反転の呪いを受けた最強バッファーは最狂デバッファーとなって無自覚無双でスローライフを送る?

 アーゼさん夫妻が運んで来たテントも張り終え、全員で一息をつく。
 ラナさんは俺のテントで休んで貰っていたが、今は外に出て来て一緒にティータイム中だ。
 
「え、じゃああのサイノザルスは、北の魔王領からずっと追いかけてきていたのですか?」
「あぁ。北の荒野を渡っている時に奴に見つかったが、直ぐには襲って来なかったのだ」
「あたしたちの体力が尽きるのを待って、それから襲ってきたのよ」

 少しでも楽をして獲物を仕留めようってことだろう。
 賢いといえばそうなるか。

 オグマさんたち三人は、北の魔王領に暮らす魔族だ。
 魔王領といっても、国とかそういった概念はない。ただ奴が支配している土地──いや、今では支配していた土地という方が正しいか。

 よく魔王と魔族を混同する人間はいるが、魔王は魔物の王であって魔族とはまったく異なる種族だ。
 混同されやすいのは同じ「魔」が付くからというのもあるが、魔族が北の大地に暮らす種族だからってのもある。
 魔王も北の大地で生まれた存在だから。

 それもあって、魔王の手から逃れるため他に土地に移り住もうとしても、迫害され、結局北に戻るしかないのだ。

「あたしと兄は、混血なの」
「混血? ……もしかして人間との?」

 妹のリキュリアさんが、うつむき加減で頷く。
 ラナさんと比べると、肌の色は人間で言う、日焼けした肌程度だ。
 それに兄妹は、ラナさんよりも魔力が高い──ように感じる。
 
 魔王は魔族から魔力を奪った。
 それは自身を滅ぼしかねない存在だからと判断したからだが、奪っただけでは生まれてくる子には高い魔力が備わるかもしれない。
 だから呪ったのだ。
 魔族から産まれる子に、魔力が備わらないようによ。

 魔力が高いということは、魔族じゃない者から産まれたということに他ならない。
 そして北の大地に暮らすのは、魔族の他にはドワーフと、そして人間だ。エルフは決して北の大地で暮らさない。

「我らの母が北の大地に暮らす人間だ。里では他種族と交わることを毛嫌いしているので、昔からずっと迫害を受けていたのだ」
「それでも父や母が存命だった頃はよかった。二人は里を魔物から守っていたから……」
「二人のご両親は、オグマが生まれる前から里をずっと守ってくださっていたそうです。義母は人間でありながら、魔族の里を守って──」

 十三年前。モンスターの大規模な襲撃があり、ご両親は共に亡くなったそうだ。
 それまで里の英雄だなんだのと褒め称えていたのに、二人が亡くなると掌を返したようにオグマさんとリキュリアに対しての風当たりが強くなったという。
 しかも里長が中心になって。

「ラナとの結婚も、随分と反対された。彼女のご両親にではなく、里長や他の大人たちに」
「ラナを他の男と結婚させたいがために、兄さんとの結婚を止めさせようとしたの」
「なんて酷い……それで、里を出たと?」
「ラナが子を身籠った。俺たちの子にまで、同じ目に会わせたくなかったのだ」

 それで三人が穏やかに暮らせる土地を求めて、南へとやって来たそうだ。
 どこか亜人の集落や町で、自分たちを受け入れてくれる場所が無いか──と。

 そこまで話してからオグマさんが当たりを見渡す。
 草と岩、そして僅かな木と、遠くには森が見えるだけ。他には何もない。

「ラルはここで暮らす……つもりなのだろうか?」
「あ、えぇ。まだ何もないですけど、フォーセリトン国王からこのエセラノ草原を、魔王討伐の報酬として頂いたので」
「魔王討伐報酬で? なんでこんな辺境の土地を……」
「いや、ほら。さきほど話した反転の呪い。あれのせいです。俺、生粋のバッファーだったもので、その……つい誰かにバフ魔法を飛ばす癖がありまして」

 効果の事を考えると、間違ってバフりましたてへペロでは済まされない。
 それで少しでも人のいない土地に──。

「と言う訳でして」
「な、なるほど……。確かにあんな強力なデバフだったら、うっかりこけたりでもしたら……」
「死ぬかもしれないわね」

 と兄妹は深く頷いた。
 そう。だからこそ人のいない土地までやって来たんだ。
 まぁ成り行きでティーや、これからしばらくはアーゼさんらと一緒に生活することになるけれど。

 もしかすると……
 家が完成してからもティーはこのままここで暮らすんじゃないかと思っている。
 蜥蜴人の里では肩身の狭い思いをするだろうし。

 正直、年頃の女の子と二人というのは困るけれど、だからと言って追い返すわけにもいけないし。
 そのうち落ち着いたら、北の山脈に豹人を探しに行くのもいいかもしれない。
 険しい山道を行くのも初めてではないし、氷の女王カペラも滅んでいるので山の気温も落ち着いて来るだろう。
 生き残っている人がいればいいのだけれど。

「そうか……ラルはこの草原に……」

 ぶつぶつとオグマさんが呟き、何かを思案しはじめる。
 妹のリキュリアさんと、それに奥さんのラナさんとも話し込み始めた。

 そしてティーが「夕飯前に水汲みに行ってくる」と立ち上がるった時だ。

「ラル!」
「え、はい?」

 突然立ち上がって声を上げたあと、今度は土下座をした!?
 え!?

「我らを──この土地に住まわせてください!!」

 ダメだ……とも言えず、また言う理由もなく、オグマ一家が隣人になることが決まった。
 ただ心配はある。
 俺のバフだ。

「ラルが人にバフりたくなるのは、癖だと仰っていたな」
「えぇ。魔術の勉強を始めて、最初に覚えたのがバフ魔法なのですが。その時に随分褒められまして」

 最初に覚えたのがリラクゼーションという、疲労の蓄積を押さえるバフだ。同時に蓄積した披露も若干回復できる。
 この若干が、どうやら若干じゃなかったらしい。
 俺に魔法を教えてくれていた師範は、徹夜続きでかなり疲れていたようで。
 その疲れがいっぺんに吹き飛んだものだから、えらく喜ばれた。

 バフると喜んでもらえる。

 貧しい田舎暮らしだった俺にとって、それが物凄く嬉しくてさ。
 それでバフ魔法ばかりを幼い頃は学んだもんだ。

「で、無意識のうちに人をバフるようになってしまって」
「なるほど。しかし人との関りを断ってしまっては、その癖も治しようがないだろう」
「まぁそうなんですが……」

 とはいえ、町に住めば人がそこかしこにいて、いつでもどこでもバフれる環境になってしまう。

「だからだ。少人数であればバフる対象も少なくなる。我らに絞られるなら、お互い声を掛け合って注意も促せ安いだろう」
「そりゃあまぁ……」
「万が一誰かにバフを飛ばした時には、効果が切れるまで安全を確保してやればいい」

 確かにそうだ。
 効果は三十分ほどで切れるから、それまで何もせず、じっとしていてもらえばいい。

 バフりたくなる癖は治したほうがいいんだろうな。
 ここで暮らすにしても、時々は町に出て物資の調達なんかしなきゃならないし。
 その時に、久しぶりに人に会ったからってバフりまくり祭りになっては困る。非常に困る。
 ヘタしたら衛兵に捕まってしまうかもしれない。

 癖を治すか……そうだな。

「みんなに迷惑をかけるかもしれないけど、よろしくお願いします」





「"韋駄天のごとき──"」
「ラル!」

 はっ! 危なかった……。
 何か作業をしていると、ついうっかりバフって手助けしようとしてしまう。

 オグマさんたちを招いた翌日から、彼らはさっそく家造りの手伝いを始めてくれた。
 まずは造りかけの俺の家を完成させる。
 既に基礎を造り上げているし、二軒同時に作業するよりも一軒に絞ったほうが早いだろう。
 それに──

「お水汲んできました」
「え? ひえっ!? ラ、ラナさんは重い物持たないでください!!」
「あ、いえ、あの、これぐらいは……」
「ダメです!!」

 身重のラナさんが心配で仕方がない。
 だからこっちの家を先に建ててしまって、それをオグマ夫妻に使って貰うつもりだ。
 二軒目が完成するまで、アーゼ夫妻もここに残ると言う。
 元々半年は掛かるだろうと予測して、荷物をたっぷり持って来ていたようだ。テントも立派なもので、遊牧民が使うようなしっかりした物だった。

