反転の呪いを受けた最強バッファーは最狂デバッファーとなって無自覚無双でスローライフを送る?

 昨日は結局、図面を見ながら紐で地面に線を引いて、持って来た木材を全部出して種類ごとに分けたり。そんな作業で終わってしまった。

「けど今日はまず、森に行かなきゃならない」
「なんで?」
「薪が残り少なくなった!」
「ヨシ! オレに任せろ!!」

 任せたいのはやまやまだけど、そこに生えてる数本の木を切り倒すのはナシね。
 
 やる気満々なクイを抱っこし、肩に乗せてから森を目指した。
 
 途中で草原ウルフを発見。
 まだ気づかれていないようだ。

「こ、ここは俺がやる」
「え? ラル兄ぃ、よわよわやんけ?」

 そうだよ。俺はよわよわさ。だって机に噛り付いて魔法の勉強ばっかりしていたんだから、仕方ないじゃないか。
 でもアレスたちとの旅で、体力だけはついた。
 ひたすら歩いていたからね。

 けど──

「俺はバフの腕なら誰にも負けない自信がある!」
「でもバフじゃなくなってるやーん」
「そうだよ。だから……俺のデバフは誰にも負けないってことなんだよ! "その肉体を強化し、鋼のごとき強さとなれ! フルメタル・ボディ"」

 更にスピード・アップもバフる。
 当然、バフった瞬間に気づかれたが、走る速度はのろ~い。
 驚いた草原ウルフが「キャイン」と吠える。
 その間に俺は杖を構えて駆けた。

 草原ウルフが接近する俺に気づいて顔を上げるが、その視線が合うよりも前に──

「そりゃ!」

 俺は杖を、ウルフの脳天に叩き込んだ。

 地面にべしゃっと倒れ込んだ草原ウルフはピクリともしない。

「や、やれた?」
「ラル兄ぃ! すっげーや!!」
「ふぅ、ふぅ……バフのおかげだな」
「デバフや!」

 非力な俺でも一撃でモンスターを倒せるは嬉しい。
 とはいえ、この草原ウルフもGランクと低い。下級モンスターでは中堅といったところだけど、冒険者の間では雑魚扱いにされている。
 森にはCランクやBランクのモンスターだっているんだし、流石にその辺りになると太刀打ちできないだろうな。

「森と言っても奥まではいかないぞ。薪になる枝なら、手前の方でも十分拾えるだろうし」
「どのくらい拾うんだ?」
「んー……いっぱい」

 森まで片道一時間。
 毎日枝拾いで往復していたら、家を建てる時間がなくなってしまう。
 空間収納があるんだ、いくらでも入れられる。

 森までやって来た俺たちは、その入口からさっそく枝拾いを開始。
 誰も拾わないからそこかしこに木の枝が落ちている。
 うん、大漁大漁っと。

 ある程度集めたら縄で縛って収納袋へ。
 何度も何度も繰り返し、お昼にはいったん明るい森の外へと出た。

「五〇束できたか」
「終わり?」
「いや、どうせならもう五〇束作ろう。一日三回、火を使うからな。夜は特に火を絶やさないようにしなきゃならないし」

 食事の支度で一束は確実に消費する。夜だと二束は使い切ってしまうだろうか。
 夜はモンスターが活発になる時間だ。特に火を怖がるわけでもないが、それでもランクの低いモンスターは寄り付かなくなる。
 それに、真っ暗だと俺が何も見えないからな。

 クイは二、三日に一度しか眠らない。それも日中に俺の影の中で眠る。

「クイ、そろそろ眠くなるんじゃないのか?」
「ん? んー……んー……そういえば?」

 眠いことを忘れるなんてな。
 それだけ夢中になっていたんだろう。

 朝食の残りをお弁当に持ってきているので、それを食べたらクイは俺の影の中へ。
 午後からはひとりで枝拾いだ。
 クイがいない分、周りを警戒する目も減る。
 十分に気を付けなきゃな。





 枝の束も間もなく追加の五〇が出来上がる──そんな時だ。

「来たぞ!!」

 そんな声が森の奥から聞こえた。

 来たぞって、もしかして俺たちの事?
 緊迫感漂うその声は、まるで敵が来たぞという感じに聞こえる。

 突然攻撃されるかもしれない。
 警戒して周囲を見渡すけれど、近くに何者の気配もないな。

 ということは、誰かが敵と──たぶんモンスターだろうな。それと戦っているか、追いかけられているのか。
 前者にしろ後者にしろ、放ってはおけない。

 声のした方角に向かって走ると、すぐに状況は把握できた。

 獣人の一種、蜥蜴人が中型のドラゴン亜種、カオス・リザードと交戦中だ。しかも負傷した仲間を抱えての戦闘で、どうやら撤退中らしい。

「がぁぁぁっ!」
「ティー! 前に出過ぎるなっ」

 ん? ひとりだけ蜥蜴人じゃない獣人の少女が混じっているぞ。
 あれは……高原に住む豹人か?
 山を下りてくるなんて珍しい。
 しかも蜥蜴人と共闘しているとは。

「呑気に見ている状況じゃないな。助太刀しますっ」

 そう叫んでから戦場へと駆けた。
 まずは彼らにバフを──

「っと、ダメだダメだ。ついクセで支援しようとしてしまう。支援するべきは──」

 あのカオス・リザードだ。
 
 亜種とはいえドラゴン。その皮膚は硬い鱗に覆われ、中型ではあるが比較的細身で動きも素早い。その爪には毒があり、かすっただけでも猛毒に侵される。
 負傷している蜥蜴人は早急に解毒剤を飲ませるか、解毒魔法を掛けなければならないだろう。
 しかし獣人族は総じて魔法が不得意で、魔術師はほぼいない。
 解毒魔法は使えるが、反転の呪いの影響で毒を付与することになるだろうなぁ。

 ってことは薬草による治療だけれども、戦闘中にそれは無理だ。
 早く終わらせよう。

「"韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"、"その肉体を強化し、鋼のごとき強さとなれ! フルメタル・ボディ"、"肉体は武器となり、敵を打ち倒す戦神の加護を与えん。バトル・ボディ"!」

 行動による速度を上昇させる魔法と、肉体の持つ防御力を上昇させる魔法、そして物理的な攻撃力を上昇させる支援魔法をカオス・リザードに向かって唱える。
 モンスター相手にバフるときは、若干魔力の流れを変更しなきゃならない。
 それはクイ相手によく使っていたので慣れている。
 魔力の流れを変更しなきゃいけない分、間違ってそれを人相手に使わないので多少安心だ。
 ま、クイに間違って反転バフを使う可能性もあるんだけど、今はここにはいない。

「お、おい! 人間のお前っ。い、今のはバフ魔法だろうっ」
「なぜカオス・リザードを強化する!?」

 蜥蜴人の敵意が俺に向けられる。
 ごもっともだ。
 だけどカオス・リザードをよく見て欲しい。

 俺は試しに地面に落ちていた石を拾い、そして投げた。

「ギャアオオオォォォォッ!!」

 赤ん坊の握り拳ほどの石が当たった程度で、カオス・リザードは絶叫を上げた。

「"あらゆる属性への抵抗を高める力となれ──レジスト・エレメントアップ"」

 属性の乗った攻撃に対する抵抗力を高めるバフ魔法だ。
 これなら俺のゴミクズのような攻撃魔法だって、少しは効果があるんじゃないか?

