その中にはこづえや志津や鬼の家族などのあやかし園のメンバーもいる。
 皆一様に緊張した面持ちで、ビクビクとしている。
 のぞみの胸が熱くなった。
 きっと皆、大神を恐れながらも、のぞみたちのために意を決して来てくれたのだ。
「なんだ? こんなにたくさんおるのか」
 大神が呆れたように呟いて、彼らに向かって問いかけた。
「お前たち本当のことを申すのだ。嘘は許さん。紅が約束をしたというのは真の話なのか」
 大神の言葉に、あやかしたちは互いに顔を見合わせてから、恐る恐る頷いた。
 伊織がこほんと咳払いをした。
「紅さまは、約束をするにあたって縄張りのあやかしたちに証人になってほしいとおっしゃったそうです。人間の夫婦は一夫一妻制ですから、自分はそれに合わせると。おふたりはその証として……」
 でもそこで伊織は一旦言葉を切る。そしてなぜか真っ赤になって、少し小さな声でまた話し始めた。
「……縄張り中のあやかしたちが見守る中、その……く……をされたようです」
「あ? なんだ?」
 ごにょごにょと言う伊織に、大神が眉を寄せる。
 伊織はごくりと喉を鳴らしてから、思い切ったように口を開いた。
「あやかしたちが見守る中……。くくくく口づけをされたようですっ!」
 やっとのことで言い終えて、白い狐は赤い狐になっている。
「あいつ……、うぶだね」
 紅が驚いたように呟いてのぞみの耳に囁いた。
「だけどあの年齢であの免疫のなさはどうだろう。勉強ばかりして出世することばかり考えるとああなるのだろうか」
 のぞみは伊織と同じように真っ赤になって紅の胸に顔を埋めた。
 忘れたい過去の出来事を改めて暴露されてしまって、恥ずかしくてたまらない。
「ぬおー!」
 大神が雄叫びをあげて身体をぐねぐねとさせた。
「だったらどうしてはじめからそう言わなんだ‼︎ はじめから知っておったら、ここまですることはなかったに‼︎ このわしに、無駄なことをさせおって!」
「勝手にのぞみを気に入って、横恋慕してきたのはそっちだろう。あいかわらず横暴だなぁ」
 紅が呆れたようにため息をつく。
 大神がますます怒り狂った。
「本当に忌々しい奴だ! もうこうなったら女などどうでもよい。おぬしがやたら大事にしとるという保育園とやらだけでもぶっつぶしてくれるわ!」
 そう言うと同時に大神のツノから緑の光が繰り出された。それはあやかし園の園庭のすべり台に直撃した。
 あっというまに破壊されてしまったすべり台にのぞみは息を呑む。
 一瞬で……すごい力だ。
 その間も大神のツノにはまた光がバリバリと集まっていく。次は絶対に建物だ。
 のぞみを片腕に抱いたまま紅が手をあげる。大神の攻撃からあやかし園を守るつもりなのだろう。
 でもそれより先に声をあげた者がいた。
「やめてくだされ! お父上さま‼︎」
 ふぶきだった。
 大神の動きがぴたりと止まり、思い出したように尻尾にくっついている娘を見た。
「お父上さま、保育園をこわさないで!」
 泣き出しそうな声でそう叫んで、ふぶきは長い長い大神の身体をよじ登る。
 皆、唖然としてそれを見つめていた。
 やがて頭の上まで到達すると、二本のツノの間から、ふぶきは大神の顔を覗き込んだ。
「お父上さま、ふぶきは保育園が好きじゃ。明日も元気に行くとのぞ先生と約束をしたのじゃ。かの子と仲なおりしたいのじゃ! だからこわさないで」
 ふぶきの目からキラキラ輝く大粒の涙が溢れ出す。それは彼女の頬をつたいぽたりぽたりと大神の顔に落ちた。
 大神が少し慌てたように口を開いた。
