なるほどと聞くには聞いているが、難しい話である。
「弘徽殿の女御はなんとしても己が皇子を帝にしたいのだ」
「――そんな」
「毒がばれて、他の方法でも必死に考えているのではないか?」
「あの、毒は弘徽殿からだとわかったのですか?」
「いや、すべては私の想像だ」
「え」
 くすくすと唯泉は笑うが、翠子はとても笑えない。

「ですが唯泉さま、最初は弘徽殿の皇子も具合が悪くなったのですよね? まさかご自身の皇子さまに毒はないでしょうし」
「姫よ。人は恐ろしい生き物なのだ。目的達成のためには、致死量に満たない毒を我が子に盛るくらい何とも思わぬ母もいる」

 弘徽殿の女御はそれほどまでに冷酷な女性なのだろうか。
「信じられぬか? 本人はむしろ我が子のためと信じているやもしれぬぞ」
「帝になれるなれば、ということですか?」
「そうだ。帝の母となることは、一族の悲願であるのだろうし」
 唯泉は「ここは、宮中だからな」と言った。
「人を鬼にもする」

 ――鬼。
 ふと、煌仁が『ここ宮中をどう思う?』と聞いたことを思い出した。
 物の怪、柱に刻まれた嘆き、悲しみ。あんなに小さな皇子に毒……。
 ここ数日楽しく過ごしていて忘れかけていたけれど、ここは喜びよりも哀しみのほうが溢れている。
『皆の気持ちはありがたいが、それでも、どこか遠くに行きたい』
 あの時彼は、どんな気持ちでそう言ったのだろう。

 弘徽殿に近づくと強い護摩の匂いがしてきた。僧侶たちの経を唱える声も、何やら物々しい。
「まったく大袈裟な」
 唯泉はため息をつくが、彼の到着を今かと待っていた女房たちが駆け寄ってくる。
「唯泉どの! 早く、こちらへ」
 慌てる女房に袖を引かれる勢いで、奥の間へと向かう。
 煌仁はすでにいた。
「女御は?」
「奥で横になっている」
 御簾の奥に視線を向けた唯泉は、目を細めた。
「ああ、なるほど。いるなぁ物の怪だ」
「なんと!」
 弘徽殿の女房たちは震えだす。
「皆帰ってよいぞ、祓姫の力も必要ない、私が追い払っておく」
 唯泉にそう言われればいても仕方がない。煌仁に促されて、翠子も来たばかりの簀子に出た。

「姫よ、私はこのまま戻らねばならぬが、麗景殿に寄ってもらってもらえぬか? 皇子がまゆ玉と遊びたいそうなのだ」
「はい。わかりました」
 まゆ玉は、弘徽殿の入り口に座ったまま入ろうとはせず、行儀良く待っていた。

 麗景殿に向かう翠子と朱依とまゆ玉を見送りながら、篁がため息をつく。

 事態は進展しない。
「せっかく姫が匙を特定してくれたのに、不甲斐ないことで申し訳ない」
 怪しい女房が弘徽殿にいるにはいるが、証拠が見つからないのである。