「"全てを燃やし尽くす、煉獄の炎よ! 赫き刃となりて、我が敵を浄化せん!! ヴェルファイア"」

 唱えた呪文に、蜥蜴人たちから歓声が上がる。

 その効果は、赫く燃え盛る十二本の炎の槍を召喚して敵を串刺しにするという、炎属性でも最高クラスの火力を有する攻撃魔法。
 本来は人の身長の二倍もある大きな槍を召喚する魔法なんだけど、俺の場合はスプーンかフォークかっていう、短い、そして炎ではなく水を召喚する程度。
 数だって六本しかでない。

 そんなしょぼしょぼな水の棒がカオス・リザードの頭上に現れると、周囲からは落胆の声が上がった。

「そんなもんで奴が倒せるか!?」
「ダ、ダメだ! 全然期待できねぇーっ」

 再び焦る蜥蜴人の前で、俺の水のフォークがカオス・リザードに降り注いだ。

「ンゲエエェェェーッ!?」

 悲鳴は普通、痛みにのたうちまわるのは超スロー。

 結構いけてる?

 そう思ったのは俺だけではないはず。
 悲鳴を上げるカオス・リザードを見て、蜥蜴人たちが再び唖然と俺を見つめた。

「なんで? お前、使った魔法は支援魔法だろ?」
「魔法に疎い俺たちにも、呪文の内容でだいたい分かる。何故火属性魔法を唱えて、水が出てくるんだ?」

 その問いに俺は杖を構えて答える。

「俺は元支援職《バッファー》だ。だけど魔法の効果が反転する呪いを掛けられ、今は妨害職《デバッファー》になった!!」

 ──と。

「デ、デバッファー?」
「バフ魔法が、デバフに反転するというのか?」

 蜥蜴人の問いに俺は頷いた。

「元々攻撃魔法の才能はさっき披露した通り。奴を倒すにはあなた方の力も必要だ。今なら奴の鱗は紙同然!」

 ちょっと誇張し過ぎかもしれないが、槍で突けば簡単に貫通させられるはず。
 蜥蜴人の男たちには勇敢な戦士が多い。腕力も人間の平均よりは上だ。
 やれる!

「俺は戦う。もうこれ以上家族を失うのは嫌だ!」

 そう言って、ひとりの蜥蜴人が槍を構えて突進した。

「ギャオオォォォォォォォォンッ」

 カオス・リザードが倒れるのに、そう時間は掛からなかった。
 ひとりの蜥蜴人が突撃し、その槍がいとも簡単にカオス・リザードの鱗を貫通すると、他の蜥蜴人も雄叫びを上げて突っ込んで行った。
 みな口々に仇だなんだと叫びながら。

 カオス・リザードはBランクモンスターで、知能もある。
 蜥蜴人数十人で挑んでも、倒すのは困難だろう。

 もしかすると、蜥蜴人の集落を襲ったのかもしれない。
 甚大な被害が出ただろう、きっと。

 憎悪の槍が奴の心臓を貫いたのは、最初にカオス・リザードに突っ込んで行った蜥蜴人だった。
 彼の槍が心臓を捉えたのは、ほんの四、五突き目。
 動かなくなったカオス・リザードに対し、彼ら蜥蜴人は攻撃の手を緩めなかった。
 それだけの恨みがあったのだろう。

 やがてひとりの蜥蜴人が「勝ったぞ!」と声を上げると、蜥蜴人はようやくその手を止めた。





 歓声が上がったのは一瞬だけ。
 その後はただ静かに肩を震わせ、傷ついた仲間の手当てを始めた。
 
 勝ち鬨の声を上げた蜥蜴人がこちらへとやって来る。

「人間、助かった。感謝する」
「いえ。しかしよくカオス・リザードなんかと……」

 戦おうなんて、無謀なことをとは言えず言葉を濁す。
 相手もそれを察してか、しかし首を横に振った。

「好んで奴と事を構えた訳ではない。奴がこの森に住み着いたのは五〇年ほど前の事──」

 まずカオス・リザードは蜥蜴人の集落を襲った。
 三〇〇人ほどいた村人のうち、三〇人ほどが殺された。

「その時、奴はこう言ったのだ。毎年ひとり、年頃の生娘を生贄として差し出せ。約束が守られた年は、それ以上集落の者を喰わないと」
「……知能の高いモンスターは、ときおりそうやって生贄を要求することもあると聞きます。そうだったのですか……」

 全滅するか、毎年ひとりの犠牲を出して生き延びるか。
 その選択では、必ず後者が選ばれる。
 誰も責められないさ。

「しかし、生贄を出せなかった年も何度かあり、今では我らの集落の人口は百人近くにまで減ったのだ」
「それでカオス・リザードを討つ選択をしたと?」

 彼は頷く。
 このままでは二、三〇年後には集落は壊滅する。なら万に一つの可能性に賭けたのだと。

「しかし、人間が来てくれて助かった。本当にどう感謝してよいやら」
「いえ、それはもう……。それより、カオス・リザードの血の臭いを嗅ぎつけて他のモンスターが寄って来るでしょう。ひとまず森を出た方がよくありませんか?」
「む。それもそうだ」
「森を南に抜けた先に、俺の仮拠点があります。水場も近いので、ひとまずそこに」
「すまない、感謝する」

 彼らを案内しようとした時、豹人の少女が短剣を構えて走って来た。

「があぁぁっ!」

「ティー、何をっ!!」

 蜥蜴人の声が響く。
 俺はその声を気にすることなく、跳躍し、頭上を飛び越える少女を見つめた。

 振り向きざまに「"その肉体を強化し、鋼のごとき強さとなれ! フルメタル・ボディ"」と呪文を唱える。
 俺の背後に忍び寄ろうとしていたモンスター(・・・・・)に向かって。

「がぁぁっ!」
「ギョエエェェーッ」

 豹人は瞬発力、反射神経、脚力に優れている。見た目に反して力もある。
 
 熊にも似た姿のクロウベアは、少女のパンチをモロに喰らって10メートルほど吹っ飛んで大木に激突。
 更に止めを刺すべく、少女が太い枝を拾って突進していった。
 その枝をクロウベアの眉間に突き刺し、あっさり倒してしまった。

 クロウベアはCランクモンスターで、決して弱くはない。
 獣人の少女がひとりで挑んで、普通なら勝てる相手じゃないはず。

 いくら俺の反転バフが掛ったとはいえ、躊躇なく向かっていくとは。
 いや、バフる前からあの子は……。

「ありがとうな。俺を助けようとしてくれたんだろ?」

 自分で倒したクロウベアを見下ろす少女の下まで行き、彼女に声を掛ける。
 くるりと振り返った少女は、どこかキョトンとしているようだった。

「もしかして、自分で倒しておいて信じられないって……そんな感じか?」

 笑いながらそう尋ねると、少女はビクりと体を震わせ、それから慌てて駆けだした。
 どこに行くのかと思えば、蜥蜴人のひとりの背中に隠れてしまった。

「な、なんだティー。クロウベアのにおいに気づいて、あの方を守ろうとしたんだな」
「……に、人間、弱い。みんなそう言ってる。だ、だからボク、守ってあげた」
「なな、なにを言っているんだティー。べ、別に人間は──」

 蜥蜴人の慌てっぷりからすると、里では人間は弱い生き物だって子供たちに教えているんだろうな。
 まぁよくある話だ。
 異種族より自分たちの方が優れた生き物だって、そう子供たちに教えるなんて。
 人間だって同じだ。
 獣人族の知能は低く、文明レベルも人間のそれより劣ると。
 身体能力は人間より何倍も優れているけれど、そのことは教えたりはしない。

「気にしないでください。俺は実際に弱いですよ。後方支援ばかりで、自分でモンスターを倒すなんてことしたことなかったですし。さ、他の奴らが集まってくる前に」

 落ち着いて怪我人の手当てを出来る場所に行かなきゃな。
 蜥蜴人たちは頷き、怪我人を担いで歩き出した。

「これでよしっよ。マリアンナが解毒ポーションをたくさん荷物に入れてくれていたから、助かった」

 空間収納袋の中には、解毒ポーションや傷を癒す回復ポーションなんかがたくさん入っている。
 全部マリアンナが用意してくれたものだ。
 中には超貴重なエリクサーが九十九本もあって、これだけでお城が建つような金額だぞ。
 入れすぎ!

