「ねえ、森の洋館にオープンしたカフェって知ってる?」
高校のクラスメイトたちにさりげなく尋ねてみたものの、返ってくるのは疑わしげな反応ばかりだった。
「森の洋館? って、『お化け屋敷』のこと?」
「昼間でも暗いよね、あそこ」
「あんな所にお店なんて出せないでしょ」
「幽霊でも見たんじゃないの?」
予想はしていたが、ひどい評判だった。
暗い森の奥に佇む、どう見ても廃墟としか思えないあのカフェ。
誰か一人でもあの店のことを知っている人はいないかと期待したのだけれど、そもそもあそこに店が存在すること自体信じてもらえない。
どころか、「もしかして今年の肝試しの前振り?」と、あらぬ誤解まで招く始末だ。
季節はもうじき梅雨を迎える。
梅雨が明けて本格的な夏になれば、あの森では毎年のように肝試し大会が開かれる。
まもりさんの店があるあの洋館も、そのエリア内にあるはずだった。
(本当に、どうしてあんな場所に店を開いたんだろう……)
あんなひと気のない所で店をやっていたって、気づいてくれる人はほとんどいない。
肝試しのシーズンになれば少しは人も訪れるようにはなるけれど、恐怖体験を期待してやってきた人が果たしてそこでお茶をする気になるかどうか。
むしろアピールの仕方を間違えれば気味の悪い店として認知されてしまいそうだ。
あの店の存在を知ってから二週間。
私はほぼ毎日のようにあの場所を訪れている。
けれど、カフェを利用するためにやってくるお客さんの姿は今まで一度も見たことがない。
私があそこに顔を見せるたびに、まもりさんはいつも紅茶とケーキをご馳走してくれる。
その壮絶な味は相変わらずだけれど、「これは僕が勝手にやっているだけだから」と笑って、彼は一向に私からお金を取ろうとしない。
あれでは採算が合わないどころの話じゃない。
まごうことなき赤字で、店が潰れるのも時間の問題だ。
せめて口コミを広げて力になれればと思ったのだけれど、この調子ではかえって悪い噂を流してしまうだけかもしれない。
(こんなとき、いのりちゃんがいてくれたらなあ……)
思わず彼女の優しさに縋ってしまいそうになる。
小学校の頃からの幼馴染であるいのりちゃん。
彼女は私が困っていると、いつも助け船を出してくれた。
(でも、今は……)
彼女とは二週間前にケンカをしてから、一度も口を聞いていない。
「はあ……」
どんよりとした気分を払拭できないまま、放課後がやってくる。
学校を出たその足で、私はいつものようにあの店へと向かった。
暗い森の奥にあるボロボロの洋館。
そこでひっそりとカフェを営むまもりさん。
彼は、いのりちゃんと同じ『瀬良』という名字を持っていた。
もしかしたら親戚同士なんじゃないか――なんて考えたこともあったけれど、本人に確認してみたところ、きっぱりと否定されてしまった。
――たまたま同じだけだよ。少なくとも僕の知る限りでは、この街に親戚はいないからね。
すでに実家を出て独り立ちしている彼は、あの洋館の二階に住んでいるらしい。
もともと他の街からやってきたという彼は、この辺りには家族も友人もいないのだという。
寂しくないんですか、と私が聞くと、彼は寂しくないと微笑して答えた。
その儚げな笑みが、私にはどこか寂しげに見えた。
――僕は、人を待っているからね。
故郷を出て、知らない街でひっそりと店を開けているまもりさん。
そんな彼は、誰かの訪れを待っているという。
(お客さんは来ないし、知り合いもいないのに……一体誰を待っているんだろう?)
