真夜中を迎えて寝静まる夜の街を、のぞみは息を切らして走っている。
 熱い涙が後から後から溢れ出て、頬を濡らした。
 ひどい言葉を、彼にぶつけた。
 言ってはいけない言葉ばかりだ。
 でも言わずにはいられなかった。
 このまま、気が付かないフリをして彼に守られたまま成り行きを見守るだけなんて、のぞみにはできない。
 ……夫婦っていったいなんだろう。
 どうして皆、夫婦になりたがるのだろう。
 たくさん子どもを作るため?
 安定した暮らしを守るため?
 それとも……。
 それとも……!
 きっと皆なにかを見出して夫婦になりたいと思うのだろう。
 鬼の母親も、サケ子も、おゆきも、こづえだって、なにが大切なのかを知っている。
 でものぞみにはわからなかった。
 紅とふたり夫婦になる、そこになんの意味があるのか、どうしてそうしたいのか……。
「……のぞみ?」
 走り疲れて立ち止まり両膝に手をついていたのぞみは、呼びかけられて振り返る。
「お兄ちゃん……」
 兄、颯太だった。
 仕事帰りなのだろう。店の名前が刺繍された白い仕事着の上にウインドブレーカーを羽織っている。
 苦しい思いを振り切りたくて、やみくもに夜の街を走るうちに、いつのまにか隣街の兄夫婦が住むアパートのすぐそばまで来ていたようだ。
 兄は、呼びかけてはみたものの本当にのぞみだったことに驚いたようだ。
 訝しむようにのぞみを見つめている。
 のぞみは慌てて頬の涙を素手で拭った。
 でもなぜこんなところにいるのかを説明することはできなかった。
 立ち尽くすのぞみに、颯太が少し考えてから口を開いた。
「今夜の晩御飯は湯豆腐だ。のぞみもくるか」
 優しいその眼差しに、のぞみはホッと息を吐く。そしてこくんと頷いた。