「カオス・リザードを倒す手助けをして貰っただけでなく、貴重なポーションまで……」
「あ、いや大丈夫です。ポーションの生成方法も道具もあるので、薬草さえあれば作れますから」
「れ、錬金の知識もおありか!?」
「まぁ、本職には劣りますが」

 器用貧乏っていうのかな。
 魔術師養成施設の学び舎でたくさんの本を読んで、知識だけはたくさん見についた。
 魔法も一通りのものが使えるが、使えるイコール使い物になるではない。
 ポーションの製造にしても、本職に比べると効能は低い。
 マリアンナが用意してくれた解毒ポーションは、一本で完全に毒素を抜くことが出来たが、俺が作ったポーションではこうはいかないだろう。
 たぶん食後毎にポーションを飲んで貰って、完治するのに二、三日掛ると思う。

「そういえば、お互い自己紹介がまだでしたね。俺はラルトエン・ウィーバス。元は支援特化のバッファーだったのですが……」
「わたしは里長のグンザ。反転の呪いだとか言っていましたな?」

 長か。それにしては若い気がする。
 蜥蜴人の容姿は、完全に蜥蜴のソレとそっくり同じで、正直見分けはほとんどつかない。
 着飾っている装飾品なんかで区別するしかないのだけど、蜥蜴人の男性には頭髪がある。その頭髪や鱗の色合いで年齢はある程度想像できた。
 このグンザという人は頭髪も鱗の色も鮮やかで、たぶん四〇代半ばもいかないだろう。

 里長のグンザさんにかいつまんで呪いを受けた経緯を話す。
 呪った相手が呪術師デロリアだというのは伏せた。そこを話すと今度は、何故一介のバッファー程度が魔王四天王に呪われたのかという話になり、それを説明するなら俺が勇者パーティーの一員だったことを言わなければならなくなる。
 さすがにちょっと面倒だし、勇者パーティーの一員であっても俺自身にはなんの力もない。
 ただみんなを支援していただけだから。

「そうか。それは災難でしたな。しかしおかげで我らは助かった。例を言うラルトエン殿」
「ラルで結構です。仲間からもそう呼ばれていましたので」
「ではラル。貴殿のような人間が、何故この地に? どうやらこの地に住もうとしているようだが」

 グンザさんは周りに置かれた木材を見て判断したようだ。
 蜥蜴人も近くに集落があるのだろうし、この草原の所有権とか大丈夫だろうか?
 王国が権利を主張してはいるが、正直、それは人間側の勝手な主張でもある。
 そもそも人間が誰も住んでいないのに、所有権は王国にあるというのも無理があるんだよね。

 俺の心配を察したのか、グンザさんは苦笑いを浮かべ首を振った。

「いやいや、ご心配なされるな。我らはこの草原には住んでいない。ここはフォーセリトン王国が所有する土地であることは知っている」
「そ、そうですか」
「そもそも我らは湿地帯を好む種族ゆえ、草原に住もうとは思わないのでな」

 そうだった。
 彼らは湿地帯か、湿度の高い場所に好んで暮らしている。
 寒さには弱く、高原などに居を構えることもない。

「我らが知る限り、この草原で暮らす人間はいないはず」
「蜥蜴人の里はどこに?」
「あの森を挟んだ反対側にある。あの山と森とに挟まれた位置だ」
「あっ! で、ではわざわざ里から遠い場所に連れて来てしまいましたか?」

 グンザさんは首を振って「大丈夫だ」という。

 元々、森を通って移動すればモンスターに襲われやすいため、出来るだけ森を迂回する形であの場所までやって来たそうだ。
 カオス・リザードンを討伐出来た後も、最短距離で森を脱出し、休んでからぐるりと森を迂回して里に戻ることになっていたとか。

「森を迂回すれば丸一日以上かかるが、安全面を考えればそれが一番なのでね」
「そうですか。安心しました。そうそう、俺がこの草原に来た理由ですね。それも呪いに関係するんです」

 バッファーとしての癖で、つい誰かをバフってしまう。
 荷物を運ぼうとしている人を見かけたら、バトル・ボディを。急いでいる人がいたらスピード・アップを。

「でも今だと、それが全部デバフになってしまうんです。それで……誰かをバフる必要のない環境に身を置こうとおもって」
「それでこの草原か……しかし魔術師ひとりで暮らすには、ここはあまりにも危険な土地だが」
「あぁ、それは……一応ひとりではなく、従魔がいますので。今は俺の影の中で眠っていますが」

 まぁクイは強力なモンスターではないので、頼りになるかと言われれば微妙だ。
 だけど俺のデバフもなかなかに役に立つ。
 味方を強化できないなら、敵を弱体化させることでなんとかなっている。

「ほぉ。召喚術もお使いに?」
「魔法は死霊術以外はとりあえず。神聖魔法も使えるのですが、効果が反転するので恐ろしくて今は使えません」
「人を癒す魔法ですからなぁ。しかしひとりでは何かと大変だろう? 従魔がいるとのことだが、人型でもない限り建築作業には向かぬだろうし」
「ごもっとも。まぁのんびりやりますよ」

 そう答えると、グンザさんは少し考えてから立ち上がった。
 どこへ行くのかと思えば、怪我人の手当てに当たっていた豹人の少女の所へ。
 すると今度は少女が川の方へと駆けて行った。

 戻って来たグンザさんは、

「あの娘は十年前に、里の近くを流れる川で見つかった豹人の娘でね。名をティティスという」
「川で?」
「三十年ほど前に、あの山に氷の女王カペラがやって来たのだ」

 冷気を操る魔王軍の四天王のひとりだ。もちろん、今はもういない。
 カペラが森の後ろにそびえたつ山脈にやって来てから、山は雪に覆われるようになったという。

「元々標高の高い場所は気温が低かったのだろうが、カペラが来てからはその比ではなく。動植物も育たない死の大地になった」
「もしかして豹人はあの山に?」
「その通り。恐らく食べ物を探して、あちこち歩きまわったのでしょうな。そして──」

 崖から落ちたのか、川には彼女以外にも数人の豹人が流れ着いていた。
 が──

「息をしていたのは、あの娘だけ」
「そう……なのですか」
「恐らく山の上には仲間がいるでしょうが、なんせ連れて行こうにも我らは低温に弱い種族。故に、向こうから娘を迎えに来てくれるのを願ったのだが……」
「食べ物を探して彷徨っていたのなら……豹人の里も厳しい状況なのでしょうね」

 グンザさんは無言で頷く。
 ちょうどその時、ひとりの蜥蜴人がやってきた。

「長よ、呼んだか?」
「来たか、アーゼ。こちらはラルトエン殿だ。ラル、彼はアーゼ。里でも一番の戦士だ」

 そう紹介されたアーゼという蜥蜴人は、頬の鱗を薄っすら赤く染めて頭を掻いた。
 確か真っ先にカオス・リザードに突撃したのが彼じゃないかな?

