やがて午一刻になり、内裏に時報の鐘鼓が打ち鳴らされた。

 九つ目の打音が消えると同時に、清涼殿の東廂から花琉帝が現れた。その瞬間、場は森のごとく静まり返る。
 帝は二藍の御短直衣姿、まっすぐ伸びた背はすらりと高い。光り輝く美貌という噂に偽りはなく、初夏の陽光に佇むその姿はまさにまばゆいばかりであった。
 普段は雲上の存在である花琉帝の全貌をこの時初めて拝した者も多い。庭を挟んで対にある仁寿殿(じじゅうでん)の御簾の奥で、見守っている女房達からは感嘆のため息が漏れた。

 そして、時を同じくして庭の南、紫宸殿から現れたのは対戦者である斎だ。腰に帯びた金鞘の唐太刀に、背には平胡籙(ひらやなぐい)(※平たい矢入れ)。見慣れた武官の正装も、今日ばかりは一段と凛々しい印象を与えている。直前に左大臣に「侮られないように笑っていろ」と言われたためか、口に不自然な笑みを浮かべているのが難点か。

 帝は清涼殿の(きざはし)に直接渡された仮橋を通り、庭にしつらえられた高壇へ渡る。一方の斎は己の足で庭の玉砂利の上を歩いて壇上へ上った。
 四角い舞台は高欄をめぐらし、赤い錦が敷かれている。東に帝、西に斎が向かい合って座れば、ここにようやく勝負の舞台はととのった。

「これより三番勝負を執り行う」

 頭弁・藤原真成の声が庭に響く。

「一番目は歌(くら)べ。御題に沿った歌を一首ずつ詠み、勝敗は左右内大臣のお三方にお決めいただきます」

 言いながらちらりと頭弁が視線を送ると、桟敷に座る三人の大臣はそれぞれ神妙だったり笑顔だったりで頷いた。

「では歌題を申し上げます。本日の御題は――“枸橘(からたち)”」

 歌題が明らかになると、観客からわずかに声が漏れた。

 枸橘は枝に鋭く長い(とげ)があるため生け垣などによく使われる。身近な木ではあるが、桜や梅のように見栄えのするものでもないので和歌の題材としてとりあげられることはあまりない。
 それをなぜわざわざ御題にしたかと言えば、斎の渾名である“枸橘の君”にちなんでいるのは明白だった。

「(この勝負、どうなるかしら)」
「(和歌は帝の有利でしょうね。なにせ当代一の風流人でいらっしゃるから……)」

 麗景殿の女房達はひそひそと話し合う。
 ちょうど今の時期に、かぐわしく白い花を咲かせる枸橘。果たしてふたりはどう詠むのか――。

 皆の注目が集まる中、先行は斎。事前に託されていた一首を、講師(こうじ)が高らかに詠み上げた。


「“からたちの まろきこがねの たま垣の
 (うま)き色かな 香はなけれども”」

(枸橘の丸くて黄金色の実が生った垣根があるよ。おいしそうな色だなあ、匂いはしないけど)