秋も深まり山々が赤や黄色に色づく頃に、のぞみと紅の婚礼は取り行われた。
「あやかしは夫婦になる時に改まって儀式をすることはありません。でも、狐の一族は別なんです。たいていはこうやって花嫁さまに綺麗な衣装を着ていただき、輿に乗せて送り出すんですよ」
午後の日差しが差し込むのぞみのアパートの部屋で、白無垢の裾を丁寧に整えながら、留袖を着た志津が嬉しそうに説明をする。そして改めて真っ白な衣装に包まれたのぞみを見て、感激したようにため息をついた。
「なんて可愛らしいんでしょう! こんなに美しい花嫁さんは今まで見たことがありません。本当に素敵……、ねえあなた?」
だが呼びかけられた兄の颯太は妻の言葉に答えられない。部屋の隅で小さくなって、メソメソと泣いているからだ。
「のぞみ、本当にお嫁にいっちゃうのか? まだ早いよ……」
志津が困ったようにため息をついた。
「……いつまで泣いているのかしら」
そしてまたのぞみを見てにっこりとした。
「とにかく完璧すぎるほど素敵ですよ」
義姉からの過分な褒め言葉に、のぞみは頬を染める。そして志津に向かって頭を下げた。
「志津さん、私のためにいろいろ準備してくださって……ありがとうございました」
結婚式のしきたりになど明るくないのぞみは、婚礼の準備は志津に頼り切りだった。
彼女は一生懸命人間の結婚式のことまで調べてくれたのだ。
彼女がいなかったらのぞみはこんな風に白無垢を着ることすらままならなかったに違いない。
こうやって兄夫婦に送り出してもらえることがのぞみにとってはなによりもありがたいことだった。
「かわいい義妹のためですもの」
首を振って志津が微笑んだ、その時。
「泣き虫だなぁ、父ちゃんは」という声がして、太一が扉からひょっこりと顔を出した。
「太一! この部屋には来ちゃダメと言ったでしょう⁉︎」
すかさず志津は太一を叱る。
「あなたにうろちょろされては白無垢が汚れてしまいます」
だが彼は母の言うことなど気にも止めず父親のところへパタパタと走ってく。
そして背中に覆い被さった。
「のぞ先生は紅さまのお嫁さまになってもここに住むんだろ? 今までとなにも変わらないじゃないか」
「そうだけど……」
颯太ががっくりと肩を落とした。
結婚式が終わった後も、のぞみはこのアパートに住むことになっていて紅が引っ越してくることになってした。
だから今太一が言ったように、生活自体はあまり変わらないのだ。でも兄としては、やっぱり寂しいという気持ちが拭えないのだろう。
だとしても、泣きすぎ。
のぞみがくすりと笑みを漏らした、その時。
「やぁ、かわいいなぁ! 想像以上だよ‼︎」
またドアの方から声がして顔を出したのは、紅だった。
白無垢姿ののぞみを見て、目を輝かせている。
「私の花嫁さん!」
彼は部屋の中へズカズカと入ってくると、両腕を広げてのぞみに抱きつこうとする。
それを志津が止めた。
「なりません、紅さま。衣装が汚れてしまいます‼︎」
その声に紅は一瞬ぴたりと止まる。
でも少し考えてから、やっぱり無視することにしたようだ。
「のぞみ!」
にっこりとしてまた抱きつこうとする。
今度はそれを伊織が止めた。
「紅さま!」
厳しい表情でドアから顔を覗かせてる。
花嫁であるのぞみの付き添いが志津が務め、花婿である紅の付き添いは彼が務めている。
アパートの別の部屋を控え室として、彼らはそちらで準備していたのだが……。
「紅さま、花嫁さまの控え室には行ってはなりませんと、何度も申し上げているでしょう。今の時間は花嫁さまが、お世話になった家族に感謝の気持ちをお伝えし、お別れをする時間なのですから花婿は……」
くどくどと説教を始める伊織に向かって、紅が口を尖らせた。
「うるさいなぁ、伊織は。私はのぞみの花嫁姿を一刻も早く見たかったんだよ。……それにあんなに泣いてちゃ、お別れもなにもないだろう」
颯太はあいかわらず息子を頭に乗せてメソメソと泣いてる。
でもそう言いながらも紅は一応はふたりの狐の意見を尊重して、抱きつくのはやめたようだ。のぞみを見て目を細めた。
