「どうも天気が不安定だ」
アパートののぞみの部屋でこづえがお茶を飲みながら窓の外を見た。
時刻は午後三時を回った頃。
のぞみの友人で座敷童子のこづえは毎日これくらいの時間に娘のかの子と一緒に部屋へ来て、おしゃべりをしてから仕事へゆく。
座敷童子は人間の子供に混ざって遊び、ぞぞぞを稼ぐあやかしだから、皆より早く出勤する。でも保育園は午後四時まで開かないから、こうやって少し早くかの子をのぞみに預けにくるのだ。
のぞみはかの子と四時までの時間を部屋で過ごし、一緒に保育園へ行く。
のぞみがこづえと友人になってから、ずっと変わらない習慣だった。
「本当に、そうですね」
のぞみも窓の外に視線を移して呟いた。そして胸のところでギュッと拳を作る。
ただ天気が悪いというだけでどうしてこんなに不安になるのだろう。
こづえが、時計をチラリと見て舌打ちをした。
「あぁもうしばらくしたら、仕事に行かなきゃならない。口裂け女め、ちょっとは早く起きられないもんなのか」
サケ子は午後四時まで起きられないあやかしなのだという。
だからこそかの子はのぞみが預かっているわけだが、今こづえはそれについて文句を言っているわけではない。
のぞみはぷっと吹き出して、くすくす笑った。
「ふふふこづえさん、えんちゃんに会いたいんでしょう」
こづえもまたえんに夢中なのである。
仕事に行く前にちょっとでも腕に抱きたいのだろう。
サケ子が畳んでいたえんの大量の布オムツのほとんどはこづえが縫ったのだという。さすがもうすぐ百歳のベテランママは頼りになると紅に褒められて照れくさそうにしていたのが記憶に新しい。
こづえとサケ子は日頃は喧嘩をしているみたいに言い合いをしているが、本当のところは互いを信頼し合う友人だ。
「お母さん、文句言わないでお仕事いってね。えんちゃんは私がちゃあんとみてるから」
まるでこづえを叱るみたいに言うかの子に、のぞみはふふふと笑みを漏らす。
保育園で六平と争うようにして、えんの面倒をみてくれるかの子は、すっかりお姉さん気分なのだろう。
そのすました言い方がなんとも可愛らしかった。
こづえが、かの子のつやつやのおかっぱ頭を撫でてため息をついた。
「子供なんてすぐに大きくなっちまうから寂しいねぇ。かの子も、ついこの前まではお母さん行かないでって泣いてばかりだったのに。時々、かの子が赤ん坊に戻ってくれたらいいのにと思うこともあるくらいだよ」
そういうものなのかとのぞみは思う。
保育士として見ている限り子供たちの成長はただただ喜ばしいことのように思えるが、母親の気持ちはもっと複雑なものらしい。
子供の成長は、嬉しいけれど同時にちょっと寂しくもあるような……。
「そういえば、鬼がまた産むみたいだね」
お茶を啜りながら思い出したようにこづえが言う。
のぞみはこくんと頷いた。
「秋ごろに産まれるっておっしゃっていました」
「よくもまぁ、ぽんぽんと!」
六平と同じようなことを言って、こづえは呆れたようにため息をつく。
「私には考えられないよ。……よっぽど相性がいいんだなあの夫婦は。ここまでくると尊敬するよ……」
ぶつぶつと言うこづえにのぞみは少し考えて迷いながら口を開いた。
「本当に、羨ましいです」
心の底から出た言葉だった。
鬼の母親にしろ、サケ子にしろ夫婦してしっかりと生活をしている。
お互いにお互いを必要として。
「どうだかねぇ」
こづえが苦笑する。
「夫婦でいることでの気苦労もあるだろうよ。ま、それぞれだとは思うけど」
「こづえさんには、理想の旦那さんみたいなのはあるんですか?」
のぞみは思わず問いかけて、でもすぐにしまったと思い口を閉じた。
五回夫婦別れをしているという彼女に対する質問として少し無神経だったかもしれないと思ったからだ。
「理想ねぇ‼︎」
こづえが弾かれたように笑い出した。
「あ、ご、ごめんなさい」