待ち人の相手については、私はまだ尋ねたことがない。
彼が「待っている」と発言したのは、ほとんど独り言のようだった。
だから私は、彼がその話を自分からしてくれるまでは触れないようにしようと思った。
というよりも、安易に触れてはいけないような気がしたのだ。
彼が店を開けている理由が本当にその人のためだというのなら、その人はきっと、まもりさんにとってとても大切な人だから。
(……なんだか、悔しいなあ)
私はまもりさんに毎日会いに行っているのに。
なかなか顔を見せないその人はきっと、私の何倍も、何十倍も、まもりさんにとって大きな存在なのだ。
〇
森の入り口までやってきたとき、ちょうど森の奥から一人の男の子が飛び出してきた。
危うくぶつかりそうになって咄嗟に避けると、男の子は私には目もくれずに走り去っていく。
一瞬だけ見えた横顔には見覚えがあった。
以前、まもりさんに人形の修理を頼みに来たあの男の子だ。
満面の笑みを浮かべた男の子の腕には、ドールハウスのようなものが抱かれている。
私は嫌な予感がした。
(まさか……)
今回は、あのドールハウスを直してくれと頼みに来たのだろうか。
だとすれば今頃、魔法を使ったまもりさんはその代償を受けている可能性がある。
(まもりさん……!)
私は弾かれたようにその場から駆け出して、彼の店のドアを乱暴に開けた。
「まもりさん! 大丈夫――」
「だから何度も言ってるだろう!!」
いきなり、怒号が飛んできた。
反射的に、私はびくりと身体を強張らせる。
私の声を遮ったそれは、男の人のものだった。
まもりさんのものではない、どすの効いた声。
見ると、店内には珍しく人がいた。
たった一人だけだけれど、まもりさんと向かい合うようにして立っている。
背の高い人だった。
こちらに背を向けているため、その顔は見えない。
けれどその出で立ちから、まもりさんと同じくらいの年代の男性だと予想がつく。
淡い色のシャツにパンツ姿のそのシルエットは、細いながらもほどよい筋肉が付いているのがわかる。
肌は日焼けして、長く伸びた髪は明るい。
ピアスなどのアクセサリーをじゃらじゃら付けているところを見ると、『チャラ男』なんて言葉が似合いそうだ。
この店に、お客さんがいる?
いや。
(もしかして、まもりさんが待っている相手って……)
こんな場所に、何の関係もない普通の人がやってくるとは思えない。
ということはもしかすると、この人が例のまもりさんの待っていた相手なのかもしれない。
けれど、
(待っていた相手って、男の人だったの……?)
てっきり女の人だとばかり思っていたのだけれど、まもりさんにとっての大切な人というのは、まさかのまさかで同性の人? なのか?
「まもり、さん……?」
私は恐る恐る声を掛けた。
途端、まもりさんはハッとしたような目をこちらに向けた。
どうやら私が店に入ってきたことを知らなかったようだ。
そんな彼の反応に釣られるようにして、今度は向かいの男性もこちらに顔を向ける。
首だけを動かして「ああん?」と威圧的な声を漏らしながら、斜めに私を睨みつける。
眉間にシワを寄せたその顔は、私の予想に反して整っていた。
チャラそうな印象はやはり拭えないけれど、彫りの深いその顔立ちはどう見ても『イケメン』の類に入る。
そして何より、恐い。
顔が整っているからこそ出せる威圧感、とでも言えばいいだろうか。
私は震えそうになる足を必死に踏ん張る。
すると、
「! お前、なんでここに……――」
私を睨みつけていた男性の目が、はっと見開かれた。
「えっ……?」
私はぽかんとしたまま彼を見つめ返す。
彼のその反応は、まるで私を見知っているかのようだった。
けれど私は、彼の顔に見覚えがない。
「? 流星。絵馬ちゃんのこと、知ってるの?」
まもりさんが聞いた。
流星と呼ばれたその男性は、
「いや……。何でもねえ。人違いだ」
と、歯切れの悪い声を漏らす。
私はその様子を不思議に思いながらも、改めて店の中へと足を踏み入れた。