「おお、ふぶき。いったいどうしてしまったんだ。保育園などなくとも、御殿で召使いが遊んでくれるであろう? それで十分ではないか」
「嫌じゃ嫌じゃ‼︎ 召使いと遊ぶのは全然面白くない!」
 首をふりふりえんえん泣くふぶきに困り果てたように眉を下げてから、大神が伊織をじろりと睨む。
「伊織‼︎ これはいったいどういうことだ! お前の作戦は保育園を内側から引っ掻き回してぶっ潰すはずだっただろう! ミイラ取りがミイラになっているではないかっ!」
 大神からの叱責に伊織が真っ青になってがたがたと震えている。
 保育園に行きたいと言って泣き続けるふぶきと、叱責されて青い狐になってしまっている伊織、そのふたりを見つめるうちに、のぞみはほとんど無意識のうちに声をあげた。
「あのっ!」
 大神のぎょろ目が、のぞみを捉えた。
「わ、私、ふぶきちゃんの担任をしております。のぞみと申します」
 心臓はばくばくと音を立てて、紅の浴衣を掴む手は震えている。
 それでも今はふぶきの担任と保護者という立場なのだと自分自身に言い聞かせた。
 ふぶきの担任としては、泣いているふぶきを放っておくわけにはいかない。
「ふぶきちゃん、毎日元気に保育園に来てくれています。お友だちもたくさんできたんですよ」
 勇気をふりしぼってのぞみはまた大神に語りかける。
 それがどうしたというように大神が眉を上げた。
「この夏は、ふぶきちゃんが作ってくれる氷でできたかき氷をお弁当のあとに食べるのが子どもたち皆の楽しみでした。ふぶきちゃん人気者なんですよ」
「ふぶきが?」
 意外そうに呟いて、大神が頭の上のふぶきを見上げた。
「ふぶきちゃん、いつもちゃんと皆に行き渡るまで氷を作ってから、自分の分を食べ始めるんですよ。本当は早く食べたいに決まってるのに、こんなに小さな子が、なかなかできることではありません」
 のぞみは言葉に力を込める。
 ふぶきの保育園での頑張りを父親である大神になんとかわかってほしかった。
「そんなところは、さすが内親王さまだ」
 紅がのぞみの話を補足する。
 泣き止んで、のぞみの話を聞いていたふぶきは、うふふふと頬を染めて微笑んだ。
 大神がそんなふぶきを、不思議そうに見つめている。
 どう反応すればよいか考えあぐねているようだ。
 そこへ。
「やるじゃん! ふぶき」
 という言葉とともにパッと姿を現したのはおゆきだった。
「ひと夏通っただけなのに、そんなに成長させてくれるなんて、保育園サイコーだね!」
「母上!」
「おゆきさん!」
 のぞみとふぶきは同時に声をあげる。
 大神がぎょろ目を丸くしておゆきを見た。
「おゆきではないか。バカンスから戻ったのか」
 おゆきが頷いた。
「うん、今日ね。本当はすぐにでも大神さまのところへ行きたかったんだけど、湯殿にいるって聞いたからさ。私は熱いのは苦手だから、一緒にむたかたか風呂は入れない」
 そう言っておゆきは拗ねてみせる。
 すると驚いたことに大神がデレッとした。
「そうかそうか。いや久しぶりじゃないか。どうだったバカンスは楽しかったか? ん?」
「うん、サイコーだった! 大神さまがなにもかも手配してくれたおかげで、ずっと快適に過ごせたよ」
「そうかそうか」
 さっきまでの恐ろしい空気はどこへやら、大神は金色のヒゲをくにゃくにゃさせてにやにやとおゆきを見ている。
 おゆきがそのヒゲを腕に絡めてにっこりとした。
「しかも私がいない間ふぶきを保育園へ通わせてくれたんだよね。ありがとう!」
「え」
「ふぶきが退屈しないように、保育園へ入れてくれたんでしょ?」
