺の名前?」

「当たり前でしょ」


面会の時間。
怪我をさした張本人、大地の父親は病室に来ることは無かった。



「お前らさ、高校どこ行く?」

大地が梶山の買ってきたお土産のクッキーを食べながら、語りかけてくる。

高校?

なんで急にそんな話?


「つーか、いけんの?サボり魔」

「それカジに言われたくねぇ」


2人の話し声を聞きながら、私はクスクスと笑った。



「俺は北高にしようと思ってんだけど」


その高校名に驚いたのは、私だけじゃない。


「はあ?」

ほら、やっぱり梶山も驚いている。


北高といえば、この辺りでも有名な不良高。


確かに授業はサボってはいるけど、北高にしか行けない程の学力じゃない。内申点はどうか知らないけど、テストの点数から平均並なのに。

それは私だけじゃない。
梶山も大地にも言えること。


「北高に行って、会いたいやつがいるんだよ」

そう言った大地は、笑顔で。


「じゃあ、俺もそこにしよっかな・・・。他の考えんの面倒くさいし・・・。それに」

「それに?」

「あ、いや、何でもねぇ。高橋は?」

「私はまだ・・・決まってない」


高校なんて、考えたこともなかった。

そうか・・・。

中学を卒業すれば、みんなそれぞれ違う高校に行く。


会いたいやつに会うために、北高へ行く大地。

考えるのが面倒くさいから、そこにしよかなと言う梶山。


私は・・・。

大地と離れたくない。

梶山とも、離れたくない。


「退院したら、授業出ねぇとな。流石に内申悪くて北高落ちたらヤベェし」

「受かるだろ普通に大地なら」

「分かんねぇよ?ま、体育はさぼるけど」

「サボんのかよ」

「当たり前だろ、それ以外は真面目に授業出るかあ」

「つーがその前に早く怪我治して退院しろよ。なあ、高橋」

「うん、ほんとそれだよ。早く治してよね」




・・・高校か。

来年の冬には、受験っていうのがあるんだ。


私も北高へ行きたい。
この時、本当にそう言いたかった。


でも言えなかったのは、
頭の脳裏にあいつらの顔が浮かんだから。


大っ嫌いな、あいつらの顔が────。

私が小学校の頃、お父さんとお母さんは大喧嘩した。大喧嘩は浮気────・・・。
会話を聞いている限り、始まりはお父さんの浮気だった。
次第にお母さんもお父さん以外の男の人ができて、滅多に家に帰らなくなった。



「お母さん・・・どこ行くの」

まだ小学生の蓮は、玄関で高いヒールをはいているお母さんにそう言う。私は冷めた目つきで、2人の方を見ていた。

蓮ではなく、母親を。


「うるさいわねっ、もう行くから離しなさい!!」

「お母さん・・・」

「長閑!! なんなのその目!! あんたが面倒見なくてどうするの!?」

じゃあお前は?
蓮の面倒見なくていいの?


「あんた・・・、これ以上馬鹿になったら承知しないからね。さっさと金を稼げるようになりな!」


ずっと無言でいた私に、母親は私を怪訝そうに睨みつけると、コツコツとヒールを鳴らし外へ出ていった。

「・・・姉ちゃん」

「蓮、もうあの人とは喋らなくていいよ」

「・・・うん」



義務教育は中学校で終わる。

けれども高校へ行かなければならない。
そうしないとお父さんが“世間体”と話し出すから。

世間体を気にするなら、
浮気なんてしなければよかったのに。





お父さんは家庭には入ってこない。
離婚をしないだけで、
何もしてこないし、何も言ってこない。

家で会ってもお父さんは口を開かない。
開いた時はお母さんと喧嘩をするだけ。


こんなヤツら、大っ嫌いだ────。



もし私が北高へ行きたいといったら、2人はなんて言うだろう。


娘が不良高へ行くなんて、「世間体が・・・」ってお父さんは言う?

「そんな高校へ行って就職は大丈夫なわけ?」って、お母さんは言う?