 彼は無傷で、今は魚を捕りに川へと行っていたようだ。その手には紐で括った大きな魚が四匹、握られていた。

「アーゼ。我らが恩人の力になってくれぬか?」
「もちろんさ! で、何をすればいい?」
「え? あの、グンザさん?」
「せめて住居造りの手伝いぐらいはさせてはくれぬか?」

 そ、それは凄く有難いと思う。思うけれど、家造りの手伝いに来てくれた人に、間違ってバフったりしたら大変だ。
 俺のそんな考えは筒抜けだったのか、グンザさんが「大丈夫だ」といって笑う。

「ラル殿のバフ魔法がデバフになっただけだろう? デバフでは人は死なんよ」
「そ、そうかもしれませんが……いやでも、カオス・リザードを見たでしょう? フルメタル・ボディを間違えて掛けた場合、小石が当たっただけで悶絶するほど痛いんですから」

 俺のその言葉に、蜥蜴人二人が顔を見合わせる。
 たしかに──と頷き合いながら、「気を付けよう」とアーゼが言う。
 いや気を付けようとか、そんなんじゃなくって。

「ラル殿。要はデバフを受けたら、大人しくじっとしていればいいのだろう?」
「し、しかし。あなたがじっとしていても、ほら、モンスターのほうから襲ってくるかもしれないのだし」
「その時はボクが父さん守る!」

 そう言って割って入って来たのは、豹人の少女ティティスだった。
「川岸で倒れていたティティスを見つけたのは、わたしなのだ」

 そうアーゼさんは言った。
 ティティスを里へ連れ帰り、そしてこれまで育ててきたのも彼だ。

「ティティスを拾う一月前に、わたしは娘を──」

 そこでアーゼさんは唇を噛んだ。
 たぶん……彼の娘は生贄として、カオス・リザードに捧げられたのだろう。
 悲しみに暮れている時に、ティティスを拾ったってことか。
 種族は違えど、亡き娘にティティスの姿を重ねたのかもしれない。

「アーゼとティティスの二人に、ラル殿を手伝わせたい。許可して貰えるだろうか?」
「うぅん……確かに俺ひとりで作業するのは大変だけれども」
「魔法のことは気にしないでくれ。ラル殿にしても、その、支援したくなる癖というのを治す練習にもなるだろう?」

 治す必要が無いように、人のいない場所で慎ましく暮らそうと思っていたのになぁ。

 だけど──人との交流を全て断ち切ることは難しいかもしれない。
 
 ポーション類はたくさんある。
 あるけれど、数年後まで残っているかと言えば怪しい。
 彼らに使ったからではない。そもそも使用期限だってあるのだから、当然残っていたとしても瓶の中身の効力が消えてしまう。
 野菜や肉だって、無限じゃない。
 そのうち畑も作るつもりだけど、豊作になるという保証だってないんだ。

 集落があれば、物々交換でもいい。交流があるのに越したことはない。

 アーゼさんのいうように、バフる癖を矯正するチャンスでもある。
 間違ってバフってしまった時には作業を中断し、効果が切れるまで全力で守る。

 うん。それでいこう。

「分かりました。お二人の申し出を受けさせていただきます」
「おぉ、それはよかった!」

 グンザが喜び、アーゼさんが手を差し出してきた。
 その手を掴み握手を交わす。





 ──その翌日だ。
 カオス・リザード討伐の知らせを早く仲間に知らせたいからと、蜥蜴人たちは帰ることに。
 解毒が済み、怪我の方もポーションで回復している。出血した血はさすがにポーションでは戻ってこないが、歩く分には支障はないという。
 心配ではあるけれど、それよりもこっちが大変だ。

「ティ、ティティスだけ残るだって!?」

 アーゼさんと二人で建築を手伝うのだと思っていたら、アーゼさんは一度里に戻るという。
 その理由が──

「里から家内も連れてくる。三人のほうが捗るだろう。あとテントも持って来るので、四日ほど待ってくれ」
「お、奥さんを?」
「心配無用だ。蜥蜴人の女は強い。きっとラル殿より力があるだろう」

 まぁそれはたぶん、そうだと思う。
 いやでも、四日間ティティスと二人っきりってのはマズくないですかね?

 豹人のティティスは、恐らく十六、七歳といったところ。
 銀色の髪に、豹の耳と尻尾は真っ白で、彼女は雪豹さん族なのだろう。
 気の強そうな印象だが、顔立ちは整っており、その……かなり美人だ。いや、幼い印象もあるから、愛らしいというべきか。

 とにかく、

「と、年頃の女の子と、ここで二人っきりっていうのかっ」
「何、心配ないさ」
「心配ないって……」

 養父であるアーゼさんはにこやかに笑みを浮かべた。
 そして、

「何かあっても、その時はティーを嫁に出すだけさ」

 ──と、とんでもないことを口にした。

 何かってなんだよ!
 嫁に出すってそんな……それでも育ての親かぁぁーっ!

 アーゼさんは満面の笑みを浮かべ、他の蜥蜴人たちと里へ帰って行った。
 
 残されたティティスは、特に不安そうにもしていない。

「ラル! 何をする? 家はどうやって建てる?」
「えっ。いや、あの……ど、どうって」

 突然、目をキラキラさせたティティスが迫って来た。

「ボク手伝う! なんでも言うがいい!」

 ティティスは男の子のような口調で話す子だな。本当に男の子だったら、こんなに困ることはないのに。
 だけど、その体形からして男の子だと言うのには無理があった。

「て、手伝うと言われても……そ、そうだっ。図面を見せてあげよう」
「図面?」

 慌てて収納袋から取り出した図面を彼女に差し出すと、ティティスは首を傾げてそれを開いた。

「これがラルの家か?」
「の予定だ」
「ふぅん。地面の上に家を造るのだな」
「ん? 集落では違うのかい?」

 ティティスは頷き、それから木を指出した。

「蜥蜴人の集落では、巨木の枝に家を掛ける感じで建てている」
「へぇ。ツリーハウスか。知らなかったな、蜥蜴人がツリーハウスに住んでいるなんて」
「あの集落ではそうってだけで、他の蜥蜴人たちは地面に建てた家に住んでいるぞ。と聞いた」

 グンザたちの集落が変わっているってことか。
 理由を尋ねると、納得の答えが返って来た。

「集落のある場所は、地面が温かいのだ」
「温かい?」
「地下に温水が流れていて、それで温かい」

 この辺り一帯は、冬になれば雪も降る。だいたい1メートルほどの積雪量になるそうだ。
 寒さが苦手な蜥蜴人がこの地で暮らせるのは、その温水のおかげなんだと話す。

「温水のおかげで、集落とその周辺だけは少し暖かいんだ。だけど雪は降る。降った雪はそこだけ積もらず、すぐに溶けてしまう」
「溶けた雪が地面に沁み込んで、地面がぬかるんでいるのか?」
「そうだ。湿地帯というほどではないけれど、雪の季節にはべちゃべちゃになる」