「ラルさん、大丈夫ですよそのぐらいでしたら」
「いやでもシーさん……」
「出産経験のある私が言うのですから、間違いありません」

 と、シーさんが胸を張って言う。
 そうは言われても、経験のない、そしてこの先も決してその経験は訪れない男の俺には「妊娠中は重いものを持つな」という一般的に知られている常識でしか判断できない。
 あと四、五カ月で出産を迎える。彼女にはちゃんと屋根のある場所で、安心して出産に挑んで欲しい。

「体力をつけていないと、いざ出産というときに大変なんですよ」
「そ、そうなんですか……うぅ……」
「無理をしようとすれば、私がちゃんと注意しますから」

 シーさんにそう言われてしまえば、もう何も言い返せない。

 しかし人手が増えて一気に作業が捗るようになったな。
 家と、そして竈は同時進行で進めたが、煉瓦の積み上げは二日で完了。
 しっかり乾いたら屋根を載せれば完了だ。

「明日か明後日には風呂も使えそうだな」
「そうね。だけど浴槽に水を溜めるのも大変じゃない?」

 ティーと水浴びに出ていたリキュリアさんが戻って来てそう話す。後ろではティーもうんうんと頷いていた。

 俺ひとりだったら、一度水を汲んでしまえば二、三日同じ水でもいいやと思っていたけれど、この人数になったらそうは言っていられないな。
 
「井戸を掘るか、それとも川の水をこっちに引いて来るか……」
「オレ掘るか!?」

 クイが得意げに長い爪をジャキーンっと伸ばして、穴掘りポーズを披露する。

「そうだなぁ……川から繋がる溝を掘って、水をこっちまで引く方がいいかな」
「でもラル、川まで結構あるぞ。クイ大変じゃないか?」
「うぅん……」

 確かに。川まで歩いて数分だが、この距離に溝を掘るのは大変だろうな。深さだってそれなりに必要だし、幅もいる。
 となると、井戸か。
 だけどこっちはこっちで問題がある。
 どこでも掘ればいいって訳じゃない。地下水の流れる地層が無ければいけない訳だし。

 試案していると、蜥蜴人のシーさんが「それなら」と言って夫であるアーゼさんを呼んだ。

「私たち蜥蜴人は湿った場所を好む種族です。だからなのでしょうね。地中を流れる水を、肌で感じることができるんです。誰もが──という訳じゃありませんが」
「もしかしてアーゼさんなら?」
「俺がどうかしたか?」

 やって来たアーゼさんに事情を話すと、にっと笑って辺りを見渡した。

「井戸を掘るならどのあたりがいい?」
「そう、ですね。二軒目の家も近くに建てる予定だけど……できれば今建てている家から、半径百メートル以内、かなぁ」
「心得た。近すぎず遠すぎない感じで探そう」

 アーゼさんがそう言って地面に顔を押しあて、まるで音を聞くかのような感じであちこし調べ始めた。
 そのアーゼさんを守るように、オグマさんが常に近くで周辺を警戒する。

 ほんの十分ほどで、アーゼさんが「ここだ」と言って俺たちを呼んだ。

「二十メートルほど掘ることになるだろうが、深さもある分、水質も安定するだろう」
「そのぐらいの深さなら……クイ、大丈夫だよな?」
「お安い御用だぜ!」

 またもやジャキーンっと爪を伸ばして、クイが今度こそ穴を掘っていく。
 ある程度掘ると、土を穴の外に投げ出せなくなる。対策として、クイには空間収納袋を渡しておいた。

「堀った土は袋の中に入れるんだ。そうすればお前が埋まることもないだろう」
「おー! お……オレ埋まるところだった!?」
「そうなるな」
「ラル兄ぃ、笑うなぁー!!」

 だからそうなる前に袋を渡してやったんじゃん。

 クイの活躍で、深さ二十メートルちょいの井戸は一時間と掛からずに完成した。
 あとは井戸の中の土壁が崩れないように膠灰で固めて、底には川石を敷き詰めよう。それから滑車を取り付ければ完成だ。

 
「"韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"、"その肉体を強化し、鋼のごとき強さとなれ! フルメタル・ボディ"」
「あとは任せろっ」

 家造りをしていると、どうしても避けては通れないことがある。
 金槌でトンテンカンする音に引き寄せられ、モンスターがやってくるのだ。
 幸いとでもいうのか、鼻の利くティーのおかげで接近されるより早くその気配に気づける。
 そしてオグマさんやリキュリアさんも、戦闘能力は高い。モンスターをバフれは、あとは一分と掛からず仕留めてくれた。

「しかしデバフ……いや、バフなのか? とにかく凄いな」
「ほ、本当にそうねっ。十匹もいたのに、あたしも兄さんもかすり傷一つないんですもの」
「いやいや。リキュリアさんとオグマさんが強いからだよ」

 今回やって来たのは草原ウルフだ。ランクの低いモンスターでも、群れていると厄介なもの。
 まずは動きを鈍くして、あとは防御力を落す。
 攻撃力上昇バフで、攻撃力を落す方がいいかなと思ったが、正直必要ないようだ。
 動きを鈍らせれば、あとは二人が一撃で草原ウフルを仕留めてくれる。

 こうして日に何度か、モンスターを撃退していると溜まっていくものがあった。

「じゃあ解体した肉を捨ててくるか」
「そうですね」

 倒したモンスターは、そのまま『肉』になる。もちろん、とてもじゃないが口にできないようなものもあるが。
 そんな肉でも、肉食の獣やモンスターにとっては立派な食料だ。そんなものを、大量にキャンプに置いておくわけにはいかない。
 必要な量を残して、あとは離れた場所まで捨てに行かなきゃらないのだ。そうしないと、血の臭いで他のモンスターが集まってくるかもしれないのだから。
 素材として使える部位を剥ぎ取り、残りは荷車に乗せて運ぶ。
 これが地味に面倒くさい。

「に、兄さんっ。あたしがラルと一緒に行くわ」
「む? しかし──」
「あなた、ちょっと。あ、リアはしっかり頑張ってね」

 そう言ってラナさんがオグマさんを連れて行ってしまった。
 ずいぶんとニコニコして、何かいいことでもあったのかな?
 
「い、行きましょう、ラル」
「あ、うん」

 肉を積んだ荷車はロバが引くが、多すぎると重くて引けなくなる。
 こういうときバフってやれればなぁ……。
 いやまぁデバフれば多少はマシになるだろうけど、動物相手にデバフが効くのかどうか。

「ラル、どうしたの?」
「え、ああ。デバフって、動物相手にも効果あるのかなぁと思って」

 今は荷車の後ろから二人で押してやっている。
 隣でリキュリアさんが首を傾げて、それから必死に荷車を引くロバを見た。

「あるんじゃないかしら? 対象を指定して効果を付与する魔法だけど、その対象は生きているものに限定されているはずよ」
「うん……そうか。生き物相手なら付与できるのか」

 魔術書には「効果を与えたい対象に、状態異常を付与する。なお、生きてはいない対象──アンデッドには効果がない」とある。
 つまり生きているものなら効果があるってことにも受け取れる。

「リキュリアさんは、魔法のことをよく知っているようだけど?」
「リ、リアでいいわ。兄さんも義姉さんもそう呼んでるし」
「そ、そうかい?」
「そ、そうよっ。だってラルの方が年上だもん」

 そう言われればそうだけど。なんだか異性相手に呼び捨てってのは、とても失礼な気がして。
 仲良くなった、仲間だと話は別だけど。
 だけど隣人になるんだから、仲良くなったと言ってもいいよね。

「じゃあ……リアは魔法のことを学んだりしていたことが?」
「あるわ」

 満面の笑みを浮かべ、彼女はそう応える。

「魔族のプライドでもいうのかしらね? 魔法が使えないほどの魔力になっても、常に魔法の勉強はしているのよ」
「へぇ、知らなかったな」
「使えもしない魔法の研究だってしてるんだから、笑っちゃうわよね」
「え!? それは凄い!! どんな研究なんだろう。まだ世に出ていない魔法なんだろうか……新しい魔法になるのかな」

 知りたい。俺にも使える魔法だろうか……。
 ただ単純にそう思ったのだけど、それが彼女には面白かったようだ。

「ラルってば、根っからの魔術師なのね。実はあたしや兄さんは、ほんの少しだけ魔法が使えるの」
「やっぱりかい? なんとなく二人はラナさんに比べると魔力が高かったから、もしかしてと思っていたんだ」
「あら、分かるのね? さすがラルだわ。でも、使えると言っても……」

