「紅さま! そろそろアレをお願いします!」
目の前のあやかしたちからなにやら不可解な声があがり、のぞみはハッと目を見張った。
そろそろ、アレを、お願いします……?
紅はといえば声の方を振り返り、ニヤリと意味深な笑みを浮かべている。
ものすごく嫌な予感がして、のぞみは咄嗟に彼から身を引こうとした。
「ぎゃっ!」
でもひと足遅かった。
ぐいっと腕が引かれ、紅との距離はこれ以上ないくらいに近くなる。そのことに目を白黒させているうちに、あっという間に紅の腕の中に閉じ込められてしまった。
期待通りの長の行動に、あやかしたちがどっと沸く。
やんややんやと手を叩いて、その時を待っている。
「誓いの口づけの時間だね」
紅が嬉しそうに宣言をした。
「だからそれは、西洋のしきたりですって!」
のぞみはじたばと暴れて精一杯抵抗をする。
彼と一緒ならばやれないことはなにもないと、今さっき思ったところだけれど、やっぱり撤回したくなった。
嫌というわけではないけれど、皆に見られての口づけは……。
「のぞみ、長夫婦の夫婦仲がいいところを見せて縄張りのあやかしたちを安心させるのも、私たちの役割なのだよ。のぞみも今日からは長の妻なのだから、こらえておくれ」
あたかも真面目な役割のように、紅はのぞみに言い聞かせる。
でもその口元は緩みきっていた。
「ででででも、こ、子どもたちが見て……ん!」
のぞみの反論は紅の唇に遮られ、どどどと山が揺れるような歓声に山神神社は包まれた。
お約束の展開に、皆手を叩いて大喜びだ。
のぞみはそっと目を閉じた。
ものすごく恥ずかしいけれど、ものすごく幸せだ。
こんな風に皆に祝福してもらえて、彼の温もりに包まれて。
その時。
どどーん! ばりばりばり!
雲のない夕焼けの空に雷鳴が鳴り響いた。
振り返って空を見ると、たくさんの稲妻は、赤、青、黄、緑色に輝いて、まるで打ち上げ花火のようだった。
「きれー!」
「あ、ピンクー!」
子どもたちが声をあげて空に見惚れている。
一際大きな虹色の稲妻がどどーんと空で爆発し、中から現れたのは翡翠色に輝く龍だった。
頭にドレスアップしたおゆきとふぶきを乗せている。
ふたりはのぞみと紅を見つけると嬉しそうに手を振った。
「のぞ先生! 結婚おめでとう!」
「支度に手間取っちゃって、遅くなってごめんね!」
のぞみはホッと息を吐き、彼らに向かって手を振った。
「ふぶきちゃん! おゆきさん! 来てくれてありがとう!」
大神が本殿のすぐそばまで飛んできた。
「のぞ先生、素敵‼︎ 白無垢サイコーじゃん!」
おゆきがのぞみを見て声をあげる。
のぞみは頬を染めて微笑んだ。
「ありがとうございます。ふぶきちゃんもおゆきさんも素敵です。お揃いのドレスですか?」
おゆきとふぶきの衣装はスパンコールが散りばめられた水色のパーティドレスだった。
おゆきが嬉しそうに頷いた。
「うん、そうなんだ。かの子ちゃんママが親子でお揃いのドレスにするって言うからさ、私もやってみたくなって。双子コーデっていうんだって。ふふふ、なかなかいいでしょ? かの子ちゃんママとは服の趣味が合うんだ。あの人とても九十九歳とは思えないよね」
ふぶきの送り迎えにあやかし園に来るようになったおゆきは、もうすっかり縄張りのあやかしたちとも顔馴染みだ。
「ふふふ、とっても素敵です。ふぶきちゃん、お母さんと一緒のドレスで嬉しいね。すっごくかわいいよ!」
ふぶきが嬉しそうににっこりした。
その時。
「おい、人間の女」
大神が口を開いた。
すぐ近くから聞こえる胸に響くその声に一瞬のぞみは目を丸くする。
結婚を許してもらえたとはいえ、さらにいうと彼の妻子とはすっかり仲良しだとはいえ、はっきり言って大神自身のことはまだ少し怖い。
こくりと喉を鳴らしてから口を開いた。
「はい」
すると大神は意外なことをのぞみに告げた。
「わしは、紅が嫌いだ。こやつはいつもひょうひょうとしてなにを考えておるのかさっぱりわからん。掴みどころのないやつなのだ。わしはこやつがいるとペース乱されてかなわんのだ。絶対に都へ戻って来ぬようにお前がしっかりと見張っておれ」