 だから木の上に住居を構え、地面から溢れ出す熱気の恩恵だけど得ているのだろう。

 ツリーハウスというのにも驚くが、それ以上に温泉があることに驚かされた。
 その温泉、こっちの方まで流れて来ていないかなぁ。
 
「がうっ!」
「なんや!?」

 お昼まで、ティティスと拠点周辺の散策をし、戻って来てから食事の用意をしているとクイが起きて影から出てきた。
 お互い初対面なのもあって睨み合っている。

「ストップストップ! ティティス、こいつは俺の従魔なんだ」
「じゅうま?」

 首を傾げるティティスは、テイミング魔法のことは知らないようだ。

「モンスターを魔法で……うぅん、なんて説明すればいいのかなぁ」
「魔法でラル兄ぃの子分になったんや!」

 とクイが割って入る。
 まぁ間違ってはいない……よな。

「おぉ、そんな魔法もあるのか。ラルはいろんな魔法を使えて、凄いな!」
「えっへん!」
「いや、なんでクイがドヤ顔なんだよ。まぁとにかくそういう訳なんで、クイとは仲良くしてやってくれよ」
「ん、分かったぞ」

 ティティスについてかいつまんでクイに説明してやると、こちらも「新しい子分やな!」と、何故か先輩面に。
 ティティスも特に何も言わないし、まぁいいか。

 昼食のあとは家造りの下準備に取り掛かった。

 まずは家を建てる場所の雑草を毟る作業だ。

「膠灰を地面に流し込んで基礎を造る。その為にもこの草が邪魔でね」

 膠灰は燃やして粉末状にした貝や土、けい石と呼ばれるキラキラした砂のようなもの、それから灰や水を混ぜて作られる特殊な素材だ。
 混ぜた時にはどろどろなのに、時間が経つとカチコチに固まる素材で、建築材によく使われる。
 水と混ぜる前段階のものをたくさん持って来た。

 地面を整地し、そこに膠灰を流し込んで全体的に広げたい。
 雑草自体も邪魔だけど、根っこがね。

「クイと一緒に、昨日の朝から紐で線を引いているから、その内側の雑草は引き抜きたいんだ」
「草むしりだな。簡単簡単」

 そう言って腕まくりをするティティスに対し、クイが待ったを掛ける。

「ちょーっと待ったっす! オレがかるーく掘り起こすけん、ティティスやんはそこから雑草を選別して捨てるんや」
「選別?」
「まぁまぁ、見てるんや」

 クイは地面に爪を突き立てる。そして目にも止まらぬ早業で、土を掘り返した。
 だいたい15センチほどの深さで掘り返しているだろうか。畑を耕しているようなものだ。
 そうして掘り返された土から草を摘まんで持ち上げれば、根っこまで綺麗に取れる。

「おぉ、クイは凄いな!」
「ふふふん。そこに気づくとは、お主も見どころがあるようやな」

 なんの見どころだよ、まったく。

 雑草の選別が終わると、掘り起こした土を踏み固める。
 ただ足で踏み固めれば平らにならないので、一枚の大きな板を敷いて、その上でぐいぐいと体重を掛けた。

「よしっと。これで比較的平らになったかな。あとは膠灰を流し込んで、水平器を使ってまっ平になるよう調節するんだ。それは明日にしよう」
「もう終わりか!? ボクはまだまだ働けるぞ!」
「オレもオレも!」
「ははは。二人とも元気だなぁ。けど膠灰を流し込む作業は、最後まで一気にやっていかなきゃならないんだ」

 暗くなるから今日はここまで。残りは明日! ──というのが出来ない。
 だから朝から始めた方がいい。

 そう。時期に暗くなる。
 そうなる前に焚火の準備や夕食の支度も済ませてしまいたい。
 昨日のうちに蜥蜴人が捕って来てくれた魚の燻製が残っているので、狩りに出る必要がないのは幸いだ。

 空間収納袋からナンを焼く材料を取り出し、器の中で水と混ぜ合わせて捏ね始めると──

「ボクに任せて! ボク、母さんの手伝いでいつもやってたから得意っ」
「そ、そうかい?」
「うん、任せて」

 そういうのでティティスに任せてみたけれど、大丈夫なのかなぁ。
 こう……ボーイッシュな子が家事が得意という印象が……ない。

 心配で燻製魚を焚火で炙っている間もチラチラと彼女を見ていると、意外なほどに手際がいい。
 家事の手伝いをしていたっていうのは、あながち嘘ではなさそうだ。
 これなら安心して任せられる。

 彼女がナンを捏ねて焼く間に、こっちは燻製魚を炙ってスープの用意もする。

 うぅん。人数が増えた分、これからは野菜の消費量も増えるなぁ。
 家を建てながら野菜の自家栽培も始めるべきかな。





「ふぅ、ご馳走様。俺が作ったナンはぱさぱさになるんだけど、ティティスのはもっちりしていて美味しかったよ。何が違うんだろうなぁ」
「こ、捏ね方とか水の量。あ、あとボクのことは、ティーって呼んでいい。ティティスって、呼びにくいでしょ?」
「ん? そうでもないけど。でもその方がいいなら、ティーって呼ばせて貰うよ」

 そう言うと、彼女は笑みを浮かべた。
 すると今度はすっくと立ちあがって、使った食器の後片付けを始める。

「あ、それは俺が──」
「いい! ボクがやるんだっ。ボクが役に立つってところ、ラルにしっかり見て貰う!」
「しっかりって……ティーが来てくれて、俺は十分助かってるよ」

 女の子と二人っきりだということで、最初はどうなるかと不安ではあったけど。よく考えたらクイがいたんだった。
 今日は草むしりをしただけで終わらせたけれど、道具を使う必要のある作業になれば彼女の有難みはいっそう増すだろう。
 数日後にはアーゼと奥さんも駆けつけてくれるというし、予定よりも家の建設は早く終わるかもしれない。

 人を避けるために辺境の地に来たけれど、隣人が出来るのは歓迎するべきことだな。

 水と混ぜ合わせた膠灰を、昨日、雑草を毟った場所に流し込む。
 草むしりの際にクイが土を掘り起こし、それを再び踏み固めているので周囲よりほんの少し地面が低くなっている。そこに流し込むのだ。

 朝食後から始めたこの作業は、昼を少し過ぎた所で終了。

「いやぁ、汚れたなぁ。しかもパリパリに固まって、ちくちくするよ」
「ご飯先? 水浴び先?」
「オレは腹減ったで!」
「そうだな。俺も腹が空いたよ」
「じゃあボク、ご飯作る!」

 ティーは今朝、少し多めにナンを焼いていたな。
 そこに生野菜と、魚の燻製を油で揚げたものを乗せ、手持ちの調味料で何かタレのようなものを作って掛けていた。

「か、簡単なものだけど、美味しいぞ?」
「へぇ、美味そうだ」

 手軽だし、簡単に済ませたいときにはよさそうなメニューだな。
 食べてみるとこれまた美味い!
 タレが決めてなんだろうな。
 それに、油で揚げた魚も表面がパリっとして食感も楽しめる。

「はぁ~。ティーは料理が得意なんだね。俺も料理が出来ない訳じゃないけど、食べられたらそれでいいやって感じだもんあぁ」
「ラル兄ぃの飯は、不味くはないけど美味くもないもんなぁ」
「ほっとけ」

 魔王討伐の旅では、マリアンナやリリアンが料理を担当してくれていた。
 レイは大雑把で大味だったし、アレスに至っては料理なんて次元じゃない。どうやったらあんなクソマズなものが出来るのか……。
 それを考えれば、俺はまともな方だとは思うけれど。
 要は普通ってこと。ただただ普通。可もなく不可もなく。

「これからはボクが美味しいご飯をずっと作るから、安心しろ!」
「はは、ありがとうティー」
「やったぜ!」





「固まってないな」

 食事を終えたあと、ティーはそう言って流し込んだ膠灰を見つめていた。

「気温や天候にもよるけれど、二、三日は掛かるだろうなぁ」
「えぇー!? じゃあ固まるまで何もできないのか?」
「そうなる。だけど他にも作らなきゃならないものはあるんだ。例えば竈とか、風呂小屋とかね。、あ。それは後で話すよ。先に水浴びをしてしまおう。服も洗わなきゃな」