「え、う、まぁ……そうだ」
 おゆきがふふふと笑って大神の頬へぴったりと寄り添うようにくっついた。
「大神さまがサイコーだっていうのは知ってたけど、ここまでとは思わなかった!」
「え」
「だって、普段は執務で忙しいのに妻に優しくて子どものこともちゃんと考えてくれるなんて、こんなにいい旦那さま、どこを探しても大神さましかいないよ!」
 そう言っておゆきは大神に嬉しそうに頬ずりをする。
「そ、そうか。……うん、そうだろうな。そうに違いない」
 大神が嬉しそうに頷いた。
「保育園ってさ、私のママ友の間でもちょっと話題になってて、通わせたいって子はたくさんいるんだ。ぞぞぞを稼ぐ間はもちろんだけど、ちょっと子育ての息抜きをしたいって時もあるわけじゃん。しかもそれで子どもたちが喜ぶならサイコーだよ! ……でも今のところあやかしの子を預かってくれる服装保育園はここしかないんだよね。だから、皆諦めているんだ……」
 そう言っておゆきは伊織の方をチラリと見る。
 その視線にハッとして伊織は一歩前に歩み出た。
「大神さまに申し上げます」
 大神が意外そうに伊織を見た。
「私の調査結果では、都に住む子育て世代のあやかしたちのうち相当な数の者たちが"もし保育園ができたら自分の子を通わせたい"と思っているようです。もともと都は大神さまのお膝元とあって住みたい街ランキングは常に第一位ではありますが、もし保育園ができたとしたらさらに……」
「なるほど、ふむ、なるほど」
 大神が頷いた。
「つまりここより立派な保育園を都に作れば、天狗に勝てるというわけだな」
「……もともとこのような田舎など大神さまのお膝元、都にとってはライバルにもなりませんが」
 伊織が慇懃に頭を下げた。
「わかった‼︎」
 大神が空の上でぐるりと回る。
 そして高らかに宣言した。
「都にも保育園を作ることにしよう。こんなボロボロな保育園よりもっと立派な保育園だ!」
「きゃー! そう言ってくれると思ったー! やっぱり大神さまサイコーだよ!」
「こうしてはおれん。伊織! 都へ帰るぞ、やることは山ほどある!」
 抱きついて頬にキスを繰り返すおゆきと、頭の上のふぶきを連れて、大神は今すぐにでも都へ帰ろうとする。
 その背中に紅が慌てて声をかけた。
「おいおい大神。大事なことを忘れているよ。私たちの結婚は……」
 大神がくるりと振り返る。そして紅に向かって言い放った。
「好きにせい‼︎ わしははじめからそう言っておる」
 今度こそ本当に下りた結婚の許しに、事態を見守っていたあやかしたちからわぁと喜びの歓声があがる。
 ぴーぴーと口笛を鳴らしたり、飛び跳ねたり。
 こづえと志津も目に涙を浮かべて手を叩いていた。
「紅さま‼︎」
 嬉しくて、のぞみは皆が見ているのもかまわずに紅の胸に抱きついた。
「私たち本当に結婚できるんですね!」
「あぁ……」
 紅の腕がのぞみをギュッと抱きしめる。力強いその温もりにのぞみはすっぽり包まれる。
 今度こそ本当に、本当に夫婦になれるのだ‼︎
 紆余曲折あったけれど、それでふたりの絆が深まったのだから、それでよかったのだという気分だった。
「のぞ先生、バイバーイ!」
 都へ向かって飛んでゆく緑の龍の頭に乗って、ふぶきとおゆきがぶんぶんと手を振っている。
 尻尾にくっついている伊織がぺこりと頭を下げた。
「……まったく本当に人騒がせな奴らだ」
 紅がやれやれとため息をついて、のぞみの頭に口づけた。
「ま、なにはともあれ、一件落着だね」
 大神一家が去った後の空はもう白み始めていた。