未の刻になり煌仁が現れた。
 翠子の前に衣、料紙、唐菓子、冊子と並べていく。

 扇をずらした翠子はそれらを見、束の間、冊子で目を止めた。思わず細めた目が弓なりになる。
 その様子を見ていた煌仁は満足げに唇を歪め、口火を切った。

「先に宮中の事情を説明しておこう。帝には心の臓に持病があり過剰な心配事はお体に障る。であるのに弘徽殿と麗景殿は常に対立している」

 いったい何の話が始まるのかと、翠子は怪訝そうに眉をひそめて耳を傾けた。

「物の怪でないとなれば、麗景殿は弘徽殿の仕業だと騒ぎ立てるだろう。逆もしかり。混乱を避けるため、何としても皇子の不調の原因を突き止めたい。というわけもあり、姫に力を貸してほしいのだ」

 ふっと笑った朱依が、「東宮が疑われますものね」と言ったのと篁が立ち上がったのは同時だった。
「きさまっ!」
「朱依」と翠子も止めたが、煌仁も右手で篁を抑えた。

「篁、構わぬ。それも本当だ」
「違うではありませんか! 煌仁さまは麗景殿の皇子が成人されたら東宮の座をお譲りすると宣言されているのですから」

 なるほど、そういうことなのか。
 顔を赤くして怒る篁と、憮然として横を向く朱依を交互に見つめながら、厄介なものだなと翠子は思う。
 彼の考えはどうあれ、朱依が言った通り彼を疑う人はいるだろう。自身も十分にそれを承知している。
 東宮でいるばかりに、彼はずっと去就を探られるのだ。

「ひとつ聞いてもよろしいでしょうか」
「ん? なんだ」
「邸にお持ちになったあの扇は、あなたさまの母君の扇だったのですか」
 煌仁は静かに「そうだ」と頷いた。


「では麗景殿へ参ろうか」
「はい」
 ちりんと鈴を揺らし、あくびをしたまゆ玉が後を付いてくる。


 既に話がついているのだろう。麗景殿では人払いがされていた。
 通された奥には皇子が寝ていて、両脇から女房が心配そうに皇子を見つめている。御簾の奥に女御がいるようだ。他には年かさの女房がひとり、煌仁や翠子の斜向かいで控えている。

 煌仁が声を掛けた。
「祓姫を連れて参りました」
 翠子は神妙に頭を垂れる。
 麗景殿に足を踏み入れた時から、深い悲しみを感じていた。翠子のような力がなくとも肌でわかるだろう。それほどまでにここは、悲しみに沈んでいる。