 パリパリになった膠灰は、肌についたものは擦ればすぐに取れる。だけど服についたものは……洗い落とせるかなぁ。
 そう思ったら、王都の大工さんたちの服は……かなり汚れていた気がする。洗っても落ちないのかもしれない。
 それならそれで、今着ている服は作業用にしよう。
 問題はティーだ。
 そもそも急遽ここに残ることになったのだし、着替えなんてものはない。

 俺の身長は178センチで、彼女の頭のてっぺんは俺の顎の下にある。
 ってことは、155センチ……ぐらいかな?
 サイズは絶対合わないだろう。まぁ大きい分には、なんとかなるだろうけど。

 ひとまず俺の着替えを一着貸すか。

「じゃあ俺とクイが周囲を警戒するから、ティーは先に体を洗って」
「え? ラ、ラルは近くにいないのか?」
「近くにはいるよ。でも君から見えない場所でね。あっちの茂みにいるから、安心して」

 覗いたりなんかしないよという意思表示なのだが、ティーは不安げに眉尻を下げて俺を見つめる。

「い、一緒に……入ろ?」

 と、そんなことを言い出した。

「い、一緒に!? いや、それはダメだ。君は女の子だし、俺は男なんだぞ?」
「ダメ、なのか?」
「ダメに決まっているでしょ!」

 なななななな、なにを言い出すんだ、このこは。
 豹人は男女関係なく、一緒に水浴びしたりするのか?
 いや、子供ならいいよ。でも俺は子供じゃないし、彼女だって年頃の少女だ。普通は恥ずかしがるもんじゃないのか?
 少なくともマリアンナやリリアンはそうだったし、覗きに行ったレイなんかは半殺しにされていたぞ。

「お、男と女が一緒に水浴びなんてのは、小さい子でもないとやっちゃいけないんだよ。人間の社会ではね」
「そ、そう……なのか? 夫婦は?」
「めおと!? ま、まぁ夫婦なら、いい……のかな」
「そうか! じゃあボクとラルが正式に夫婦になったら一緒に入ろうね!」

 そう言って、ティーは嬉しそうに駆けて行った。

 ……。

 …………。

 はい?

 いやいやいやいや、今なんて言った?
 サラっとなんか凄いこと言っていなかったか?

 アーゼもとんでもないことを口走っていたし。
 まさか異種族に助けられたら、娘を嫁に出すなんてしきたりがあるんじゃ……。
 
 ま、まさかなぁ。
 はは、ははははは。

「──ル」
「兄ぃ、呼んどるで?」
「は? え? あ、ああぁ、なんだいクイ」

 呼ばれて我に返ると、クイは俺を見上げていた。
 どうしたのかと尋ねると、クイは首を振る。

「オレやなくて、あっちや」
「あっち? ──はぐっ!?」

 クイが指さす方向に視線を向けると、そこには濡れた服を胸元に抱えたティーが立っていた。

「着替えない。だからここで乾かす」
「き、着替え!? ああ、ああぁあぁ、そうだった。渡すの忘れていたっ」

 慌てて背を向け空間収納袋からタオルとローブコートを取り出し、目を閉じたまま彼女に差し出した。

「こ、これを着てっ」
「これ? い、いいのか?」
「いいっ。そのままでいられるほうが困るからっ」

 いろいろと目のやり場に困るっ。
 服を受け取る感触が伝わり、そのまま暫く目を閉じて待っていると──

「着た!」

 という声が聞こえて安心して振り向く。
 が、

「違う!」
「え? ち、違うか?」

 振り向いたそこには、タオルを胸に巻き、ローブコートの袖をベルト代りにして腰に巻いた彼女が立っていた。

「いたっ」
「大丈夫か、ティー」

 水浴びの後は竈や風呂用の煉瓦小屋を建てる位置を決め、それに合わせた材料を空間収納袋から取り出す作業をした。
 木材を地面に置くときに、ティーは指を挟んだようだ。

「見せて。……うぅん、血まめが出来てるな。これぐらいなら俺のヒールでも……は使えないんだった」

 はぁ……。たいして役に立たない魔法が、なお一層ゴミ化してしまった。
 肩を落とす俺に、ティーは「舐めときゃ治る」と言う。
 いやいや、せめてポーション掛けておこうね。

 袋から取り出したポーションを、負傷した指にぽたぽたっと。

「も、勿体ない!」
「いや、たくさんあるからいいよ。あ、ティーは薬草の生えている場所とか知らないか?」
「し、知ってるけど……こっちからは遠い」

 あ、そうか。蜥蜴人の集落は、森を挟んで反対側だって言ってたものな。
 森はかなり広く、直線距離にしても二、三十キロはある。

「でもボク! 鼻が利くから近くにあればにおいで分かるぞっ」
「そっか。落ち着いたら森の入口付近に薬草がないか探したいし、付き合って貰っていいかな?」
「ま、任せてっ」

 元気よく返事したティーは、嬉しそうに頬を染めて笑った。
 
 この日は材料の準備と、これまた膠灰を流し込むために土を掘り返して踏み固める作業で終わり。
 夜はクイが見張りをしてくれるが、そろそろ眠くなる頃だろう。途中で代ってやらなきゃな。

 アーゼさん、早く来てくれないかなぁ。

「ラル! 今日も外で寝るのか?」
「今日も外だよ」

 当たり前じゃないか。
 大の字になっても十分余裕があるようにって、アレスが三人用のテントを用意してくれた。
 それ以上大きくなると、今度は設置が面倒になるので小型テントにしてくれたんだ。
 たとえティーと二人で使ったとしても十分な大きさがある。

 だからってねぇ、年頃の女の子と二人でテントで寝るなんてダメだろ。
 いや、年頃じゃなくってもダメだよ。

 アーゼさんは「何かあっても、その時はティーを嫁に出すだけさ」とか笑えない冗談を言っていたけど、そういうわけにもいかない。

「ティーはテント。俺はここ。アーゼさんがテントを持ってやって来るまではこうなの」
「別に……ボクは一緒でもいいのに」

 よくない!

 さっさと毛布にくるまって、予備のシートを敷いた上に座ると、隣にティーがやって来た。

「あのさ、あのさ。ボク思ったんだけどね」
「寝るなら君はテントだぞ」
「ぷぅーっ。そうじゃなくってぇ」

 頬をぱんぱんにしている姿は、まだまだ幼さが残っている。
 年齢は聞いていないけど、豹人も蜥蜴人も、成長速度は俺たち人間と同じはず。
 外見年齢=実年齢でまぁあっているはずだ。老け顔だの童顔だのを除けば。

「あのね、ラルの魔法は呪いで効果がちんぷんかんぷんになるんでしょ?」
「いや、ちんぷんかんぷんではないけれど」

 ちゃんと法則というか、そういうのはあるんだけどな。

「回復の魔法を使うと、痛くなるのか?」
「たぶんね」
「たぶん?」

 首を傾げるティーに、回復の逆は何だと思うと尋ねる。
 彼女は腕を組んで考えてから「傷の悪化?」と答えた。

「たぶんそれで合ってると思うよ。だからさ、試すことも出来ないんだ。その通りになって、傷を悪化させるなんてダメだろ?」
「うぅん……確かに危ないな……。あ、だったら!」

 ティーは何かを思いついたのか、ぽんっと手を叩いて満面の笑みを浮かべた。

「モンスターに回復魔法を使って、試せばいい!」

 ……モンスターを……回復!?





