登華殿の主が不在となり半月ほどが経過した皐月(さつき)の初め。

 ほとんどの官吏達が出仕を終え退出したその日の午後、頭弁・藤原真成は清涼殿を訪れていた。

「それで、(セイ)の様子はどうなんだい?」

 花琉帝は御座に現れるなりそう尋ねた。脇息(きょうそく)にもたれて足を崩す姿もどことなく品があり優雅だ。きちんと足裏を揃えて座る頭弁との間に御簾は下りておらず、乳兄弟であるふたりの親しさがうかがえる。

「しばらくは宿下がりされた登華殿の女御どのに同情してめそめそしておりましたが、今日は『(つばめ)の子が卵から(かえ)る瞬間を見た』とかなんとか言って朝から機嫌がよさそうでした」

 それは良かった、とほっとした様子の花琉帝を前に、頭弁は思い切り嘆息してみせる。

「ほとんど毎日顔を合わせているのですから、機嫌くらいご自分でお尋ねになればよいでしょうに」
「……あの子は私の前では決して泣かないし、弱音も吐かないからね」

 困ったように眉根を下げた微笑みは、どこか寂しげに見えた。

「まったく。そんなに心配なら最初から男子として昇殿させるのではなく、妃として後宮に入れておけばこんなややこしい事態には――」
「もちろん私もそのつもりだったさ。そのために還俗したんだから」

 帝はさらりと、(いつき)――女としての本名を(セイ)という――を妻にするために仏縁を捨てたのだと告白する。

「私は寺を離れる時、(セイ)に妻になってほしいと言った。ただね……」

 そこまで言ってトン、と持っていた檜扇を畳んだ。

「断られたんだ。――振られてしまったのだよ、私は」