 そう言ってリアが呪文を唱える。下級の火属性魔法だ。

「"炎の礫──ファイア・ボール"」

 彼女のかざす手の上に現れたのは、俺が使うソレとほぼ同じ。つまり……ゴミ火力だ。
 だけど俺の場合は下級じゃなく、上級魔法でこのサイズっていう。

「ご覧の通り。薪に火をつけるのには便利ねって程度なの」
「ちなみに俺の場合はこうだよ。"全てを燃やし尽くす、煉獄の炎よ! 赫き刃となりて、我が敵を浄化せん!! ヴェルファイア"」
「ちょっとちょっと!? それ上級まほ──え?」

 俺の掌の上に浮かんだのは、彼女が出した下級魔法と遜色ない水弾だ。
 それを見てリアが目を丸くした。

「どうも昔からね、支援魔法以外の才能が全然なくってさ。支援魔法以外は全部こんな感じなんだ」
「えぇ!? でも、あんなに凄い効果があるデバフを──あ、バフなのよね、あれ。それも火球じゃなくって氷だし」
「そ。反転の呪いで、属性魔法はその対極にある属性に変換されるんだ」

 あくまでも属性が入れ替わるだけで、魔法の形状というか、どういう攻撃方法になるのかってのは変わらない。
 そして火属性魔法は、魔力の構築段階でわずかに変化させただけで水だったり氷だったりに変わるようだ。強く練り上げるほど、固まる──氷になるというのは分かっている。

「大変ね……」
「まぁ死ぬまで解けない呪いなら、なんとかうまく付き合っていくしかないよね」
「ち、力になれることがあったら言ってっ」
「ありがとう、リア。今は、うん。これを捨てに行くことかな」
「あ、そうね。えぇ、行きましょ。あ、ロバにデバフをしてみたら?」

 そうか、そういう会話だったんだっけ。
 スロウと、それから弱体化のデバフをロバに付与してやる。

 するとロバは「ぷひぃーん!」っと元気になって、荷車を引く力が増した。

「はは、効果あったみたいだ」
「ふふ。でもちょっとしか早くなってないわね」
「そ、それはほら……バフ以外はゴミ効果しか出せないから……」

 ちょっとだけ早くなった荷車を、ちょっとだけ手を抜いて押してやる。
 三十分ほど進んだら、そこで死体を下ろしてさっさと引き返す。
 
 そんなことが十日ほど続くと──

「あれ? 今日はモンスターの襲撃がないね」
「そういやそうだな」

 骨組みが完成し、梁に跨って屋根の打ち付け作業をしていたアーゼさんが背伸びをして遠くを見渡す。

「ふむ。近くにモンスターの姿はないようだ」
「そうですか。まぁ油断せずに作業を続けましょう」

 が、その翌日も、更にその翌日も、

「来ませんね」
「来ないな」

 屋根に上って遠くを見渡すが、モンスターの姿は見えない。

「んー、あそこにいる。けどこっち来ない」
「ティーには見えるのかい?」
「見える!」
「あ、あたしも少しだけ見えるわよ! なんのモンスターかまでは、識別できないけど……」

 リアがしどろもどろになって答えるので、本当なのかどうかと思っていると、ふとオグマさんと目が合った。

「恐らくなのだが……襲ってきたモンスターを倒して、その屍をそこかしこに捨てただろう」
「血の臭いで他のモンスターが寄ってこないようにするために、少し離れた場所に捨てましたが。それが?」
「いや、それがというか……奴らが我々を恐怖の対象として認識したのではと思って……」

 きょ、恐怖の対象……。
 
 モンスターに恐れられるって、どんだけだよ。
 
 そう思ってふと、大岩を見た。
 剥ぎ取った素材は川で綺麗に血を洗い流し、乾燥させるために吊るしてある。

「……結構狩っていたんですね」
「結構狩っていたな」

 荷車十台分ぐらいの量の素材が、そこにはあった。

「す、すみませんっ」
「い、いや。気にしないでくれ……」

 やってしまった。
 ついにやってしまった。

 肩がこった風な仕草をしていたアーゼさんに対し、ついやってしまった。
 リラクゼーションの魔法をバフってしまったのだ。

「あなた、横になられてください」
「す、すまないシー」
「本当に、本当にすみませんっ」

 本来この魔法は、一定時間内疲れにくくするのと同時に、バフった瞬間にはそれまで溜まった疲れを癒す効果がある。
 効果が反転した今、一定時間内は疲れやすく、バフった瞬間にどっと疲労が襲ってくる仕様だ。
 そりゃもー……。

「倦怠感、眩暈、体中筋肉痛……地味だけど、戦闘中に喰らったら死んじゃうわね」
「ほんと、申し訳ない。穴があったら入りたいよまったく」
「お、落ち込まないでよ。呪文の詠唱に気づけず、声を掛けられなかったあたしたちも悪いんだから」
「そ、そうだぞラル! ボクたちも悪いんだからなっ」
「いや、ごめん。俺、無詠唱で魔法使えるから……」

 全ての魔法がではない。自分と相性のいい魔法だったり、下級魔法は無詠唱で具現化できる。
 相性のいい魔法──つまりバフだ。

 だけど詠唱をした方が、魔法本来の効果を発揮できる。
 咄嗟のことだったり、急ぐ時にだけ無詠唱魔法を使ったりするのだ。

「今回は無詠唱だったから、効果が少し低いだろうと思うんだけど……」
「え、あれで効果が低いっていうの?」
「というか無詠唱で魔法を発動させられるのか……さすが勇者パーティーにいただけのことはある」
「ん? ん? それって凄いのか?」

 魔族兄妹が驚く隣で、ティーが首を傾げる。

 まぁ無詠唱で魔法を使える魔術師ってのは、そう多くはない。
 魔術師連盟から認められ、魔導師となった者でもなかなか難しい。
 リリアンなんかはお手の物で、彼女は魔導師ではなく賢者であっても不思議じゃないんだ。
 ただリリアン曰く
「賢者っていうと、物語なんかではだいたい髭のおじーちゃんでしょ? だから嫌なの」
 だそうで……。

「無詠唱が出来るのは、バフ系と下級魔法ぐらいなんだ」

 苦笑いでそう答えると、これまた兄妹が苦笑いで応えた。

 その後、アーゼさんは三十分間寝込んで、効果が切れるとケロっとした感じで作業を再開。
 ほんと……申し訳ない。




 どんなに大きな音を立てようと、モンスターが近づいてこなくなって一月半。
 そうなる直前に一度だけ中型の、この草原では恐らく最強だろうモンスターがやって来たが、それもバフったあとものの数秒で倒してしまうと、その後は一切近づくモンスターはいなくなった。

「いやぁ、思ったよりも早く完成しましたね」
「モンスターの襲撃もなくなり、そっちに時間を割く割合が減ったのもあるのだろうな」
「ほんとに、全く近寄ってこなくなりましたものね」

 アーゼ夫妻が完成した家を見上げてそう言う。
 
 家──というには小さいけれど、二、三人が暮らすならまぁ、十分じゃないかな?
 部屋はひとつしかないけどさ。

「オグマさん夫妻に、ひとまずこの家を使って貰う訳だけど」
「し、しかし本当に良いのだろうか? 俺たちはこの土地に住まわせて貰う身で、完成したばかりのせっかくの家を……」
「オグマさん。んっ」

 俺はラナさんを指差して、しどろもどろになるオグマさんを諭した。
 
 あれから二カ月だ。ナラさんは妊娠八カ月。お腹もぱんぱんになって来て、彼女が何かするたびに気になって気になって仕方がない。
 テント暮らしだって辛いだろう。弾力性のあるマットを敷いているとはいえ、重いお腹を抱えて置き上がるのは大変なはず。

「す、すまない。ラル」
「無事に元気な赤ちゃんを産んで貰いたいんです。ここで生まれる、初めての子供になるんですから」

 そう話すと、オグマさんは感慨深げに辺りを見渡した。

 自分で言っておいてなんだけど、そうか……オグマさんとラナさんの子供は、ここが古郷になるんだな。
 生まれてくる子供のためにも、暮らしやすい環境を出来る限り整えてやりたい。

