のぞみは困り果てていた。
 あやかし園のいつもの部屋、普段は子どもたちが走り回りおもちゃを好きに広げて遊んでいる二間続きの和室のひと部屋を、ふぶきとふぶきのお目付役としてついてきた伊織が占領してしまっているからである。
 ふぶきは、前日と同じようにたくさんの狐を連れて籠に乗ってやってきた。そして部屋に入るなり御殿から持参した立派な屏風を背に、これまた御殿から持ってきた親王台の上に座り、脇息にもたれかかっている。
 鮮やかな十二単衣を着て、唇にうっすらと紅をさしている彼女は、雛人形のようにかわいらしい。でも表情はすこぶるさえなかった。
 眉を寄せて不満そうにしている。
「伊織、わらわはもう帰りたい」
「姫さま、そういうわけにはまいりません。保育園へ通うようにというのはお父さまのお言いつけでございますから」
 伊織は丁寧に、でもきっぱりと首を振る。
 ふぶきがあやかし園に登園してから一時間とちょっと、ふたりは同じやりとりを数分ごとに繰り返していた。
 他の子どもたちは、おっかなびっくり、空いている方の部屋からそのやり取りを見つめている。
 それもこれもいつものように部屋で子どもらが遊ぶのを伊織がやめるように言ったからだ。
『ふぶき内親王の御前にございますよ』
 内親王の意味を子どもたちが理解したがどうかは不明だが、鋭い目つきの伊織にぴしゃりと言われて皆大人しくなってしまった。
 庭で遊ぶ子たちもやはり気になるのか、どことなくいつもより静かだった。
 そのふぶきが真っ白なほっぺをぼた餅みたいに膨らませて、伊織を睨んだ。
「お父上は、保育園は楽しいところだとおっしゃったのじゃ。だからわらわは、行くと言った。それなのに全然楽しゅうないではないか」
「あのー、ふぶきちゃん?」
 とうとうのぞみはふたりの会話に割って入った。
 紅は見回りに行っていて、サケ子はえんに乳をやっている。
 この状況を打開するのは自分しかいない。
 ふぶきが首を傾げてのぞみを見た。
「ぬしは、誰じゃ」
 ふぶきはさっき登園した際に自己紹介はしたはずなのに、まるで初めて見るように目をパチクリとさせている。
 のぞみはもう一度にっこり笑って自己紹介をした。
「のぞみです。この保育園の先生よ。ここにはふぶきちゃんと同じくらいの子たちがたくさんいるの。一緒に遊ばない?」
 ふぶきはまた目をパチパチさせて、首を振った。
「嫌じゃ、ここは汚い。この親王台から出とうない」
 その言葉に、のぞみは彼女が持参した親王台とあやかし園の畳を見比べた。
 たしかにまだ井草の香りが漂ってきそうなくらい青々とした親王台の畳に比べて、あやかし園の方の畳はあちこちささくれ立っているし、なにやらシミのようなものもある。
 控えめに言ってボロボロだった。
「そ、掃除はちゃんとしてるのよ。古いだけで不潔ってわけじゃないと思うけど。だったらそこからふぶきちゃんが動かないでもできるような遊びをしよう。なにがあるかな?」
 のぞみは興味深々でふぶきを見つめている他の子どもたちに問いかけてみる。
 すぐにたくさんの声があがった。
「トランプ!」
「ぬりえ!」
「パズル!」
 のぞみは期待を込めてふぶきを見る。
 だが彼女は眉を寄せただけだった。
「なんじゃ、それは」
「姫さまはそのような低俗な遊びはなさいませぬ。内親王さまであられますゆえ」
 隣で伊織が嫌味に捕捉する。
 ぬりえやパズルのいったいどこか低俗なのか、のぞみは少しムッとするが、一人の子が言った言葉にふぶきが反応した。
「すごろく!」
「おお、すごろくなら知っておる」
 子どもらしく目を輝かせるのがかわいらしい。
 のぞみはさっそくやりたいという子たちを集めてすごろくで遊ぶことにした。
 他の子どもたちもそれぞれ別のおもちゃを持ち出してきて、思い思いに遊び始める。
 ふた部屋のうちひと部屋しか自由には使えないという少し窮屈な状況ではあるが、日常の風景が戻ったことに安堵して、のぞみはホッと息を吐いた。