それからしばらく、のぞみは隣の部屋にいたが、子どもたちが騒いでもいつもみたいに伊織が注意をしに来ることはなかった。
はじめは恐る恐るだった子どもたちも今は元気に遊んでいる。それを確認してから、のぞみは隣の部屋をそっと覗いた。
ふぶきは襖の前を行ったり来たりしている。
いつもなら親王台に寝そべって、不機嫌に目を閉じているのに、今日はどこかそわそわして隣の部屋の様子が気になっているようだ。
のぞみを見るとパッと顔を輝かせた。
「気になる?」
尋ねると、こくんと素直に頷いた。
「今日はなんの遊びをしてるのじゃ」
子どもらしい問いかけに、のぞみはふふふと笑ってしまう。
すると隣で「やったー!」という声があがった。
のぞみはくすくす笑いながらふぶきの問いかけに対する答えを口にした。
「すごろくよ。どうやらかの子ちゃんが一番にあがったみたい」
ふぶきが首を傾げて、のぞみに確認をする。
「……誰が勝つかわからないんじゃったな」
「そうよ。そのルールでよかったら、またやってみる?」
ふぶきは少し考えて、ぼたもちみたいなほっぺたを桃色に染めてこくんと頷いた。
その後ふぶきはすごろくだけでなく他の遊びにもくわわった。
もちろんその間、彼女と他の子たちの間に小さなギャップは数えきれないくらいあったが、その都度丁寧に説明をすれば特に喧嘩にはならなかった。
伊織がいちいち口を出してこないのも、のぞみにとってはありがたかった。
今日の伊織はそれどころではないようだ。
彼はふぶきの不調に気が付けなかった自分にがっかりして、すっかり気落ちしてしまっている。
部屋の隅に座ってしょんぼりと耳を折っていた。
「ああいう挫折知らずのエリートほど、ちょっとの失敗でも心が折れてしまうんだ。そっとしておいてやろう」
サケ子の言葉に、のぞみは黙って頷いた。
そうやって伊織の目から離れているうちに、ふぶきはどんどん子どもたちと打ち解けていった。
部屋と部屋の間を隔てている襖は取り払われて、その中を子どもたちが走り回る。
いつものあやかし園の風景だ。
のぞみの胸は熱くなった。
「ねえ、ふぶきちゃん! 三輪車しようよ! 御殿にはないでしょう?」
かの子がふぶきの袖を引く。すごろくで最後まで勝利を争い切磋琢磨したふたりはもうすっかり友だちだ。
すごろくが終わってからもかの子はふぶきを引っ張って、あれやこれやと世話を焼いている。御殿にはない遊びをふぶきにおしえようと一生懸命だった。
ふぶきもそれに素直に応じているが、三輪車に関しては残念そうに首を振った。
「庭はダメじゃ。暑い」
ふぶきは自分にはエアコンの風が必要だとよく理解したようだ。ちゃんと暑いと伝えられるようになったのも進歩だった。
「ひ、姫さま、ダメですよ、エアコンのそばにいなくては」
今日初めて、伊織が口を挟んだ。青くなって彼女を止めるその姿は、心底ふぶきを心配しているようだ。
「そっかぁー」
かの子が残念そうに眉を下げる。
ふぶきもまた残念そうだった。
するとそこへ、意外な人物から声がかかった。
「これを着てみたらいいんじゃないかい?」
こづえだった。
「こづえさん⁉︎」
「お母さん!」
仕事中のはずなのにいつのまにか部屋にいたこづえに驚いて、のぞみとかの子は同時に声をあげる。
彼女は手におもちゃ屋さんのショッピング袋を持っていた。
そしてそれをガサガサさぐって、中から水色のラメがたくさんついた子ども用のドレスを取り出した。
「そんな十二単衣を着てたら暑いのはあたりまえさ、これに着替えたら少しはましになるだろう」
「こづえさん、お仕事抜けてきたんですか?」
のぞみの言葉にこづえは頷いた。
「今日の飲み会のメンバーに電気屋の息子がいてね。あやかし園にエアコンをつけたと言っていたから、ピンときてさ。ふぶきのためなんだろう?」
こづえは、夜の街で合コンなどの飲み会にまざってぞぞぞを稼ぐあやかしだ。
「そうです」
頷きながらのぞみは昼間の電気屋のことを思い出していた。
そういえば彼は今日飲み会があると言っていた。
「わたしも気になっていたんだよ。かの子は友だちになりたがっていたからね。どうだい? 着てみるかい? 涼しいよ」