子供は親を選べない。
本当にその通りだと思う。


大地も・・・、私みたいに思ってるのかな。


もう季節は夏に入る頃、
大地は退院した。

まだギブスはついているけど、病院でリハビリして、松葉杖で歩けるようになったみたいで。


「荷物持つよ」

「さんきゅ」


退院する日まで、大地のお父さんは病院へ来なかった。

お父さんに暴行されていない入院中の期間に体のアザが無くなった大地は、梶山が持ってきたTシャツを着ていた。

半袖の大地を見るのは、久しぶりかもしれない・・・。

小学の時、傷がない時に半袖を着てたぐらいだったから。


「私、家に行ってもいいの?」

「んー、父さん、仕事のはずだから」


大地が私や梶山の家に行くことは会っても、
私や梶山が大地の家に行くことは無かった。

お父さんと鉢合わせしてはいけないと思っているからだと思う。



今日私が大地の家に行くのは、家に帰るまでの荷物持ち。誰も迎えに来てはくれないし、松葉杖の大地が荷物を持てるとは思わなかったから。


タクシーに2人で乗り込み、大地は運転手に家の住所をつげた。


「カジは?」

「なんか用事あるみたいだよ。今日は来れないって」

「ふぅん」


大地の家は普通の一軒家だった。
私の家よりも、少しだけ大きいぐらい。


「大地、鍵どこ?」

「その鞄の小さいポケットの中。あー、それそれ」


上下にある二つ分の鍵をあけ、扉をあけた。


扉を開けた途端、部屋の中から匂ってきたのは、大地と同じ香りだった。
爽やかな葉っぱの香り。

だけど、その香りの中に、一瞬アルコールのような匂いがした。

酒癖が悪い大地の父親・・・。


「大地の部屋って2階?」

「そう」

「階段のぼれる?」

「どれだけリハビリしたと思ってんだよ。余裕」


バカにすんなよ?と、笑いながら、大地は松葉杖と階段に取り付けりている手すりを器用に使い、階段を登っていく。


大地の部屋は階段を登りきったすぐ側にあって、その扉を戸惑いなくあけた大地。

大地の部屋はそんなに物はなくて、本棚や、机、ベット。きちんと片付けられている部屋だと思った。


同じ男なのに梶山の部屋とは違う。


机の上には、写真立てがあった。

「大地・・・この子が弟?」

大地の服などが入った鞄をカーペットの上に置いた。

大地はちらりと机の上の方をみて、ベットに腰掛けて、「そう」と呟く。


「これいつの?」

「幼稚園・・・ぐらい?離婚する前だし」


仲が良さそうな家族だと思った。
お父さんとお母さんらしき2人も笑顔で、
お父さんは大地らしき男の子を。
お母さんは大地の弟らしき男の子を抱き上げている写真だった。


この子が弟だってすぐに分かったのは、大地よりも1回り程の小さかったから。
顔の作りも全然違う。


こんなに仲良さそうなのに、
どうして離婚したんだろうと思った。

私の親みたいに喧嘩ばかりしているようには見えなかった。



「長閑、おいで」

立ったままの私に、大地が手を伸ばしてくる。
背が高い大地は、私よりも腕が長い。


「なんか、久しぶりだな。こうやって2人きりなの」

大地は隣に腰掛けた私に、微笑んできた。


「病院は大部屋だったからね」


ここ最近、
大地より梶山と二人きりになる方が多かった。
もしかしたら、梶山はワザと用事があるなんて言ったんじゃないだろうかと思った。
私達が2人になれるように。


「最近どうなんだよ?親」

「変わらないよ、最近はお金だけ置いてほとんど家にいないから・・・」

「そっか・・・」

「ねぇ、大地。大地はお父さんの事、嫌いって思わないの?」


自分からお父さんのそばにいる大地。
暴力行為をされているのに・・・。


「嫌いっつーか、なんだろうな。父さんには俺しかいないから・・・、会いたくないって思うけど嫌いにはなれない。それに何だかんだ言って、親には育ててもらってる立場だし、自立するまでは反抗しない」


大地のお父さんには、大地しかいない。
前の奥さんも、大地の弟もいないから。

育ててもらってる立場・・・。

確かにその通りだ。

私も親が大嫌いだけど、育ててもらってる。
お金を貰っている。

それは紛れもない事実───



「大地は大人だね・・・。心の中ではそういう事分かってるけど、反抗しちゃうよ・・・」

「多分、それが普通なんだよ。俺が変わってるだけ」

「大地が?」

「何がってのは言えねぇけど・・・、俺は100万分の1だから」


100万分の1?

