ゴールデンウィークも終わって、しばらく経つと、曇り空が多くなってくる季節がやって来る。学校という、つまらない日常に輪をかけて憂鬱な日々。

 そんな今日が始まろうとしている。

 ベッドの上で目を覚ましたボクは、朝の支度を済ませて一階のダイニングへと移動した。

「おはよー」

 キッチンで朝食を作っている、お母さんに声をかける。朝の挨拶。親しき仲にも礼儀あり、だ。

「あら、おはよう。珍しー。自分で起きてくるなんて。どうしたの?」
「うん? 別に。なんか今日は目が覚めちゃっただけ」
「あら。毎日そうだと、お母さん嬉しいんだけどなー」

 そんな言葉にボクは「あはは……」と苦笑い。

 日常の中のワンシーン。ごくごく普通のお母さんとの会話。ボクはいつもの席に付いて朝食に手を伸ばした。そんなボクにお母さんが言う。

「そうだ、シン! 何でも最近、ご近所で行方不明事件があったんだって。知ってた?」

 お母さんの言葉にボクは首を傾げる。

「行方不明事件?」
「えぇ。居なくなってから五日後に見つかったらしいんだけど……」
「だけど?」
「その五日間の記憶がないんですって。怖いよねぇ」

 ボクは朝食のパンをちぎりながら思ったことを言った。

「へぇ。神隠しってやつかな?」
「神隠し? そうなの?」

 ボクは神隠しの言葉で、一つ最近になって流行っている噂話を思い出した。そのことをお母さんに話してみる。

「嘘かホントか分かんない噂なんだけどさ。夕方、だったかな? そんな時間帯に普段の見慣れた道に知らない道が現れるんだって」
「へぇ? 何それ? 七不思議的な?」
「七つあるかは知らないけど。その道の先には西洋館があるんだって。で、そこは異世界に通じているって話があるんだ」
「ふぅん。異世界ねぇ……」
「うん」
「ふしぎの国のアリスみたいな感じかしら? そんな噂があるんだ?」
「うん」

 母が少し考えて言った。

「まぁ異世界でも何でもいいけどね。あんた、気をつけなさいよ? 空ばかりみてボーと歩いてたら危ないわよ?」

 ボクは「えっ、う、うぅん」と曖昧に頷く。

「気をつけるったって、何に気をつけるのさ?」
「そうねぇ。知らない人に付いていかないとか。知らない人を見かけたら警戒するとか。あとは……知らない道は歩かないとか?」
「あはは。何それ? まぁ分かった。気をつけるよ」
「ほんと、気をつけなさいね?」
「はいはい」

 ボクは適当に相槌《あいづち》を打って、家を出た。





 街路樹が並ぶ少し大きな道を、ぼんやりと空を見上げながら学校へ向かって登校していた。ちゃんと前を見て歩け。危ないぞ。さっき母にも言われたけれど、でも好きなんだ。上を向いて歩くの。正確には青空を見上げるのが好きなんだけどね。

 日常がちょっとだけ違って見えるんだ。

 まぁもっとも。今は灰色の曇り空が広がるだけの、つまらない空だけどさ。せめて晴れていればキレイな青空と、朝の空に浮かぶ月が見えるのに。

「はぁ……」

 小さく溜め息。

 すると後ろから、たったったと軽快なリズムで走る足音が聞こえてきた。

「シンちゃん。おっはよー!」

 そう言ってボクの肩を勢いよく叩くのは同じ六年三組のカズ坊だ。

「おはよー」

 ボクが返事をすると、カズ坊がさっそく話題を切り出してきた。

「なぁなぁ、聞いたか?」

 ボクは朝に母から聞いた話題かなと思って、そっちを尋ね返した。

「行方不明事件の話?」

 するとカズ坊は首を左右に振った。

「いんや。噂話の方。誘いの館の話だよ」
「あー、それなら知らない。誰か異世界へ誘われたん?」

 そんなにノリ気じゃない返事をする。どうせ適当な”でっちあげ”か勘違いの話だろう。そう思っていたからだ。

「らしいぜ」

 そう言って今回の、カズ坊が仕入れた噂の『誘いの館』の話をしてくれた。

「なんでも、隣の小学校にいる五年二組の女の子が学校帰りに見慣れない路地を見つけたんだって。そんで気になって入ったらしいんだ。そしたら一軒の西洋館があったんだってさ!」

 目をキラキラさせてカズ坊が語る。その気持はわかる。だが……

「随分と具体的な話だな?」
「だろ? それだけに真実味が増すよな!」
「でもさ。その子。異世界に行ったんだろ? なのに何でそんなに詳しく分かるのさ?」
「あ~。それな。実はその子。館の手前で引き返したんだってさ」

 ボクは、なるほどと納得した。カズ坊が腕を組みながら言う。

「もったいねぇよなー」

 ボクも頷く。

「だなー」

 学校と塾と家を往復すだけの”つまらない”日常を変えてくれるかも知れない存在。それが誘《いざな》いの館の噂話だ。カズ坊が言う。

「冒険してみてーよなー」
「だなぁ」

 そんな何気ない、いつもの普通の会話。

 どこかに、もしかしたらという思いがなかったかと言えば嘘になる。

 ボクにも訪れるかも知れない。そんな期待。

 そんな期待が、まさか本当に叶えられることになるとは、この時のボクはまだ知らない。