薄い素材で作られた水色のドレスはキラキラだ。ラメがたくさんついた透けるマントまで付いている。
確かこれは、少し前に人間の間で大ヒットしたファンタジーアニメ映画の中の氷の王女さまが着ていたドレスだとのぞみは思う。
ふぶきが目を輝かせてドレス受け取る。でもまだ少し迷っているようで、ちらりと上目遣いに伊織を見た。
伊吹がため息をついた。
「……姫さまの体調が第一ですから、涼しいならその方がいいでしょう。それにそのドレスは人間の世界では王女さまが着る服ですから、姫さまにもふさわしい。そうですよね、のぞみさま?」
「え! ええ……まぁ、そうです」
のぞみは曖昧に返事をする。
正確には"人間の世界の映画の中の王女さま"だし、"王女さまに憧れる女の子たちが着るためのドレス"だが、この際細かいことはいいだろう。
のぞみはふぶきにむかってにっこりとした。
「氷の世界の王女さまなんだよ。ふぶきちゃんにぴったりだね」
「うふふ」
ふぶきが嬉しそうに頷いて、ドレスを抱きしめた。
ドレスはふぶきにピッタリだった。
サイズもさることながら、水色とキラキラがクリスタルのような彼女の髪と瞳によく映えて、まるで本当にあの映画の中から飛び出てきたようだ。
あっというまに、ふぶきは女の子たちに囲まれる。
「ふぶきちゃんかわいいー!」
「キラキラ!」
こづえが満足そうに頷いた。
「ぴったりだったね。今日は少し涼しいし、これならちょっとくらいなら外に出られるだろうよ」
のぞみの胸が熱くなった。
「こづえさん、ありがとうございます」
いくらピンときたからといって、わざわざ仕事を抜けてまでドレスを届けてくれるなんてありがたいとしか言いようがない。
こづえが首を振った。
「いやいいんだよ。私も気になってたんだ。のぞみも随分気に病んでいたみたいだし、なによりかの子がふぶきと友だちになりたがっていたからね。ま、思いつきだったんだけどうまくいったならよかった」
そう言ってこづえはえへんと咳払いをした。
「さて、ちょっと抜けちまった分、また稼ぎに行かなきゃならないよ。かの子、また迎えに来るからね」
「うん、いってらっしゃい!」
かの子が答えると同時に、こづえはパッと消えた。
はじめは恐る恐るだった子どもたちも今は元気に遊んでいる。それを確認してから、のぞみは隣の部屋をそっと覗いた。
ふぶきは襖の前を行ったり来たりしている。
いつもなら親王台に寝そべって、不機嫌に目を閉じているのに、今日はどこかそわそわして隣の部屋の様子が気になっているようだ。
のぞみを見るとパッと顔を輝かせた。
「気になる?」
尋ねると、こくんと素直に頷いた。
「今日はなんの遊びをしてるのじゃ」
子どもらしい問いかけに、のぞみはふふふと笑ってしまう。
すると隣で「やったー!」という声があがった。
のぞみはくすくす笑いながらふぶきの問いかけに対する答えを口にした。
「すごろくよ。どうやらかの子ちゃんが一番にあがったみたい」
ふぶきが首を傾げて、のぞみに確認をする。
「……誰が勝つかわからないんじゃったな」
「そうよ。そのルールでよかったら、またやってみる?」
ふぶきは少し考えて、ぼたもちみたいなほっぺたを桃色に染めてこくんと頷いた。
その後ふぶきはすごろくだけでなく他の遊びにもくわわった。
もちろんその間、彼女と他の子たちの間に小さなギャップは数えきれないくらいあったが、その都度丁寧に説明をすれば特に喧嘩にはならなかった。
伊織がいちいち口を出してこないのも、のぞみにとってはありがたかった。
今日の伊織はそれどころではないようだ。
彼はふぶきの不調に気が付けなかった自分にがっかりして、すっかり気落ちしてしまっている。
部屋の隅に座ってしょんぼりと耳を折っていた。
「ああいう挫折知らずのエリートほど、ちょっとの失敗でも心が折れてしまうんだ。そっとしておいてやろう」
サケ子の言葉に、のぞみは黙って頷いた。
そうやって伊織の目から離れているうちに、ふぶきはどんどん子どもたちと打ち解けていった。
部屋と部屋の間を隔てている襖は取り払われて、その中を子どもたちが走り回る。
いつものあやかし園の風景だ。
のぞみの胸は熱くなった。
「ねえ、ふぶきちゃん! 三輪車しようよ! 御殿にはないでしょう?」