は?

大地が?

なんの?


「どういうこと?」

「秘密。高校生になったら教えてやる」


首を傾げる私に、大地は笑う。



高校生になったら?
高校になったら何があるの?


「長閑」

「ん?」

「なんでもない、呼んでみただけ」

「なにそれ」

クスクスと笑う私に、大地は首を傾げてふれるぐらいのキスをしてきた。

顔を赤くする私に、
「何照れてんだよ」って言ってくる。


「だって久しぶりだし」


私がそう言うと、大地は顔を離し、私の肩にもたれ掛かってきた。

「大地?」

「なんかさあ、お前って、ほんとノドカって感じだよな」

「いきなり何?」

「いい名前だなって思っただけ」

「初めて話した時、変な名前って言ったくせに」

「誰が?」

「大地が」

「俺、そんな事言ったっけ?」


隣でケラケラと笑う大地は、絶対に確信犯に違いない。


「私その時、大地のこと大っ嫌いって思ったもん」

「へぇ」

「何こいつって思ったし」

「口悪ぃな」

大地は面白可笑しそうに笑ってる。



「今は俺のこと、大好きだろ?」

肩にもたれたまま、そんな事を言う大地。

・・・やっぱり確信犯・・・。

分かってるくせに。




「・・・大地ってさ」

「うん?」

「キスうまくなったよね」

「・・・はあ?!」

「ふふ、何照れてんのよ、バーカ」

「てめぇ」


大地は顔を真っ赤にしながら、
「まじうぜぇ・・・」と呟いた。


「大好きだよ大地」


ずっと一緒にいたい。


「俺もすげぇ好き」

真っ赤な顔をしながらそう言って、
慣れたキスをしてくる大地。



────ずっと一緒。


この時は本当にそう思ってた。


きっと、大地もそう思ってたと思う。



大地の無邪気な笑顔が、忘れられない。


「ごめんな、送れなくて」

大地の家の玄関まで送ってくれた大地。

「何言ってるの?ここで充分だよ」

足を骨折してるのに、
まだ治りきってないのに


「明日、学校どうする?」

「わかんね、また連絡する」

「分かった。じゃあ帰るね」


大地に手を振りながら、自分の家に帰ろうとした時、

「長閑」

と、大地に声をかけられた。



「うん?」

「気ぃつけて帰れよ」

「うん」

「またな」

「うん」



大地は思ってた?


まさか、この会話が最後になるなんて。

私は馬鹿だから、思いもしなかったよ・・・。


またね、なんて・・・


大地のウソつき・・・。


連絡すると言った大地からは、何も連絡は来なかった。


夜ご飯も食べ終わり、お風呂をすませ、蓮がリビングの机で宿題をしている姿を横目に見ながら、携帯を開いた。


やっぱり連絡は来ていない。


時刻は夜の10時。

父さんも母さんも帰ってこないこの家は、テレビの音と、蓮の宿題のプリントの音が響くだけ。



明日、どうする?と、大地に連絡をしようとしたその時だった。


────ピンポーンと、家に響き渡る機械音。




「誰?こんな時間に」

そう言ったのは蓮。


「さあ」

もう夜の10時。
お母さんや、お父さんが、鍵を持っているのにチャイムを鳴らすはずがない。


ソファから立ち上がり、受話器の方へと足をすすめた。


外と繋がる受話器の横には、誰がチャイムを鳴らしたか分かるようにカメラの映像が映し出されていた。

そこにいたのは・・・


「カジ?」

「──え、カジくん?」


下を向いているけど、どう見ても梶山で。



こんな時間になに?
っていうか、どうして梶山が?