 遊具とかも作れるといいんだけどなぁ。

 さしあたって今必要なのは──

「元々俺ひとりの予定だったから、ベッドはひとつしかないし、家具もほとんどないんだ。ちょっと買い足しにいかなきゃなぁ」
「蜥蜴人の里ではハンモックを使っているので、ベッドはないぞ」
「川を下れば半魚人族の町があります。結構大きな町なんですよ」

 アーゼ夫妻がそう教えてくれる。
 だけど行くのは人間の町だ。それも大都会。

 空間収納袋を持って来て、その中から二つの指輪《リング》と小さな水晶球を一つ取り出した。

「空間転移魔法が封じられたリングと、このリングと繋がっている水晶です」

 リリアンに貰ったこの魔法アイテムは、リングと水晶が対になっていた。
 リングを使うと、対となる水晶のある場所に瞬間移動できる品だ。
 二つあるリングのうち一つは、今ここにある水晶と対になっているので帰りも一瞬で戻ってこれる。

 そしてもう一つの水晶は──

「二軒目の家を建てるための木材なんかも仕入れたいので、王都まで買い物に行ってきます」

 王都フォーセリアンにある『勇者の宿』の一室にある。
「うわぁーっ、うわぁーっ! ラル、ラル見て!!」
「凄い……これが……人間の町……」
「ほら二人とも。そんなにキョロキョロしていたら迷子になってしまうよ」

 日用品、特に布物は俺が選ぶより、実際に使う女性陣に選んで貰ったほうがいいだろう。
 そう思ってリキュリアと、それにティーを一緒に連れて来た。
 品物選びだけじゃなく、二人には俺を監視して貰う役目も担ってもらっている。
 つい……つい通りすがりの人をバフってしまわないように、その監視だ。

 王都にある『勇者の宿』は、アレスがまだ勇者と呼ばれる前にずっと厄介になっていた宿屋だ。
 そして勇者と呼ばれるようになってからも、王都を拠点にしていた頃に宿泊していた宿で、俺もよく泊まっていた。
 以前は『休息の宿』という名前だったけれど、アレスが勇者になって、それでもこの宿を利用していたことから次第にそう呼ばれるようになって。結局宿の主人も、縁起が良いからって名前を変えたのだ。

 この宿の一室を借り受け、水晶球を置かせて貰っている。
 
 宿に転移してきた俺たちは、主人に挨拶をしてから城下町へと繰り出した。

「えぇっと……まずは大きな物から買ってしまおう」
「大きな?」
「ベッドとか家具。といっても、家が大きくないからね。二段ベッドを一つと、あとは最低限衣類をしまいこめるクローゼットが一つぐらいかなぁ」

 テーブルはある。椅子は一つしかないので買い足さなきゃならない。

 市民向けの一般家具屋で二段ベッドとクローゼット、それに椅子を二脚購入して、空間収納袋にしゅるるっと入れたら次の店へ。

「いろんな家具があったわね」
「いっぱいあったな!」
「オグマさんたちの家は少し大きめに造る予定だし、そっちが完成したらいろいろ買いそろえればいいよ」
「でもラル……お金を出して貰って、本当にいいの?」
「大丈夫さ。使うあてのないお金なんて、持ってたって仕方ないし」

 魔王討伐の報酬として、とんでもない大金を王様から頂いている。
 自給自足の暮らしを目的にしているから、それが上手く行けばお金なんて必要なくなる。
 モンスターを狩れば素材も手に入るし、必要になればそれを売ればいい。
 つまり今現在、お金は増える一方なのだ。
 ここでバーンっと使わないなら、いつ使うんだって話。

 ベッドを買ったので、次はシーツや布団、それからカーテンにテーブルクロスといった布製品だ。
 ここで女性陣に活躍してもらう。
 その間に俺は職人通りに行って、家の図面を書いてくれた大工を尋ねた。
 
「お? なんでぃラルじゃねーか。人恋しくて戻って来たのか?」
「いや、戻って来たというより、買い物に来ただけなんだ。それとりおじさん、実は──」

 事情を説明すると、飽きられるかと思ったが思いのほか笑顔で頷かれ、

「そうかそうか。ま、お前さんのバフり癖治すにゃ、まず少人数からの方がいいだろうな。家族向けの家だな」
「もうすぐ赤ん坊が生まれるんだ」
「なに!? ララ、ラ、ラル!? お前いつのまにっ」
「……そんな訳ないだろうおじさん。一緒に暮らすことになった一家にだよ」
「そ、そうだよな。うん、そうに決まってらぁーな」

 安堵したような、それでいて残念そうな大工は、大きめの羊皮紙を持って来てサラサラと図面を引いていく。
 二階建てがいいか、一階建てがいいかと独り言のように呟いては、素人が建てるんだから二階建ては難易度が高いと言って一階建てに決定。
 ひとりで自問自答しながら、そうして出来上がったのは──

「平屋でいいだろう。部屋は全部で三つ、赤ん坊が大きくなった時のことも考えてな、ここにロフトを作っとけ」
「ふんふん」
「竈はどうすんだ?」
「あ、それは共同で使おうかと。風呂もね」

 人数が多くないので、特に困ってはいない。
 食事はむしろ、全員一緒だ。
 風呂や竈、それとトイレのことなんかは既に話し合っていて、共同でいいだろうってことになっている。
 まぁトイレ争奪戦のことも考え、四つ作ってある。

「おじさん、この家を建てるのに必要な木材を書き出してくれないか?」
「おぅ、こっちに書き出してあるぜ。で、先に渡した図面用の木材は、どんだけ余ったんだ?」
「ミスしたのもあるけど、トイレ用の小屋を四つ建てたり全員で食事が出来るようにと大きなテーブルを作ったりしたから、意外と……ね」
「ふん。なら二軒分の木材を仕入れることだ」
「そうするよ」

 木材屋が大喜びしてくれるだろうな。

 図面代を支払ってティーとリキュリアがいる店へと戻る。
 三十分は離れていたけれど、まだ二人は楽しそうに生地選びをしていた。
 それから店先に座って待つこと小一時間。

「お待たせラル。そっちの用事はもう終わったの?」
「あー……木材屋も行けばよかったなって思っていたところだよ」
「よし、じゃあ三人で行こう!!」

 大きすぎると言っても過言ではない二人の荷物を空間収納袋に入れ、それから王都の一角にある商業施設へ向かった。
 材木屋までやって来ると、大工のおじさんに描いてもらった図面と、必要な木材が書かれた紙を見せて用意して貰う。
 運ばれて来る木材をどんどん収納袋に入れていき、最後にお金を支払えば完了っと。

「またのお越しをお待ちしております!」

 案の定、木材屋が大喜びで見送ってくれた。

「そろそろお昼だね。何か食べようか?」
「はいっ、はいっ。ボクは賛成!」
「ラルのお勧めのお店とかあるの?」
「え、お勧め? お勧めかぁ。いっぱいあるからなぁ」

 そこはさすが王都と言うべきだろう。
 美味しいと評判のお店はいくらでもある。実際に入って、本当に美味しいと思った店だって両手でも数えきれないほどに。

 そうだ。マリアンナやリリアンが一時期ハマっていたお店。あそこにしよう。
 女子向けのパンケーキが人気のお店だ。クリームやフルーツたっぷりのケーキなんて、あの草原じゃ食べられないもんなぁ。
 二人はパンケーキを見て、どんな顔をするかな。

 そんなことを考えながら商業施設通りを進んでいると──

「ようよう兄ちゃん。随分と羽振りがいいようじゃねーか?」
「亜人を二人も連れてよぉ、楽しそうじゃんかぁ。あぁ?」
「有り金全部と、それから女を置いていきな。そうすりゃ生きてお月様が拝めるかもしれねぇーぞ」

 ガラの悪そうなのが数人現れた。
 その手には安物そうな短剣やショートソードが握られている。

 おいおい、いくら人通りが多くないとはいえ、路地裏でもなければ今は真昼間だぞ。
 なんで王都にこんな連中が……。

「ラル、どうする?」
「懲らしめますか?」
「……いや、その必要はないよ」
「「え?」」

 必要はない。
 だってここはフォーセリトンの王都で、奴がいるのだから。

 武器を構え、俺たちを値踏みするかのように見ている男たちの背後で──
 快活な笑みを浮かべて手を振る人物がいた。

「よぉラルじゃねーか……って、お前が女連れ!?」
「あら、凄いじゃないラル!」
「凄いって……どういう意味なんだよ」

 一瞬にしてレイの槍に薙ぎ払われて倒れた悪党を踏まないよう注意したがら、俺たちは久々の再会を喜んだ。

 魔王がいなくなれば平和が訪れる。

 そう思っていた人はきっと多かっただろう。
 平和とはどういったものなのかは、個人によって違うかもしれない。
 穏やかに時間が流れ、モンスターに怯えることのない暮らしが平和と言うのか。モンスターに襲われずとも、その日の食う物にも困るような暮らしでも……平和だと言えるのか。