かの子がふぶきの袖を引く。すごろくで最後まで勝利を争い切磋琢磨したふたりはもうすっかり友だちだ。
すごろくが終わってからもかの子はふぶきを引っ張って、あれやこれやと世話を焼いている。御殿にはない遊びをふぶきにおしえようと一生懸命だった。
ふぶきもそれに素直に応じているが、三輪車に関しては残念そうに首を振った。
「庭はダメじゃ。暑い」
ふぶきは自分にはエアコンの風が必要だとよく理解したようだ。ちゃんと暑いと伝えられるようになったのも進歩だった。
「ひ、姫さま、ダメですよ、エアコンのそばにいなくては」
今日初めて、伊織が口を挟んだ。青くなって彼女を止めるその姿は、心底ふぶきを心配しているようだ。
「そっかぁー」
かの子が残念そうに眉を下げる。
ふぶきもまた残念そうだった。
するとそこへ、意外な人物から声がかかった。
「これを着てみたらいいんじゃないかい?」
こづえだった。
「こづえさん⁉︎」
「お母さん!」
仕事中のはずなのにいつのまにか部屋にいたこづえに驚いて、のぞみとかの子は同時に声をあげる。
彼女は手におもちゃ屋さんのショッピング袋を持っていた。
そしてそれをガサガサさぐって、中から水色のラメがたくさんついた子ども用のドレスを取り出した。
「そんな十二単衣を着てたら暑いのはあたりまえさ、これに着替えたら少しはましになるだろう」
「こづえさん、お仕事抜けてきたんですか?」
のぞみの言葉にこづえは頷いた。
「今日の飲み会のメンバーに電気屋の息子がいてね。あやかし園にエアコンをつけたと言っていたから、ピンときてさ。ふぶきのためなんだろう?」
こづえは、夜の街で合コンなどの飲み会にまざってぞぞぞを稼ぐあやかしだ。
「そうです」
頷きながらのぞみは昼間の電気屋のことを思い出していた。
そういえば彼は今日飲み会があると言っていた。
「わたしも気になっていたんだよ。かの子は友だちになりたがっていたからね。どうだい? 着てみるかい? 涼しいよ」
薄い素材で作られた水色のドレスはキラキラだ。ラメがたくさんついた透けるマントまで付いている。
確かこれは、少し前に人間の間で大ヒットしたファンタジーアニメ映画の中の氷の王女さまが着ていたドレスだとのぞみは思う。
ふぶきが目を輝かせてドレス受け取る。でもまだ少し迷っているようで、ちらりと上目遣いに伊織を見た。
伊吹がため息をついた。
「……姫さまの体調が第一ですから、涼しいならその方がいいでしょう。それにそのドレスは人間の世界では王女さまが着る服ですから、姫さまにもふさわしい。そうですよね、のぞみさま?」
「え! ええ……まぁ、そうです」
のぞみは曖昧に返事をする。
正確には"人間の世界の映画の中の王女さま"だし、"王女さまに憧れる女の子たちが着るためのドレス"だが、この際細かいことはいいだろう。
のぞみはふぶきにむかってにっこりとした。
「氷の世界の王女さまなんだよ。ふぶきちゃんにぴったりだね」
「うふふ」
ふぶきが嬉しそうに頷いて、ドレスを抱きしめた。
ドレスはふぶきにピッタリだった。
サイズもさることながら、水色とキラキラがクリスタルのような彼女の髪と瞳によく映えて、まるで本当にあの映画の中から飛び出てきたようだ。
あっというまに、ふぶきは女の子たちに囲まれる。
「ふぶきちゃんかわいいー!」
「キラキラ!」
こづえが満足そうに頷いた。
「ぴったりだったね。今日は少し涼しいし、これならちょっとくらいなら外に出られるだろうよ」
のぞみの胸が熱くなった。
「こづえさん、ありがとうございます」
いくらピンときたからといって、わざわざ仕事を抜けてまでドレスを届けてくれるなんてありがたいとしか言いようがない。
こづえが首を振った。
「いやいいんだよ。私も気になってたんだ。のぞみも随分気に病んでいたみたいだし、なによりかの子がふぶきと友だちになりたがっていたからね。ま、思いつきだったんだけどうまくいったならよかった」
そう言ってこづえはえへんと咳払いをした。
「さて、ちょっと抜けちまった分、また稼ぎに行かなきゃならないよ。かの子、また迎えに来るからね」
「うん、いってらっしゃい!」
かの子が答えると同時に、こづえはパッと消えた。