「……嫌な奴だな」
紅が呆れたように呟いた。
「約束をするほど惚れ込んでいるなら、お前と夫婦である限りこやつはずっとこの田舎から出ぬだろう。末永く、夫婦のままでいるのだぞ。わかったな」
そう言って大神は少し照れたようにのぞみたちから目を逸らす。
大神なりの祝福の言葉に、のぞみは彼に向かって深々と頭を下げた。
「はい、ありがとうございます」
「言われなくてもそうするよ」
紅が肩をすくめた。
「お父上さま、あれ、あれ、早く、早く!」
ふぶきが待ちかねたように大神のヒゲを引っ張って、なにかを催促した。
「おお! そうだったな」
思い出したようにそう言って、大神が空中に視線を移す。
するとぼんと音を立てて、あるものがそこに現れた。
「わしからの祝儀だ」
大神の言葉と空中に現れた祝儀の品にあやかしたちからおおー!というどよめきが起きる。
とりわけ子どもたちは大喜びだった。
「すべり台だ!」
「ブランコもついてる!」
「ぐるぐるコースもある!」
指を差したりばんざいをしたりしながら、親の手を離れて下に集まってくる。
今すぐにでも遊びたそうだ。
「祝儀って……うちの園のすべり台を壊したのは自分じゃないか」
呆れたようにそう言いながら、紅もやっぱり嬉しそうだった。
もちろんそれは、のぞみもだった。
もともと園庭にあったのは錆びついたボロボロのシンプルなすべり台。それでも子どもたちにはなくてはならない遊具だった。大神に破壊された後、とくに鬼ごっこが大好きな子どもたちは、がっくりとしたものだ。
今目の前にあるすべり台はブランコやボルダリングコーナーなんかもついた大きくてカラフルな最新型の遊具。
あやかし園の予算では絶対に買ってあげられない代物だ。
子どもたちの反応に満足そうに頷いて大神が爪をひと振りする。ちゅどーん!と音を立てて、遊具はあやかし園の方向に飛んでいった。
「園庭に設置した」
得意そうに大神が言うと、子どもたちから歓声があがる。そして紅の元へ集まってきた。
「紅さま、行ってもいい?」
「今すぐ遊びたいの!」
「もう待てないよ~」
今日は婚礼だから保育園は休みだった。この式の後の宴会会場になる予定で、颯太の店から取り寄せたお寿司やその他のご馳走がたんまり用意されている。この後ふたりが本殿から参道に下りて、招待客の間をねり歩いてから、皆で園に移動する予定だった。
でもあんなに楽しそうな遊具が来たことを知った子どもたちがそれを待てるはずがない。
もう今すぐにでも行きたくて皆うずうずとしている。
紅が苦笑して、頷いた。
「仕方がないね、行っておいで」
やったー!と声をあげて、子どもたちがわれ先にとあやかし園の方へ走ってゆく。ふぶきも大神の頭からぴょんと下りて、かの子と手を繋いで走って行った。
のぞみも紅に向かって訴えた。
「私も行っていいですか?」
「え?」
「だって子どもたちだけじゃ危ないし!」
それにのぞみだって新しい遊具に夢中になってよじ登る子どもたちを早く見たかった。
思いを込めて見つめると、紅は少しだけ考えて、すぐに笑顔になった。
「よし!」
そしてのぞみを抱き上げて境内のあやかしたちに宣言をする?
「もう式はお終いだ。ここから先はあやかし園で披露宴だ。皆、あっちに集まっておくれ、ご馳走を準備しているからね」
わぁっという歓声が山神神社を包み込む。
虹色の雷がまたバリバリと空で輝いて、大きな雪の結晶がキラキラと降ってくる。
「おめでとうございます紅さま」
「おめでとうございます! のぞみさま」
ドンドンドンと太鼓が鳴り、ピーヒャララと笛が歌う。
長夫婦の誕生を祝う、あやかしたち宴の夜の始まりだった。
宴は夜どうし大盛り上がりで続けられ、この夜山のふもとの街では、家路に着こうとする人々が今日は山神神社でお祭りでもあったかなと首を傾げたのであった。
目の前のあやかしたちからなにやら不可解な声があがり、のぞみはハッと目を見張った。
そろそろ、アレを、お願いします……?