「それじゃあオレは寝るで」
「あぁ、おやすみクイ。今夜は俺とティーで交代して見張りに立つし、明日の朝までゆっくり寝てていいからな」
「おぉー!」

 きっちり朝食を食べてから、クイは影の中へと潜った。

 それから俺とティーで、昨夜彼女が言った言葉を実行するべく草原を歩く。
 まぁモンスターなんて、十分も歩けば出くわすわけだけど。

「マックボアだな。肉も食料になるし、狙うにはいい獲物だ」
「マックボアの肉を薄切りにして、生姜タレに付け込んで焼くと美味いんだ」

 そう話すティーの口元からは、薄っすらと涎が……。
 やばい、つられてこっちも涎が出る。
 生姜、あったっけかなぁ?

「よし。じゃあ俺が魔法で──」
「ボクが短剣で傷をつけるから、ラルは回復魔法だぞ」
「え、でも……大丈夫か?」
「大丈夫! 奴の動きだけ遅くしてね」

 ふんすっと胸を張り、それから彼女は駆け出した。
 慌ててマックボアにスピード・アップの魔法を掛ける。

「プギャアァァァァー──フゴ?」

 ティーの気配を察知したマックボアがすぐさま突進しようと蹄を鳴らすが、ひと踏みするのも超遅い。
 ようやく最初のひと踏みが終わる頃には、ティーの短剣がマックボアの胴に傷をつけていた。

「プギッ」
「ラル!」
「分かった。ティー、誤射するといけないから離れてくれ」

 治癒《ヒール》の射程距離はほとんどないに等しい。
 手が届く範囲と、あと気持ちちょこっとだけ。
 離れた場所に治癒魔法を届ける場合は、治癒の矢(ヒール・バレット)を使う。
 射程は五十メートルほどだけど、マリアンナは百メートルぐらい飛ばしてたっけ。

「"癒しの光よ──ヒール・バレット"」

 プチトマトサイズの淡い光が生まれ、俺が振る杖の動きに合わせて飛んでいく。
 それがマックボアに当たると、奴が絶叫した。

「プギャアアアアアァアァァァァッ」
「お、効いてる?」
「出血量増えた! 傷が開いているんだきっと」
「"癒しの光よ──ヒール・バレット"」

 神聖魔法の中では中級クラスの魔法で、消費する精神力は少なくはない。
 ただ俺のほうもマナ──精神力のことだけど、これが多い方らしい。
 勇者パーティーで四天王と戦った時も、ガンガンバフってもマナ切れを起こしたことがなかった。

 嫌がらせの方にマックボア相手にヒール砲を連打し、十数発目頃には悲鳴も上がらなくなった。

「死んだ?」
「……死んだぞ」

 ティーが近づいて確認すると、マックボアは絶命していた。

 お、恐るべしヒール砲……。

 レジスト・エレメントアップ──属性魔法に対する防御力を上昇させるバフ魔法。
 それを掛けてヒール・バレットを使うと、効果が格段に上がった。

「ヒール系が聖属性魔法だっていうのは知っていたけど、まさかこっちでも効果があったとはなぁ」
「仲間の怪我を治すときに、効果が出ていたんじゃないのか?」
「いや、普段は俺、回復魔法なんて使わなかったから」

 使う必要がない。だって希代の聖女と言われるマリアンナがいるのだから。
 野営の準備していてちょこっと怪我した程度のときとか、自分でさっとヒールしていたぐらいかな。

 エレメントアップも、戦闘中には切らさないようにしていたもんな。
 だから魔法の有無で回復量が変わっていたかどうか、全く分からない。
 分からなくたって、マリアンナの魔法は凄いんだから困ることもなかったしさ。

「みんな、今頃どうしてるのかなぁ」

 アレスとマリアンアは、ちゃんと結婚したかな。
 レイとリリアンも……レイはきっと尻に敷かれるよなぁ。

「ラル、仲間の所に帰りたい?」
「ん? いや、帰りたいとかはないよ。彼らもそれぞれ別の道を歩んでいるだろうし、それぞれの暮らしがあるんだ」
「じゃあラルは後悔していない?」
「してないよ。確かに辺境に来たのは、デバフ使いになってしまったからってのもあるけど」

 五歳からずっと、王都の施設で暮らしていた俺は、外の世界をあまり知らなかった。
 勇者パーティーのバッファーとして任命されてからの旅は、俺にいろんなことを学ばせてくれた。
 だけど目的が目的だけに、楽しむ余裕なんてのはあまりなかった気がする。

「これからはさ、この広い世界でたくさんのものを見て、学んで、身に付けたいんだ」
「……ラルは勉強をする為にここへ来たのか?」
「え……いや、そういう訳じゃ……はは」

 知らなかったことを知るというのは、楽しいことだと思うんだ。
 今回のヒール砲だって、反転の呪いを掛けられたからこそこういう効果があったんだって知れたし。
 
 呪いのせいで自分や仲間を強化出来なくなったけれど、相手を弱体化させればなんとかなることも分かった。

「弱体化……ん?」

 あれ?
 反転なんだから、そもそもデバフ魔法ならバフれるってことじゃ……。

 ……。

「しまった!!」
「がうっ!? ど、どうしたのだラル?」

 支援魔法以外はゴミで、もちろんデバフ魔法もゴミ過ぎて使い物にならず、実戦で使ったのは養成施設での試験の時だけだった。
 だから忘れていた。

「俺、デバフ魔法も使えるんだった」





 となると、やっぱり試したくなるわけで。

「遠慮しなくていいんだぞラル!」
「いや、最初は自分で試すよ。どんな効果になっているか分からないし」

 ティーは構わず自分で試せと言うけれど、万が一のこともある。
 それに、万が一検証中にモンスターが襲って来たら大変だ。
 
 彼女はこてこての前衛タイプ。対して俺はこてこての後衛タイプだ。
 スピードアップは体の動きを速める効果があるが、声帯には影響がない。そのおかげで喋る速さは通常のまま。
 つまり呪文の詠唱には影響がないので、もしもの時もバフで援護できる。正確にはデバフか? いや、魔法そのものはバフなのだから、やはりバフか?
 うぅん、自分でもどっちなのか分からなくなってきた。

 とにかく検証だ!

「"不可視なる枷で、かの者を縛れ──スロウ・モーション"」

 スピードアップの真逆の効果を持つデバフだ。
 本来なら動きを鈍らせるというものなのだけれど……。

「んー……どう……なんだろう?」
「魔法、掛ったのか?」
「掛った」

 俺だって魔術師の端くれだ。自分の身に魔法が付与されたかどうかは、当然分かる。

 手をグーパーとしてみるが、特に何かが変わった気がしない。

「うん! そもそも俺はバフ魔法以外、ゴミみたいな効果を発揮できないんだった!」
「ん? んん?」

 つまり、劇的に魔法の効果が出るわけではないので、よく分からない!
 ということだ。

 ただ走ってみると少し分かった。
 ほんの少しだけ、本当に少しだけ足が速くなっている。
 試しにバフやデバフを打ち消す魔法を使って、何もしていない時とを比べてみよう。

「ティー、今からちょっと走るからさ、今の俺の速さを見ててくれないか。で、その後にデバフを解いて走る。速度が変わっているか、君なりに見て欲しいんだ」
「ん、任せろ! ボクは目が良いから、ちゃんと見てやるぞっ」
「そうか。豹人は動体視力もいいんだったな」

 じゃってことでぐるぐる走り回って、次に効果を打ち消す魔法を──

「"全ては自然であれ──ディスペル"」

 そう唱えたあと、反転の事を思い出した。
 
 付与された魔法効果を全部打ち消すという、このディスペル。
 反転するとどうなる?

