そうしていよいよ、三番勝負の当日。

 その日は早くから公卿(くぎょう)に六位蔵人、台盤所の女官らまで清涼殿の東庭に押し寄せて、観覧者は百人近くにのぼった。
 皆が祭や宴でも待つかのように賑々(にぎにぎ)しい中、ひとり気もそぞろなのは桟敷に座る左大臣である。それもそのはず、今日の結果如何で自分の娘が帝に嫁げるかどうかが決まってしまうのだから。

 この三番勝負が公卿会議で発議された時、もちろん左大臣は「そんな馬鹿馬鹿しい話があるか!」と強固に反対した。なにせ左大臣側の代表は斎だ。「あんなふにゃふにゃした奴に我が家の命運を任せられるか!」と。
 だが、実はこの時既に頭弁が内々に他の公卿らの承諾を取り付け終えていた。単に面白いと思ったのか左大臣にひと泡吹かせてやろうと考えたのか、右大臣達は皆ふたつ返事でこれを了承。結局、多勢に無勢ということで左大臣も承服せざるを得ず、本日に至る。

 こうなるともはや、彼に出来ることは斎の勝利を祈ることだけ。実際、左大臣家では都中から験者を呼び寄せて、「蔵人少将必勝祈願」と称して三日三晩の盛大な加持祈祷まで行っていた。