皇子の匙から毒が見つかって十日ほどが経った。
 麗景殿の皇子は無事回復し、まゆ玉を連れて行くと皇子は『にゃーにゃー』と両手を広げて駆け寄りとても喜んだ。猫が大好きなのだ。
 他に目立った出来事もなく、翠子は冊子を読んだり訪ねてくる唯泉と話をしたりと、穏やかな日々を過ごしていた。

 煌仁は忙しそうだけれど、少しの時間を見つけては顔を出してくれる。
 その日彼は暗くなってから現れた。
「共に夜空を見よう。今日は天の川がとりわけ美しい」
 誘われて空を見上げれば、星の川が見える。
「まことに、美しいですね」

 煌仁は「これをそなたに」と紐の付いた石を差し出した。
 透明な石の中には金が入っているように見える。角度を変える度にきらきらと石が光った。
「きれい」
「唯泉に祓ってもらったゆえ、手に取っても大丈夫であろう?」
 そっと手袋を外し触れてみた。
「はい。大丈夫でございます」
「よかった」
「でも、煌仁さま、私このような貴重なものを頂いても」
「かまうな。よいのだ。私がそなたに持っていてほしいのだから」
 櫛、十二単、双六、冊子。数え切れないほどもらっているけれど、翠子には何も渡すものがない。

「いいのだよ。私はここから当分出られぬかもしれぬ」
 空を見上げる煌仁の瞳は寂しそうに見える。なにかあったのだろうかと心が苦しくなった。
 でも、翠子を振り返る彼の微笑みに陰りはない。

「だが姫よ。それでも私は心の自由は失わないぞ」
 ――煌仁さま?
「だからそなたも、この石を見る度に思ってほしいのだ。小さな世界でも輝くものは美しい。そなたは美しいぞ」
 翠子の睫毛は震えた。

「こうして私も同じ石を持っている」
 そう言って差し出した煌仁の手のひらには、色違いの紐が付いた同じ石がある。
「私はこの石を見る度に思い出すだろう。姫の輝きは、私の希望だ。見果てぬ夢だ」
 ――そんな。
「寂しいときは石を手に、私の言葉を思い出してほしい。私もこの石を見ているだろう。そなたを想いながら」

 俯いた翠子の手にある石の上に、ぽたりと落ちた涙。隠すように手を握るとその上に煌仁の手が重なった。

 この方が東宮でなければ。
 私が祓姫でなければ。
 心の片隅をかすめたそんな想いを振り切るように、翠子は頬を上げる。
「あ、今、星が流れていきましたね」
「誰かに会いに行ったのだろう」
「織り姫と彦星のようにですか?」
「そうだよ。きっとそうだ」

 

 このまま何の事件も起きずに済めばいいと思っていた矢先。
「弘徽殿の女御が悪夢にうなされるらしい」
 神妙に眉をひそめた篁が現れてそう言った。
「悪夢? もしかして物の怪ですか?」
 ちょうどふらりと現れた唯泉が「一緒に行ってみよう」と翠子を誘う。
「はい」

「弘徽殿は、麗景殿の呪詛に違いないと騒ぐし、誠に面倒だ」
「物の怪は?」
「いるにはいるが」
 例によって迷っているらしい。
「あれだな、弘徽殿は焦っているのだろう」
「どういうことですか?」
「現在、二十歳になる煌仁の他に皇子はふたり、麗景殿の皇子三歳。弘徽殿二歳。煌仁は東宮の座を麗景殿の皇子に譲るつもりだが、いかんせんまだ幼い。加えて最近、帝の体調が思わしくない」