紅はといえば声の方を振り返り、ニヤリと意味深な笑みを浮かべている。
ものすごく嫌な予感がして、のぞみは咄嗟に彼から身を引こうとした。
「ぎゃっ!」
でもひと足遅かった。
ぐいっと腕が引かれ、紅との距離はこれ以上ないくらいに近くなる。そのことに目を白黒させているうちに、あっという間に紅の腕の中に閉じ込められてしまった。
期待通りの長の行動に、あやかしたちがどっと沸く。
やんややんやと手を叩いて、その時を待っている。
「誓いの口づけの時間だね」
紅が嬉しそうに宣言をした。
「だからそれは、西洋のしきたりですって!」
のぞみはじたばと暴れて精一杯抵抗をする。
彼と一緒ならばやれないことはなにもないと、今さっき思ったところだけれど、やっぱり撤回したくなった。
嫌というわけではないけれど、皆に見られての口づけは……。
「のぞみ、長夫婦の夫婦仲がいいところを見せて縄張りのあやかしたちを安心させるのも、私たちの役割なのだよ。のぞみも今日からは長の妻なのだから、こらえておくれ」
あたかも真面目な役割のように、紅はのぞみに言い聞かせる。
でもその口元は緩みきっていた。
「ででででも、こ、子どもたちが見て……ん!」
のぞみの反論は紅の唇に遮られ、どどどと山が揺れるような歓声に山神神社は包まれた。
お約束の展開に、皆手を叩いて大喜びだ。
のぞみはそっと目を閉じた。
ものすごく恥ずかしいけれど、ものすごく幸せだ。
こんな風に皆に祝福してもらえて、彼の温もりに包まれて。
その時。
どどーん! ばりばりばり!
雲のない夕焼けの空に雷鳴が鳴り響いた。
振り返って空を見ると、たくさんの稲妻は、赤、青、黄、緑色に輝いて、まるで打ち上げ花火のようだった。
「きれー!」
「あ、ピンクー!」
子どもたちが声をあげて空に見惚れている。
一際大きな虹色の稲妻がどどーんと空で爆発し、中から現れたのは翡翠色に輝く龍だった。
頭にドレスアップしたおゆきとふぶきを乗せている。
ふたりはのぞみと紅を見つけると嬉しそうに手を振った。
「のぞ先生! 結婚おめでとう!」
「支度に手間取っちゃって、遅くなってごめんね!」
のぞみはホッと息を吐き、彼らに向かって手を振った。
「ふぶきちゃん! おゆきさん! 来てくれてありがとう!」
大神が本殿のすぐそばまで飛んできた。
「のぞ先生、素敵‼︎ 白無垢サイコーじゃん!」
おゆきがのぞみを見て声をあげる。
のぞみは頬を染めて微笑んだ。
「ありがとうございます。ふぶきちゃんもおゆきさんも素敵です。お揃いのドレスですか?」
おゆきとふぶきの衣装はスパンコールが散りばめられた水色のパーティドレスだった。
おゆきが嬉しそうに頷いた。
「うん、そうなんだ。かの子ちゃんママが親子でお揃いのドレスにするって言うからさ、私もやってみたくなって。双子コーデっていうんだって。ふふふ、なかなかいいでしょ? かの子ちゃんママとは服の趣味が合うんだ。あの人とても九十九歳とは思えないよね」
ふぶきの送り迎えにあやかし園に来るようになったおゆきは、もうすっかり縄張りのあやかしたちとも顔馴染みだ。
「ふふふ、とっても素敵です。ふぶきちゃん、お母さんと一緒のドレスで嬉しいね。すっごくかわいいよ!」
ふぶきが嬉しそうににっこりした。
その時。
「おい、人間の女」
大神が口を開いた。
すぐ近くから聞こえる胸に響くその声に一瞬のぞみは目を丸くする。
結婚を許してもらえたとはいえ、さらにいうと彼の妻子とはすっかり仲良しだとはいえ、はっきり言って大神自身のことはまだ少し怖い。
こくりと喉を鳴らしてから口を開いた。
「はい」
すると大神は意外なことをのぞみに告げた。
「わしは、紅が嫌いだ。こやつはいつもひょうひょうとしてなにを考えておるのかさっぱりわからん。掴みどころのないやつなのだ。わしはこやつがいるとペース乱されてかなわんのだ。絶対に都へ戻って来ぬようにお前がしっかりと見張っておれ」