「ここまでかわいいとは思わなかったよ! さすがは私ののぞみだ。ああ床入りが待ちきれないよ! 婚礼なんかすっ飛ばしたいくらいだ」
「なっ……! と、とととと床入り……⁉︎」
紅の言葉に伊織は目を剥いて真っ赤になってしまっている。
その隣で志津が目を吊り上げた。
「紅さま! そのようなことを言わないでください。のぞみさまは嫁入り前の娘ですよ!」
「嫁入り前って……」
紅が呆れたような声を出す。
「今から嫁入りなんだから、もう直前じゃないか」
あいかわらずのやり取りに、のぞみはぷっと吹き出してくすくすと笑い出した。
慣れない衣装を身につけて、はじめての儀式に臨むことに少し緊張していたが、それがあっというまに吹き飛んでしまった。
「ふふふ、おかしい」
でも考えてみれば山神神社で行われる今日の婚礼の趣旨は山神さまに私たちは夫婦になりますと報告をし、末永く幸せが続くようにとお祈りをすること。
でもその山神さまは新郎本人なのだから、そう気負うことはないのかもしれない。
のぞみはくすくすと笑いながら紅を見上げた。
「紅さまも、とっても素敵です。こんなにカッコいい旦那さま、私にはもったいないくらい」
いつもの粋な浴衣姿とは違い、今日の紅は黒い紋付袴姿。長い銀髪はきちんとまとめられている。
本当に、ため息が出るほど素敵だった。
特別な日の特別な空気が、のぞみをいつもより素直にする。
「ふふふ、カッコいい」
紅がまた目を輝かせた。
「旦那さまかぁ。いいね、それ」
そして志津が止めるのも聞かないで、今度こそのぞみを腕の中に閉じ込めた。
「これからはそう呼んでもらおうかな」
のぞみは笑いながら首を横に振った。
「ダメですよ。私結婚してからも、あやかし園で働くんだから。間違えて子どもたちの前で呼んじゃったら困るもの」
「べつにいいじゃないか。私は子どもたちの前でものぞみにそう呼んでもらいたいよ」
「もう、紅さまったら!」
のぞみはまた吹き出して、笑い出す。
くすくすと笑いが止まらないその頬に、ちゅっと音を立てて、柔らかいキスが降ってきた。
うしろで志津が仕方がないかというように苦笑して、伊織がまたもや真っ赤になった。
「あやかしは夫婦になる時に改まって儀式をすることはありません。でも、狐の一族は別なんです。たいていはこうやって花嫁さまに綺麗な衣装を着ていただき、輿に乗せて送り出すんですよ」
午後の日差しが差し込むのぞみのアパートの部屋で、白無垢の裾を丁寧に整えながら、留袖を着た志津が嬉しそうに説明をする。そして改めて真っ白な衣装に包まれたのぞみを見て、感激したようにため息をついた。
「なんて可愛らしいんでしょう! こんなに美しい花嫁さんは今まで見たことがありません。本当に素敵……、ねえあなた?」
だが呼びかけられた兄の颯太は妻の言葉に答えられない。部屋の隅で小さくなって、メソメソと泣いているからだ。
「のぞみ、本当にお嫁にいっちゃうのか? まだ早いよ……」
志津が困ったようにため息をついた。
「……いつまで泣いているのかしら」
そしてまたのぞみを見てにっこりとした。
「とにかく完璧すぎるほど素敵ですよ」
義姉からの過分な褒め言葉に、のぞみは頬を染める。そして志津に向かって頭を下げた。
「志津さん、私のためにいろいろ準備してくださって……ありがとうございました」
結婚式のしきたりになど明るくないのぞみは、婚礼の準備は志津に頼り切りだった。
彼女は一生懸命人間の結婚式のことまで調べてくれたのだ。
彼女がいなかったらのぞみはこんな風に白無垢を着ることすらままならなかったに違いない。
こうやって兄夫婦に送り出してもらえることがのぞみにとってはなによりもありがたいことだった。
「かわいい義妹のためですもの」
首を振って志津が微笑んだ、その時。
「泣き虫だなぁ、父ちゃんは」という声がして、太一が扉からひょっこりと顔を出した。
「太一! この部屋には来ちゃダメと言ったでしょう⁉︎」
すかさず志津は太一を叱る。
「あなたにうろちょろされては白無垢が汚れてしまいます」
だが彼は母の言うことなど気にも止めず父親のところへパタパタと走ってく。
そして背中に覆い被さった。
