「帰ろう。家まで送る」
「い、いいよ」
「いや、送る」

 幸野がわたしの手を引いて、強引に階段を降りはじめる。
 わたしの頭に、あかりの声が聞こえてくる。

【幸野悟に気に入られて、調子乗ってんじゃねーよ】

 ぶるっと体が震えて、その手を振り払おうとした。
 だけど幸野は、もっと強く、わたしの手を握りしめる。

「は、離して」
「離さない」
「な、なんでよ?」
「池澤さん、危なっかしいから。家に着くまで離さない」

 なんなの? なんなの?
 こんなところを誰かに見られたら……またひどいことをされるのは、わたしなんだよ?
 あかりの顔が頭に浮かんで、また体が震える。

「寒い?」

 幸野の声が聞こえたかと思うと、つながった手がすっと離れた。
 そして次の瞬間、頭になにかがふわっとかかる。

「少しは雨よけになるだろ?」
「え……」

 頭からかけられたのは、幸野の制服のブレザーだ。

「い、いいよ。もう濡れてるし」
「いいから、かぶっとけ。風邪ひくから」

 幸野がまた、わたしの手をつかみ、どんどん歩道を進む。
 わたしはブレザーを頭にかぶって、そのあとをついていく。

 幸野の白いワイシャツが濡れていた。
 そっちが風邪ひいちゃうじゃん。バカじゃないの?
 なんだかすごく悔しくて、わたしは強く、幸野の手を握りしめる。

 息を切らしてわたしを追いかけてきて、自分はびしょ濡れになってまでわたしに上着を貸してくれて……
 ほんとにバカだよ……あんたは。

 やがて雨のなかに、わたしの家が見えてきた。
 幸野の手が、わたしから離れる。

「じゃあな」

 家の前で幸野が言った。

「また明日。池澤莉緒さん」

 最後に聞いた幸野の声は、すこしだけ、かすれていた。