 確かにモンスターの数は減ったそうだ。そして弱体化もしていると。
 それは良いことだ。

「だがな。モンスターの数が減ったことで、安心して仕事をするようになった連中もいる」
「安心して? んー……街道の整備をする土木業者とか?」
「だったら良かったんだけどねぇ」

 レイとリリアンに再会し、五人でカフェへとやってきた。
 ティーやリキュリアを見たあと、ニヤニヤとこちらに視線を送って来たけど、きっと勘違いしているんだろうなぁ。

 そのカフェで、二人は深いため息を吐き捨てて今の現状を話してくれた。

「盗賊よ、盗賊」
「盗賊?」

 人から金品を盗む。それが盗賊だ。
 大きな町なんかだと、わざと人にぶつかってすれ違いざまに財布を盗むなんてのはよく聞く。
 たまに……そう、ごくたまに徒党を組んで街道を通る旅人を脅して金品を奪う連中もいるようだ。ただそれも命懸け。
 旅人だってモンスターが怖いのだから、行き先が同じ者同士で固まって、そして護衛の冒険者を雇ったりしている。
 行商人ともなると、雇っている冒険者の腕も立つ。
 更に、盗賊だってモンスターに襲われるかもしれないのだから、まさに命懸けだ。

「モンスターからの脅威ってのが去ったせいで、盗賊連中が大喜びで街道や脇道に陣取りやがってた」
「陣取るって……」
「この道を通りたければ、通行税を払え……ってね」

 なんだそりゃ。
 この大陸では、国境以外の場所での金品の徴収は禁止されているんだぞ?
 誰もが自由に行き来していいってことになっているのに、何を言っているんだ。

 ま、そういう法律を無視しているのも盗賊なんだけどね。

「今までいったいどこにいたのってぐらい、数が多くてね」
「街道に出てくる盗賊だけじゃない。街中での窃盗事件も増えているんだ。兵士に街道の巡回をさせているんだ。そのせいで町の警備が手薄になってな」
「俺たちの努力って……なんだったんだろう……」

 俺たちだけじゃない。
 魔王を倒そうと命懸けで戦った人は大勢いた。俺たちが知らない、名もなき英雄たちが。

 そんな犠牲の末にようやく得られた平和だってのに。

「最近さ、地方で不穏な動きもあってな」
「まだあるのか……」
「あるわよぉ。地方貴族同士が揉めててねぇ」
「今までモンスターが多くて手が付けられなかった古い鉱山なんかの権利をさー」

 あぁ、なんとなく分かった気がする。
 古いといっても、ほとんど手つかずな鉱山が多い。
 鉱山なんてモンスターの巣窟の代名詞だったから、誰もその権利を欲しがろうとはしなかった。

 けど、モンスターが少なくなり、弱体化した今なら話は別なんだろう。
 ちょっと冒険者でも雇って、鉱山内のモンスターを一掃すれば宝の山を手に入れられるのだから。

 鉱山だけでなく、森なんかでも領土の境界線を巡って揉め合っているそうだ。

 人間って汚い生き物だな。

「一触即発な状態の所もあるっていうし、本当はそっちに兵士を裂きたいんだけどなぁ」
「だからって盗賊団も放ってはおけないし」
「「はぁ~」」

 っと、ため息を吐きながら俺を見た。

「で、そっちはどうなんだ?」
「奥手だと思ってたけど、ラルって案外手が早かったのね」

 と、二人はティーとリキュリアを見た。

「待った待った! 何を勘違いしているんだ二人はっ。彼女らは──」

 と、ここで事情を説明。

「そんな経緯で、今は家の建設を手伝って貰っているところなんだ。まぁ一軒できたから、そのための必要な家具とか、二軒目の木材の仕入れをね」
「なるほどねぇ……そういやお前、バフ癖はどうなったんだ? やっぱ相変わらずか」
「ぐ……ま、まぁ……」
「ラルのバフは凄いぞ! バフられるだけで死にそうになるのだから!!」

 と、ここでティーが元気よく笑顔でそう言った。





「本当に貰ってもいいのか!?」

 レイとリリアンは、案の定一緒に暮らしていた。ただ結婚はまだらしい。
 そのリリアンが、これまでレイが使っていた家具を全部譲ってくれると言う。

 新しいものを買ったが、どうせ二軒目のときに必要になる。リリアンが新しく保管用の空間収納箱を作ってくれるというので、その中に全部しまってしまおう。
 他にも貴重なものを貰った。

「こっちが回復の指輪。ヒールだなら、バレット系みたいに飛ばせないわよ」
「有り難い!! 俺がヒール使うと、出血多量、激痛と大惨事だからなぁ」
「え? あんたそれ、あの子らに使ったの?」
「いやいや、ちゃんとモンスター相手に実験したさ。なんていうかね、ヒールでモンスターを倒せるなんて思わなかったよ」
「悪魔みたいな所業してんな、ラル」

 悪魔みたいとか言わないでくれよ。

 貰ったのはマジックアイテムで、特定の魔法が封じられた装飾品だ。
 
 ヒールが使える『回復の指輪』。
 体内の毒を浄化できる『解毒の指輪』。
 一定のダメージを吸収してくれる『魔法障壁』の指輪の三つだ。

「魔法障壁なんて最悪だぞ。吸収しないでクリティカルに変換してダメージ貫通させてくるんだから」
「お前、世界最強のデバッファーになれるな」
「くっ……一番気にしていることを言いやがって」
「ラ、ラルのバフは本当に凄いのよっ。中型モンスターだって、一瞬で倒せるようになるんだからっ」

 とリキュリアがフォローしてくれた。

 それを聞いてレイが珍しく真剣な目でこちらを見つめる。
 そして──

「ラル。お前、王国に戻ってこないか?」

 そう言った。

「そう言われても……」

 王国に戻って来い。
 そう言われても無理だ。

 王都に到着してから、いったい何度バフりたい衝動を抑えたことか。
 ここは人が多すぎる。
 俺のバフは複数人……最高で百人ぐらいに同時付与も出来る。

 俺は……俺は……

「そうか……いや今更なんだけどさ、お前のバフってやっぱ凄かったんだなぁって実感したわけさ」
「そうよ。ラルのおかげで、魔王城までいけたようなものよ。私たちだけの力じゃ……きっと無理だったわ」
「いやいや、何言ってるんだよ。俺のバフなんて、基礎能力の底上げみたいなもんじゃないか。君らが真に優れた逸材だったからこそ、効果も目に見えて現れていただけさ」

 確かに俺のバフは、他のバッファーとはちょっと違うって自覚はある。
 他の人が10を11に上げるのに対し、俺は10を12に上げられる。でもこの程度のものだ。たぶん。
 あと効果時間が人より少し長かったり、対象ひとりをバフる魔法も複数人に掛けられるってのは大きいかもしれないけど。

「いやいやいや。お前こそ謙遜するなよ。正直さ、まだ二〇代前半なんだし体力にも自信がある! って思ってたのに、お前のバフ貰わなくなってから疲れやすくてさぁ」
「私もよ。呪文の詠唱に、こんなに時間掛かってたんだって実感させられたわ」
「レイのはアレじゃないか? 魔王を倒してホっとして、肩の荷が下りたのと同時にこれまでの疲れがどっと出たとか」
「あれから五カ月以上経ってんのに、未だに疲れがーとかあるかボケェ」
「ははは」

 頼られていた──というのはとても嬉しい。
 だけどやっぱり俺は、こう人の多い都会では暮らせない。バフ癖を治すために努力はしているけど、今は少人数で手いっぱいだ。
 バフ癖が段々と減っていったら、人と関わる頻度を増やして慣れさせるのがいいんだろうけど。
 さすがに王都みたいな大都会じゃなぁ……。
 はっちゃけて、バフってしまうかもしれない。

「気の緩みで大量殺人の犯人になりたくないんだ」

 と答え、レイの申し出を断った。

「お、おぅ……ま、まぁお前のバフが、間違ってこっちに飛んで来ても大惨事だもんな」
「あら。でもそのバフを盗賊団に掛ければ、楽に捕縛できるじゃない。貴族同士が衝突しても、効果の低いバフを掛けてやれば」
「でもそのバフが味方に当たったら? 正直、今は一緒に行動している人たちの人数が少ないから被害も少なくて済んでるけど、大勢に一度にバフったらとんでもないこと二なると思うよリリアン」

 俺はそう言って彼女に詰め寄る。

「何百人という兵士が、ちょっと突けば瀕死の重傷を負うんだ。ナマケモノよりのろまな兵士が何の役に立つ?」
「え……それ……は」
「いつも君に施していたバフ……あれが全部反転するんだよ?」
「ひぅ!? そ、それは止めて。お願い止めてっ」

 詠唱速度を上げる──つまり早口で、且つ正しく呪文を唱えられる魔法。
 属性魔法の威力を数倍に跳ね上がらせる魔法。

 反転すれば、詠唱速度が恐らく超スローモーションになるだろう。それにたぶん、かむ。属性のほうは威力が半減──のさらに半減とかかな?