「いやいいよ‼︎ ただ少しばかり難しい質問だと思っただけだ。こんな旦那はごめんだ!っていうのは山ほどおしえてあげられるんだけど。でも全部話してたら今夜は仕事に行けなくなりそうだ! ……それでも聞きたい?」
「え、遠慮しておきます……」
のぞみは慌てて首を振った。
こづえが意味深な表情でのぞみを見た。
「なにのぞみ、新婚早々紅さまに不満でもあるのかい? どんなに完璧を装っている男でもアラがあるのが当たり前だ。しかも大抵は夫婦になってからわかるもんなんだよ」
半分心配そうにでも半分はどこか嬉しそうに、こづえの口は止まらない。
「紅さまも長さまとしていい方なのは間違いはないんだけどさ。あぁいう気が利かない能天気なタイプは夫にするとイライラするよ。夫なんてもんは、常に妻の顔色を伺って妻が快適に過ごせるように気を配るのが義務なんだから……」
「そんなんだから夫婦別ればかりなんだよ。こづえは」
こづえの言葉を遮るような声がして、ふたりは驚いて振り返る。
いつのまにかドアのところに紅が腕を組んで立っていた。
「紅さま、戻られたんですか」
のぞみは驚いて声をあげる。
紅は朝早くから山へ見回りに行っていた。
駆け寄るかの子を抱き上げながら、紅が口を尖らせた。
「本当に長なんてつまらない役目だよ。見回りに行っている間に、かわいいのぞみに悪口を吹き込む輩はいるし……」
そう言ってこづえをじろりと睨む。
こづえが咳払いをして立ち上がった。
紅がにっこりとしてのぞみを見た。
「のぞみ、できたら不満はこづえではなく私に言ってくれ。どんなことでも遠慮なくはっきり言ってくれていいんだよ。なにせ私は能天気で気が利かないから……」
「さぁて、今日も稼ぎにいかなきゃねぇ」
わざとらしくそう言ってかの子の頭を撫でてから、こづえはパッと消えた。
「いつものことながら逃げ足の速い……」
紅が呆れたように言うと、かの子が頬を膨らませた。
「紅さま、お母さんをいじめないでください」
紅が、はははと声をあげた。
「私がおっかさんをいじめているのではない。おっかさんが私をいじめているのだよ」
アパートののぞみの部屋でこづえがお茶を飲みながら窓の外を見た。
時刻は午後三時を回った頃。
のぞみの友人で座敷童子のこづえは毎日これくらいの時間に娘のかの子と一緒に部屋へ来て、おしゃべりをしてから仕事へゆく。
座敷童子は人間の子供に混ざって遊び、ぞぞぞを稼ぐあやかしだから、皆より早く出勤する。でも保育園は午後四時まで開かないから、こうやって少し早くかの子をのぞみに預けにくるのだ。
のぞみはかの子と四時までの時間を部屋で過ごし、一緒に保育園へ行く。
のぞみがこづえと友人になってから、ずっと変わらない習慣だった。
「本当に、そうですね」
のぞみも窓の外に視線を移して呟いた。そして胸のところでギュッと拳を作る。
ただ天気が悪いというだけでどうしてこんなに不安になるのだろう。
こづえが、時計をチラリと見て舌打ちをした。
「あぁもうしばらくしたら、仕事に行かなきゃならない。口裂け女め、ちょっとは早く起きられないもんなのか」
サケ子は午後四時まで起きられないあやかしなのだという。
だからこそかの子はのぞみが預かっているわけだが、今こづえはそれについて文句を言っているわけではない。
のぞみはぷっと吹き出して、くすくす笑った。
「ふふふこづえさん、えんちゃんに会いたいんでしょう」
こづえもまたえんに夢中なのである。
仕事に行く前にちょっとでも腕に抱きたいのだろう。
サケ子が畳んでいたえんの大量の布オムツのほとんどはこづえが縫ったのだという。さすがもうすぐ百歳のベテランママは頼りになると紅に褒められて照れくさそうにしていたのが記憶に新しい。
こづえとサケ子は日頃は喧嘩をしているみたいに言い合いをしているが、本当のところは互いを信頼し合う友人だ。
「お母さん、文句言わないでお仕事いってね。えんちゃんは私がちゃあんとみてるから」
まるでこづえを叱るみたいに言うかの子に、のぞみはふふふと笑みを漏らす。