「のぞ先生は紅さまのお嫁さまになってもここに住むんだろ? 今までとなにも変わらないじゃないか」
「そうだけど……」
颯太ががっくりと肩を落とした。
結婚式が終わった後も、のぞみはこのアパートに住むことになっていて紅が引っ越してくることになってした。
だから今太一が言ったように、生活自体はあまり変わらないのだ。でも兄としては、やっぱり寂しいという気持ちが拭えないのだろう。
だとしても、泣きすぎ。
のぞみがくすりと笑みを漏らした、その時。
「やぁ、かわいいなぁ! 想像以上だよ‼︎」
またドアの方から声がして顔を出したのは、紅だった。
白無垢姿ののぞみを見て、目を輝かせている。
「私の花嫁さん!」
彼は部屋の中へズカズカと入ってくると、両腕を広げてのぞみに抱きつこうとする。
それを志津が止めた。
「なりません、紅さま。衣装が汚れてしまいます‼︎」
その声に紅は一瞬ぴたりと止まる。
でも少し考えてから、やっぱり無視することにしたようだ。
「のぞみ!」
にっこりとしてまた抱きつこうとする。
今度はそれを伊織が止めた。
「紅さま!」
厳しい表情でドアから顔を覗かせてる。
花嫁であるのぞみの付き添いが志津が務め、花婿である紅の付き添いは彼が務めている。
アパートの別の部屋を控え室として、彼らはそちらで準備していたのだが……。
「紅さま、花嫁さまの控え室には行ってはなりませんと、何度も申し上げているでしょう。今の時間は花嫁さまが、お世話になった家族に感謝の気持ちをお伝えし、お別れをする時間なのですから花婿は……」
くどくどと説教を始める伊織に向かって、紅が口を尖らせた。
「うるさいなぁ、伊織は。私はのぞみの花嫁姿を一刻も早く見たかったんだよ。……それにあんなに泣いてちゃ、お別れもなにもないだろう」
颯太はあいかわらず息子を頭に乗せてメソメソと泣いてる。
でもそう言いながらも紅は一応はふたりの狐の意見を尊重して、抱きつくのはやめたようだ。のぞみを見て目を細めた。
「ここまでかわいいとは思わなかったよ! さすがは私ののぞみだ。ああ床入りが待ちきれないよ! 婚礼なんかすっ飛ばしたいくらいだ」
「なっ……! と、とととと床入り……⁉︎」
紅の言葉に伊織は目を剥いて真っ赤になってしまっている。
その隣で志津が目を吊り上げた。
「紅さま! そのようなことを言わないでください。のぞみさまは嫁入り前の娘ですよ!」
「嫁入り前って……」
紅が呆れたような声を出す。
「今から嫁入りなんだから、もう直前じゃないか」
あいかわらずのやり取りに、のぞみはぷっと吹き出してくすくすと笑い出した。
慣れない衣装を身につけて、はじめての儀式に臨むことに少し緊張していたが、それがあっというまに吹き飛んでしまった。
「ふふふ、おかしい」
でも考えてみれば山神神社で行われる今日の婚礼の趣旨は山神さまに私たちは夫婦になりますと報告をし、末永く幸せが続くようにとお祈りをすること。
でもその山神さまは新郎本人なのだから、そう気負うことはないのかもしれない。
のぞみはくすくすと笑いながら紅を見上げた。
「紅さまも、とっても素敵です。こんなにカッコいい旦那さま、私にはもったいないくらい」
いつもの粋な浴衣姿とは違い、今日の紅は黒い紋付袴姿。長い銀髪はきちんとまとめられている。
本当に、ため息が出るほど素敵だった。
特別な日の特別な空気が、のぞみをいつもより素直にする。
「ふふふ、カッコいい」
紅がまた目を輝かせた。
「旦那さまかぁ。いいね、それ」
そして志津が止めるのも聞かないで、今度こそのぞみを腕の中に閉じ込めた。
「これからはそう呼んでもらおうかな」
のぞみは笑いながら首を横に振った。
「ダメですよ。私結婚してからも、あやかし園で働くんだから。間違えて子どもたちの前で呼んじゃったら困るもの」
「べつにいいじゃないか。私は子どもたちの前でものぞみにそう呼んでもらいたいよ」
「もう、紅さまったら!」
のぞみはまた吹き出して、笑い出す。
くすくすと笑いが止まらないその頬に、ちゅっと音を立てて、柔らかいキスが降ってきた。
うしろで志津が仕方がないかというように苦笑して、伊織がまたもや真っ赤になった。