 攻撃手段が魔法しかない彼女にとって、それは無力化されたも同然だろう。

「まぁダメもとで聞いてみただけだ。こっちはこっちでなんとかするさ」
「ごめんな、レイ。まぁ辺境近くで悪さする奴らがいれば、そっちはなんとかしてみるよ」
「頼むよ。そんな訳だから、そっちのお二人さん。そう怖い顔で睨まないでくれよ」

 レイはそう言って苦笑いを浮かべた。
 そっちのお二人さん?

 振り返るとサっと視線を逸らすティーとリキュリアの姿が。

「随分と頼りにされているようだな、ラル」
「い、いや……そうだといいんだけどね。そういえばアレスとマリアンナの二人は?」
「あぁ、あの二人か」
「まぁだ結婚してないのよぉ~」

 と、リリアンは言うけど、俺からしたら君たち二人もそうなんだけどね。

 アレスとマリアンナは、それこそ地方で頑張っているらしい。
 勇者に聖女だ。二人の名前は地方はおろか、他国にまで知れ渡っている。
 だからこそそんな二人がいれば、近隣で悪事を働く連中は大人しくならざるを得ないわけだ。

「そっか。二人も頑張っているんだな」
「本当は故郷の田舎で、静かに暮らし違ってんだけどなぁ」
「もう暫くは表舞台で活躍して貰わなきゃならないみたいなのよ」
「君らもそれは同じだろ? 俺だけ辺境でのんびりってのも、申し訳ない気がするな」
「まぁあっちはあっちで、元魔王領のすぐお隣だ。ラルにはあちら側の動向を見張ってて欲しいんだよ」

 それはもちろんだ。
 だけど気軽に連絡を取る手段がないしなぁ。
 急を要する事態が起きても、それを知らせに王都に戻っていたら時間がかかる。
 勇者の宿からお城まで走っても十分はかかるし、何より草原に残してくる人たちのことが心配だ。

 そう話すと、リリアンが「だったら伝達の水晶球を置いてあげるわよ」と。

 水晶を介して、遠くの人と会話ができるという品だ。

「遂になる水晶は、私のコレに繋げておくから」

 リリアンはそう言って、自身のイヤリングを見せた。
 水晶で出来たマジックアイテムだ。それならキャンプに残ったまま、リリアンに状況を伝えることができる。

「ついでに、ラルが暮らす場所に私も一度行っておくわ。場所を記憶して、転移魔法が使えるようにしておきたいから」

 そんな訳で、帰りはリリアンが同行することになった。





「ぽつーんっと家が一軒だけ……」

 夕方頃まで買い物をし、そして帰宅。
 リリアンは伝達の水晶球の設置と、転移魔法が使えるようにするために場所を記憶するために一緒に来ている。

「俺がここに到着して二カ月程度なんだぞ? 家が一軒あるってのは、凄いことだって思って欲しいなぁ」
「まぁゼロから建てたんだから、凄いわよ。うん。でもほんと、何もない所ね」
「都会暮らしの君には退屈かもしれないな」
「ラルだって都会暮らしだったじゃない」

 まぁ五歳からずっと王都暮らしだったけどね。でも魔術師養成施設からほとんど出たことが無かったし。出たいとも思わなかったってのが正しいのかな。
 とにかく本を読んでいたかったから。

「ラ、ラル殿……その方は?」
「アーゼさん。えっと、こちらは俺の友達で、リリアンっていう魔導師です」
「あら、蜥蜴人の知り合いが出来たのね。初めまして、リリアンです。ラルってばおっちょこちょいでバフマニアだから、いろいろ苦労するでしょうけど仲良くしてあげてくださいね」

 散々な言われようだ。でも間違っていないから反論もできない。

「さて、それじゃあ私はここを記憶してっと──」

 呪文を唱えながら辺りの景色を見る。そうすることでこの場所を、転移魔法に記憶《・・》できるのだ。
 だがリリアンは視線をある場所で止めると、呆気にとられたように口をぽかんと開けて止まってしまった。

「なんなの、アレ」
「ん? あれは襲って来たモンスターのなれの果てだ」
「いや、見たらわかるけど……数が多すぎない?」
「それだけ資源が豊富ってことさ」

 俺がそう答えると、リリアンは頭を押さえてうつむいた。

「頭、痛いのか?」
「まぁね。さっさと終わらせて帰りましょ。でもラル。置きっぱなしじゃせっかくの素材が痛むわよ。どうせなら王都に持って行けばよかったのに」

 は!?
 し、しまった!!
 お金が無くなったら売ればいいなんて思っていたけど、吹きっ晒しじゃ素材が痛んで値が落ちてしまうんだった。

「うぅん。倉庫も建てなきゃならないなぁ」
「……そうじゃないでしょ……まぁいいけど。そういやこの川の下流に、結構大きな町があったはずよ。船でもあれば、そこに持って行くのもいいんだろうけどね」

 そう言ってから、リリアンは帰還のための転移魔法を唱えた。

 リリアンが帰った翌朝から、買ってきた家具の設置に取り掛かった。
 俺が使うために持って来ていたベッドも新品だし、ラナさんにも安心して使って貰える。
 正直、この家は狭い。部屋もなく、扉を開けて入ったそこが全てだ。
 まぁ一応、錬金作業も出来るように、一部屋なりに最低限のスペースはあるものの……さすがにシングルベッドと二段ベッド、それにテーブルにクローゼットを置くと手狭になるな。

「ちょっと狭いですが、二軒目が完成するまでここでお願いします」
「そんなっ、狭いだなんてとんでもない! 屋根のある所で出産できるのですから、これ以上望んだら罰が当たります」
「そうだぞラル。本当になんと感謝すればいいか」
「まぁ元気な赤ちゃんを産んでくださいよ。それが一番ですから」

 赤ん坊が生まれたら、きっと賑やかになるだろうな。

 そして……

 俺は間違って赤ん坊にバフらないよう、これから全力で癖を治す努力しなきゃな。

 昼までに家具の設置が終わり、女性陣が川へと水を汲みに出たけた。
 その間に俺とアーゼさん、オグマさんの三人で、買って来た木材を空間収納袋から取り出す作業に取り掛かる。

「随分多くないか?」
「あぁその……組み立てる間に、落としたり切り過ぎたりとかして使えなくなるのも想定して」
「なるほど。まぁ一軒目でもいくつかそういう木材は出たものな」
「えぇ。それだって薪として使えるので、無駄にはなりませんし」

 最近は朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。
 思えばこの草原に到着したのが、もう夏の終わり頃だったしなぁ。寒くなって当たり前か。

 この辺りは元々夏でも涼しい気候だ。
 蜥蜴人の集落のある辺りは、地下を流れる温泉のおかげで暖かいらしい。
 だけどそれはこっちにまで届いていない。

「冬になれば、この辺りにも雪が積もり」
「どのくらい積もりますかね?」
「そうだな。ラル殿の膝上ぐらいは毎年積もっている。ただ数年に一度大雪が降れば、腰あたりまで積もるがな」

 それもあって蜥蜴人は木の上に住居を構えるのだとアーゼさんが言う。

 完成したばかりの家も床を高くしてある。雪が降るのは分かっていたので、念のために。ただ30センチほどしか高くしていないので、二軒目はもう少し高くした方がいいだろうな。

