「おれ、幸野悟っていいます」

 幸野はまっすぐお姉ちゃんの顔を見ている。

「……こうの?」
「はい。幸せに、野原の野って書く、幸野です」

 お姉ちゃんが笑うのをやめ、眉をひそめた。
 幸野は気にせず続ける。

「匠っていう兄がいたんですけどね。中学のときに死にました」
「たくみ……?」

 お姉ちゃんの顔色が変わった。

「お姉ちゃん?」

 わたしはお姉ちゃんの顔をのぞきこむ。

「ははっ、覚えてないですよね、そんな昔のこと」

 幸野は乾いた声で笑ったあと、あの刺すような目つきでお姉ちゃんを見つめて言った。

「でもおれにとっては、ついさっきの出来事にしか思えないんだ」

 お姉ちゃんが勢いよく、手で口元を覆う。
 地面にケーキの箱が、くしゃっと落ちる。
 幸野はわたしに視線を移し、いつものようににっこり微笑んだ。

「じゃあまた明日。池澤莉緒さん」

 暗闇のなかに消えていく幸野の背中。
 わたしは呆然とそれを見送る。

「ううっ……」
「お姉ちゃん?」

 苦しそうに口元を押さえたまま、お姉ちゃんが家のなかに駆け込んでいく。
 なに? いまの? なんなの?

 幸野はお姉ちゃんのことを知っていて、お姉ちゃんも幸野のことを知っている?
 ううん、お姉ちゃんは、幸野のお兄さんのことを知っているんだ。

 わたしはケーキの箱を拾うと、お姉ちゃんのあとを追い、急いで家に入った。