「え? 私は、祓姫ですもの……」

 通う人など考えたこともなかった。
 祓姫などと忌まわしげな名で呼ばれる女に、誰が近づこうとするものか。言わなくてもわかるだろうに存外意地悪な人だと思い、悲しくなる。

「なぜそのように悲しげになさる。そなたのように美しく、心の清らかな姫は他にはおらぬぞ?」
 だって。
「姫よ、ここをどう思うか?」
「ここ?」
「ここ、宮中をどう思う?」
「とても荘厳で雅やかで、素晴らしいところだと思います」
「そうだな。まあ、そうだ」

「煌仁さまはずっと宮中にお住まいなのですよね?」
「ああ。生まれも育ちもこの女の園。考えてみれば沢山の母や姉がいるようなものだな」
 美しい装飾の貝合わせや冊子や双六、ここにはなんでもある。
「毎日が楽しそうです」
「姫と同じだよ」
 ――え?
 煌仁は翠子を見下ろして薄く微笑む。
「皆の気持ちはありがたいが、それでも、どこか遠くに行きたい」

(遠くへですって?)
 自分はそんなふうには思っていない。
 朱依や爺や使用人のみんながいてくれればそれだけで十分に幸せだものと、心の中で反論した。
 けれど。彼が屋敷に来て勅命だと言った時、ほっとしたのではなかったか?

「姫は市場に行ったことはあるか?」
「いえ、ありません」

 東の市は盛況で何でも売っていると聞く。国中の特産品だけでなく大陸の珍しい物まで所狭しと並んでいるらしい。朱依から市場の土産話を聞くのはいつもとても楽しみだ。

「ならば、この機会に一緒に行ってみるか?」
「え?」
 自分が行くなど考えたこともなかった。朱依から市場の様子を聞くだけで満足だったから。
 でももし――。

「一日くらい出掛けても大丈夫。私が付いている。行ってみないか?」
「でも……」
「時々、忍びで行くのだよ。楽しいぞ?」
 まばたきも忘れて煌仁をじっと見れば、彼は優しく微笑みかける。
「行くか?」
 翠子は思わず「はい」と頷いた。


 善は急げと、早速明日行くことになった。
 早く床についたけれど、胸が高鳴ってなかなか寝付けない。

「朱依、市場というところは人がたくさんいるのでしょう? 私、大丈夫かしら。足手まといにならないかしら」
「大丈夫ですよ! 私が付いています」
「怖い人もいるのでしょう?」
「煌仁さまも、強面の篁も一緒ですもの悪人も寄ってきませんよ。姫さまは直接触れないように気をつけるだけで、何の心配もないです」