連絡も無しに?



梶山がいる外に向かうため、玄関の扉を開けた。

梶山は私を見るなり、とても複雑そうな顔をして・・・。


「・・・高橋」

梶山の顔は、今まで見たこともない顔つきだった。

まるで、お化けを見たような・・・。



「どうしたの?いきなり。用事あったんじゃなかったの?とりあえず入りなよ。暑いし」

「高橋」

「なによ?」


明らかに様子かおかしい梶山。


「ちょっと、どうしたの?」


その時、梶山がガクンと、力を失ったようにその場に崩れた。その事にびっくりした私は梶山に駆け寄った。
地面に座り込んだ梶山の体は・・・、暑いのに、なぜか震えていて。


「・・・カジ?」

「・・・ッ」

「え、ちょっと、なに、泣いてる?」


自身の手で、
梶山は自分の目から出てくる涙をふいていた。


「・・・カジ?どうしたの、どこか痛いの?」

「・・・ゴメン・・・、高橋」

「だから、何が・・・」


崩れ落ちて、泣き出した梶山の目は、
見たこともないぐらい真っ赤になっていて。




「・・・大地が、死んだ」



梶山の泣いている姿に驚いていた私は、

梶山の言ったセリフに、

脳が理解してくれるのに時間がかかった。



「夕方・・・。病院に運ばれて」


梶山は何を言ってるの?


「ついた時には、死んでたって・・・」


誰が?


「出血大量で・・・」


誰が死んだって?


「え、なに、なんの冗談?」

「・・・冗談でこんな事言うかよ・・・」



だって、冗談しかないでしょ?

だって私、梶山の言ってることさっぱり分からないよ?



「なんのドッキリ?カジは頭いいんだからさ、もっと難しいドッキリをしないと、すぐにドッキリだって分かるよ?」


おかしくて、笑ってしまう。


「・・・高橋」

「夕方運ばれたって、私、夕方まで大地の家にいたよ?」

「・・・」

「それなのに運ばれたって」

「・・・」

「ほんとにもう、何?いきなり来て」

「・・・だろ」

「え、何。聞こえないよ」

「────こんな事、ドッキリでも言うわけねぇだろ!!」



梶山の大きな声が、住宅街に響きわたる。


「死んだんだよ、大地が!!」

「・・・」


梶山の顔は、見たこともないぐらい怖くて。


「もういないんだよ!!」

「・・・」


もうこれが、冗談でもなく、ドッキリでもなく。


「長閑!!」

「ウソ、言わないでよ」


梶山が、私を下の名前で呼ぶ。


「だって、そんなの・・・、なんで・・・、大地はどこ?」



────真実だと、分かったのは、いつ?


「どうしたの、大きい声出して・・・姉ちゃん?」


震え出す体。
家から出てきた蓮の声も聞こえないぐらい、気が動転している。


「だって、“またな”って言ってたよ、別れた時、大地・・・、元気だったよ?なのに・・・」

「長閑」



梶山に痛いくらい抱きしめられる。



「ゴメン・・・」


どうして梶山が謝るの?


「本当・・・なの?」


私の声も、震えてしまう。





────長閑


────すげぇ好き




脳裏に浮かぶ大地の笑顔。



気づいた時には、


世界中に響き渡るぐらい、
叫び声を上げていた。




梶山は叫ぶ私をずっと抱きしめてくれていた。



────誰かが、泣いている。


なのに、あなたは笑ってる。


みんなが泣いたり
蒼白な顔をしているのに

あなたは無邪気に笑ってる。



男の子からも、女の子からも、
みんなから好かれてた。



大地、先生も泣いてるよ。

ずっと追いかけ回された名前も知らない学年主任の先生が、「田嶋・・・」って言って、大地の写真を見ながら泣いてるよ。

ほら、彼女も・・・
飯田も泣いてる。

いくら口きかないって言っても、泣いてる子をほっとけるほど、大地は器用じゃないでしょ?





「高橋」


名前を呼ばれ、声のした方へ向くと、いつも着崩しているのに、きっちり首元までボタンをしめている梶山がいた。


「この後、集まるらしいけど、どうする?」


あつまり?
なんの?