「木材を多めに買って正解かな。土台を叩くし、雪に備えて床をあっちよりもう少し高くしようと思うんですが」
「その方がいいだろう。膠灰の上に土台になる太い丸太を並べて固定するのがいいだろうな」
「なら森から太いのと伐採したほうがいい」

 アーゼさんとオグマさんがそう話し、昼から森に行くことになった。

 が──

 その前に事件は起きた。

「ラルぅー! 大変、大変だぞぉー!!」
「ティー?」
「どうしたティー。何があった!?」

 アーゼさんがいち早く彼女に駆け寄るが、ティーは何故かアーゼさんをすり抜けこちらへやって来た。
 アーゼさんの背中に、物凄く哀愁が漂って見える……。

「川に行ったら、大きな魚が流れ着いていたぞ!」
「大きな魚? まぁそれなら美味しく頂けばいいじゃないか」
「えぇ!? あ、あれを食べるのか!? ボクはちょっと、遠慮する」

 食べることが大好きなティーが遠慮するって……よっぽどマズそうな外見の魚なのだろうか。

「魚ではありません。魚人族の方です」
「ラル、傷が深いわ。治療をしてあげないと、死んでしまうっ」

 シーさんとリキュリアが二人がかりで運んできたのは全身が鱗に覆われ、髪ではなくヒレを持つ種族──魚人族だった。
 だけどアクアマリンカラーの鱗からは、赤い血が線となって流れ落ちている。
 すぐに俺は駆け寄り、指にはめたリングの一つを擦った。

「"癒せ"」

 言葉《ルーン》に反応し、リングにはめ込まれた小さな真珠が光る。
 本来このリングのルーンは、治癒魔法の呪文と同じなのだが……俺自身の魔法が発動して反転すると恐ろしいので、リリアンがわざわざ発動のキーワードとなるルーンを変更してくれたのだ。
 こんなことが出来るのは、賢者と呼ばれる魔術のスペシャリストの中でもそう多くはない。
 リリアンが優秀な魔術師だから出来るのだ。

 リングの効果で魚人族の傷がどんどん塞がっていく。
 俺の魔法が反転しなかったとしても、こんな回復力は絶対にない。
 マジックアイテム様様だ。

「傷が塞いでも失った血が戻る訳じゃないので、今はとにかく休ませないと」
「ではベッドに──」
「いえ、魚人族に布のベッドはダメです。鱗が乾くと体調を悪くするので」

 ラナさんがすぐにでも家に駆けだそうとするので、それを制する。
 テントに運び込み、彼女らが汲んできた水をバケツにいれ、タオルを濡らして魚人族にそっとかけてやった。

「いったい何があったのだろうか……魚人族は川をずっと下った海岸沿いに暮らしているのだが」
「以前話していた町ですね?」

 アーゼさん曰く、魚人族の町は港町で、多くの人間も暮らしているという。東の大陸から、またはそちらへ向かう船が出入りするのだとか。

「川沿いにも魚人族の集落はあるが、全て海岸よりだ。だが彼は町から来ている」
「分かるんですか?」

 アーゼさんは魚人族が身に着けている鎧を指差した。
 そういえば、服ではなく鎧?

「彼は町の警備団だろう。川沿いの集落で暮らす魚人族が、鎧など着込んだりしないからな」
「なるほど。ということは、まさか魚人族の町に何かあったってこと?」

 傷はもう癒してしまったけれど、決して浅くはなかった。むしろ瀕死の重傷だったとも言える。
 町を守るはずの彼が重傷ってのは、きっとただ事じゃない何かが起きたに違いない。

「う……うぅ……」
「ラルさん、魚人族の方がっ」

 意識を取り戻したか?
 
「大丈夫ですか?」

 傷は癒せても、貧血状態だろう。

「こ、ここは? ここは蜥蜴人の集落ですが?」
「いえ。蜥蜴人の集落からは森を挟んで南にある草原です」
「蜥蜴人の集落に用だったのか?」

 アーゼさんがそう尋ねると、彼はアーゼさんを掴んで縋りついた。

「頼みますっ。町を──マリンローを救ってください!!」

 そう訴える彼の言葉に、一気にその場の空気が凍り付いた。
 
「自分はマリンローの警護団で、ウーロウといいます」
「マリンローで何かあったんですか?」

 俺の問いかけに、ウーロウさんが一瞬険しい顔つきになる。が、直ぐに首を振って悲痛な面持ちに。

「マリンローが襲われたんです」
「襲われたって、モンスターに?」
「半分正解で、半分は……魔物使いに操られた海のモンスターなんです」
「テイマーか……しかしテイマーに操られたモンスターに襲撃された程度で、町がどうこうなるとは思えないけど」

 テイマーが同時に使役できるモンスターは、そう多くはない。
 使役できる数やモンスターランクは、術者であるテイマーの能力にも比例しているが、多くても十とかそんなもんだ。
 十匹使役できるテイマーが五人ぐらい集まれば、ド田舎の村ぐらいは制圧できるだろうけど。
 それはあくまで抵抗できない人間が相手でのことだ。町なんかじゃ衛兵もいるし、なんだったら冒険者だっている。彼らなら町が襲われれば当然抵抗するし、町が壊滅なんてことにはならない。

「そのテイマーは……スレイプニールを使役していたのです」
「な!?」

 スレイプニール──足が六本の馬という者もいれば、海馬が上半身が馬で下半身が魚という者もいる。海での目撃情報が多く、魔獣ではあるが半分は精霊だ。
 知能が高く、人語も話せる中立の存在で、モンスターとは別物だとされていた。

 そのスレイプニールを使役するなんて……よっぽどテイマーとしての能力に長けているのか。

「もしかして、そのスレイプニールを介して海のモンスターを操っている?」
「たぶんそうです。無数の下位モンスターが海から押し寄せてきましたが、その全てが死んだ魚のような目をしていましたから」
「だが下位モンスターだけで港町を壊滅させられるのか?」

 オグマさんの言葉に、ウーロンさんがちらりと俺を見た。
 それから申し訳なさそうに──

「海賊が……人間の海賊がモンスターと一緒に襲って来たんです。そして──町にいた人間たちも……我ら魚人族を裏切って……」
「裏切ってって、いったいどういうことなんです?」
「海からモンスターと海賊どもが現れ、川も塞がれたんです。我ら魚人族は体が乾けば身動きが取れなくなる……だから……陸路を使って南にある人間の町リデンに救援を要請したんです」

 南にはリデンという町がある。徒歩で三日ほどの距離だ。ここはフォーセリトン王国とは違う別の国、ドリドラ国に属しているが、彼の話だとかの国と同盟を結んでいるらしい。
 救援要請にはマリンローに住む人間が名乗りを上げ、二十名ほどが武装して向かったらしい。
 彼らは元々リデン市民で、マリンローとの友好のために何人かが派遣されてきているそうだ。

 しかし待てど暮らせど救援は来ず。

「そうする間にも、マリンローで暮らす人間たちは陸路を使ってどんどん逃げて行ったんです」
「え、町を見捨てて? 自分たちの故郷だろうに」
「人間にとってマリンローは、所詮魚人族の町でしかないんです。町で商いをすれば儲かる。ただそれだけなんですよ」

 そんな……。

「町が包囲されて半月ほどした頃、リデンに向かった人間たちが戻って来ました」
「援軍を連れて?」

 ウーロウさんは首を左右に振る。

「モンスターに襲われて引き返してきた──そう言った彼らは、町に入ると水門を開いたんです」

 こっそりと開かれた水門によって、深夜の街中に水棲モンスターが溢れかえった。
 水棲といっても中には陸に上がれるタイプもいる。
 それでなくてもスレイプニールが津波を起こして町を海水まみれにし、水棲モンスターが上がりやすい環境にしてしまったと。

 連日の疲れで気づくのが送れた街の住民は、あっという間に──

「捕まりました」
「捕まった? 殺されたではなく?」
「戦って命を落した者も当然いますが、ほとんどは捕まったんです。奴隷にするために」

 奴隷制度は五十年ほど前に、表向きには廃止されている。
 でもそれは表向きなだけで、今でも奴隷を抱えている貴族や富豪たちは多い。
 賃金を与えているので雇っていると言い張るが、実際は一日の食費にもならない安い賃金だ。そして本人の同意なしに、無理やり働かせている。
 当然、どこからか攫ってきたなんてのもごく当たり前な世の中だ。
 奴隷となんら変わらない。

