「宮司さん、本当にここでいいんですかぁ?」
 午前十時、ジージーとセミの鳴き声が響く保育園の部屋で、商店街の電気屋の息子が首をひねりながら作業をしている。
 その傍らで、紅が頷いた。
「その位置で頼むよ」
「でも部屋全体を冷やすなら、絶対にあっち側につける方がいいんですけど……」
 電気屋は紅が指示した場所と別の場所を指さす。
 だが紅はそれにきっぱりと首を振った。
「いや、部屋全体を冷やす必要はないんだよ。ここ、この場所だけキンキンに冷やしてくれれば」
 釈然としない表情で頷いて、電気屋は作業を続ける。
 のぞみはすこし離れた場所で、ふたりを見守っていた。
「エアコンかぁ……」
「うん」
 紅がこちらにやってきた。
「ふぶきの機嫌が悪いのはもしかしたら保育園が暑いからじゃないかと思ってさ。普通のあやかしは暑さ寒さはあまり感じないものなんだけど」
 あやかし園は古い木造平屋建てで、冷暖房設備はない。
 冬の間はストーブを炊いて部屋を暖かくしていたが、子どもたちは平気で裸足のまま寒い園庭を走り回っていた。
 一方で夏はそう暑くはない。山神神社全体が鬱蒼とした森に囲まれているし、そもそも保育時間が夜だからだ。
「だから私もすっかり忘れていたんだけど、ふぶきは雪女の娘だから暑さには弱いんだよ。それこそ人間ののぞみよりも」
 ましてや彼女は何枚もの布を重ねた十二単衣を着ているのだ。
 機嫌が悪くなって当然ということか。
 盲点だった。
「それじゃあ、お友だち作りどころじゃないですね。かわいそうなことをしたな……」
「御殿はあやかしのための空間だからさ、すべてのあやかしが快適に過ごせるようになっているんだ。でもあやかし園は違う。私の結界は冷暖房完備ではないんだよ。もともと伊織は大神の側近で、ふぶきのお守り役ではないから、そこまでは考えが至らなかったんだろうな」
 そしてまだ幼いふぶきは自分の不調をうまく周りに伝えることができなかった……。
「宮司さん、作業は終わりました」
 エアコンの設置はあっという間に完了した。
「すぐに来てくれて助かったよ」
 紅が電気屋を労うと彼は汗を拭きながらこちらにやってきた。
 短髪がよく似合うスポーツマンタイプの爽やかな青年だ。
「いえ、他でもない宮司さんからの頼みですから」
 紅は町内では山神神社の宮司さんとして親しまれている。
 彼の頼みだからこそ、電気屋はすぐに駆けつけてくれたのだろう。
「ではこれよろしくお願いします」
 紅は彼が差し出した請求書を受け取る。
 そしてため息をついて呟いた。
「高いな……後で大神に請求してやろう」
 がっくりと落ちたその肩を見てのぞみは温かい気持ちになる。
 トラブルの渦中にいるとはいえ、ふぶきもあやかし園の園児には違いない。だからこそ、紅は彼女のためにここまでしてくれるのだ。
 やっぱり彼は誰よりも子ども思いで優しい。
「ふふふ、ふぶきちゃん喜んでくれるといいですね」
 なんだか嬉しくなって、のぞみは自然と笑顔になる。
 紅が目を細めてのぞみを見た。
 ……その時。
「それにしても、山神保育園の新しい保育士さんがこんなにかわいいなんて、知らなかったなぁ」
 どこかのんきな電気屋の言葉に、紅が舌打ちをした。
「なんだ、まだいたのか」
「ひどいなぁ、宮司さん」
 電気屋は、はははと笑い声をあげて、まじまじとのぞみを見た。
「あ、あの……」
「うーん、やっぱりかわいい! ねぇ君、あのアパートに住んでるんだよね。だったら同じ町内だ。今夜町内会の青年団で飲み会をするんだけど、よかったら君も……」
「ダメダメダメ‼︎」
 まだ言い終わらないうちに紅が会話に割って入る。
「そんなのダメに決まってるじゃないかっ! 絶対によからぬ目的の飲み会だ」
 電気屋が口を尖らせた。
「じゃましないでくださいよ、宮司さん。べつにそんなあやしい飲み会じゃありませんよ。若者が集まって街の将来を話し合う健全な集まりです。それにそもそも宮司さんは関係な……」
 でもそこまで言って、電気屋は「あ」と声を漏らした。
「そういえば父さんが妙なことを言ってたな。宮司さんと新しい保育士さんはできてるんじゃないかって。まさかとは思ってたけど……」
「そのまさかだよ」
 得意そうに堂々と宣言をする紅の袖をのぞみは慌てて引っ張った。
「ちょっと、紅さま!」
 山神町は皆が顔見知りの小さな街。町内会の親父連中は噂話が大好きだから、そんな宣言をしてしまったら明日には街中の人の知るところとなってしまう。
 だが紅の口は止まらなかった。
「どうしてものぞみを飲み会に誘うなら私も一緒に参加するよ」
「まじかー!」
 電気屋が心底残念だというように天を仰いだ。
「惜しいことしたなぁ。こんなにかわいい子がこんなに近くにいたなんてもっと早く気がついていればよかった。でも宮司さん、今まで親父たちのどんな見合い話にも絶対に頷かなかったのに。……意外と手が早いんですね」
「まあね。これと決めた相手は逃がさないんだ」
 あっけらかんとして紅は頷く。
「紅さまってば!」
 のぞみは頬を染めてまた彼の袖を引っ張った。
 電気屋がにっこりとした。
「まぁでも付き合っているだけなら、俺にもチャンスはまだあるよね。なにか困ったことがあったらいつでも言ってよ。あんなおんぼろアパートで女の子のひとり暮らしはなにかと大変でしょう? 電球ひとつでも代えにくるよ!」
「おんぼろとはなんだ。それに私とのぞみは"ただ付き合っているだけ"じゃない。すでに、ふ……」
 電気屋をじろりと睨んでそこまで言って、でもなぜか紅はそこで言葉を切った。
 電気屋が眉を上げた。
「すでに?」
「すでに……夫婦になる約束をしている」
 紅が、続きを口にした。
 なにも間違っていないその言葉にのぞみの胸がこつんと鳴る。
 なにかが違う、そう感じるのはのぞみの考えすぎだろうか。
「なんだー、婚約中かー」
「とにかく、しつこくするならお前のところの雷親父に、洗いざらいしゃべってやるからね」
「おーこわ!」
 そんなやりとりをして、電気屋は帰ってゆく。
「さぁ、午後は畳屋が来ることになっているからね。もうふぶきに汚いなんて言わせないよ」
 そう言って嬉しそうにエアコンを見上げる紅の後ろ姿を、のぞみは複雑な気持ちでジッと見つめた。