五年前、「私の妻になって後宮へ来てほしい」と告げられた時の斎の言葉を、帝は一言一句歌うようにつまびらかにしてみせる。
“宮さまは以前、『籠の中の小鳥より、自由に羽ばたきさえずる鳥が好きだ』とおっしゃいました。だから斎は、誰よりも自由に羽ばたきさえずる鳥になりとうございます”
“斎はおひいさまではなく、宮さまをお守りするつよいおのこになります”
斎は、幼い頃ただ一度だけ聞かされた入道の宮の言葉をずっと覚えていた。だからこそ、後宮の妃となり“籠の小鳥”になることを拒んだのだ。
「……本当に可愛いことを言ってくれるよね、私の斎は……」
手のかかる子ほど可愛い、といった調子でほんのり帝の口の端が持ち上がるのを、頭弁は呆れた様子で見ていた。
「こうも言っておりました」
「ん?」
ぱちん、ぱちんと開いては閉じていた帝の檜扇の動きが止まる。頭弁はもったいぶってわざとらしく咳払いをした。
「以前、斎にそれとなく問うたことがあるのですよ。『もしもお前が女だったら、今よりもっと帝のお側にいられるのではないか?』と」
「ほお」
「そしたらあの者はこう言いました。『主上は“男女の愛を信じない”とおっしゃっていた。だから女の身では近くに置いてもらえない』と」
「あー……」
どうやら身に覚えがあるらしく、いつも泰然としている帝の目が泳ぐ。
「いやー、言ったね。……言ったとも。『男女の愛など幻だ、そんな移ろいやすいものは信じられない』と」
「ずいぶんと男女の情にお詳しいかのようなおっしゃりようですね……」
「ハハハ、勘弁してくれよ。あの頃は私も難しい年頃だったのだから……。世を儚んでいっぱしの世捨て人を気取っていたわけだよ」
花琉帝とて生まれついた時から今のような鷹揚な人柄だったわけではない。ひとりの少年、ひとりの青年として自身の境遇に悩み、苦しみ――その果てに得た一種の諦めの境地が、彼を変えたのだ。
そしていつだって、彼は斎の無垢な心に救われていた。
「いやあ、それにしてもその言葉まで斎が覚えていたとは……そうか、それで……」
なるほど、だから「後宮の妃ではなく男になる」という発想が生まれたのか、と。
過去の言動がすべて自分に返ってくる因果応報ぶりに、帝は「まいったなぁ」と笑った。
「笑い事ではありませんよ。登華殿が空いたことで、現在後宮には女御がひとりのみ。左大臣殿が末の姫を新たに入内させろと騒いでいます」
「お前から断っておいてくれないか」
「できるわけないでしょう! 左大臣の末姫は、御母上が前々帝の三の宮にあらせられる。それだけ尊き方を妃とされるなら、当然先方は中宮として迎えることを要求してくるでしょうね」
中宮とは妃の中で一番高い位で、帝の正室を意味する。
「陛下、いい加減御心をお決めくださいませ」
帝はすぐに言葉を返さず、ふっと遠くを見た。頭弁の後ろ、東庭に面する高欄に一羽の小鳥が止まっている。じっと翼を休めていた小鳥は、やがて風の訪れと共に羽ばたき飛び立っていった。
「……そうだね。そろそろ大事な小鳥をなだめすかして、籠にしまう頃合いかな……」
「協力してくれるかい? 真成」。一度目を瞑り、涼やかな瞳でじっと目の前の男の顔を見る。まるで心の中まで覗き込まれているかのようで、頭弁はわずかに目を逸らしうつむいた。
“宮さまは以前、『籠の中の小鳥より、自由に羽ばたきさえずる鳥が好きだ』とおっしゃいました。だから斎は、誰よりも自由に羽ばたきさえずる鳥になりとうございます”
“斎はおひいさまではなく、宮さまをお守りするつよいおのこになります”
斎は、幼い頃ただ一度だけ聞かされた入道の宮の言葉をずっと覚えていた。だからこそ、後宮の妃となり“籠の小鳥”になることを拒んだのだ。
「……本当に可愛いことを言ってくれるよね、私の斎は……」
手のかかる子ほど可愛い、といった調子でほんのり帝の口の端が持ち上がるのを、頭弁は呆れた様子で見ていた。
「こうも言っておりました」
「ん?」
ぱちん、ぱちんと開いては閉じていた帝の檜扇の動きが止まる。頭弁はもったいぶってわざとらしく咳払いをした。
「以前、斎にそれとなく問うたことがあるのですよ。『もしもお前が女だったら、今よりもっと帝のお側にいられるのではないか?』と」
「ほお」
「そしたらあの者はこう言いました。『主上は“男女の愛を信じない”とおっしゃっていた。だから女の身では近くに置いてもらえない』と」
「あー……」
どうやら身に覚えがあるらしく、いつも泰然としている帝の目が泳ぐ。
「いやー、言ったね。……言ったとも。『男女の愛など幻だ、そんな移ろいやすいものは信じられない』と」
「ずいぶんと男女の情にお詳しいかのようなおっしゃりようですね……」
「ハハハ、勘弁してくれよ。あの頃は私も難しい年頃だったのだから……。世を儚んでいっぱしの世捨て人を気取っていたわけだよ」
花琉帝とて生まれついた時から今のような鷹揚な人柄だったわけではない。ひとりの少年、ひとりの青年として自身の境遇に悩み、苦しみ――その果てに得た一種の諦めの境地が、彼を変えたのだ。
そしていつだって、彼は斎の無垢な心に救われていた。
「いやあ、それにしてもその言葉まで斎が覚えていたとは……そうか、それで……」
なるほど、だから「後宮の妃ではなく男になる」という発想が生まれたのか、と。
過去の言動がすべて自分に返ってくる因果応報ぶりに、帝は「まいったなぁ」と笑った。
「笑い事ではありませんよ。登華殿が空いたことで、現在後宮には女御がひとりのみ。左大臣殿が末の姫を新たに入内させろと騒いでいます」
「お前から断っておいてくれないか」
「できるわけないでしょう! 左大臣の末姫は、御母上が前々帝の三の宮にあらせられる。それだけ尊き方を妃とされるなら、当然先方は中宮として迎えることを要求してくるでしょうね」
中宮とは妃の中で一番高い位で、帝の正室を意味する。
「陛下、いい加減御心をお決めくださいませ」
帝はすぐに言葉を返さず、ふっと遠くを見た。頭弁の後ろ、東庭に面する高欄に一羽の小鳥が止まっている。じっと翼を休めていた小鳥は、やがて風の訪れと共に羽ばたき飛び立っていった。
「……そうだね。そろそろ大事な小鳥をなだめすかして、籠にしまう頃合いかな……」
「協力してくれるかい? 真成」。一度目を瞑り、涼やかな瞳でじっと目の前の男の顔を見る。まるで心の中まで覗き込まれているかのようで、頭弁はわずかに目を逸らしうつむいた。