けれどもここで死ぬわけにはいかない。そんなことになったら、どれほど皆が悲しむか。
 翠子は精一杯力をこめて心で叫んだ。
 お願い彼に伝えて!
(煌仁さまっ、ここです)
 どんっ、どんっ! ギィ、ギィ!
 不思議なことが起きた。
 壁が自ら音をてる。まるで唸るように。
 がたっと音がして「姫っ!」煌仁が現れ、同時に炎が見えた。

「火事だっ!」
 会場は騒然となった。
 まゆ玉に付いて行くと、そこは炎が立ち上っている。
「きゃー、姫っ! 姫さまっ!」「朱依っ!」
 半狂乱で炎の中を飛び込もうとする朱依を篁が抑えると、煙の中から翠子を抱いた煌仁が出てきた。
「姫さまっ!」「煌仁さまっ!」

 騒ぎの中、唯泉は火事から少し離れたとある殿舎にいた。
 管弦の舞の出番が終わり、着替えを済ませた時だ。昼だというのに物の怪が唯泉に姿を見せ、ふらりふらりと誘うように奥へと行くのである。
「なんじゃ」
 悪しきものではないとわかっている。唯泉はついて行った。
 途中から足音を忍ばせた。人の気配がしたのである。
 やがてひそひそと話し声が聞こえてきた。弘徽殿の女御の声であった。

「いかがじゃ」
「ふたりとも、それぞれ離れた塗籠に」
「おお、そうか。でかしたぞ。これであの邪魔な祓いも煌仁も、同時に始末できる。あの者さえいなければ麗景殿などどうにでもできる」
「これで皇子さまが東宮になれますね」
「そうじゃ。ようやく。ところでお前、匙の毒はしっかり処分したのかえ?」
「ええ。女御さまの父君に渡しておきましたから」
「それなら安心じゃ。父君なら上手く隠してくれるであろう。まだ必要だからのぉ、次は粥に入れよう。疑われぬようわが皇子にもほんの少し入れねばならぬが」
 そこまで聞いた唯泉は、几帳をなぎ倒し女御とふたりの女房に姿を見せた。
「そんなことだと思ったぞ、女御。お主もこれまでだ」