【洞 窟】
……すると老僧が供の剣士を叱りつけた。
「これ、無体なまねをするでないわ」
「や!」と、遼翁が目を剥いた。老僧は右の掌にのせた鉄鉢をわたしらに差し出すようになにやら呪文を唱え出した……。
「こ、これは┅┅」
わたしがつぶやいた。老僧はわたしを敵視したのではなく、洞窟の入り口に結界を張ろうとしていた……ようである。
老僧の腰に両手を添えていたのは、小さき僧であった。二人が一身となって、窟内に砂塵が流入するのを止めようとしていたのだ。
「こちらも加勢せよ」
わたしが言うと、遼翁は剣を逆手に握り返し、老僧の鉄鉢に剣先を添えた。
ぶつくさと口だけを動かしているのは、おそらく遼家に伝承されてきた呪文であったろう。それぞれの家に伝承されている、悪障祓いの家呪があるのだ。
すばやく老僧の背側に回り込んだわたしは、葛王剣の柄頭をかれの肩に当てた。
シャキシャッシャキ……
音が響くと、戸が閉じられるように洞窟の入り口に結界が張られた。これで数日は砂塵の流入を食い止めることができるだろう。
力を使い過ぎたせいか、一歩二歩よろけた老僧をかばいながら、小さき僧が老僧をしゃがませた。
渢姫に瓜ふたつの女人らが、老僧を囲んだ。かれらの供の剣士は、剣を納めて丁寧な辞儀で、わたしと遼翁を迎えた。
「失礼申した……敵か味方か分からなかった」
どうやらこの二人は、まだ〈剣〉に選ばれてはいないようで、とうてい遼翁の敵ではない。それに年齢もわたしとさほど違わないようであった。
「琿と申します。拙者が長兄、こいつは弟……」
いきなり両人は片膝をついた。
挨拶の基本である。
とはいえ、なにもこちらに臣従を誓ったのではない。おのが無礼を詫びる一時の姿態にすぎない。
すかさず、わたしは琿兄弟の兄の腕に手を添えた。立たれよ……という合図であって、これも一連の作法であった。
「琿伯どの」
わたしが言った。〈伯〉は長兄に対する尊称である。
「そなたらはこの一行とは無縁の者だな」
重ねてわたしが問うた。
「よくおわかりで……至元めに殺された父と弟の仇を討とうと、離宮に忍び込んだとき、御僧にたすけられたのです……」
話がみえない。
揚至元……皇帝の末弟のいのちを狙うとは、どういうことなのだろう。
「これ、余計なことを述べ立てて、修行旅の剣士どのを迷わせるでないわっ」
供の琿兄弟を叱りつけたのは老僧である。
「お二方、ともの者のご無礼、平にゆるされよ。明日夕には砂塵も失せようほどに、しばし、ご一緒つかまつる」
「して、そちら様の名は……」
わたしが問う。おそらくは名のある僧にちがいない……。
「その儀もご容赦あれ。そちら様もお名乗りなさらずともよろしかろう。洞窟で一夜を過ごすだけの縁と心得なされるがよろしかろう……さもなくば……」
「さもなくば?」
「……皇弟、揚至元どのに生涯追われることになりまするぞ」
「ほほう、皇弟に狙われる、と申されるのか」
「さよう……あるいは、皇弟の敵からも狙われるやもしれませぬゆえに、の」
「はて……よくわかりませぬ……皇弟の敵ならば、皇弟に狙われるそちら様は、むしろ味方となるのでは?」
「ほっほほ、世の中、そう単純ではございませぬぞ」
急に艶のある色合いを語調に含ませた老僧は、意味ありげなまなざしでわたしを射った。
「そちらも、触れられたくはない……ものをお持ちのようじゃ……ここは互いに、旅の中途でのすれ違い、ということで納めておいたほうがよろしかろうて」
あるいはこの老僧は、わたしの正体に気づいていたのかもしれない。
いや、とすぐにそんな思いつきを否定した。葛王剣を身に帯びている以上、わたしの意に反して、第三者に素性を悟らせるようなことは〈剣〉がしない。剣と同体ということは、そういうことなのだ。
「ならば、これ以上、問うことは差し控えましょう」
わたしが折れた。
けれど、これだけは糺しておかなければならない……。
「……一つだけ、釈明願えまいか……渢姫様とそっくりな女人を供にしているその理由を知らずんば、このまま洞窟をお出しするわけにはゆきませぬぞ」