 魚人族の奴隷ということは、船の漕ぎ手だったり漁のためだったりだろう。

「人間は頼れない。直ぐに裏切る。だから……」
「だから我ら蜥蜴人の里に救援にやってきたのか?」
「そ、そうです! お願いだっ、助けてくれ!!」

 水棲モンスターだらけになった川を、彼は必死に泳いでここまで来たのだろう。
 だけど……。
 森の先にある蜥蜴人の集落では、戦力として出せる人数は少ない。
 せいぜい十数人だろう。

「ウーロウ殿……我が里には今、百人ほどしかいないのだ。里を守る必要もあるし、マリンローに向かわせられる人数は十人にも満たないだろう」
「ぐ……」
「マリンローとか時々交易していたもの、分かっていたはずですよ?」

 優しく、ウーロウさんを傷つけないようにと配慮したシーさんの言葉。
 分かっていたのだろう。
 ウーロウさんは唇を噛みしめ涙を流していた。

 はぁ……放っておけないなぁ。
 川を下った大きな町。たぶん──いや、必ずお世話になる町じゃないか。
 交易は盛んだし、モンスターの素材を買い取って貰うにはもってこいだ。
 川を下るだけだから、船でもあれば楽に移動もできる。
 こんな条件のいい町なんて他にないぞ?

「よし、俺が行きます」
「「え?」」

 全員の視線が集まった。

「ラ、ラル殿? あ、相手は何十何百という数じゃないと思うが?」
「ラル、いくらあなたでも無茶よ」
「そうだぞラル! 行くならボクも行く!」
「ティティス……そういう問題でもないのよ?」
「ほぇ? じゃあどういう問題なんだリキュ」

 約一名を覗いて俺の心配をしてくれているが、一応算段はある。

「オレにも遂に舎弟ができるんやな!」

 俺の考えが分かっているのかいないのか、クイが出て来てドヤ顔でふんぞり返った。

 マリンローに向かうのは、俺とティー、アーゼさんとリキュリアの四人だ。
 オグマさんとシーさんも行くと言ったが、そうなると誰が身重のラナさんを守るのかって話だ。
 一瞬、レイに救援を要請できればと思ったが……王国も人手が足りない状態のようだしマリンローは王国所属ではない。独立地帯──となっているけれど、王国とマリンローとの間には別の国があった。
 下手に王国軍が出て行けば、そちらと戦争にもなりかねない。

 よって、この四人でマリンローを救う。

「ラル、本当にあたしたちだけでいいの?」
「うん。問題ないよ。むしろ人数が多い方が面倒になりそうだから」

 マリンローに向かうのに徒歩だと何日もかかってしまう。
 ウーロウさんの話だと、船で川を下るならここから丸一日程度だという。流れに逆らって上るならその倍はいるだろうけどとのことだ。
 歩くよりは断然早いな。

 船はない。だけど木材はたくさんある。
 木材を組んで筏を作り、あとはこの筏を──

「ウーロウさん、本当に大丈夫なんですか?」
「もちろんです! あなた方にだけ危険な町にいかせて、自分はここで休んでいるなんてできませんっ。それに一日でも早く戻らねば……自分は、古郷と運命を共にします」

 と、悲痛な面持ちでそう話す。
 いや……なんか負けるためにいくような、そんな雰囲気なんだけど。

 おれはちゃんと勝算があってマリンローに行くつもりなんだけどなぁ。

 その日の晩はゆっくり休み、出発は翌早朝。

 ウーロウさんが筏を引き、俺たちもオールで漕いでスピードを速めた。

「この辺りの魚に、船を引くのを頼んでみます」
「魚人族の能力ですか」

 俺の言葉にウーロウさんが頷く。
 魚人族は魚に簡単な作業を手伝って貰うことができる。ただ本当に簡単な内容限定だ。
 魚に難しいことを言っても理解できないし、絶対に頼めるわけでもない。
 そこは魚の気分次第だ。

 だけどどうやらお願いは聞いて貰えたようだ。
 筏の周りに大きめの魚が集まって来て、進むスピードが少しだけ早くなった。

「効果はあまりないかもしれないが……デバフっておこうか」
「デ、デバフ!? とんでもないっ、そんなことされたら魚たちが──」
「"不可視なる枷で、かの者を縛れ──スロウ・モーション"」

 それから弱体化のデバフもオマケっと。

「心配しなくていいぞ。ラルのデバフはバフなのだから」
「デ、デバフがバフ??」

 うん、まぁそうなるよね。
 初めて会う人にはそのたびに説明しなきゃならないようだ。なかなか面倒くさい副産物を残してくれやがって、あの呪術師め。
 ウーロウさんには、魔王四天王のひとりに呪いをかけられ、魔法効果が反転するようになったんだと説明。
 首を捻られたが、アーゼさんたちもフォローしてくれたので納得してくれたようだ。
 その時、俺が勇者パーティーの元バッファーだというのも伝えられたので、ウーロウさんの態度が一変した。

「ま、魔王を倒したという勇者パーティーの方だったのですか!? ほ、本当に!?!?」
「え、えぇまぁ……。でもほら、この呪いですから……最後の最後には何の役にも立たなかったんですよ」

 魔王をバフっただけで、首を刎ねたのはアレスだ。
 
 だけど今回、そのバフをバフバフしまくるつもりだ。

「みんなには俺の後ろにいて欲しいんです」
「後ろか?」
「えぇ。バフやデバフは、付与する対象を目視する必要がありまして。俺の後ろにいて貰えればそれだけでバフは掛かりません」

 だけど日常生活を送る上で、常に俺の後ろに……なんてのは無理だ。
 今回、ちょっとだけクイに活躍して貰って、町の中に潜入するつもりでいる。
 潜入したらなりふり構わずスピードアップバフをしまくって、動きが遅くなったところを仕留める作戦だ。
 対象が敵か味方かの判断はウーロウさんにして貰う。

「頑張れば一度に百人ぐらいはバフれるので」
「ひゃっ、ひゃく!? さ、流石勇者パーティーのバッファーだ」
「はは……あとはスレイプニールだけど──」

 問題はテイマーがどんな奴なのかだ。
 スレイプニールなんて魔獣をテイムするぐらいだ。生半可な魔力の持ち主じゃないだろうな。

「へっ。スレイプールだろうがなんだろうが、ラル兄ぃがテイムしちゃえばいいんや!」
「スレイプニールだよクイ。それにテイムするには、元のテイマーの魔力より遥かに勝っていなければならないんだ。そのうえ、俺がお前をテイム出来たのが奇跡なぐらい、テイマーの才能もないんだからさ」
「オレ、奇跡の従魔! オレ凄い!?」

 いや、たぶんこんな俺でもテイムできちゃったんだから、どんくさいんだと思う。
 スレイプニールがクイと同等というのは、天地がひっくり返ってもあり得ない。
 モンスターではないが、モンスターに換算すればランクはA。それも限りなくSに近いAだ。

 それでも俺には自信をもって勝算があると言える。

 スレイプニールは半分が精霊として知られている。
 俺は精霊魔法も使えるが、ここでは魔法を使う必要はない。対話が可能ならそれでいい。
 この対話自体が精霊魔法を習得していないと出来ないことで、また誰かと契約している精霊が相手だと、元の契約者より高い魔力が必要になる。

「つまり、そのテイマーを俺がバフって魔力を極端に下げるんだ」
「……その間にスレイプニールと対話するってことが。なるほど」
「だけどそれでスレイプニールとの対話が可能になるの?」
「俺は精霊魔法も使えるから、その点は大丈夫だ」

 対話に対して抵抗を試みるなら、スレイプニールもバフる。
 あとは……。

「そのテイマーの実力次第だな。バフってすら俺の魔力を超えるような、賢者級だと難しいかもしれない。だけどその時にはテイマー自身に……死んで貰うしかない」
「その時は俺たちに任せろ」
「ラルなら魔法も封じれるんでしょ?」
「完全に封じるというより、魔法を無力化する感じかな。魔法の威力を上げるバフがあるから、それを使えば──」

 魔法の威力が下がる。
 詠唱を早くするバフもいい。魔力を上げたり、一度だけ魔法の威力を二倍にするのもいいだろうな。

 ふふ、ふふふふふ。

「ラ、ラル……顔がにやけてる」
「ふふ、ふふふふ。久しぶりに思いっきりバフれるぞぉぉぉぉー!」

 バッファーとして、これほど嬉しいことはない!