 ぶわぁっと魔力の流れを感じ、体中に雷が駆け巡ったかのような痺れを感じた。
 それもほんの一瞬だ。

「な、なんだろう、今のは」
「どうしたラル。魔法は解けた?」
「どう、だろうな?」

 解けたかどうかは、走ってみれば分かる。たぶん。
 そう思って駆けた。

 駆け──

「はああぁぁぁぁぁ!?」
「速い! ラル早いぞ!! 凄い!!」

 ほんの十数メートル走るつもりが、あっという間に百メートルを超えた。
 自分の足が自分の意思に反して動く。
 で、足がもつれて盛大にこけた。

「ぶべっ」
「ラ、ラル!?」
「こ、こんなに早く、足ったこと……ない……」

 体を地面に思いっきり打ち付けた。痛い。ただ痛いなんてものじゃない。

「ティ、ティー……鞄、持って来て」
「分かった!」

 あぁ、こりゃ骨折れてるなぁ。
 ポーションで早く治さなきゃ。

 しかし……効果を打ち消す魔法が反転して、効果を最大限発揮させる魔法になったってことなのか?

 膠灰がすっかり乾いて硬くなったところで、次の作業へと移ろう──と思っていた矢先だ。

「ティーッ!」

 切羽詰まったような女性の声が聞こえて来た。

「シー母さんだ。母さんっ、どうしたの!」

 息を切らせてやって来たのは蜥蜴人の女性。ティーが母さんと呼ぶという事は、アーゼさんの奥さんか?
 傍にアーゼさんの姿が見えない。何かあったのか!?

「あぁ、ティー……そ、その方が?」
「ラルです。アーゼさんに何かあったのですか?」

 水の入った水筒を手渡しながら訪ねると、こくりと頷いてから彼女は口を付けた。
 喉を潤してそれから──

「道中、大型モンスターのサイノザルスに襲われている人がいまして」
「サイノザルス? 草原にそんな奴がいるのか」

 サイノザルスは体長4メートルを超える大型モンスターだ。
 見た目はサイのようだが、皮膚は硬く甲羅のようで、魔法にも物理にも強いという厄介なモンスターだ。

「夫は助けに向かったのですが、怪我人もいるようで逃げることも出来ず。それでこのことをラル様に伝えるように言われまして」
「分かりました。お疲れでしょうが、案内していただけますか?」

 彼女が頷いた時、ティーは既に準備万端というように俺の鞄を持って立っていた。

「ポーションではそう対して疲れは取れませんが、とりあえず飲んでください」
「ありがとうございます。私はアーゼの妻、シーと申します」
「ラルトエン・ウィーバスです。先ほどのようにラルとお呼びください」
「オレはクイやで!」

 足元の影からクイがひょこっと顔を出す。
 それを見てシーさんが「きゃっ」と悲鳴を上げて飛びのいた。

「すみませんっ。俺の従魔なんで襲ったりしませんから大丈夫です」
「オレが強くて優しくてカッコいいモンスターや。怖くないで」
「そ、そうなんですか」

 かなり嘘が混じってるけど、その辺りはシーさんも察してくれているだろう。
 苦笑いを浮かべた彼女は、すぐにはっとなって「ご案内します」と言って歩き出した。
 俺たちが直ぐにそれに続くと、歩みの速度は速くなる。

「ラル! この前のスロウなんとかって魔法っ」
「あぁ、そうか。シーさん、今からあなたにデバフをかけます」
「え? デ、デバフですか??」
「えぇ。でもバフ効果があるので。足が速くなりますが、気にしないでください」

 ディスペルは止めておこう。
 ティーにも試しに使ってみたが、やはり体が追い付かなくてコントロールが難しいと言う。
 それでも彼女は慣れたいからと、時々スロウ・モーションからのディスペルを使って動く練習をしている。

「"不可視なる枷で、かの者らを縛れ──スロウ・モーション"」

 効果範囲を広げ、全員にスロウの効果が入る。
 すると僅かに走る速度が上がった。
 更に、敵を弱体化させる魔法を俺たちに掛ける。

 本来は敵対する相手に使う魔法なので、やはり魔力の練り方を変更する必要がある。
 それもここ数日で練習したので、スムーズに発動させることが出来た。

「まぁ! 体が軽くなった気がします」
「よかった。本来俺はバッファーで、バフ魔法以外の適性が極端に低く、あまり効果がでないのですが……」

 はぁ。効果が逆転してデバフがバフになっても、魔法に対する適正は元のままなんだよなぁ。
 ゴミバッファーだよ、これじゃあ。

 シーさんの案内で走り始めて十分と立たないうちに、サイノザルスの姿が見えた。
 正直、倒れるかと思ったよ。だけど女性二人が平然と走っているし、止まる訳にもいかずこっそりポーションを飲んで頑張った。

「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……と、とりあえず──」

 草原には背の高い草や岩があり、小型モンスターなら身を隠す場所がいくらでもある。
 が、サイノザルスは流石に大型なので、遠目からも存在がはっきりと見えた。
 更に近づけばアーゼさんの姿もハッキリと見えるように。
 重傷とまではいかないが、決して軽傷とも言えない傷を既に負っている。

 一度深呼吸をして、それから──

「"韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"、"その肉体を強化し、鋼のごとき強さとなれ! フルメタル・ボディ"、"肉体は武器となり、敵を打ち倒す戦神の加護を与えん。アタック"! お待たせ、しました」

 基本バフ三点セットをサイノザルスに向けて唱え、その効果はすぐに現れた。
 元々俊敏ではないサイノザルスだが、今ではナマケモノも真っ青なほど動きが鈍くなっている。

「ティー! 今なら奴の皮膚も──」
「分かってるもん!」
「クイ、奴の足を狙ってくれ」
「お、おやすい、ご、御用だぜ」

 自分との体格差に怯えていたクイだが、意を決して飛び込んでいく。
 爪の一振りでサイノザルスの皮膚が抉れるのを見ると、こっちを見てドヤ顔になったけど……。

「アーゼさん! 今のうちにこちらへっ」
「す、すみませんラル殿」
「間に合ってよかった。襲われていたという人はあの人ですか?」

 サイノザルスと必死に戦っている人が二人いた。どちらも無傷ではないし、むしろ重傷に近い。
 すぐにポーションを取り出し、一本をアーゼさんに、残り二本を持ってあの二人に渡したいが……。

「ラル殿、それは俺が彼らに渡すので、あっちを頼む」
「あっち?」

 アーゼが指さすと、茂みにもうひとりいた。

「シーは二人を守れ」
「はい、あなた」

 シーさんも戦えるのか。そういや腰に曲刀を差しているな。
 茂みに近づくと、そこには褐色肌の身重の女性がいた。

「大丈夫ですか?」
「わ、私は大丈夫です。だけど夫と義妹がっ」
「ポーションを持って行って貰っています。とても効き目の良いポーションなので、あのぐらいの怪我はすぐに治せますよ。シーさん、彼女を頼みます」

 身重の女性のことはシーさんに任せ、俺はサイノザルスのほうへと向き直して唱えるべき呪文を頭に浮かべた。

 が──

「オレはやったぜぇー!!」

 っというクイの勝ち鬨があがった。