「な、なんと……?」と、老僧は顔をしかめた。
「わたしは……」と、わたしは続ける。
「……葛家には返せない恩をもつ身……渢姫様もよく存じ上げております」
真っ赤な嘘である。
けれど、ここは、それなりに相手を得心させるだけの経緯というものが必要だった。
「……先帝に後宮を追われたわたしの母を匿ってくださったのが、葛丞相様でした……」
「な、なんと申された……?」
「葛家にはそれほどの御恩があります。渢姫様と実の姉妹のごとく育てられた弟のごときわたしには、目の前の瓜ふたつの女人をどうしようとしているのか……問い質ずば、この先、丞相に顔を合わせられませぬゆえ」
そうわたしは言ってみせた。
嘘ではあるものの、幾分かの真実が含まれている。
実は、先帝の後宮から逃れてきた廃妃と父との間に産まれたのが、わたしの姉、葛家三姉妹の次姉であった。
この時代。
兄弟姉妹は、異母兄弟、異母姉妹がほとんどで、長姉渢姫も異母姉である。
次姉は生来病弱で、隣州にある葛家別邸で療養していて、わたしですら二度しかお会いしていない。このとき次姉の出生の物語を借用したのは、やはり、尋常ならざる相手の信頼を勝ち得るためであった。
と、遼翁がすかさずわたしの作り話を肯定してみせた。
「……いかにも、いま、主君が申されたこと、天に誓って嘘偽りではござらぬぞ。それがし、若き頃、先帝の後宮侍衛を務めており申した……」
「な、なんと……ま、まさか……」
しげしげとわたしらを眺めた老僧は、それでもまだ首肯できてはいないようで、やや語調を改めて、
「ならば」
と、続けた。
「……黙秘するつもりは毛頭ござらぬ。したが、先ほど申したとおり、災いがそちらに及ぶことを懸念したまでのこと。さほど知りたいと申されるならば、隠し立てをすることもあるまい……ここにおられる渢姫様瓜ふたつの女人は、まさしく、渢姫様の髪と齒から生まれた傀儡でござる」
ひゃあ、と声を立てたのは遼翁のほうで、つられてわたしも叫びそうになった……。
……すると老僧が供の剣士を叱りつけた。
「これ、無体なまねをするでないわ」
「や!」と、遼翁が目を剥いた。老僧は右の掌にのせた鉄鉢をわたしらに差し出すようになにやら呪文を唱え出した……。
「こ、これは┅┅」
わたしがつぶやいた。老僧はわたしを敵視したのではなく、洞窟の入り口に結界を張ろうとしていた……ようである。
老僧の腰に両手を添えていたのは、小さき僧であった。二人が一身となって、窟内に砂塵が流入するのを止めようとしていたのだ。
「こちらも加勢せよ」
わたしが言うと、遼翁は剣を逆手に握り返し、老僧の鉄鉢に剣先を添えた。
ぶつくさと口だけを動かしているのは、おそらく遼家に伝承されてきた呪文であったろう。それぞれの家に伝承されている、悪障祓いの家呪があるのだ。
すばやく老僧の背側に回り込んだわたしは、葛王剣の柄頭をかれの肩に当てた。
シャキシャッシャキ……
音が響くと、戸が閉じられるように洞窟の入り口に結界が張られた。これで数日は砂塵の流入を食い止めることができるだろう。
力を使い過ぎたせいか、一歩二歩よろけた老僧をかばいながら、小さき僧が老僧をしゃがませた。
渢姫に瓜ふたつの女人らが、老僧を囲んだ。かれらの供の剣士は、剣を納めて丁寧な辞儀で、わたしと遼翁を迎えた。
「失礼申した……敵か味方か分からなかった」
どうやらこの二人は、まだ〈剣〉に選ばれてはいないようで、とうてい遼翁の敵ではない。それに年齢もわたしとさほど違わないようであった。
「琿と申します。拙者が長兄、こいつは弟……」
いきなり両人は片膝をついた。
挨拶の基本である。
とはいえ、なにもこちらに臣従を誓ったのではない。おのが無礼を詫びる一時の姿態にすぎない。
すかさず、わたしは琿兄弟の兄の腕に手を添えた。立たれよ……という合図であって、これも一連の作法であった。
「琿伯どの」
わたしが言った。〈伯〉は長兄に対する尊称である。
「そなたらはこの一行とは無縁の者だな」
重ねてわたしが問うた。
