「ななななななにをしているんですかっ!」
 のぞみと紅に目を止めて伊織はますます青ざめる。
 そしてキョロキョロとあたりを見回して、慌てて扉をバンと閉めた。
「こんなところでいったいなにをしているのです⁉︎」
 血相を変えて問い詰めるように伊織は言う。
「なんだ、伊織か」
 紅が肩の力を抜いて、平然として彼に答えた。
「ふぶきの家庭訪問だよ」
「おおおお大神さまに見つかったら、いったいどうするおつもりで? 蛇娘が妙なことを大神さまに吹き込んでいるから、まさかと思って来てみれば……!」
 あわあわと言う伊織の言葉に、紅が忌々しそうに舌打ちをした。
「蛇娘め、裏切ったな」
 そしてのぞみを抱き上げた。
「のぞみ、今度こそ帰るよ」
 のぞみは素直に頷いて、ふぶきに手を振った。
「じゃあね、ふぶきちゃん。また明日」
「うん! のぞ先生、バイバーイ!」
「こちらから……こちらからお帰りください」
 伊織はドアとは別方向へのぞみと紅を案内する。
 彼の後をついてゆくと、誰にも見られることなく御殿の外へ出ることができた。
「伊織さん、ありがとう」
 のぞみは彼に感謝する。
 御殿で、のぞみたちに手助けをするのは彼の立場を考えると並大抵のことではないはずだ。
「助かったよ」
 紅からも労いの言葉をかけられて、白い狐は頬を染めて照れくさそうに尻尾を揺らした。
「む、無用な争いは避けたいだけでございます。大神さまのためにも……」
「感心なことだ。お前のような忠義な召使いがいるというのに、いつまで子どもみたいなわがままを言うつもりだろうね、大神は」
 紅がため息まじりに言う。
 すると伊織はムッとして、少し意外なことを言った。
「それは紅さまではないですか? ふぶきさまが保育園をお休みなさっている間、私は改めておふたりのことを調べさせていただきました。……私の調査結果が正しければ、紅さまは大神さまにのぞみさまを諦めていただくための切り札をすでにお持ちだ」
「え、切り札……?」
 のぞみは眉を寄せて呟いた。
 まさか、そんなことありえない。
 そんなものがあるのなら、もうとっくにふたりは夫婦になっているはず。
 切り札なんてそんなもの伊織の思い違いだろう。
 そう思いながらも、のぞみの胸は嫌な音を立て始める。
 紅はマリッジブルーなのだというあの考えで頭の中がいっぱいになる。
 恐る恐る紅を見上げて、のぞみは伊織の言葉が本当だと確信した。
 紅は返事もせずに、のぞみを見ることもしなかった。
 ただ気まずそうに唇を歪めて、わざとらしく空を見上げている。
「……とにかく、急ごう」
 そうぽつりと呟いて、薄紫色の空に飛び上がった。