「それにしても、紅さまがお見えになるとは。昨夜より巷の女子(おなご)たちが騒いでいたわけがわかりましたわ。うふふ、お元気そうでなによりです。また一段と男ぶりをあげられましたこと」
 ぴかぴかに磨き上げられた長い長い廊下を、十二単衣を着た美しい女性について、紅とのぞみは歩いている。
 大神が住むという御殿である。
 紅と手を繋いでくぐった鳥居の先に、あやかしの都は広がっていた。
 直前まで鳥居を囲んでいた原生林はどこへやら、うずまき模様の雲が浮かぶ薄紫色の空の下、広大な池が広がっていて、その池の真ん中に大きくてド派手な屋敷があった。
『りゅ、竜宮城みたい……』というのが、のぞみの素直な感想だった。
『……いつ見ても趣味の悪い御殿だ』
 紅がうんざりしたような声を出した。
『でものぞみ、正解だ。大神の正体は龍なんだよ』
『龍……?』
 なにはともあれ御殿に到着したふたりは、大神がいるという御殿の湯殿(ゆどの)に向かっている。
 大神が普段いるのは玉座の間だが、今は執務を終えて湯殿にいるという話だった。
 だが御殿は相当広いようで、さっきから歩いても歩いても一向に辿り着く気配がない。
 一方で、案内役のあやかしは嬉しそうに話し続ける。
「紅さまが来られるなら、私もっと綺麗にして参りましたのに。うふふ、いつか私も、お相手願いたいですわ。ね、紅さま?」
 そう言ってあろうことか紅に流し目を使うしまつだ。
 紅が彼女をチラリと見て首を振った。
「蛇はごめんだよ」
 え? 蛇?
 のぞみは目を剥いて彼女を見る。どこからどう見ても、綺麗な女性にしか見えない目の前の彼女を。
 でもそういえばさっき伊織が『案内役の蛇娘に気を付けて』と言っていた。
 ……言われてみれば、スルスルとまるで滑るように進む彼女は足音がまったくしない。まさかあの十二単衣の下は……。
 そんなことが頭に浮かんで、すっかり青ざめてしまったのぞみをあざ笑うかのように蛇娘はチロチロと長い舌を出した。
「ひっ……!」
「のぞみを驚かすのはやめてくれ」
 紅がため息をついて彼女を睨んだ。
「あら、それは失礼いたしました。紅さまが蛇だから嫌だなどとおっしゃるから、ちょっと意地悪をしたくなっただけですわ」
「蛇の一族は、執念深いので有名じゃないか。一度でも関係を持ったら、絶対に逃れられない。嫌がるあやかしは私だけではないはずだよ」
 紅のその言葉に、蛇娘がまるで褒められたかのように嬉しそうに微笑んだ。
「でも蛇に手を出してこそ、本物のプレイボーイとも言いますよ。昔から来るもの拒まずの紅さまですもの、蛇以外のあやかしはもうほとんど……」
 だがその言葉を、ゴホゴホゴホというわざとらしい紅の咳払いが遮った。
 蛇娘が「あらまぁ」と笑って口を閉じた。
 のぞみは彼をじろりと睨む。
 昨日ここに到着した時からうすうす感じていたけれど、もしや彼は昔……。
 のぞみの視線から逃れるように、紅があさっての方を向いた。
「そ、それより湯殿はまだかい? ……御殿ってこんなに広かったっけ」
「もう間も無くですわ」
 そう言って蛇娘は相変わらず音も立てずにスルスル進む。そしてのぞみに向かって微笑んだ。
「うふふ、かわいらしい婚約者さまですこと。殿方というのは都合の悪いことは女子に言わないものですよ。よーく見張っていませんと」
「都合の悪いこと……」
 のぞみは呟いて紅を見る。
 紅が慌てたように口を開いた。
「ほ、ほんの少し、少しだけ付き合ったことがあるだけさ。若い頃に……それに全部のぞみと会う前のことだったし……」
「おほほほほほ! 慌てる紅さまも素敵ですこと。それが本当かどうかは婚約者さまご自身の目でお確かめくださいませ。……さあさ、湯殿でございます」
 そう言って蛇娘は金色の龍が描かれた観音開きの扉の前で立ち止まる。
 そして彼女が合図を送ると、扉はゆっくりと開いた。