「よくおわかりで……至元めに殺された父と弟の仇を討とうと、離宮に忍び込んだとき、御僧にたすけられたのです……」
話がみえない。
揚至元……皇帝の末弟のいのちを狙うとは、どういうことなのだろう。
「これ、余計なことを述べ立てて、修行旅の剣士どのを迷わせるでないわっ」
供の琿兄弟を叱りつけたのは老僧である。
「お二方、ともの者のご無礼、平にゆるされよ。明日夕には砂塵も失せようほどに、しばし、ご一緒つかまつる」
「して、そちら様の名は……」
わたしが問う。おそらくは名のある僧にちがいない……。
「その儀もご容赦あれ。そちら様もお名乗りなさらずともよろしかろう。洞窟で一夜を過ごすだけの縁と心得なされるがよろしかろう……さもなくば……」
「さもなくば?」
「……皇弟、揚至元どのに生涯追われることになりまするぞ」
「ほほう、皇弟に狙われる、と申されるのか」
「さよう……あるいは、皇弟の敵からも狙われるやもしれませぬゆえに、の」
「はて……よくわかりませぬ……皇弟の敵ならば、皇弟に狙われるそちら様は、むしろ味方となるのでは?」
「ほっほほ、世の中、そう単純ではございませぬぞ」
急に艶のある色合いを語調に含ませた老僧は、意味ありげなまなざしでわたしを射った。
「そちらも、触れられたくはない……ものをお持ちのようじゃ……ここは互いに、旅の中途でのすれ違い、ということで納めておいたほうがよろしかろうて」
あるいはこの老僧は、わたしの正体に気づいていたのかもしれない。
いや、とすぐにそんな思いつきを否定した。葛王剣を身に帯びている以上、わたしの意に反して、第三者に素性を悟らせるようなことは〈剣〉がしない。剣と同体ということは、そういうことなのだ。
「ならば、これ以上、問うことは差し控えましょう」
わたしが折れた。
けれど、これだけは糺しておかなければならない……。
「……一つだけ、釈明願えまいか……渢姫様とそっくりな女人を供にしているその理由を知らずんば、このまま洞窟をお出しするわけにはゆきませぬぞ」
「な、なんと……?」と、老僧は顔をしかめた。
「わたしは……」と、わたしは続ける。
「……葛家には返せない恩をもつ身……渢姫様もよく存じ上げております」
真っ赤な嘘である。
けれど、ここは、それなりに相手を得心させるだけの経緯というものが必要だった。
「……先帝に後宮を追われたわたしの母を匿ってくださったのが、葛丞相様でした……」
「な、なんと申された……?」
「葛家にはそれほどの御恩があります。渢姫様と実の姉妹のごとく育てられた弟のごときわたしには、目の前の瓜ふたつの女人をどうしようとしているのか……問い質ずば、この先、丞相に顔を合わせられませぬゆえ」
そうわたしは言ってみせた。
嘘ではあるものの、幾分かの真実が含まれている。
実は、先帝の後宮から逃れてきた廃妃と父との間に産まれたのが、わたしの姉、葛家三姉妹の次姉であった。
この時代。
兄弟姉妹は、異母兄弟、異母姉妹がほとんどで、長姉渢姫も異母姉である。
次姉は生来病弱で、隣州にある葛家別邸で療養していて、わたしですら二度しかお会いしていない。このとき次姉の出生の物語を借用したのは、やはり、尋常ならざる相手の信頼を勝ち得るためであった。
と、遼翁がすかさずわたしの作り話を肯定してみせた。
「……いかにも、いま、主君が申されたこと、天に誓って嘘偽りではござらぬぞ。それがし、若き頃、先帝の後宮侍衛を務めており申した……」
「な、なんと……ま、まさか……」
しげしげとわたしらを眺めた老僧は、それでもまだ首肯できてはいないようで、やや語調を改めて、
「ならば」
と、続けた。
「……黙秘するつもりは毛頭ござらぬ。したが、先ほど申したとおり、災いがそちらに及ぶことを懸念したまでのこと。さほど知りたいと申されるならば、隠し立てをすることもあるまい……ここにおられる渢姫様瓜ふたつの女人は、まさしく、渢姫様の髪と齒から生まれた傀儡でござる」
ひゃあ、と声を立てたのは遼翁のほうで、つられてわたしも叫びそうになった……。