「……嫌な奴だな」
紅が呆れたように呟いた。
「約束をするほど惚れ込んでいるなら、お前と夫婦である限りこやつはずっとこの田舎から出ぬだろう。末永く、夫婦のままでいるのだぞ。わかったな」
そう言って大神は少し照れたようにのぞみたちから目を逸らす。
大神なりの祝福の言葉に、のぞみは彼に向かって深々と頭を下げた。
「はい、ありがとうございます」
「言われなくてもそうするよ」
紅が肩をすくめた。
「お父上さま、あれ、あれ、早く、早く!」
ふぶきが待ちかねたように大神のヒゲを引っ張って、なにかを催促した。
「おお! そうだったな」
思い出したようにそう言って、大神が空中に視線を移す。
するとぼんと音を立てて、あるものがそこに現れた。
「わしからの祝儀だ」
大神の言葉と空中に現れた祝儀の品にあやかしたちからおおー!というどよめきが起きる。
とりわけ子どもたちは大喜びだった。
「すべり台だ!」
「ブランコもついてる!」
「ぐるぐるコースもある!」
指を差したりばんざいをしたりしながら、親の手を離れて下に集まってくる。
今すぐにでも遊びたそうだ。
「祝儀って……うちの園のすべり台を壊したのは自分じゃないか」
呆れたようにそう言いながら、紅もやっぱり嬉しそうだった。
もちろんそれは、のぞみもだった。
もともと園庭にあったのは錆びついたボロボロのシンプルなすべり台。それでも子どもたちにはなくてはならない遊具だった。大神に破壊された後、とくに鬼ごっこが大好きな子どもたちは、がっくりとしたものだ。
今目の前にあるすべり台はブランコやボルダリングコーナーなんかもついた大きくてカラフルな最新型の遊具。
あやかし園の予算では絶対に買ってあげられない代物だ。
子どもたちの反応に満足そうに頷いて大神が爪をひと振りする。ちゅどーん!と音を立てて、遊具はあやかし園の方向に飛んでいった。
「園庭に設置した」
得意そうに大神が言うと、子どもたちから歓声があがる。そして紅の元へ集まってきた。
「紅さま、行ってもいい?」
「今すぐ遊びたいの!」
「もう待てないよ~」
今日は婚礼だから保育園は休みだった。この式の後の宴会会場になる予定で、颯太の店から取り寄せたお寿司やその他のご馳走がたんまり用意されている。この後ふたりが本殿から参道に下りて、招待客の間をねり歩いてから、皆で園に移動する予定だった。
でもあんなに楽しそうな遊具が来たことを知った子どもたちがそれを待てるはずがない。
もう今すぐにでも行きたくて皆うずうずとしている。
紅が苦笑して、頷いた。
「仕方がないね、行っておいで」
やったー!と声をあげて、子どもたちがわれ先にとあやかし園の方へ走ってゆく。ふぶきも大神の頭からぴょんと下りて、かの子と手を繋いで走って行った。
のぞみも紅に向かって訴えた。
「私も行っていいですか?」
「え?」
「だって子どもたちだけじゃ危ないし!」
それにのぞみだって新しい遊具に夢中になってよじ登る子どもたちを早く見たかった。
思いを込めて見つめると、紅は少しだけ考えて、すぐに笑顔になった。
「よし!」
そしてのぞみを抱き上げて境内のあやかしたちに宣言をする?
「もう式はお終いだ。ここから先はあやかし園で披露宴だ。皆、あっちに集まっておくれ、ご馳走を準備しているからね」
わぁっという歓声が山神神社を包み込む。
虹色の雷がまたバリバリと空で輝いて、大きな雪の結晶がキラキラと降ってくる。
「おめでとうございます紅さま」
「おめでとうございます! のぞみさま」
ドンドンドンと太鼓が鳴り、ピーヒャララと笛が歌う。
長夫婦の誕生を祝う、あやかしたち宴の夜の始まりだった。
宴は夜どうし大盛り上がりで続けられ、この夜山のふもとの街では、家路に着こうとする人々が今日は山神神社でお祭りでもあったかなと首を傾げたのであった。