保育園で六平と争うようにして、えんの面倒をみてくれるかの子は、すっかりお姉さん気分なのだろう。
そのすました言い方がなんとも可愛らしかった。
こづえが、かの子のつやつやのおかっぱ頭を撫でてため息をついた。
「子供なんてすぐに大きくなっちまうから寂しいねぇ。かの子も、ついこの前まではお母さん行かないでって泣いてばかりだったのに。時々、かの子が赤ん坊に戻ってくれたらいいのにと思うこともあるくらいだよ」
そういうものなのかとのぞみは思う。
保育士として見ている限り子供たちの成長はただただ喜ばしいことのように思えるが、母親の気持ちはもっと複雑なものらしい。
子供の成長は、嬉しいけれど同時にちょっと寂しくもあるような……。
「そういえば、鬼がまた産むみたいだね」
お茶を啜りながら思い出したようにこづえが言う。
のぞみはこくんと頷いた。
「秋ごろに産まれるっておっしゃっていました」
「よくもまぁ、ぽんぽんと!」
六平と同じようなことを言って、こづえは呆れたようにため息をつく。
「私には考えられないよ。……よっぽど相性がいいんだなあの夫婦は。ここまでくると尊敬するよ……」
ぶつぶつと言うこづえにのぞみは少し考えて迷いながら口を開いた。
「本当に、羨ましいです」
心の底から出た言葉だった。
鬼の母親にしろ、サケ子にしろ夫婦してしっかりと生活をしている。
お互いにお互いを必要として。
「どうだかねぇ」
こづえが苦笑する。
「夫婦でいることでの気苦労もあるだろうよ。ま、それぞれだとは思うけど」
「こづえさんには、理想の旦那さんみたいなのはあるんですか?」
のぞみは思わず問いかけて、でもすぐにしまったと思い口を閉じた。
五回夫婦別れをしているという彼女に対する質問として少し無神経だったかもしれないと思ったからだ。
「理想ねぇ‼︎」
こづえが弾かれたように笑い出した。
「あ、ご、ごめんなさい」
「いやいいよ‼︎ ただ少しばかり難しい質問だと思っただけだ。こんな旦那はごめんだ!っていうのは山ほどおしえてあげられるんだけど。でも全部話してたら今夜は仕事に行けなくなりそうだ! ……それでも聞きたい?」
「え、遠慮しておきます……」
のぞみは慌てて首を振った。
こづえが意味深な表情でのぞみを見た。
「なにのぞみ、新婚早々紅さまに不満でもあるのかい? どんなに完璧を装っている男でもアラがあるのが当たり前だ。しかも大抵は夫婦になってからわかるもんなんだよ」
半分心配そうにでも半分はどこか嬉しそうに、こづえの口は止まらない。
「紅さまも長さまとしていい方なのは間違いはないんだけどさ。あぁいう気が利かない能天気なタイプは夫にするとイライラするよ。夫なんてもんは、常に妻の顔色を伺って妻が快適に過ごせるように気を配るのが義務なんだから……」
「そんなんだから夫婦別ればかりなんだよ。こづえは」
こづえの言葉を遮るような声がして、ふたりは驚いて振り返る。
いつのまにかドアのところに紅が腕を組んで立っていた。
「紅さま、戻られたんですか」
のぞみは驚いて声をあげる。
紅は朝早くから山へ見回りに行っていた。
駆け寄るかの子を抱き上げながら、紅が口を尖らせた。
「本当に長なんてつまらない役目だよ。見回りに行っている間に、かわいいのぞみに悪口を吹き込む輩はいるし……」
そう言ってこづえをじろりと睨む。
こづえが咳払いをして立ち上がった。
紅がにっこりとしてのぞみを見た。
「のぞみ、できたら不満はこづえではなく私に言ってくれ。どんなことでも遠慮なくはっきり言ってくれていいんだよ。なにせ私は能天気で気が利かないから……」
「さぁて、今日も稼ぎにいかなきゃねぇ」
わざとらしくそう言ってかの子の頭を撫でてから、こづえはパッと消えた。
「いつものことながら逃げ足の速い……」
紅が呆れたように言うと、かの子が頬を膨らませた。
「紅さま、お母さんをいじめないでください」
紅が、はははと声をあげた。
「私がおっかさんをいじめているのではない。おっかさんが私をいじめているのだよ」