「・・・帰るよ」


まだ、大地がいないっていう現実を受け止めきれない。



「送るわ」

「・・・うん」


どうして、私の横にいるのが梶山なんだろう。


「カジ」

「・・・ん?」


誰もいない道。

空がやけに暗く感じる。

まるで、うつる全てがモノクロのような。


「変だよね・・・。大地の机の上にさ、花が置いてあって、それ見た時に・・・、大地がいないっていうの、実感したんだ」

「・・・別に、変じゃない」

「変だよ・・・。ずっと前から、カジから聞いて分かってたのに」

「・・・そういうもんだろ」

「そ、うかなあ・・・」

「泣けばいい、お前、まだ泣いてないだろ」

「・・・泣けない」

「なんでだよ?」

「・・・ッ、私が大地を殺したかもしれないのに、泣けないよ!!」



梶山の目が、見開くのが分かる。

「は?」って、
「どういう意味だよ」って、声が低くなる。


ずっとずっと、考えていた事だった。



────田嶋と、田嶋の父親が死んでたらしいぜ。誰かに殺されたみてぇだけど・・・
────知ってる。田嶋、骨折で入院した時、高校生にボコられてたんだろ?
────そうそう、今、警察がそれ中心に捜査してるみたい
────じゃあ、犯人は高校生?



そんな噂が流れているのも、梶山は知ってるはず。
その噂がウソだったことも。
だって、高校生に暴力されたっていうのは、大地の作り話なんだから。


「あたしが、大地の体のこと、ちゃんと、誰かに話しておけば・・・、父親が捕まって骨折しなくてすんだのに・・・」


「・・・」



「骨折しなかったら、大地は・・・今頃、あんなことになっていなかったはずなのに」

「・・・高橋」

「誰かに殺されたなんて、殺される前に、逃げることが出来たかもしれないのにっ」


骨折していた足では、
逃げることもできない。

大地と、大地の父親。
2人が殺された────。

誰かも分からない奴らに。



「・・・それは、違うだろ」

「でもっ」

「いいか、高橋。父親と大地の関係は、秘密にしておくんだ」

「ど、どうして!だって殺したのは高校生じゃないよ!? あんなの大地が作った作り話だし!犯人は他にいるんだよ!!」

「そうだとしても、言うなっ」

「なんで?警察に言おうよ!言ったらちゃんと捜査してくれるかもしれないじゃない!!」


「大地が・・・、こんなになってまで、バレたくねぇ奴がいたんだろ。それなのに、俺らが言うわけにはいかねぇよ」


バレたくない相手
それは写真で見た、小さい時の大地の弟。


「確かに犯人が高校生じゃないって分かったら、警察は助かると思う。けど、大地はそれを望んでないと思うから」

「・・・大地を、殺した奴なのに?」

「そうだとしても」

「・・・」

「大地と父親の関係は知らない事にするんだ、その“弟”にバレないように」

「・・・」

「分かったな?」

「・・・」

「・・・俺だって、大地の体のこと、知ってた。でも、誰にも言わなかった。高橋が大地を殺したって言うなら、俺も同じだろ」

「・・・カジ」

「共犯同士、父親の事も、黙ってよう」

「・・・でも・・」


大地と、父親・・・

2人はどこの誰かも分からない奴に殺された。



警察は「骨折した原因」の、
大地が作った「高校生」を探しているらしい。
父親の会社関係も調べていると聞いた。




どれだけ痛めつけられても、父親のことを言わなかった大地。弟に知られたくないからと。

もし私が父親の事を誰かに言っていれば、大地は死ななかったかもしれないのに。

大地は死んでしまった。



言ってはいけない。
父親が暴力をしていたなんて、ここまでして黙りを貫き通した大地の思いを無駄にしちゃいけない。



ぽっかりと
心のどこかに穴が空いてしまったのだろうか。

犯人を殺したいという欲求は無い。

ただ、大地の笑顔が見たいと思うだけ。





ねえ、大地


あなたは今、どこにいるの?